この気持ちは





「…………」
「……どうかした?」


 久しぶりの休日。ガヤガヤと賑わう中、ある人物を見つけた。その衝撃に、足がピタリと止まる。
 隣にいたはずの友人がいつの間にか消えてた。それに気が付き、くるっと後ろを振り向けば、神妙な顔をしている。不思議に思った硝子は首を傾げて近寄った。


「悟くんが女の人と歩いてた」
「は?」


 これでもかというほど、眉を寄せてポツリと呟く。それは意味が分からなかったのかもしれない。それもそのはず、彼女が少女に呼び捨ての許可を出しただけで嫉妬してくるような男だ。思わず、素っ頓狂な声が出てしまう。


「あそこ」
「わー……マジじゃん」


 いまだに信じていない硝子に彼女は指を真っ直ぐ差す。そこには自販機より高くて一度見たら、忘れない白い髪色を持つ青年の姿……明らかに二人の知る同級生だった。しかも、よりによってお色気系の女性と腕を組んで笑ってる。
 やらかしたな、アイツ。心の中で硝子はぼやくと、面倒くさそうに頭をかいた。


「……」
「大丈夫?」


 深くゆっくり息を吸うとまた時間をかけて息を吐く。動揺を鎮めようとしているのかもしれない。けれど、表情は浮かない。いや、暗い。
 流石に可哀想だと思ったのか。硝子は顔を覗き込んで問いかけた。


「だい、じょ……」
「……本当に?」


 大丈夫。そう言おうとしたけれど、喉が震えてくれない。身体は正直だ。心に影響される。まだ心が落ち着けずに、揺れていることが現れていた。それに傍目から見ても、顔色は青白い。
 誤魔化すための優しい嘘を付こうとしたけれど、見抜かれてしまった。


「大丈夫、じゃ、ない……全然……」
「よしよし」
「すっごい苦しい……」


 新調したばかりのワンピースをぎゅっと握りしめ、少しずつ言葉を零す。それはまるで我慢をしている子供のようだ。
 硝子は息を吐くと宥めるように頭を撫でる。その温かさに固まった身体が少しほぐれたのかもしれない。無駄に力が入っていた肩は下がった。でも、胸に溜まるモヤモヤに涙目になっている。


「よし」
「……?」


 友人のこんな姿を見たくはないのだろう。硝子は何か決めたかのように言うけれど、少女は何が何だか分からない。首を傾げて言葉を待った。


「そうなったら、行動あるのみだ」
「ど、どういうこと?」
「目には目を。歯には歯を、だ」


 何がどうなってそうなるのかが理解できない。胸に残るしこりは消えない上に増える謎。それに目を回すと硝子は口元に人差し指を添え、不敵に微笑んで歩き出した。


「え、意味が分かんない……て、ちょっと! 硝子!?」


 応えてくれているが、答えにはなっていない。ますます深まるそれに困惑したまま、彼女の背中を追いかけるしか出来なかった。



◇◇◇



 時が経つのは早い。異常に早い。あんなに高かったお天道様はいつの間にか沈んで、闇夜が広がっている。


「――……ねえ、硝子」
「ん?」


 トボトボとある少女。彼女は神妙な顔をして友人に声をかければ、薄い反応を返された。


「買い物に行って、カラオケ行って、プリクラ撮って、パンケーキ食べただけなんだけど」
「そうだね」
「目には目を、歯には歯を、って……何??」
「まあ、そう急かすなって」


 あれから遊ぶだけ遊んだのだろう。充実した今日のスケジュールを言って見せれば、簡単な返事しか返ってこない。それに不満だったのか。少女はムッとした表情をして硝子を見つめ、問いかけた。どうやら、これが聞きたかった本題らしい。けれど、硝子はのらりくらりと変わるだけだ。


「急かしてるわけじゃなくて、もう寮なんだけど……?」


 簡単に答えなんて返ってこない。最初からそう思っていたのかもしれない。深く息を吐き出し、肩の力を抜いた。
 ふと、正面を見ると暗闇の中でも分かるくらい身長が大きい人物が立ってる。女子寮の前で待ってる人間なんてそうそういない。だからこそ、警戒しつつも小首を傾げた。


