9話




――……同じものが見える人たちがこんなにいるのね


 満開の桜が風に靡かれている中、嬉しそうな泣きそうな顔をしていう彼女が印象的だった。
 私と同じ一般からの入学の子。
 非呪術師の中にいたからこそ複雑な心情があったのかもしれない。

 それは分からないでもないけど、孤独感から解放されたような顔に見えて仕方なかった。


「同じ一般からの入学だ。よろしくね」
「…………え、っと、うん。よろしくお願いします」


 どこか影があって委縮している子。頼りなくて弱々しい子。
 これから同級生としてやっていくには上手くやった方がいい。
 その思いから手を差し伸べてみたら、凄い顔をして固まった。

 ピシッという音が聞こえそうな程に固まった姿は顔色が良くない。
 これは悪いことをしたかな。
 そう思って差し出した手を引っ込めようとしたら、震える手でそっと握り返してくれた。


「……同じ学び舎で過ごすんだから、そんな怯えなくていいよ」
「え、っと……人と関わるのが得意じゃなくて……」


 これは完全に私に怯えているのかな?
 そんなに怖い見た目をしているつもりはないんだが……悟よりマシだと思ってるんだけど。
 私は自然と眉を寄せては彼女に出来るだけ優しい声をかける。
 困惑しているのが表情に出てしまったらしい。
 申し訳なさそうに自分のことを少しずつ話した。


「そうなんだ」
「でも、……普通に話せるように、頑張るね」


 見ていれば分かることだけれど、とりあえず今は聞き手に回るのが正解だ。
 笑みを浮かべて耳を傾ければ、彼女は背筋をピシッと伸ばしてゴクッと固唾を飲み込んで意気込む。


「……無理はしないようにね」
「ありがとう」


 弱々しい中にある強い意志のある瞳に驚いた。
 でも、それを表に出すことはせずにただ彼女をいたわる事にすれば、泣きそうな笑顔でお礼を言うんだ。

 どうして、こんなありきたりの言葉でそんな顔が出来るのかなんてこの時の私には理解できなかった。


◇◇◇



「嘘つきー!」


 遠いところからそんな声が聞こえた。
 ああ、あの子はまた怯えた顔でもしてるかもしれない。
 そう思って後ろをちらっと見れば案の定、この世の終わりのような顔をしている。

 でも、硝子が側にいるから問題はないだろうと思って私は関与しなかった。
 きっと女子の方がいいと思ったから。


「任務とかかったりーな」
「まあ、そう言うな」


 悟も気が付いてるのにそれに触れることはない。
 まあ、こいつの場合はあの子を嫌ってる部分があるから仕方ないかもしれない。
 わざと話題を提供する姿に呆れつつも、宥める。


「…………なあ」
「どうかしたか?」


 長い沈黙の後、眉根を寄せてる悟は硬い声で話しかけてくる。
 何を言い出すのか。疑問を持ちつつ首を傾げて聞き返した。


「アイツさ、嘘つきって言葉に弱すぎね?」
「……おや、興味が出たのかな?」


 アイツとは後ろで固まってるあの子のことを指すのだろう。
 “嘘つき”という言葉に過剰反応を見せる彼女のことを気にはしていたらしい。今までそんなことを言ったことがなかった悟に少し驚きつつ、口角を上げてからかうように聞いてみた。


「ハア?」
「……冗談だ」
「……で?」


 けれど、悟はすごい顔をしてこちらを睨みつけてくる。顔が整ってる奴がここまで崩せるのかと思うくらいに。
 タイミングを間違えた。
 内心そう思いつつ、言葉を返すと悟はやはり気になるらしい。私に続きを求めた。


「……非呪術師の中で生きてきたんだ。同じものを見れない人たちの中では言われることも多かったんじゃないか?」


 素直じゃないなと肩を竦めながら、私が思いつく理由を口にする。
 呪術師の存在を知らずに呪霊を目にして大人に、友人に言っても分かってもらえなかったとしたら。
 恐らく、嘘つきと言われることがあったのかもしれない。それが私の見解だった。


