月が綺麗な日に


「はあ……」

 私は缶チューハイを手にもって歩道橋の上から手すりに寄りかかっりながら今にも落ちそうな月を茫然と眺めていた。

 いつまで続くんだろう…。
 この泥沼のような世界。

 どこまでも、どこまでも前へ進んでも抜け出せない。
 真黒な泥が身に纏わりついてだんだん歩む力をも失いそうになり、限界が来た私はその沼から抜け出せないことを知っていながら抜け出すことを決意して一仕事を終えたところだった。
 私は月から目を逸らして手に持っていた缶チューハイに目をやった。

「月が綺麗ですね」
「っ!」

 突然、どこかの文豪の言葉を口にしている男性の声に驚いて声のする方へ目を向けるとそこには金の髪を持った男性が笑って立っていた。
 私の勘が訴えてくる。この男は危険だと。

「……そう、ですね」

 私は背に冷や汗を掻き、言葉に詰まりながらも謎の男の言葉に返す。

「あなたはここで月を見ながらお酒を飲むのが好きなんですか?」

 男は歩道橋の手すりに腕を置いて身を乗り出しながら、月を眺め、私に世間話のように問い掛けてくる。

「……たまたまです」

 私は素っ気なく言葉を返すと踵を返して
その場を立ち去ろうと彼に背を向けて歩き始める。
 何故だか、心臓がバクバクと鐘を鳴らしていた。
 まるで警報音のように。

「……どこへ行こうとしているんです?組織の裏切り者が」
「っ!!」

 ほら、やっぱり嫌な予感が当たった。
 組織の回し者だと気が付いた私は歩道橋から飛び降りて彼から全力で逃げ出した。

「っ、はっ…はっ…はっ…はぁ…っ、……はぁ……」

 あの組織は裏切りを決して許さない。
 裏切り者に待つ結末は“死”しかあり得ない。
 そんな事、分かっているのに頭では理解しているのに…心がもう限界だった。

「っ、……撒けたかしら…」

 歩道橋から飛び降りたからだいぶ距離を作れたと思う。
 私はビルの隙間に隠れて外の様子を見ると先程声を掛けて来た人物の姿は見えなかった。

「随分とお転婆な女性ひとですね」
「っ!?」

 パシッと腕を掴まれては耳元でそう囁かれると私は目を見開いて驚いては後ろを振り返る。
 まさか行動が読まれているなんて想定していなかった私はこの場をどう振り切るかを考えては彼の目を睨むように見つめた。

「おや、情熱的な目を向けてくれるんですね」
「……」

 振り切るには……この人を殺すしかない。
 生きるか、死ぬかしかない。
 そう思った私は懐に入れていた拳銃に手を掛けた……けど、彼には見透かされているような気がして拳銃から手を離して抵抗をやめた。

「……殺すなら殺して」

 諦めた私はふっと自嘲しては彼に力なく言葉を掛けると彼は眉をぴくっとして反応を見せる。

「……諦めが早いですね」

 彼は抵抗のない私が意外だったのか不思議そうに問い掛ける。

「もう道は一つしかないじゃない…私がこの泥沼から出る方法は」

 私は力なく笑って彼の疑問に対して答えてあげた。
 そう…私の道は一つしかないと決まっているのに抵抗する意味はあるのだろうか。

 いや、ないだろう。
 そういう世界で生きてきたんだ。
 嫌でも分かってる。

「なるほど……では、楽にしてあげますよ」

 彼は私の言葉に少し目を見開くとふっと笑って彼の懐から拳銃を取り出して私の額にそれを突き付けた。
 ああ、死ぬ前ってこんなにも心が落ち着いてられるのかしら。
 それともこの男だからそうなのかしら…でも、その前に……ひとつだけ

「ねぇ、死ぬ前に貴方の名前を教えてくれない?」
「名前なんて知ってどうするんです?」

 私はじっと彼の目を見つめて問い掛けると彼は眉間に皺を寄せて私の問いに答えることはせずに問いかけ返してきた。

「私を殺すいい男の名前くらい冥土の土産に持って行かせてよ」
「……っははは……肝の座った女性ひとですね」

 私は自分でも何を言ってるんだと思いながらも口からすらすらと言葉が勝手に出て行く。
 彼は予想外の言葉だったのか声を上げて笑っては称賛しているような言葉を投げかける。
 お褒めに預かり光栄です。

「初めまして……そして、さようなら。僕の名前は……」

 彼は言葉を紡ぎながら拳銃の引き金を引いた。
 私がこの世にいられるまであと数秒。
 覚悟をした私は目をそっと閉じた。

「バーボンです」

 彼がそう名乗ったとお同時にバンッという音が響いて火薬の臭いが漂った。

 ああ、私は死んだんだ。
 やっと…あの泥沼から解放されたんだ。
 そう思った。

 そう、思ったんだけど……

「……?」

 痛みがない。
 そっと目を開けると拳銃は額に合ったはずなのにそれて私の後ろの壁を打ち抜いていた。

「……あなたは今、ここで死んだ」

 彼はふっと微笑んで言葉を紡ぐ。
 意味が分からない。私は生きてる。

「……どういう事?」
「あなたは死んで生まれ変わる……僕の協力者として」

 眉間に皺を寄せて私はバーボンに問い掛けると彼は拳銃を懐にしまって意味深な発言をした。
 僕の協力者?

「……貴方、NOCなのね」
「聡い女性ひとは嫌いじゃないですよ」

 彼の言葉に1つの答えを導き出した私は彼を睨みつけて言葉を投げかけると彼は不敵に微笑みながら遠回しに肯定の言葉を発した。

「……」
「あなたにとってもいい話ではありませんか?」

 私は驚いて黙り込んだ。
 何を考えているのか読めないこの男の顔を睨み続けて。
 私が警戒心をむき出しにしているからか彼は眉を下げて笑ってはまるで交渉するかのように問い掛けてくる。

「今のあなたは組織の裏切り者。待つ結末は死だ……でも、僕の協力者になってくれるのであれば…生きたままあなたを死んだことにしてあげますよ」

 生死の境界線に立たされた私にとってとても甘美な誘い文句だ。
 この言葉に裏があるのかないのかさえ読ませてもらえないこの男…。

「その甘い罠のような誘い……乗ってあげようじゃない」

 私は不敵に微笑むと彼の甘美な誘い…まるで甘い甘い罠が舞っているような誘いに乗った。

「それでは僕と来て下さい」

 そう言ってバーボンは私に手を差し伸べると私は彼の手を取った。
 きっと彼に拾われてもこの泥沼の中からは抜けられない。

 さあ…次は……彼の誘ういざなう泥沼へ落ちて行こうか。

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