――……同じものが見える人たちがこんなにいるのね
そう言って酷く嬉しそうな、泣きそうな顔をして笑う顔に目を見開いた。
どうしてそんな顔をするのかが分からなくて見入ったよ。
でも、よく考えたら一般からの入学。
周りと合わないことなんてごまんとあったのかもしれない。
「ねえ、家入さん」
「何?」
入学初日、パラパラと散ってる桜を見て煙草をふかしていたら、声をかけられた。
正直、驚いた。声をかけられるとは思わなかったから。
返事をすれば、ビクッと肩を揺らす。
そんなに怖いか?
声をかけてきたくせに怯えてる姿に違和感を覚えて眉間にシワを寄せた。
「あの……私、この業界のこと全然分かんなくて迷惑掛けちゃうかもしれないし、無知でイライラさせるかもしれないけど、頑張るから……その、」
あの子はあわあわしながら、自信なさげに言葉を紡ぐ。
だけど、その言葉は途中で続きを失う。
よろしく?仲良くして?友達になって?
続く言葉がなんなのか分からなくて言われそうな言葉を考えてみる。
女子ってそういうグループ問題あるし。
まあ、ここに女子二人しかいないから、グループも何もないけど。
「頑張るから……必死に、死にもの狂いに頑張るから……っ、見捨てないでね!」
鈍器で殴られた衝撃が走った。
予想していたものを遥かに上回るインパクトある言葉に。
呪術師になるんだったら命を懸けることもある。
あの子の言った意味はそんなんじゃない。
追いつくからって意味だと思う。
でも、見捨てないでってなんで出て来るのか分からなかった。
現場に行って命の危機がある場合のことを指してるとしたら、気が早い。
出会って早々言うことでもない。
その表情は真剣で、せっぱつまってる。
まるで捨てられた子供のような。
「……うん」
見捨てないでって言われても。そんな言葉が本当は浮かんだ。
でも、あの子の表情を見てたら、自然と頷いてた。
「ありがとう」
最初の間抜け面と強張った顔、怯えた顔。
今日一日で見た顔はそれだけだった。
今、目にしている顔はそれらとは違う柔らかい顔。
まだ緊張しているけれど、少しほっとしたような顔にこんな顔も出来るんだと思った。
「まあ、よろしく」
嫌いじゃない。素直にそう思えた。
だから、私は自ら手を伸ばすとあの子はまた間抜けな顔をして両手で私の手をぎゅっと握る。
見ていて飽きなさそうな子。
それが入学して一日の感想だった。
◇◇◇
あれから半年、あの子は私達に馴染んだ。
馴染んだはいいが、任務に行けばだいたい怪我して帰ってくる。
今日もまた血だらけで帰って来た。命の危機はなかったとしても。
「また怪我したのか」
「あはは……」
「笑い事じゃないぞ」
私は運ばれてきたあの子を見て呆れたよ。
左腕がバッサリ持ってイかれてるのに悪戯がバレた子供みたいに笑うから。
小言を言えばまた誤魔化すように笑うあの子にため息が出る。
「仕方ないじゃん。弱いんだもん」
「自覚してるなら無理はするな」
「心配してくれるの?」
指摘してやれば、拗ねたように頬を膨らましてボソボソ呟いた。
この子はそんなに強くない。アイツらに比べたら、ぶっちゃけ弱い。それでも無理をする癖があるから厄介だ。
腰に手を当ててもう一度息を吐き出せば、キョトンとした顔がじっと見つめてくる。
「はあ、当然じゃん」
「うっ……ははっ、ありがとう」
何を馬鹿なことを言ってるんだろう。
そう思って吸っていたタバコの煙を吹き上げてやれば、その煙さに顔を歪めつつも今にも泣きそうな顔して笑った。
普通だったら、煙を吹けば怒るだろうにそれに触れることはなく、ただ心配されたことにお礼を言うあの子が変わってると感じて仕方ない。
まるで、心配されることに慣れていないようで。
「……反省してないだろ」
「あれ、バレた?」
それとは別で全く反省の色が見えない。
