6話




 待てど暮らせど、目的の呪霊が現れることはなくてイライラしてた。
 本当に今日ほど、思い通りにならない日はないと思いながら、気分転換に校内をフラフラすることにした。
 まあ、微かに呪力の流れが変わったのもあったけど。

 俺の行動を察したのかアイツも帳下しているのが窓から見える。
 そういうところはまあ、お互い分かってんなと思って思わず笑った。

 そろそろ呪力が集中してる場所に向かうかと思ったその時だった。
 男の叫び声が聞こえたのは。


「チッ……」


 恐らく呪霊と遭遇したんだろうが、酷く耳を刺すその声に苛立ちは増すばかりだ。
 余計な仕事を増やす輩に舌打ちをして現場に向かえば、昼間の奴らが呪霊の先にいる。


「ひ、……い、井上……」


 奴のダチは腰を抜かしたらしい。
 チャラ男が腕を抱えて叫んでいる姿を見てガタガタと震えていた。
 助けるには一歩遅かったらしい。いや、残念なことに死んではいない。


「ヴヴヴヴヴヴヴ……」


 呪霊はむしゃむしゃと奪った腕を咀嚼すると赤い目を細めて笑っていてそれが相変わらず気持ち悪い。
 まあ、雑魚に変わりはねーけど。


「………」
「………」


 呪霊を前にする奴らは非呪術師。非力な人間。
 奴らは自分たちが捕食される身だということを本能的に理解してるのか、逃げる気力さえ失ってる。
 ここに傑がいれば、助ける存在だとか何とか正論抜かすんだろうが、すぐに助ける気にはなれなかった。
 多分、俺が思っていた以上に昼間の件を気にしてるからだ。


「イノウエ!」


 さて、そろそろ助けてやるかと一歩踏み出した時、耳に届く凛とした女の声。
 扇子を前に向けて指せば、クマの形をした呪骸は呪霊を蹴り飛ばす。
 それは相当な力だったからか、巨体は壁を壊して教室へと吹き飛ばされる。
 アイツは自分のことを馬鹿にした奴らを躊躇いなく助けるのか。そう思って驚いた。


「井上に、イノウエ……ねぇ」


 チャラ男は井上と呼ばれていて、呪骸のクマもイノウエだ。これは偶然なのか、否か。不思議に思った。
 俺は加勢することなく、少し様子見することを選んだ。アイツがどうするのか気になったから。
 奴の立ちは恐怖でガタガタと体を震わせて縋るようにアイツのスカートを掴む。
 男のくせに情けなくて笑えてくる。
 しかもそれが、チャラ男の言ったことを信じてドン引きでいたやつの態度だと思ったら、尚更だ。


「大丈夫、助けるから」
「……」


 でも、アイツは態度を変えることなく淡々と言う。
 チャラ男の言ったことを信じた馬鹿は掴んでいたスカートを離すと方の力を抜いた。


「押さえつけて」
「!」


 扇子をバッと開いてそれを一振りしながら、呪骸に命令するように零すと教室の方にいるクマの人形は言われた通り、呪霊を押さえつけようと激しく動いた。


「………大丈夫?」
「大丈夫なわけないだろ!?腕が無くなったんだぞ!?」


 それでもアイツは自分を卑下にしてる野郎を気遣うように言葉をかける。それって多分、なかなかできる事じゃない。
 まあ、こっちに当分呪霊が来る様子がないことを察して腕を失い、痛みに耐えながらも喪失感に呆然としているチャラ男の首根っこをつかみながら、ズルズルと引き摺ってたけど。
 引き摺られ、声をかけられたことによって我に返ったチャラ男は引き摺られたまま、キッと睨みつけて怒鳴った。
 マジで助ける価値あるか?コイツら。
 そんな感想しか出てこない。


「普通ならその腕見て失神するもんだけど平気そうね」
「どうしてくれんだよ!!お前に会ったからこんな目にあったんだろ!!」


 それでもアイツは冷静だった。いや、関心がないに近いのかもしれない。ただ、テンプレを口にしてるだけで感情そのものを込めてない。
 普通ならば非現実を目にして腕を食いちぎられたら気を失ってもおかしくない。パンピーはそれだけ弱いからな。でも、チャラ男は怒鳴り散らせるほどの気力を持っているらしい。
 けれど、アイツの態度が気に食わなかったチャラ男は怒りに任せて何も考えずに言葉を口にした。