「だからって反応しすぎたろ」
「まあまあ、入学した頃に比べたら随分明るくなったじゃないか」


 それでも悟は納得しなかったらしい。小さく舌打ちして吐き捨てる。
 更にイライラし始めたのを感じて話題を思い切りそらすことはしないけれど、彼女の肩を持つようにして笑った。
 
 事実、私達の様子を伺うような目をすることはなくなったし、態度も話し方も普通になった。冗談も言うようになった。
 私達の前では素でいられるようになったといっても過言ではないと思う。


「すっげー生意気になったけどな」
「それだけ居心地がいいんじゃないか?」



 入学当初に比べれば、彼女を認めている部分はある。それでも、まだ気に入らないところがあるのかもしれない。
 私からすると生意気っていうより多分年相応の反応をするようになった。
 ただそれだけだと思うけれど、悟にはそう感じられたらしい。
 だが、素を出せるようになったということは心を開いている証拠だと思う。
 だから、悟が納得しそうな言葉を考えて声に出してみれば、ピタリと歩いていた足を止めた。


「……おい、お前ら何してんだよ」
「早くおいで」


 そのままくるっと後ろを振り返ると硝子たちに向かって言葉をかける。
 素直じゃないというか、なんというか。
 心の中で呆れ返りながらも、私も彼女達を催促する言葉を口にした。

 
「ごめーん!今行く!」

 先ほどの顔はどこかへ吹き飛ばし、いつも通りの笑顔をこちらに向けるあの子の姿に感心すれば、彼女は硝子の手を引っ張ってこちらに向かって走ってくる。
 呪術師として私達に敵うことはないけれど、弱々しく見えた彼女の心はもしかしたら強いのかもしれない。
 そう思った。


◇◇◇


 最近、変化があった。
 それは私ではなくて悟と彼女が、という意味だ。
 あの二人がとある学校にいる呪霊を祓って来た日から何かが変わった。


「………」
「悟、どうしたか?」


 悟は隣にある空席をつまらなさそうな顔をしてじっと見つめている。
 あの子は昨日の任務で重傷を負ったらしく、養生しているから今日学校に来ていない。
 彼女が来ていないのが面白くないと思っているのかもしれない。そう考えると少し……いや、かなりじわじわと来るものがある。
 あんなに毛嫌いしていた奴があの子がいないことに不機嫌になってることが。
 笑いを堪えて平静を装いながら、白々しく聞いてみた。


「嘘つきって言われ続けるのってどーなんだろうなって思っただけ」
「……ああ、あの子のことか」


 悟は空席を見つめることを止めて机に身体を預けながら、どうでも良さげに呟く。
 その言葉を指しているのは間違いなく、あの子のことだ。
 でも、本人から聞いたわけじゃない。あの子の態度を見てそう思っただけ。
 悟もそうだと思ってた。


「ちょっと甘く見てたわ」
「……あの子がなにか話したのか?」


 眉間にシワを寄せてぼそっと呟く姿に首を傾げた。
 何を甘く見ていたのか、こちらには何も伝わらない。
 自分のことを多く語ろうとしない彼女が話したのかもしれない。そう考えると辻褄が合うが、意外すぎるからこそ気になった。


「アイツの知り合いに会ってベラベラ教えられた」
「そうだったのか……それで悟は随分優しくなったわけか」


 私の質問はあまり快くないものだったらしい。
 更に不機嫌な顔をして言いたくなさそうに言った。それは他の人間から聞けば面白くはない。それは私も同じだ。
 でも、だからこそあれ以来対応が優しくなったのも頷けた。


