3話




「………」
「………」


 あんなに空は青かったのに今やもう闇夜。夜を迎えてしまっていた。
 夜の学校の屋上はとても冷たい風が吹いている。
 予定だったらもう祓っていたのだろう。しかし、予定通りじゃないことに苛立っている五条は屋上のフェンスを軽く蹴り続けていた。
 ガチャガチャという騒音が耳を刺す。そんな機嫌のよい彼に清は困ったように眉を下げた。


「さっさと終わらせてぇのに何で出て来ねぇんだよ」
「仕方ないよね……出ないもんは出ないんだから」
「めんっどくせぇ」


 相当食べたい甘味の店があったのか。射殺せそうな勢いで当初の目的であった学校の校舎を睨みつけている。
 しゃがみ込んでる彼女は校庭をじっと見つめながら、彼を宥めているがそれでいうことを聞くような問題児ではない。五条は舌打ちをすると吐き捨てた。


「夜の学校って結構雰囲気あるよねー」
「どこも同じだろ」


 清は呑気な感想を述べるが、五条の機嫌は直ったわけではない。そっけない返事が返って来るだけだ。


「「…………」」


 そんな時だ。校門からこそこそとよじ登って校舎へと向かう影を見かけたのは。
 それは二人の視界に捉えてた。


「……悪い子発見……どーする?」
「知るか」


 これから呪霊退治をするかもしれないのに人が校舎に入ってくるのは正直言って邪魔でしかないのだろう。
 ちらっと立っている五条に視線を向けて首を傾げてみるが、返ってくるのは相変わらず、素っ気ないものだ。


「つめたーい」
「そのまま喰われちまえ」
「呪術師ならぬ言葉……」


 ブーイングをすると五条は乾いた笑い声を上げて非道なことを言うものだから、彼女は頭を抱えて嘆く。
 

「見えねぇくせにんなことしてんだから自業自得だろ」


 彼は馬鹿にしたように舌をおおっぴろに出して自論を言った。
 確かにそれはある意味正しいのかもしれない。
 怪しいところに、変な噂がある場所に、何か出そうな・・・・・・場所に自ら行くのは自殺行為なのだから。
 しかし、一般的にそんなものは見えるモノじゃない。だから、人は好奇心で行ってしまう。


「……それでも、助けるのが私達が呪術師の仕事でしょ」


 清は五条の意見に否定する気はないのだろう。でも、自分の中にある理性、社会性はそれだけでは済ませられないようだ。
 正論を口にする。
 弱きを助けるため、呪術師が存在するということを。


「じゃあ、お前が人間そっちなんとかすれば」


 そんな言葉は聞きたくないのかもしれない。
 彼はくるっと背を向ければ、手を振って屋上から去って行く。


「動いたって事はそろそろ……かな……」


 屋上から校舎の中へと入って行く同級生にため息を付いた。
 五条が動いたということは何かしら弱い呪力の何かを感じ取ったかもしれないということだからだ。
 未だに何も施されていない学校に面倒くさそうに彼女は帳を下したのだった。


◇◇◇


 パタパタッとまばらな足音が聞こえてくる。
 それは明らかに二人分の足音。
 その足取りは音から察するに軽やかだ。


「夜の学校ってなんか興奮すんな」
「何興奮してんだよ、何も出ねえって」


 浮かれた様子を見せる少年にもう一人の少年はバシッと背中を叩く。
 昼間に五条達と遭遇した二人だ。


「本当に出ねぇと思う?」
「お前幽霊とかそういうの信じる質?」


 夜の学校は非常に静かだ。
 それに加えてどこまでも暗く、黒い。昼間と違う顔を見せていた。
 だからかもしれない。ギターを背負っていた少年に友人は問いかけると彼は鼻で笑う。


「そうじゃねぇけどさ、いるって人はいるじゃん」
「だから?」


 友人はバカにされるのも、怯えていると思われるのも嫌だったのだろう。
 眉を下げて否定するが、言い訳を言い始めるとギターを背負っていた少年はからかうように首を傾げた。


