二人の夢は

「おかえりなさい、縁壱さん」
「……ただいま帰った」


 戸を引き、誰かが家に入ってくるのが視界の淵から確認すると女性は嬉しそうに笑みを浮かべて声をかける。

 この家の主の帰宅のようだ。
 縁壱は声のする方へと顔を向けると心なしか穏やかな表情を浮べ、こくりと頷く。


「ふふ、もう少しでごはん出来ますから……あらあら…どうかしましたか?」
「動きすぎだ……また風邪をこじらせるかもしれない」


 またその声に、その顔に頬を緩ませてなまえは笑みを零せば、煮ている鍋にお玉を入れ、クルクルとかき混ぜる。

 しかし、背後から回される腕に目を真ん丸にさせ、後ろを振り向けば浮かない顔をして彼女を見つめる彼の姿があった。

 それになまえは不思議そうに首を傾げ問いかければ縁壱は少しだけ眉間にシワを寄せ、静かな声で答える。

 どうやら、彼女の身を案じていたらしい。


「確かに私は病弱ですがそんなに弱くありませんよぉ」
「……」
「きゃっ」


 返って答えにパチパチと瞬きをするが、なまえはあまり気にしていないようだ。

 笑って言葉を返すとまた煮込んでいる鍋へと目を向ける。
 その姿に言ったところで聞かないと思ったのかもしれない。

 彼は不服そうな顔をして彼女を無言で抱きかかえるとなまえは驚きのあまり声を上げ、縁壱の肩にしがみ付いた。


「そう言ってこの間も寝込んだ」
「それは……ちょっと頑張っちゃいましたから」
「休んで欲しい」


 厨からすぐさま寝屋へと足を運びながら、縁壱は彼女の意見を否定しようとするとなまえは言葉を濁す。

 彼の言っていることは正しく、肯定することしか出来ないのだから当然と言えば当然だ。

 彼女は申し訳なさそうに眉を下げて言葉を紡げば、縁壱はなまえの額にコツンと自身の額を合わせてぽつりと言う。


「でも……あと味付けだけなんです」
「……」
「ね、お願いします。ご飯作って一緒に食べたら、すぐに横になりますから」


 彼の切実な願いを聞いてもなお、彼女は引く気はないようだ。

 晩御飯をあと少しで作り終えられる。
 妻としての役目を全うしたい思いが強いのかもしれない。

 悲しそうに眉を下げて、縁壱の着物をキュッと握ると小さく訴えた。
 その言葉に彼は静かに息を吐き、じっと見つめる。

 なまえは見つめ返してそっと縁壱の頬に触れ、条件付きでもう一度懇願した。
 病弱で身体の弱い自分が帰って来た夫に出来ることは少ないと知っているからこそなのだろう。


「………………分かった」
「ふふ、ありがとうございます」


 真剣な彼女の表情を見つめ続けた彼だったが、てことして意思を折れる気配がない。

 自分が折れるしかこの決着がつかないことを理解したのか。
 縁壱は深い息を吐き出し、渋々頷いた。

 自分の意見が通ったことが嬉しかったらしい。
 なまえは嬉しそうに頬を緩ませ、お礼を言った。


「………」
「あらあら……どうかしましたか?」
「……私より…」
「え……?」


 彼女の笑みに釣られて彼もまた笑みを浮かべたが、何を思ったのか。
 悲しげな表情を浮かべ、横抱きしたままぎゅっと抱きしめる。

 自分の胸元に顔を寄せる夫に少し驚いた顔をすれば、優しく縁壱の頭を撫でながら、問いかけた。

 そのあたたかな手に彼は目を閉じ、ぼそっと呟く。
 なまえの耳にはその続きが届かなかったようだ。
 撫でていた手をピタリと止め、キョトンとした顔をする。


「……いや、なんでも…っ」
「くら〜い未来を考えましたね?」
「……」


 縁壱はハッと我に返るとゆっくり顔を上げて自分が言葉にしたものをなかったものにしようとするが、それは途中で遮られた。
 遮ったと言っても物理的に、だ。

 彼の両の頬になまえが触れて軽く押しつぶし、縁壱の唇を尖らせたことによって言葉にすることが出来ない。

 なかなか表情を表に出さない彼だが、妻のその行動に驚いたらしい。
 何度か瞬きをしていると彼女は眉を釣りあげてムッとした顔をしながら、質問を投げた。

 縁壱は口を閉ざし、言葉を口にすることはない。つまり、肯定と取っていいだろう。


「大丈夫、私は死にませんから」
「……」


 見透かされてしまった。


 彼の無表情にも見える顔色からそれを読み取れてしまうのかもしれない。
 夫婦になる前から想いを寄せ、傍にいればそれくらいは出来るようになるのだろう。
 なまえは相手を安心させるように告げた。

 優しく柔らかい声音なのにも関わらず、紡がれた言葉の意思は固さを持っているように感じるから不思議だ。
 それを縁壱も感じたのか、彼は微かに瞳を見開く。


「あなたの子を産んで、あなたと二人で子の成長を見守って……その子がまた家族を作り、孫が生まれ、またその成長を見守りながら、あなたと一緒に年老いていくんです」
「……」


 彼女は明るい未来に想いを馳せながら、幸せそうに微笑んで言葉を続けた。

 病弱で身体の弱い女人にょにんがこの時代に生きるのはただでさえ難しい。
 子を授かったとしても産んだ瞬間、どちらかが死ぬ可能性だって高いのだ。

 それでも自分の望む未来に期待をし、楽しそうにしているなまえに縁壱は驚かずにはいられないのだろう。


「あなたの妻はと〜〜っっても欲深いんですよ。この夢を叶えるまで死ねません……死ねないんです」
「……そうだな」
「え?」


 目をまんまるとさせる彼に彼女は目を細めると縁壱の頬を包み込んだ両手で自身の方へと引き寄らせ、コツンっと額を合わせながら、言う。

 弱い身体のどこにこんなに強い決意が隠れているのだろうか。
 そう思いながら、彼は口角を少し上げるとぽつりと呟いた。

 まさか、同意されると思わなかったのか。
 なまえはパチパチっと瞬きをする。


「私も同じ夢を見てる」
「……ふふ、一緒ですね」
「…ああ」


 縁壱はふっと柔らかい笑みを浮かべて彼女の描いた未来に同意を示すとなまえは嬉しそうに彼の頬から手を離し、両の手を合わせて喜び現した。

 縁壱はその表情にまた嬉しくなったのか。
 目を閉じ、こくりと頷く。


「一緒に叶えていきましょうね、縁壱さん」
「ああ」


 彼女は嬉しさを表現したかったのだろう。
 両手をバッと広げて彼を抱きしめながら、話し続けると縁壱もまた彼女をぎゅっと抱き締め返し、力強く返事をしたのだった。




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