無理をこれからもするってことだと思ったら、言葉を失いかけた。でも、言わないとこの子はダメだと思いもしたから、じっと見つめれば、この子は首をすくめて綺麗に笑う。
「治すのやめようか」
「そんなこと言わないでよ」
治しても治しても怪我して帰ってくる前提なら治さないでやろうか。
そんな考えが過って治療中の腕から手を離せば、慌てたように片手で拝んできた。
「どうしてそう指やら腕やら足やらを持って行かれるんだか」
「だから、弱いんだって」
多少は反省の色を見せて来たので今日のところは良しとすることにしたけど、やっぱり不思議で仕方ない。毎度毎度体の一部を持ってイかれるか、大怪我して帰ってくることが。
逃げることだって出来るはずなのに。
そう思って言葉にすれば、この子は困ったように笑うだけだ。
弱いと自覚してても最前線に立つ。それがこの子だって分かってる。でも、立ち止まらないタフさに驚きは隠せない。
「女なのに傷残るぞ」
「あはは、勲章みたいでいいね」
「…………」
少しは無理をしなくなるかと思って口にしてみれば、予想外の反応が返ってくる。
ツギハギの体になって勲章って大分イカれてるし、これは何言っても通用しない。
それが今、ハッキリとわかった。そして、この子のポジティブ思考に今度こそ、言葉を失った。
「そんなに睨まないでよ……」
「嫁の貰い手がなくなるぞ」
「最初っからいないよ」
ジーッと見つめていたら、睨んでると認定したらしい。
そんなに私の目つきは悪いか?
そんなことを思いながら、治療が終わりくっついた腕をペシっと叩いて苦言をしてみれば、やけに静かな声が部屋に響いた。
「……」
「私にそんな奇特な人現れないよ」
驚いてあの子の顔を見れば、張り付いたような綺麗な笑みを浮かべてる。瞳の奥はとても冷たく、何もかも諦めきったような温度をしていた。
声はとても柔らかいのにその温度に私は背筋が凍った気がした。
「……貰いていなかったら合コンセッティングしてあげよーか」
「それは助かる〜」
この子に何があってこんな顔をさせるのか、知らないけど相当なことがあったんだろうと思った。
それを聞いていいのか分からないから、私は茶化すように提案をすることしか出来ない。
この子もそれを望んでいたようで、先程の仮面のような笑顔を捨てていつもの表情に戻っていた。
◇◇◇
「嘘つきー!」
「っ、」
別に私達に言ってるわけじゃない。
他の誰かが冗談で別の人間に放った言葉であっても、あの子は必ずこの言葉で銅像みたいに固まる。
「任務とかかったりーな」
「まあ、そう言うな」
先を行く五条と夏油はこちらを気にすることなくスタスタと歩き続けてる。
まあ、五条がブツブツ文句垂れてそれを夏油が宥めてるだけだけど。
「……………」
そんな2人の姿すら気づかないのか、冷や汗を掻いて地面の一点を見つめてた。
恐らく、“嘘つき”という言葉に何かしらのトラウマみたいなもんがあるんだと思う。
こうなる時は大抵いつもそのワードが聞こえてくるから。
「………どうかした?」
「え、あ……」
顔を覗き込んで聞いてみれば、我に返ってこちらをじっと見つめてくる。声をかけられて息をするのを忘れていたかのように浅く、早い呼吸をしながら。
「顔色悪いな」
「だ、大丈夫……ちょっと驚いただけ……へへ」
ダラダラと流れる汗に元々白い肌は青白さを増している。もはや、病人のそれと変わりない。
眉間に皺を寄せて汗でへばりついてる前髪をそっと触れれば、あの子はビックと体を揺らしてぎこちない笑みを浮かべた。
「……ならいいけど」
その顔を見て大丈夫とは思えない。
もし、思える人がいるとしたならそれは余程の鈍感だろうな。
意外と頑固な一面もある子だから、それ以上触れることはしなかった。
「おい、お前ら何してんだよ」
「早くおいで」
大分距離を離されてたらしい。
不満そうな顔をこちらに向けて催促する五条と人の良さそうな顔をして手招きする夏油の姿が小さく見える。
「ごめーん!今行く!」
