3話




「ーー……君は一体、誰なんだ」
「……スズ……末端に席を置くしがない一柱、です」


 その言葉に少女――スズは少し傷付いたような顔をしては、胸に添えていた手を下ろす。そして、簡単に告げた。
 幼子の姿をした神、だということを。


「神様に返すものも返されるものもないと思うんだけど」
「……生まれ変わったあなたには身に覚えがないかもしれないけど、あるの。返すものも返してもらうものも」


 夏油は眉根を寄せると腰に手を当てて、困ったように言う。祓い屋として生業をしてきて今まで1度も神と関わることがなかったのだろう。
 しかし、スズは静かに首を振ると彼の目をじっと見つめた。

「……私には関係ないよ。帰るべき場所へおかえり」
「…………」


 その真剣さに見つめ返すが、感情は動かないらしい。夏油は深く息を吐き出すとくるっと踵を返す。そして、ひらりと手を振って歩き出した。
 相手にしてもらえない。その事実が少女を傷つけているもしれない。
 唇を固く縫うと、少しずつ離れていく背を眺めていた。


「っ!」
「きゃっ」


 サクサクと後ろ髪引かれることなく、歩き続けていた夏油だったが、ドンッという何かがぶつかる感覚。それと先ほど別れたはずの声が足元から聞こえてくることに眉間にシワを寄せた。


「………私の話は聞いていたかな?」
「わ、私の意思じゃない!」


 後をつけてわざわざ、しがみついてきた。そう思ったのか、彼は怪訝そうな顔で見下ろして問う。その声は穏やかなのに、冷たいように聞こえるのは気のせいではないだろう。
 でも、スズはガバッと顔上げて反論した。


「……は?」
「すごい強い力に引っ張られるようにぶつかっただけ……」


 想像していない反応に、呆気に取られたらしい。夏油は微かに目を見開くと女の子は眉を八の字にする。


「……何を」
「こんな嘘を付くくらいなら、鼻をぶつけてない……!」
「…………じゃあ、ワザとじゃないと証明出来るかい?」


 嘘を付いて。そう続けようとしたのだろうが、それは少女の強い言葉に食われた。
 事実、よく顔を見て見れば、鼻頭は赤い。自らぶつかってきたとしたら、こんなに赤くすることはない。
 もし、故意的だったとしら、余程の女優だと言ってもいい。しかし、それを鼻から信じるほど馬鹿じゃない。警戒心を解いたわけでもない彼は目をスッと細めて、試すように聞く。


「………こちらを向いたまま、じっと待ってて。少しずつ離れるから」
「分かった」


 信じていない。それは空気から伝わってくる。
 ごくり、と固唾を飲み込むと考えを巡らせた。交わっていた視線を外し、足元に目を向ければ、何かを思いついたのだろう。ハッとするともう一度、顔を上げて提案すると彼はすんなりその条件を飲む。


「……」
「…………っ、」


 一歩、また一歩と後ろに下がっていく。離れていく距離。
 それに白々しいと思ったのか、夏油は女の子に気づかれないように荒々しいため息を付いた。
 離れること、1メートルと言ったところで、変化は訪れる。もう一歩、後ろへ下がろうとした瞬間、少女の体がピタッと止まったのだ。そして、何か強い力に引っ張られるように勢いよく飛ぶ。
 その勢いはなかなか早く感じたんだろう。女の子は来るであろう痛みを覚悟するようにぎゅっと目を瞑った。


「………?」
「大丈夫かい?」
「ご、ごめん、なさい……」


 勝手に動いた身体が、止まった、というのに痛みが来ない。むしろ、肩を包む感覚を覚えて恐る恐る目を開けば、肩には大きな手が受け止められていた。
 パッと見上げれば、涼しい顔をして安否を確認する彼の姿が目に入る。まさか、受け止めてくれるとは思っていなかったのかもしれない。スズは零れ落ちそうなほど大きな目を開いた。


「……」
「…………?」


 少女の言う通り、故意的ではなく、何かの力が働いているように向かってくる。
 それが証明され、どうするべきかが分からないのか。夏油は考え込むように顎に手を添えるとゴソゴソと後ろポケットに入っているスマートフォンを取り出した。
 しかし、彼が何をしようとしているのかが読めない女の子はこてんと首を傾げる。


「……もしもし」
『これからデートなんだけど、何?』


 そんな彼女に目もくれず、スマートフォンを耳に当てると電子音が聞ける。1コール、2コール、3コール……6コールになるところでブツっと音が切れた。
 電子機器から聞こえてくる声はとても低い。夏油の電話に邪魔されたと言わんばかりに。


「悟に見て欲しいものがあってね」
『見て欲しいもの?』


 タイミングが悪い。そう思っているのか、困ったように微笑みながら、柔らかい口調で伝える。
 しかし、電話口の男はそんなこと関係ない。不機嫌を隠すどころか大ぴらにしたまま、聞き返した。


「そう、君の嫌いな方面のだけど……困っていることがあってね」
『はあ? そんなのことわーー』
『何言ってんのよ。友達優先しなさいよ』


 この調子じゃ、無理かもしれない。そう、肌で感じてはいるものの大分参っているのだろう。
 夏油は頼みづらそうに言うが、案の定、返ってきたのは否定的な言葉。言いきられると思ったが、五条の言葉に被せるように彼を止める、呆れたような女性の声が聞こえて来た。


(本当にデートだったのか)


 適当な嘘を付かれてる可能性があると思っていたのかもしれない。夏油はキョトンとした顔をして、電話口から聞こえてくる会話に耳を傾ける。


『……お前はさ、僕との時間を優先してよ』


 しかし、デートより友人を優先しろという女性の言葉に五条は納得できていないらしい。
 彼にしては珍しいほど、嘆かわしいような、弱弱しい呟きが聞こえて来たのだった。 



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