「やーっと、帰ってきた」
「っ、」
「……遅かったじゃないか」


 ジャリ。砂と靴が摩擦する音と共に聞こえてきたのは慣れ親しんだ人の声。しかもそれは、不機嫌でありながら、余裕のなさそうな出迎えだ。しかし、五条の浮気現場を目撃してしまってから数時間しか経っていない。気持ち整理が付いていない今は会いたくなかったのかもしれない。女はドキッと心臓を跳ねさせると固唾を飲み込む。
 硝子は彼がこの場にいることに微動だにしていない。普段通りの口調なのに、どこか刺々しさを感じさせるのは気のせいか、否か。いや、恐らく後者だろう。


「……で、このメールはどういうこと?」
「?」
「お前がバカしてるからだよ」



 微かに肩で息をしているようにも見える五条はポケットから携帯電話を取り出し、画面を見せる。問われても少女には理解しがたい。メールなんてした覚えがない。身体ごと右に傾ければ、硝子が一言を突き刺した。


「メールって?」
「ああ、合コン誘ったって嘘付いた」
「なんで!?」


 話の流れが全く分からない少女は頭に疑問符を浮かべる。硝子に聞けば、サラッとした答えが返ってきた。それは衝撃的だったのだろう。反射的に言い返す。


「目には目を、歯には歯を、って言っただろ」
「いや、でも、……ええ?」


 悪気もなく言ってのける硝子に動揺を隠せないらしい。目をぐるぐると回した。


「……」
「……タバコ吸ってから部屋に戻るから二人で話したら?」
「このタイミングで!?」


 ストレートな悪口に五条は鋭い目を向けるが、それに怖気付く硝子でもない。目を閉じ、肩の力を抜くとカバンから小さな箱を取り出した。隣でいまだに混乱している少女に声をかけてやれば、彼女は取り乱す。そりゃそうだろう。唐突過ぎて心の準備なんてさせてもらえていないのだから。


「気付いたことがあるんだろ?」
「……」
「ちゃんと、伝えな。この馬鹿に……じゃあな」


 落ち着きのない彼女にため息一つ零し、ポンと肩を叩く。肩から伝わるあたたかさに少女は目を真ん丸にさせた。
 硝子の言う通り、気付いてしまった心がある。そこを指摘されれば、彼女は薄く開けていた口を閉じた。表情から冷静になれたことを感じ取ったのか。硝子はふと微笑んでひらひらと手を振って、その場を去った。


「意味が分かんないんだけど?」
「……今日、悟くんを見かけたの」
「……」


 二人の会話を聞いていても分からなかったらしい。五条は威圧的な空気を醸し出したまま、問いかけた。それは果たして、浮気をした人間の態度だろうか。バレてないと思ってるのか。それは分からない。けれど、疲れてしまってしまったのかもしれない。力なく、答えた。
 予想外の言葉だったのか。彼は目を大きく開き、固まる。


「綺麗な女の人と、腕組んで歩いてた……」
「あれ、は――」
「すっごく、嫌だった」


 頭を過る映像。色香を纏う女性が五条の腕を組み、微笑んでいる。しかも、それを拒むことなく、受け入れてしまった彼を思い出して顔を強張らせた。
 見られていたなんて思わなかったのか。言い訳をしようとしたが、それは強く、はっきりとした声に遮られる。


「……」
「ずっと、私が……中途半端だったからいけないんだけど」


 彼女にしては珍しい主張であり、感情だったのかもしれない。五条は微かに目を開け、開けていた口を閉じた。少女は苦しいのだろう。熱くなる目頭を誤魔化すようにぎゅっと目を閉じて、胸を押さえる。


「……」
「……だからこそ、もう……好きじゃ、なくなったかなぁ……?」


 ここで答えることは出来る。けれど、彼はそうすることはなかった。まだ自分に回答権を渡されていない、そう思ったからか。葛藤している彼女を見て言葉が出なかったのか。それは分からない。
 少女は新鮮な空気を取り込んで顔を上げて首を傾げる。今にも泣きそうな顔をして笑いながら。