「1人でもいるってことはいるかもしれないってことじゃね?」


 友人はこの静かな暗闇にいるからこそ、不安が押し寄せているのかもしれない。
 得体の知れない何かが現れるかもしれない、ということに。


「……ばーか、いねぇよ……! 」


 ギターを背負っていた少年は一瞬。ほんの一瞬だが、自分が馬鹿にしていた”嘘つき”と呼んだ清の顔を脳裏に浮かばせたが、無理矢理頭の中から消し去ると呆れたように一蹴する。
 その時だった。
 ただでさえ、暗く黒い空間に闇夜よりも濃く、深い闇が目の前に現れた。


「お、おい……なんだよ、あれ」
「げ、幻覚だろ?」
「そんなわけないだろ……う、うわああ!」


 見たこともない、悪寒がする存在を目の前にした友人はカタカタを歯を鳴らし、身体を震わせながら、隣にいる少年に声をかける。
 彼もまた同じものが見えたのだろう。明らかな現実逃避をするように言葉を返すと友人はそんな少年を現実に戻そうとしたその瞬間、気持ち悪い廊下スレスレに大きな物体は少年たちを目がけて突っ込んできた。
 それに友人は大声を上げて背を向けて逃げる。


「っっ!!ぎゃああああああ!!」


 しかし、ギターを背負っていた少年は怖すぎて足を動かすことは適わなかったようだ。
 気持ち悪い大きな物体が口を開けてどんどん近づいてくるのをただ待つしかしない。いや、出来ないのだ。
 そんな彼の結末は腕一本奪われることだった。


「いでえええええええええええええええええええええ……!!」


 丸のみすることも出来たはずなのに大きな物体はそんなことをすることなくまるで遊ぶように腕を食いちぎる。
 そのことで少年は生理的な涙を流し、腕からぼたぼたと血を流しながら、喉が引きちぎれそうな声で叫んだ。


「ひ、……い、井上……」


 彼の友人は腰を抜かしたらしい。
 井上少年が腕を抱えて叫んでいる後姿を見てガタガタと震えていた。


「ヴヴヴヴヴヴヴ……」


 呪霊はむしゃむしゃと井上から奪った腕を咀嚼すると赤い目を細めて笑う。
 まだ喰べ足りない。
 まるでそう言っているかのように。


「………」
「………」


 この場にいる二人の少年は非力な人間だ。
 そして、そのことを本能的に理解している。
 自分たちは捕食される身だということを。
 顔を青くさせ、逃げる気力を失っていた。


「イノウエ!」


 そんな彼等の元に届くのは凛とした清の声。
 彼女は名前を口にすると閉じた扇子を前に向けて指すとクマの人形は言うことを聞くように動く。
 そして、イノウエと呼ばれたクマの人形は呪霊を蹴り飛ばしたのだ。
 その威力は相当あったのだろう。巨体は壁を壊して教室へと吹き飛ばされる。


「………!?」


 殺される。
 そう思っていた井上少年は目の前で起きた非現実を受け止められず、言葉を失っていた。
 何せ、手乗りサイズの人形が巨体な化け物を蹴って吹き飛ばしたのだから当然と言えば当然かもしれない。


「な、なんなんだよ……」
「あなたは無事?」


 井上の友人は目に涙を浮べて震えた声で呟くと清は首を傾げ、問いかける。


「あ、アンタは……昼間の…」
「私も余裕がないからさっさと答えて」
「あ、お、俺は……でも、井上が!」


 この非現実を目の前にして平然としている彼女が理解できないのだろう。彼は震えた声で思っていることをぽつりぽつり言葉にすると清は冷めた目を向けて聞き返せば、少年はコクリと頷いた。
 だが、自分より悲惨な目に合っているのが井上だ。彼を心配して訴える。


「大丈夫、助けるから」
「……」


 彼女はスッと呪霊が吹き飛んだ方を見つめれば、確信ある言葉を付てた。
 それに安心したのだろう。彼は肩の力を抜く。


「押さえつけて」
「!」


 清は扇子をバッと開いてそれを一振りしながら、何かに命令するように零すと教室の方にいるクマの人形は言われた通り、呪霊を押さえつけようと激しく動いた。
 その音に井上の友人も驚いた顔をして教室の方をじっと見つめる。


