「!」
「……?」
ピンポーン、という機械音にピクッと反応した夏油は、身体を預けていたソファから立ち上がる。音のする方へ導かれるように歩き出した。その姿に疑問を持ったらしい。少女はこてんと首を傾げれば、その振動でまた、シャラランと鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
「…………」
ガチャっと扉を開けて前に立っている人に声をかける彼はどことなく、ほっとした。しかし、目の前に立っている男の顔を見て、引っ込める。それはなぜか、理由は簡単だ。ただでさえあるタッパに加え、サングラス越しから覗く青い瞳が冷たい熱のようだからだ。いや、ただただ威圧的なオーラを出しているからかもしれない。
白髪の男は何も答えることなく、ただ目で訴えている。よくも邪魔してくれたな、と。
「……こんばんは、お久しぶり」
「久しぶり。安倍さんも来てくれたんだね」
そんな彼の後ろから聞こえてくるのは、呆れたような女性のため息。それを合図にひょこりと顔を出すと夏油はどことなく、有難そうに笑みを見せた。
「サトが行かないって言うから」
「それは助かるよ」
「で、何見ればいーの?」
彼女――安倍藤花は眉を八の字にして答えれば、彼もまたくしゃりと笑う。
その表情からなかなか疲れていることが読み取れるのかもしれない。五条は胸に溜まった嫌な気を吐き捨てると面倒くさそうに問いかける。
「見て欲しいのは私じゃなくてこの子だ」
「…………」
夏油はいつの間にか付いてきた子供の背に手を添えた。彼の視線に導かれるように五条と藤花は視線を下ろす。
鈴の飾りを付けた少女―ーいや、幼女。彼女はキョトンとした顔をしてこちらを向いている。そして、自分よりもはるか高い男を見上げた。
「……傑………お前、いつからロリコン趣味に変わったの?」
「悟……ただでさえ頭が痛いんだ。余計なことは言わないでくれないか?」
「何やってるのよ、二人で……」
わなわなと、震える指で少女を指し、出てきた言葉はロクでもない疑問。しかし、彼の顔を見ればその真剣さが分かるのだろう。それが余計に苛立出せるのかもしれないが、夏油は頭を抱えながら、とても適切な突っ込みを入れた。
そんなやり取りに遅れてやってきた藤花はジト目で見ては、呆れたように息を吐く。
「……晴明!!」
「え、」
スズは五条から隣にいる女性に視線を移すと、目を大きく見開き、嬉しそうに名前を呼んだ。
間違いなく、彼女が晴明であると疑っていないのかもしれない。テテテと、小さい歩幅で近寄るとヒシッと抱き着く。
聞き慣れたようで、慣れてないその名に驚いたのか。藤花は足に抱き着く小さな体を見下ろした。
「「は?」」
男どもも幼女の反応が意外だったのだろう。間抜け面で見ている。
「流石晴明!あの頃と何も変わらずに生きてるなんて…!」
「……ごめんなさい。晴明じゃないんです」
「え……」
ガバッと離れ、見上げるとキラキラと目を輝かして感動を伝える。そんな彼女に現実を突きつけるのが辛いのか、藤花は視線の高さを同じにしようとしゃがみ込むと申し訳なさそうな顔をした。
その言葉が、信じられないのか。少女は息を飲み込み、固まる。それもそのはずだ。あれだけの大確信があったのだから。
「安倍晴明は千年前に死んでます……私は生まれ変わりなのできっと似ている……そうでしょう?」
「晴明の生まれ変わり……そうだったの……間違えてしまってごめんなさい」
「良く間違われるので、お気になさらないでください」
明らかに愕然としている少女に彼女は小さな手を包み込んで諭すように言えば、理解したようだ。でも、残念な気持ちはなくなっていないのかもしれない。嬉しそうであり、寂しそうに謝る少女に藤花はただ微笑んで受け入れた。
(……千年前に死んでるはずの安倍晴明を生きてると当たり前のように思うって……安倍晴明って何者なんだ)
しかし、この会話は普通じゃない。晴明なら千年たった今でも生きててもおかしくないと言わんばかりに、流石晴明と称賛したスズの言葉に違和感を持って仕方ないのだろう。夏油は笑顔を貼り付けながら、心の中でたらりと冷や汗をかく。
稀代の陰陽師・安倍晴明という人間に。
「ねぇ」
「何?」
「なんで敬語なわけ」
五条もまたしゃがみこんで、隣にいる藤花に声をかけると彼女はチラッと横に目を向けた。
彼の疑問は、最もかもしれない。普段、敬語を使うのは客相手ぐらいだろう彼女がわざわざ言葉を丁寧にしている。しかも、幼い女の子相手に、だ。