「なんでそーなんだよ」
「……無自覚もいい所だね」


 どうやら、本人の自覚はないらしい。私の言っている意図を理解出来ずに、更に眉間に皺を寄せている。
 恋をしている自覚もなければ、優しくなった自覚もないとはどこまで鈍感なんだろうか、この親友は。
 無意識に言葉が零れ落ちた。


「は?」
「前の悟じゃわざわざ激辛ラーメン店を教えて一緒に行かないだろ」
「っ、……それは別に嫌いじゃなくなったからで」


 サングラスがずり下がり、覗く青空色の瞳が間抜けさを強調してる。
 はっきり言わなければダメか。そう思えば、ため息も出る。私は呆れた顔をして指摘してやれば、少し顔を赤くさせて息を飲んだ。
 でも、自分の行動に深い意味はないと思ってるのだろう。いや、そう思おうとしてるのかもしれない。明らかに言い訳じみてる。
 

「へぇ……嫌いじゃないってだけで何とも思ってないわけか」
「……何が言いたいんだよ」


 顎に手を添えて悟の言い分に考え込むフリをしてみれば、ムッとした顔を向けてきた。


「いや、嫌いじゃないってだけで悟が好きでもない激辛ラーメンを誘うのが意外だろう?」
「…………」


 逃げ道を断ってやるか。親切心で手のひらをみせ、問いかけてみれば、ぐうの音も出なかったようだ。口噤んで黙ってた。
 好きでもない食べ物を食べに誘う自身の行動がいつもと違うことは自覚があると見える。


「まあ、どちらにせよ。あの一件からあの子は更に明るくなったよ」
「そうだな」


 これ以上言葉はいらない。だからこそ、あえて話題を彼女に戻し、素直に思ったことを口にした。
 入学した当時から少しずつ変わっていく姿は見ていた。けれども、二人の任務の後は更に明るくなったし、笑った表情が柔らかく感じたのも確かだ。
 それは悟も感じていたらしい。素直に頷く。


「その知り合いって奴と決着がついたのか、何かしらの心境の変化があったんだろうね」
「……ただ泣いてスッキリしただけじゃね?」


 知り合いという奴が悟の雰囲気からすれば良いものではないことは分かる。それでも、彼女を良い方向に変える何かがあったとすれば、悪くはないと思ったんだ。
 けれど、それは思い違いだったらしい。
 悟は机に肘をついて手のひらに顎を乗せながら、思いついたことをそのまま吐き出すように言う。


「…………泣いたのか?」
「泣かれた」


 悟に何を言われても、怪我をしても、死にかけても泣かない。今まで泣いてもいいような場面がいくつもあった。そんな彼女が泣いた。それは私にとって衝撃的だった。
 目をまん丸にさせて聞き返せば、悟は眉根を寄せてボソッと呟く。


「へぇ……」
「んだよ」


 泣かれた。
 それは泣かすつもりもなかったのに。そのニュアンスが込められているように感じる。
 それなのにも関わらず、彼女は泣いた。
 私は目を大きく見開いて零せば、悟は喧嘩腰に聞いてくる。


「出会った頃から泣いたこともない子が泣いたと聞けば驚くだろ」
「正直ビビった」


 ただ一般的に聞かれて思うだろうことを言えば、納得したらしい。その時のことを思い出したのか、悟は珍しく困ったような顔をしてる。
 あの子が絡むとそんな顔をもするのか。そう思えば、また自然と口角が上がる気がした。


「だろうね………そうか。泣けたのか」
「?」

 泣かないということは弱みを見せることをしないということ。
 それでも、悟の前で泣くことが出来たということは彼女にとって大きな出来事だっただろう。苦しくて辛いことが泣けないと言うのは悲しいことだと思っていたから、やっと泣ける環境になったのかと思えばほっとする。
 私の言っている意味がわからないのか、悟は首を傾げたままだ。

 今はそれでもいい。
 ただ悟が惹かれている彼女は存外、悟が思っている以上に心を開いていることは確かだろうと、そう思えた。



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