花舞病-ヒヤシンス-
人間は何とも儚い。柔らかく華奢な身体。少し力を入れたら折れるんじゃないかって思う程。
僕の主はその儚く脆い人間だ。
だけど、目の前にいる彼女は更に弱々しい姿だった。
「主……」
「ふふ、何でそんな悲しそうな顔してるの?」
彼女は床に就く。
その姿に僕は悲しくて胸を締め付けられた。
ぽつりと零した言葉に彼女は眉根を寄せる。
頬からはひらりと花びらが散った。
僕はどうやら顔にも出してたみたいだ。
心配そうにこちらを見つめる。
僕は何をやっているんだろう。
安心させなくちゃいけないのに…そう思うけど、身体は思うように動かない。
でも、目の前で彼女の白くて綺麗な肌が花びらと変わる瞬間は何度見ても毒だ。
なんで、彼女がこんな病にならなければいけないのか。
そんなことばかり思ってしまう。
「……」
「私が光忠より先に逝くのは当たり前の事じゃない……ただ、それが少し早まっただけのこと…」
何か声を掛けなきゃ。
そう思うのに思うように声帯を震わすことは出来なくて。
ただ彼女の弱々しい姿を見守っていた。
彼女はふぅと苦しそうに息を吐いて、柔らかな笑みを浮かべては言葉を紡ぐ。
それは当たり前のこと。
僕と彼女じゃ命の期限が違うのだから。
分かってる。
分かってるけどこんなに早いと思わないじゃないか。
「主……」
「ねぇ、光忠……笑って」
やっと振り絞って出た言葉はやはり彼女を呼ぶもので。
そんな自分が情けなくなる。
彼女は僕の頬に優しく触れた。
触れているはずなのに彼女の体温を感じるのことはなくて。
それは彼女の死期が近いのかと思うと肝が冷える。
それでも彼女の願いを叶えようとぎこちなく口角を上げたんだ。
◇ ◇ ◇
目の前にいる一振は静かに眠る。
その姿はとても綺麗で儚い。
前までその姿に儚さを覚えたことは無かったのに。
私はじっと横たわる光忠の姿を見つめた。
そして、手の甲で彼の頬に触れる。
んんっと唸る声と共に閉じた目から一雫が零れた。
それは頬を伝って私の手を濡らす。
何の夢を見ているのだろうか。
悲しい夢?苦しい夢?
夢の中くらい助けて上げたいのに。
そばにいても何も出来ない私。
「ある……じ…」
「光忠?」
眉根を寄せて魘されながら私のことを呼んでいる。
不安になった私はつい、彼の名前を呼んでしまった。
本当は寝言に反応しちゃいけない。
けれど、彼の苦しそうに呼ぶ声に反応せずにはいられなかった。
「あ、…れ……?」
「……起きた?」
彼はビクッと身体を動かす。
はっと息を吐くと目を開けた。
夢の世界から戻ってきたけれど、まだ混乱してるのか布団の上にいる自分に戸惑ったように言葉を零す。
私は彼の顔を覗き込んで問いかけた。
思っていたより弱々しい声音で問いかけてしまう。
どうか、その事に気付かないで。
そう思いながらも安心させるように微笑む。
「はは……病気は僕だったね…」
「…何か夢を見ていたの?」
彼はやっと夢と現実を理解したのか。
乾いた笑いをすると自身の腕を顔に乗せる。
それは表情を隠すように。
どういう感情なのか私には分からない。
安堵してるのか。絶望してるのか。
私は彼の見た夢が気になった。
だから、問いかけてしまった。
問いかけなければよかったと後で後悔することも知らずに。
「主が……花舞病になって…僕が看病している夢………」
「…そっか……」
彼は力なく笑う。
そして、夢の内容を口にする。
どんな気持ちで教えてくれてるんだろう。
それを考えるだけで胸が苦しくなった。
花舞病。
まだ治癒法が見つかっていない奇病。
刀剣男士だけがなる謎の病。
ああ、なんてことを聞いてしまったんだろう。
ツキンと痛む胸に手を当てながら、言葉を返す。
その一言を返すのが精一杯だった。
「……」
「!…起きて大丈夫?」
彼は黙り込むと身体を起こそうとする。
気だるいだろう身体をゆっくりと動かした。
その度に彼の肌から鱗のように紫色の花びらが取れる。
まるで散っていく花のように。
私は慌てて彼の身体を支えた。
起きることすら辛いはずなのに起き上がる彼が怖いと感じる。