「なんでって……この方は神様よ」
「……!」
「つっても、神力より人の魂に近………あ。」
だが、それは愚問のようだ。
何言ってるの?と、言いたげな顔をして彼の疑問に答えれば、夏油は面食らった顔をして藤花を見る。しかし、五条は彼女の言っていることが信じられないようだ。
目を凝らしてもう一度、スズに目を向けるとなにかに気がついたらしい。キラキラと輝く、青空のような、海のような瞳が丸くなる。
「……?」
「あー……そういうこと」
夏油は彼の反応が不思議なのか、後ろから覗き込むように体を傾ける。そレに気がつくことなく、五条は顎に手を添えて、一人で納得した。
「納得してないで説明してくれないか」
「てか、傑はなんで僕を呼んだの?」
「……この子から離れられなくなった」
早くこの面倒な状況を打破したいという焦りからなのだろう。何も要領得ていない夏油は目を細める。けれど、簡単には答えを教えるつもりはないらしい。
よっこいしょ、っと立ち上がって聞き返せば、夏油は言いたくないのか、言い淀む。しかし、言わないわけにもいかないと分かっているからかもしれない。重い口を開いた。
「やっぱりロリコーー……」
「悟、それ以上言うなら表に出ようか」
言葉だけを受け取った五条は、うわぁ……とい顔をして自身で出した答えを言おうとする。
それは最後まで言えることなく、被せるように夏油が穏やかな声で告げた。柔らかい声とは裏腹で表情は何とも言えないほど恐ろしい。額に青い筋が浮かんでさえいる。
余程、言われたくない一言なのだろう。
「はあ? 超大人気モデル様と喧嘩する気?」
「ふざけるなら、私帰る…………!」
自分で仕掛けたはずの冗談を真面目に受け取られたことが癪なのか、売られた喧嘩は買う主義なのか。それは分からないが、五条もまた何故か、ノリ気だ。
しかし、二人の茶番には付き合っていられないらしい。藤花は冷ややかな目を向けるとくるりと後ろを向いて、去ろうとした。けど、それは叶わない。くいっと引っ張られる感覚に視線を下げた。
「晴明……本当なの。少しの距離なら離れてても問題ないのだけれど、長距離になると引き寄せられてしまうの」
「……まるで磁石みたいにね」
引っ張っていたのは少女。彼女は困ったように眉を八の字にして訴えた。
幼女にさせてしまったことに冷静さを取り戻したのか。夏油は咳払いをすると言葉を付け足す。
「それで僕の目が必要になったんだ?」
「ああ、悟の目なら何か分かるかと思ってね」
ようやく、呼び出された意味を理解したのだろう。五条はポケットに手を突っ込んで横目で彼を見ると、呼び出した当人はこくりと頷いた。
「んー……混ざってるとしか言いようがないけど」
「混ざってる?」
恐らく、面倒くさい事には変わりない。でも、珍しく疲れている親友に文句を言う気がなくなったらしい。もう一度、小さな女の子に視線を向けてじっと見つめると、ポツリと意味深な言葉を零した。
全くもって分からないのか、夏油はピクリと、眉をひそめて首を捻る。
「元々、傑がそうだったから気にしてなかったけど、この子見たら確かに違和感しかないね」
「どういうことだい?」
五条はうんうん、と頷きながら、彼の疑問に答えているつもりなのだろうが、それは答えになっていない。ますます分からない夏油は頭の上に疑問符を並べていた。
「ナツさんの魂とこの方の神力が混ざり合ってる、ということでいいの?」
「うん、間違いないね」
「じゃあ、それが原因ね」
だが、彼の言葉でいち早くしたのは晴明の生まれ変わりの藤花のようだ。彼女は立ち上がり、五条を見上げながら、確認するように問いかければ、あっさりと答えが返ってくる。 藤花はふぅ、と息を吐き出して困ったように小首を捻った。
「……」
夏油は二人を茫然と見ていた瞳を、自分の腰の高さにも満たない小さな女の子に向けた。
ーー……私はあなたに返したい。そして、返してもらわなきゃいけないの
申し訳なさそうに笑って言われた顔を、言葉を、思い出しては頭の中で反芻させる。
「と、いうことは……君が言ってた返したいものって」
「……あなたの魂」
「…………」
あの言葉の意味を、やっと理解した彼は薄く唇を開いた。スズは罪を犯したかのように酷く傷ついた顔をして、瞳を潤ませながら、ハッキリ言う。
それはあまりにも現実味の帯びていない言葉に聞こえてしまうのかもしれない。夏油はただ口を開いて目を丸くさせていたのだった。