「んなわけないでしょ」
「!」
「離さないから暴れないでよ」


 ああ、本当にやらかした。五条は今更ながら自分のしたことに顔を歪め、衝動的に動いた。彼女を腕の中にしまい込んで、一言を零す。
 まさか、ここで抱きしめられるとは思ってもいなかったのだろう。少女は胸板を押して脱出しようとした。あたたかい腕にいる資格がないと、思ってしまったのか。はたまた、逃げたいと思ったのか。彼女のみぞ知る答えだ。けれど、それは叶うことはない。五条がそれを許すわけがないのだから。


「……じゃあ、なんで女の人と腕組んでたの」
「そ、れは……」


 離してくれない。その事実に、諦めるしかない。五条の服をぎゅっと掴み、泣きそうになる自分を鼓舞して聞いた。
 口にしてしまったことにモヤモヤとした気持ちが増す。それに苦しくて、悔しくて、無意識に唇を噛むと彼はビクッと肩を揺らして、言葉を淀ませた。


「…………」
「あー……えー……と、……し、嫉妬、してほしくて」
「はあ?」


 はっきりしないそれに伏せていた顔をゆっくり上げ、じっと見つめる。ウルウルとした目に言い辛さが増しているのか。目を泳がす五条だったが、ここで誤魔化してかっこつけても、カッコ悪さは変わらない。いや、なお、カッコ悪い。それが分かっているから白状した。しかし、思いもよらぬ答えだったのかもしれない。熱くなっていた目頭が冷め、彼女にしては低い声が零れ落ちた。心なしか、卑しいモノを見るような目を向けている。


「あ、いや、あれは勝手に腕組まれた時にたまたま、二人の姿が見えて……妬いてくんないかなーってほっとい、てた」
「……」


 向けられる視線に五条は頬を引き攣りながら、誤魔化すように笑う。けれど、誤解だったことに喜べばいいのか。誤解を生むような行動に出た理由に呆れればいいのか。分からなくなったらしい。少女は胸から込み上げてくる感情に任せて、ボロボロと涙を流した。


「ご、ごめ――……」
「もうヤダ……」
「え」


 ヤキモチを妬かせたくて移した行動に後悔しているのだろう。なんせ、普段泣かない彼女が泣いてしまったのだから。慌てて謝ろうとしたら、被せるように言われる拒絶。それに五条はサーッと血の気が下がったように顔色を悪くさせた。


「もう二度とあんなことしないで」
「……」
「すっごく、胸が痛かったんだから」
「……うん」


 胸板にこつんと額を預け、服をぎゅっと掴みながら、切実なお願いをする。それは予想していたものと違っていたのか。五条は冷静を取り戻したようだ。けれど、その震える声に、肩に、罪悪感を覚えたらしい。瞳を揺らしていた。
 八つ当たりするようにグイグイと服を伸ばしながら、言うとその行動が愛らしく見えたのかもしれない。五条は頷き、先ほどとは違う。優しい手つきで彼女を包み込む。


「硝子と遊んでるのに、チラチラ浮かんでもー、ちゃんと楽しめなくて悪いことしちゃったじゃん!」
「……そこはまあ、いいんじゃない?」
「よくない!」
「はい」


 今日一日、溜めに溜めた嫌な気持ちを吐き出した。だが、五条にとって硝子はどうでもいいのだろう。罪悪感を持つ必要ないとばかりに返せば、バッサリ切り捨てられる。
 まだ調子に乗ってはいけなかった。それを理解したのか、素直に引き下がる。


「……恋愛の意味でちゃんと、好きだった」
「…………は?」


 言いたいことは言えたらしい。ふぅと息を整えると彼の背に手を回し、きゅっと服を掴み、恥じらうようにぽつりと呟いた。理解するのに時間を要したらしい。一秒、二秒、三秒、と数秒経つとやっとの思いで出るのは、たった一言。しかし、それから伺えるのはいまだに理解できていないということだ。
 もし、自分の期待している言葉だったとしたら。
 そんな思いから、少女の肩を掴み、身を引き離すと見下ろす。