「パンピーのくせに強がってまあ……うぜぇ」


 そこそこ距離があるのに聞こえてくるのはこの廊下が響くからか、アイツらの声がでかいからか。それはもうどうでもいい。
 ただ、胸糞悪さだけが増していく。


「………嘘つきの次は疫病神扱いね」
「実際その通りだろ!!」


 ぶつけられる感情はあまりにも身勝手だ。
 怒ってもいい。いや、もうお前は怒れよ。
 そう思うけど、アイツは怒ることなく、呆れたようにため息を付いてポツリと零すだけ。
 だが、その態度もチャラ男にとっては腹ただしいのだろう。喚き散らしていた。
 ダダを捏ねる子供と何ら変わりない。いや、ガキの方がまだマシだ。


「夜の学校にあなたがいるなんて私が知るわけないでしょ」
「!」


 感情を押し殺して正論だけ言うあいつはある意味凄い。正論なんざ吐き気がするけど、ここまで清々しく論破されてるのを笑えてくる。
 返す言葉はもう持ってないんだろう。冷えきった目ではっきり言うとチャラ男はその目の冷たさに息を飲んだ。


「……」


 平気な素振りを見せてるが、かなりキツイはずだ。扇子を持つ手が震えてる。呪骸が呪霊を必死に押さえ込んでいる証拠だ。
 だが、段々震えが激しくなってきていることにアイツは眉間に皺を寄せる。


「………五条君、傍観してないでさっさと祓って。もう抑えてるの限界」


 そろそろ出て行ってやろうか。そんなことを思って一歩踏み出せば、向こうから声をかけてきた。
 俺が様子を見てたのに気が付いてたらしい。全然助けに来ない俺に不機嫌そうな顔を見せた。


「お前も早く強くなれよ。こんな雑魚相手なんだからさ 」
「3級の人間が2級呪霊相手に無理よ」


 だけど、理不尽な罵声を聞いていた俺はアイツのより機嫌がいい。そりゃもうひじょーに良い。
 俺はぶち抜かれた壁から教室へと入っていきながら、文句をひとつ言えば、アイツはふぅと息を吐いて肩の力を抜きながら、反論する。
 今日一日の苛立ちをここで発散させてしまおうと思った。いや、それが一番俺にとっていい。抹消……いや、抹殺したって文句言われない物体が目の前にいるんだからな。


「消えな」


 自然と口角が上がることを感じがえながら、ちょいっと呪力操作すれば、何もかも綺麗になくなった。問題の呪霊もアイツの呪骸もあったはずの机や肯定側の壁も。
 あ、やべ。少しやりすぎたかも。
 そんなことを思ったけどもうあとの祭りだ。


「……………まあ、いっか」


 めんどくさくなって考えんのもやめた。
 怒られるとしても俺一人じゃねぇし。


「なあ、おい……俺の腕……俺の腕何とかしてくれ……」


 教室から廊下に戻れば、チャラ男は八つ当たりするように罵声を浴びせてきたってのに今度は情けない声で縋ってくるのだから、実に滑稽だ。


「頼むよ!!大事なライブがあるんだ!!こんなんじゃギターも弾けねぇ!! 」
「うっぜぇ、自業自得だろ」


 チャラ男はプライドを捨てたようにしがみついて必死に訴えた。
 死ぬ目に合って当たり魔のことを奪わてたことに恐怖が襲ってたんだろうな。
 でも、俺達からしたらどうでもいい話だ。
 何が大事だ。そんなんだったら来なきゃよかったじゃねぇか。
 女々しく縋る奴に苛立って思わず、口を挟んだ。


「なあ!頼むよ!!今までのこと謝っから!!」


 だが、俺の言葉なんて無視だ。マジでぶん殴ってやろうか。
 そう思った瞬間だった。アイツが口を開いたのは。


「………それは何に対して?」
「え……」


 ピクリと片眉を動かして酷く優しい声で問いかけるとチャラ男は目をまん丸にさせて聞き返してた。
 奴が驚くも当然だ。俺だって耳を疑った。
 この場でどうしてそんな声が出るのか、理解できない。