「………大丈夫?」
「大丈夫なわけないだろ!?腕が無くなったんだぞ!?」


 こっちに当分呪霊が来る様子がないことを察した彼女は腕を失い、痛みに耐えながらも喪失感に呆然としている少年の首根っこをつかみながら、ズルズルと引き摺った。そして、念の為とばかりに安否を確認する。
 引き摺られ、声をかけられたことによって我に返ったのだろう。井上は引き摺られたまま、キッと睨みつけて怒鳴った。
 何を馬鹿なことを言ってるんだ、と言わんばかりに。


「普通ならその腕見て失神するもんだけど平気そうね」
「どうしてくれんだよ!!お前に会ったからこんな目にあったんだろ!!」


 だが、清は至って冷静だ。
 素っ気ない素振りで事実を口にする。
 そう、普通ならば非現実を目にして腕を食いちぎられたら気を失ってもおかしくは無いのだ。それなのにも関わらず、怒鳴り散らせるほどの気力を持っている。
 問題ないと思ったらしい。
 けれど、その彼女の態度が気に食わなかったのだろう。彼は怒りに任せて何も考えずに言葉を口にした。


「………嘘つきの次は疫病神扱いね」
「実際その通りだろ!!」


 ぶつけられる感情はあまりにも身勝手だ。
 怒ってもいい。
 夜の学校に来たのは彼の意思であり、彼女に全く関係がない。
 言わば、自己責任を放棄した発言だ。
 清は怒るわけでもなく、呆れたようにため息を付いてポツリと零すだけ。
 だが、その態度も井上にとっては腹ただしいのだろう。喚き散らしていた。
 もはや、ダダを捏ねる子供と何ら変わりない。


「夜の学校にあなたがいるなんて私が知るわけないでしょ」
「!」


 そこまで責任は負う必要もないし、負うつもりもないのだろう。
 彼女は冷えきった目で見つめてはっきり言うと井上はその目の冷たさに息を飲んだ。


「……」


 扇子を持っている手はプルプルと震えている。
 恐らく、使役している呪骸が呪霊を必死に押さえ込んでいる証拠だ。
 だが、段々震えが激しくなってきていることに清は眉間に皺を寄せる。


「………五条君、傍観してないでさっさと祓って。もう抑えてるの限界」


 コツ……という足音が聞こえた。
 それに彼女は深い深いため息を付くと自分とは遠い正面にいる今回の任務の相棒を呼ぶと物凄く不機嫌そうに言葉を投げかける。


「お前も早く強くなれよ。こんな雑魚相手なんだからさ 」
「3級の人間が2級呪霊相手に無理よ」


 しかし、彼女の倍不機嫌なようだ。綺麗なはずの碧眼は鋭さを増しており、射殺す勢いさえある。
 五条はスタスタと歩き、ぶち抜かれた壁から教室へと入っていきながら、文句をひとつ口にした。
 文句はいえども彼女の言うとおりに動くには動くらしい。その事に安堵したのか、清はふぅと息を吐いて肩の力を抜きながら、言葉を返した瞬間、呪霊がいた場所は何もかも綺麗になくなった。


「……………」


 言葉通り、呪霊も消えれば清の呪骸も消えた。
 あったはずの机や校庭側の壁すらも。


(……そこまでやらなくても終わったはずなんだけどな)


 彼は最強だ。そして、特級呪術師。
 2級呪霊なんて雑魚も雑魚だろう。
 だがら、全て跡形もなくなる祓い方をしなくても良かったはずなのだ。

 これは先生に怒られる案件なのでは?
 それが頭を過ぎったのかもしれない。彼女は頬を引き攣らせていた。


「なあ、おい……俺の腕……俺の腕何とかしてくれ……」
「……」


 これ、連帯責任にされるの?
 彼女は痛くなってきた頭を抱えているとしたから声がする。
 先程は八つ当たりするように罵声を浴びせてきたというのに今度は情けない声で縋ってくるのだから、実に滑稽だ。
 彼女は深いため息をついて声のする方へ目を向ける。


「頼むよ!!大事なライブがあるんだ!!こんなんじゃギターも弾けねぇ!! 」
「うっぜぇ、自業自得だろ」


 井上はプライドを捨てたように清にしがみついて必死に訴えた。
 きっと彼にとって大事なものを見つけたのにそれを失う恐怖が襲ってきて仕方ないのだろう。
 だが、呪術師である二人からしたら、どうでもいい話だ。
 そんなに大事だったら、夜の学校になんて来なければよかった話なのだから。
 女々しく縋る少年に五条は苛立ちながら、吐き捨てる。