「〜〜っ、私、悟くんのこと、異性として好きだった!」


 顔を隠すために抱きしめ返したのに、引き離されるとは思っていなかったのだろう。彼女の顔は熟れた林檎のようだ。
 もう一度言わなければならない。その羞恥に打ち勝つようにガバッと顔を上げて告げると、目に溜まった涙がまた一つ、ポロリと落ちた。


「……何、この唐突の宣言」


 恋慕か分からないと言っていた彼女を丸め込んで付き合ったのは紛れもなく、五条だ。
 好きにさせると言ってから、一年が経ってもあまり変わらない関係。それにヤキモキしていたからこそ、行動に出たのだろう。けれど、自分の思っていた通りにことは進んでいなかった。
 怒られることは想定していても、泣かれることは想定していなかった。だから、失敗したと思っていたのだろう。だからこそ、やはり現実に付いていけてない。茫然としながら、突っ込むしかないようだ。


「だって、女の人と腕組んで歩いて……う、浮気されてるって思ったら、もう悲しくて」
「いや、あの、あれは、勝手に腕組まれただ――」
「だったとしても、嫌だった!」


 眉を八の字にさせて、じわりとまた涙をためる。それだけ、彼女の心が傷ついた証拠と言っていい。しかし、五条は一つ訂正したいようだ。彼の中で断じて浮気なんてしていない。ただ、腕を組まれただけ。でも、言い訳なんてさせてくれるわけがない。食いつくように彼女は気持ちをぶつける。


「ごめん……」


 威嚇する猫のようにフーフーと息を吐き、ぽろぽろと泣く姿に謝るしかなかった。


「ヤキモチなんて…………初めてすぎてもぉぉ……ぐちゃぐちゃだよ」
「……ふっ」
「何笑ってるの?」


 文句は言い足りないのか。もう自分が何を言ってるのか、分かっていないのか。分からないけれど、彼女は顔を覆って嘆く。その姿に五条は思わず、笑みを零すと少女はボロボロと涙がを流しながら、器用にキッと睨んだ。


「ごめ……思ってたよりうれしくて」
「私は最悪だよ」


 嫉妬をするほど、好かれていた。その事実が、想像以上に胸をあたたかくさせたらしい。困ったように笑いながら、彼女の涙を指の腹で拭う。けれど、その表情にも言葉にも納得は言っていないようだ。刺々しい返事しか返ってこない。


「なんで?」
「……捨てられるかもしれないって思った時に、好きだったって気づいたんだもん」


 キョトンとした顔をして首を傾げる辺り、本当に分かっていないのだろう。それが見て取れるからこそ、苛立つ。少女は頬を触れる手をパシッと払って、自分で涙を拭きながら、理由を述べた。


「ごめん」
「うぅ……許さない」


 嘘ついていたから親に捨てられた。
 いつの日か、本人じゃない人間から教えられたことを思い出したらしい。好きにさせる、と言っていたくせになんてざまだ。彼は本気で反省したようだ。申し訳なさそうな顔をしてぎゅっと抱きしめて、謝る。
 包まれる腕の強さに安堵を覚えて、背中に手を回して同じように抱き締め返した。素直な気持ちをさらけ出す。


「許さなくてもいいから、嫌いになんないで」
「〜〜〜……、ほんっとうにズルいんだから!」


 五条はそれをただ受け入れるだけ。自業自得なのだから仕方ない。でも、その代わりとばかりに耳元で懇願した。とても優しく、柔らかい声で。なんて策士なのだろうか。自分の武器を分かっている。だからこそ、駆使するその技に彼女は文句を言うしかなかった。


「これでもお前に好かれるために結構必死だからね」


 幼い子供のように泣く姿が愛おしいとさえ思えたのかもしれない。額にキスを落とすと涙でぐしゃぐしゃになった顔を見てふはっ、と笑った。




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