もうお別れはすぐそこまで来てるんじゃないかと感じてしまう。
「…うん、大丈夫だよ」
「………」
支えられながら起き上がって床に座る光忠は緩やかに口角を上げた。
そして、私を安心させようと思ってるのか、言葉を紡ぐ。
辛いのは彼のはずなのに。
いつも、私を優先する彼。
そんな彼に私は胸が苦しくなる。
正直、泣きたい。
でも、泣いたら気にするから。泣かない。
「ねぇ、主……」
「…何?」
彼は弱々しい声音で私を呼ぶ。
そして、瞳を揺らしながら私を見つめた。
その視線は何処か不安げで。
私は戸惑いを隠せずに息を飲む。
やっと出た問いかけは声をかけられてから数秒後のことで。
震える声で。
ああ、なんで私は気丈に振る舞えないんだろう。
情けない自分に悲しくなる。
「僕が君より先に逝くことを許してくれるかい?」
「……馬鹿ね、許すわけないでしょ…」
彼は優しく壊れ物に触るように。
私の頬に触れる。
壊れ物のような存在は私じゃなくて貴方なのに。
そして、酷く優しい声で問いかける。
光忠は本当に狡い。我慢してたのに。
目頭は熱くなる一方で。
彼の問いかけで私の視界はボヤけた。
そんな私が言える言葉は憎まれ口。
私と光忠は審神者と刀剣男士。
人間と付喪神。
時を刻む早さが違う生き物。
でも、先に逝くのは私だと思ってた。
だからこそ、私の方が早いと思ってた。
それを覆したのは彼。
ううん、花舞病のせい。
「泣かないで、主…」
「泣かせてるのは誰よ……」
ポロポロと涙は溢れた。止まらない。
泣き止まなきゃ。
そう思うのに涙は勝手に流れていく。
彼は困ったように眉下げて微笑んだ。
優しくてあたたかい手は私の涙を拭う。
辛いはずなのに私を気遣う彼。
私はまたその優しさに甘えてしまう。
ああ、何て勝手な主なんだろうね。
ごめんね。
そう思っても出るのは素直になれない言葉と涙。
「はは……僕だね」
「笑い事じゃ…っん!」
彼は何処か嬉しそうに微笑む。
笑った振動からなのか。
彼の頬からまたひらひらっと紫色の花びらが散る。
笑うところじゃないのに。
私はそう思って言葉をかけようとしたけれど、それは飲み込まれてしまった。
彼の唇によって塞がれたから。
今まで一度だってした事の無い口付け。
それに驚いて目を見開く。
間近で見る彼は目を閉じていて。
それはとても綺麗だった。
そんな彼を見ていたらまた涙が溢れる。
それを止めようと私はそっと瞳を閉じた。
私が目を閉じると彼の手は背に回される。
どこにそんな力があったんだろう。
そう思うほどに力強い力で。
そんな腕に抱き締められ、思わず答えるように彼の背に手を回した。
手離したくない一心で。
「……笑っていて…僕は主の笑顔が大好きなんだ」
「…………最期まで無茶言うんだから…」
長い。長い口付けは一瞬に感じられた。
そっと離されるとゆっくり言葉が紡がれる。
それは遺言のように。
彼は笑った顔を私に見せる。
その瞬間、少しずつ彼を型とっていたものは花びらへと変わっていく。
ああ、もうお別れの時間なんだね。
涙は止まらない。
けれど、彼の願いに応えようと思った私は目を細める。
彼が好きだと言った表情をするべく。
今出来る精一杯の笑顔を見せた。
彼は満足したように今日一の笑顔を向ける。
そして、空気に溶けて聞き取れない四文字を口にしていた。
聞こえなくてもそれは口の形で分かる。
私はそれに目を見開いた。
“好きだよ”
最後の最期で言う私の刀が憎い。
またポロッと涙が零れる。
彼はもう私の前からいなくなっていた。
ううん、私の前には彼の欠片が散らばっていた。
紫色のヒヤシンスの花びらが。
「私も光忠が大好きだよ」
私は花弁を拾い集めた。
大切に。丁寧に。
そして、それらを胸に抱き抱えた。
言いたくて言えなかった言葉。
それを小さな声でもう届かない彼に向けて。
先に逝くことを許すから…
貴方を想って泣くことを許してください。
私の初恋の人…
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