さっきの顔はどこかへ吹き飛ばしたようにいつも通りの笑顔をあの子。
弱音を吐かないって言葉を目の当たりにしてる気がした。
「ほら、硝子ちゃん。行こう」
2人に追いつくこうと走ろうとするが、私は走る気がない。この子の背中を見送ろうかと思ったら、くるっと向き直って私の手を引っ張る。
「……ああ」
走る気がなかったけど、付き合ってやってもいいか。そんな感情が湧いてくると自然に頷いた。
私の手を握るこの子の手は冷たさを残していたから、私の体温で少しはマシになればいい。
そう思った。
◇◇◇
いつもと変わらない風景だと思った。でも、それは私の勘違いだった。
五条とあの子がとある学校にいる呪霊を祓った日から五条の態度が変わった。
いや、あいつのあの子に対しての態度は結構適当だったから余計かもしれない。
「おい」
「なんですかー」
ゲシッとあの子の机を蹴って声をかける辺りは変わらない。
その声かけに対して呪骸を作りながら返事をするあの子も変らない。
「駅前に激辛ラーメン出来てた」
「マジ!?」
ほんの少しだけあの子に対する五条の態度が柔らかくなった。
いや、柔らかくなったどころの話じゃない。大分構うようになってた。
好きでもない激辛ラーメンの話を持ちだすくらいに。
あの子はそれに気が付いてるのか……いや、気が付いてないかもしれない。
完全に激辛ラーメンに惹かれてる。目をキラキラして興奮してるくらいだし。
「……行くか?」
「行く行く!」
どこか緊張しているような顔をして聞く五条がまあ、珍しくて笑える。
でも、あの子はそれまた可愛らしく笑って答えていることに驚いた。
笑うことはあってもあんな笑顔は見たことない。
それだけ激辛ラーメンが好きなのかと聞けば、そうなんだけどあんな顔をしてるのを見たことないな。
しかも、五条は五条で心なしか嬉しそうな顔をしているように見える。
もしかして、アレか?
「……悟にとうとう春か」
隣を見上げれば、物珍しそうな目であの図を見守りながら、ポツリと呟く夏油の姿。
私も思ったけど、他から見てもやっぱりそう見えるらしい。
「桜散ってるけどね」
「そういう意味じゃないて分かってて言ってるね」
もう2年目の春じゃない。どちらかというと夏寄りの梅雨。
わざと言ってみれば、困ったように眉を下げて小言が落ちてくる。
まあ、その通りなんだけどね。
「わっかんないもんだよねー」
「まあ、仲が良くなったのは良いことじゃないか」
笑って誤魔化して話題の二人を見れば、距離は普通に近い。
五条があの子の肩に手を置いて携帯を覗き込んでる姿を見れば、もう笑えてくる。
入学当初、五条はあの子のこと嫌ってる印象があったけど、一緒に過ごす中でなんだかんだ認めるようになってた。
あの子に対して恋愛の感情を持つことはないと思ってたけど、意外な変化に私も夏油も驚いた。
「……面白いネタが増えたな」
「ゲスだね」
五条があの子に惹かれてるとしたら面白い。
その一言でしかない。あんだけ雑に扱ってたのに無自覚に惹かれてるとしたら、ね。
自然と口角を上げてぽつりと零せば、夏油は呆れた顔をして私を見る。
「夏油だって思ってんでしょ」
「まあね」
これじゃ、私だけ悪者のようだ。
夏油だって同じことを思ってるくせに。
じっと見つめて言い返せば、笑った。
どっちにしろ、私達が愉快に見守る対象であることに変わりない。
「あの子がそれに気が付いた時が見ものだね」
「悟が自覚するのもね」
「確かに」
あの二人が教室から出ていく姿を見ながら、これから起きるであろう未来を頭に描いてみる。
2人がどんな顔をするのかを想像しただけで面白さしかない。
それは夏油も同じなんだろう。柔らかい顔をしていた。
窓から入ってくる風は柔らかいけれど、雨の匂いを運んできている。
あの子達がラーメン食べに行ってタイミングよく雨が降ったら、それはそれでまた面白いことが起きそうだ。