「私の名前を“嘘つき”にしたこと?」
「!」
「教科書を破って捨てたり、上履き隠したりしたこと?」
「……」


 アイツの口から出るものは酷いもんだった。
 ていうか、世間一般でいう立派ないじめだろ。これ。
 でも、自分自身で問題を解決しようとしている姿に口を挟むつもりなんてなくて、ただ黙って見守ってた。


「虐められてるのは私なのにクラスの1人を虐めた主犯にしたこと?」
「………」


 アイツは変わらない聞き心地の良い声で胸糞悪いことを聞き続ける。
 チャラ男は自分のしてきたことを告発されてる気分になっているのか、段々顔が青ざめていった。


「………それとも、車の多い大通りで私の背中を押して殺そうとしたこと?」


 一切、反論も意見もしてこない奴に鼻で笑うととんでもない事を言った。
 待てよ。コイツが殺されそうになった……?
 もう度が過ぎてる行為に俺は耳を疑った。


「「!!」」
「……!!ち、ちが………あれはわざとじゃ……」


 腕が引きちぎられるなんて甘っちょろい。呪霊に殺されても良かった。
 いや、むしろ助けなくてよかった。その後悔からクズを睨らむと奴は過去にした事に反論する気になったようだ。カタカタと震えながら、首を横に振って否定してた。


「そんなことどうでもいいの」
「……」


 わざとじゃねぇってやったことに変わんねぇ。やっぱ殺るか。
 そう思った時にアイツは酷く綺麗に笑った。
 それは見たことがある道化の仮面を付けているような笑顔だ。
 それを意味するのは恐らく、拒絶だ。何を言われても受け入れないという体制。
 馬鹿そうなチャラ男もそれが分かったのか、さらに絶望の色を見せてた。


「私は死んでもおかしくなかった、これは変わらない事実なんだから」
「…………」


 でも、アイツは一切の私情を挟むことなく当時あったかもしれない可能性を示唆し続けた。
 奴がしたことは幼い頃のことだとしても犯罪。許されることじゃない。それを被害者の口から告げられるのは絶望しかなかったのかもしれない。ただ黙って見つめていた。


「命があったんだから良かったね。運がいいよ、貴方」
「ゆ、許してくれ……!」


 アイツは変わらず微笑んだまま、諭すように奴の肩に手をポンと乗せる。
 ただ額面としてそれを受け取るならば、慈悲の心だろうが、彼にはそう感じられていないのかもしれない。いや、額面通り受け取るとしたら、本物のバカだけだ。
 チャラ男は片腕がないまま、土下座をして許しをこいた。


「……さて、五条君。行きましょう」
「ああ」


 それ以上、聞いてやる必要もない。アイツもそう思ったんだろう。必死の叫びが聞こえないのか、奴の肩から手を離すと立ち上がって俺に話しかけてきた。
 これはコイツの案件だ。俺がとやかく言うことじゃない。例えどんなに憤りを感じたとしてもだ。
 くるっと背を向けて下り階段のある方へと歩き始めるアイツの後を追った。


「あ、ああ……うわああああ!!」


 必死な謝罪は受け入れることもなく、自身の必死な頼みも受け入れられることもなかったチャラ男は悲痛な声で、喉がはち切れんばかりに叫ぶ。
 それは耳障りな程に。


「……」
「外にいる補佐官さんにこの人たちを任せましょ……私がしてあげられるのはそこまでよ 」


 あまりのうるささにトドメを刺そうかなんて考えが浮かんだが、それよりも隣にいるコイツの方が気になった。
 チラッと視線を向けるとその視線に気が付いて察したように笑う。


「うまいもん食いに行くか」


 今日一日でコイツはどれだけ傷付いたんだろう。もう、傷付かなくていいと思った。だから、深く聞く気も起きなかった俺は肺に溜まった二酸化炭素を深く吐き出すとニッと笑って提案する。
 それは昼間の話だ。


「やた!激辛ラーメン!」
「却下」
「ガビーン」
「ダッサ」


 目を輝かせてビシッと指を立てて食べたいものを言う。
 俺は激辛ラーメンはそんな好きじゃない。即答で断れば、余程ショックだったのか、ガクンっと頭を垂れた。
 どこまでもいつも通りを装うコイツに寂しさを覚えながら、笑った。


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