「なあ!頼むよ!!今までのこと謝っから!!」


 あんな化け物を何とかしたなら腕も何とかなるんじゃないか?
 そんな淡い希望を捨てきれないらしい。ボロボロと涙を流しながら、必死に頼み込んだ。


「………それは何に対して?」
「え……」


 ずっと無表情で黙っていた清はピクリと片眉を動かす。
 彼の言葉に違和感を持ったから。
 彼女は柔らかい顔をして問いかけると井上は目をまん丸にさせて聞き返した。


「私の名前を“嘘つき”にしたこと?」
「!」
「教科書を破って捨てたり、上履き隠したりしたこと?」
「……」


 彼の表情に清は口角を上げて問い続ける。
 井上はその言葉に息を飲むと彼女は更に続けた。
 今まで彼にされた仕打ちを。
 五条は口を挟むつもりがないのか、清の背中をただ見守っている。


「虐められてるのは私なのにクラスの1人を虐めた主犯にしたこと?」
「………」


 彼女は柔らかく優しい声で聞き続けるが、彼は何も言葉にすることはなかった。
 ただ、自分のしてきたことを告発されてる気分になっているのか、段々顔が青ざめていく。


「………それとも、車の多い大通りで私の背中を押して殺そうとしたこと?」


 一切、反論も意見もしてこない井上に清は鼻で笑えば、とんでもない事を口にした。


「「!!」」
「……!!ち、ちが………あれはわざとじゃ……」


 その言葉は事実を知らないその場にいる人間には衝撃だったのだろう。五条と井上の友人は目を見開いて井上に対してクズを見るような視線を送る。
 過去にした事にやっと反論する気になったようだ。彼はカタカタと震えながら、首を横に振って否定した。


「そんなことどうでもいいの」
「……」


 彼女は綺麗に微笑んで言う。
 それを意味するのは拒絶だ。
 何を言われても受け入れないという体制だ。
 井上はそれが分かったのか、さらに絶望の色を見せている。


「私は死んでもおかしくなかった、これは変わらない事実なんだから」
「…………」


 清の表情は変わらない。
 一切の私情を挟むことなく当時あったかもしれない可能性を示唆し続けた。
 井上がしたことは幼い頃のことだとしても犯罪。
 それを被害者の口から告げられるのはモラルを理解した高校生としては絶望しかないのだろう。
 ただ黙って見つめていた。


「命があったんだから良かったね。運がいいよ、貴方」
「ゆ、許してくれ……!」


 しかし、ここまで来ても清は一切、感情を表に出さない。
 微笑んだまま、彼の肩に手をポンと乗せて優しい言葉をかける。
 ただ額面としてそれを受け取るならば、慈悲の心だろうが、彼にはそう感じられていないのかもしれない。
 片腕がないまま、土下座をして許しをこいた。


「……さて、五条君。行きましょう」
「ああ」


 清には井上の必死の叫びが聞こえなかったらしい。
 彼の肩から手を離すと立ち上がって自身の後ろにいる五条に話しかけた。
 彼も何かを言う気はないらしい。くるっと背を向けて下り階段のある方へと歩き始めると彼女はその後を追った。


「あ、ああ……うわああああ!!」


 必死な謝罪は受け入れることもなく、自身の必死な頼みも受け入れられることもなかった井上は悲痛な声で、喉がはち切れんばかりに叫ぶ。


「……」
「外にいる補佐官さんにこの人たちを任せましょ……私がしてあげられるのはそこまでよ 」


 耳に刺さる声が騒音に聞こえるのだろう。
 五条は怪訝そうな顔をするが、隣にいる清が気になったらしい。
 チラッと視線を向けるとその視線に気が付いた彼女は察したようだ。ふっと笑う。


「うまいもん食いに行くか」


 それ以上深く聞く必要はないと思ったんだろうか。
 彼は肺に溜まった二酸化炭素を深く吐き出すとニッと笑って提案した。


「やた!激辛ラーメン!」
「却下」
「ガビーン」
「ダッサ」


 その言葉に清は目を輝かせてビシッと指を立てて食べたいものを口にするが、それは即座に棄却される。
 余程ショックだったのか、彼女はガクンっと頭を垂れると五条は鼻で笑った。



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