夏の夜
夜が訪れたおかげで大分気温が下がっている。しかし、年々悪化している地球温暖化のせいかこの本丸もジメジメとした熱気が下から上昇していた。
もう夜も更けており、この本丸にいるものたちは夢の中なのだろう。
夏虫がころころと楽しそうに合唱をしている音しか響いていない。
縁側でぼーっと座りながら池を眺め、その声に耳をすませる女性の姿がそこにあった。
そんな彼女の後ろ姿を見つけた銀髪金眼に細い肢体を持つ男性はニヤリと口角を上げる。
「わっ!」
「……鶴丸さん、何してるの?」
忍び足で近寄ると男性は彼女の耳元で大きな声を上げた。
彼の声に驚いたように女性はビクッと肩を大きく揺らす。
彼女はゆっくり後ろを振は呆れ返っているような表情を浮かべて彼…鶴丸国永に文句を口にした。
「なんだ、主は今ひとつ驚かないな」
「驚いてる、心臓バックバク!」
鶴丸は彼女の反応が予想外だったのだろう。
残念そうに眉を下げて言葉を零す。
彼女はそんな彼の言葉が癪に触ったのだろうか。
眉をつりあげ、ムッとした表情をしながら彼の言葉を否定した。
「はっはっはっはっ、一応成功したか」
「もう…どうかしたの?」
彼女の答えに満足したのか彼はいたずらっ子のように笑みを浮かべる。
女性はこの本丸一いたずらっ子の男を見て、深いため息をつくと首を傾げた。
「ん?いやぁ、たまたま通りかかっただけだ」
「普通に声掛けてよ」
彼は彼女の隣に腰を掛けると目を向けて、柔らかく微笑みながら言葉を返す。
しかし、彼の言葉に驚かせる必要性がないと余計に思ったのだろう。
頬を膨らませてふいっとそっぽ向いた。
「それでは面白くないだろ?」
「そこに面白さは求めてないよ…あ、蛍……」
今度は鶴丸が不貞腐れたような顔をして彼女へ問いかける。
彼にとっては面白さが必要事項のようだ。
彼女はその言葉に肩の力を抜いて呆れたようにツッコミを入れた。
そんな会話がなされていたこの場に突然、淡い光を深呼吸のようにゆっくりと輝かせる蛍が現れる。
それは一匹、二匹と数をだんだん増やしては自由に池の周りを舞い始めた。
「ほぉ…綺麗だな」
「そうだね…ふふ、蛍か…」
一匹の蛍が鶴丸の近くを誘うように舞うと彼はその光景に目を細めて微笑む。
彼女は目を輝かせて嬉々とした表情を浮かべると何か思い出したように笑った。
「どうかしたか?」
「ふふ…鶴丸さんがうちに来た時もこんな感じだったなーって思って」
突然笑みを零す彼女に鶴丸はキョトンとした顔を向けて、首を傾げる。
彼女は口元に手を添えながら楽しそうに言葉を紡いだ。
どうやら彼女は彼がこの本丸に顕現した時を思い出したようだ。
「…そういえば、そうだったな」
「そうだよ〜。鍛刀時間長くて夜になっちゃったんだもん」
その言葉に彼も思い出したのか懐かしそうに目を細めて柔らかく微笑む。
彼女は三日月のように目を和めては優しく蛍を見つめながら、当時のことを少しおちゃらけて言葉にした。
「はっはっはっ、それは悪かったな」
「でも、初めて会った時…凄く綺麗で見惚れちゃった」
彼女のその言い方が意外だったのか鶴丸は目を点にさせると声を張って笑い声を上げる。
彼女はそっと月を見るために空を見上げ、どこか照れくさそうに当時思っていたことを打ち明けた。
「……」
「ありがとう、私のところに来てくれて」
彼女からそんな言葉が出るなんて思っていなかったのだろう。
鶴丸は目を見開いて驚いた表情を浮かべる。
予想外に食らった言葉に彼は言葉を発することが出来ずにいた。
反応がないことが気になったのか。
彼女は月に向けていた視線を彼に向ける。
珍しい表情を見れたのが嬉しかったのか彼女はくすりと笑った。
そして、優しく微笑みながらお礼の言葉を紡ぐ。
「何…それも運というものだ」
「ふふ、知ってる?」
鶴丸はどこか自分の抱いた感情を誤魔化すように笑った。
そして、目を瞑って言葉を返す。
彼女は彼の言葉にどこか試すように問いかけた。
「……?」
「偶然はない。あるのは必然だけ…なんだって」
彼は彼女が何を意図して問いかけているのか分からないのだろう。
不思議そうに首を傾げる。
彼の表情からそれも読み取れたのか彼女はまたくすっと笑みを零した。
そして、池の水面に映る揺れる月を見つめる。
「…俺が主の元に顕現したのも必然ってか」
「そうだといいな」
彼女の言葉に彼もまた池に映る月を見つめてぽつりと言葉を零した。
鶴丸の瞳は自身の感情により、揺れているのか。
それとも瞳に映る池の水面が揺れているからそのように見えるのかは彼しか分からない。
彼女は空気に消えそうな言葉に柔らかい声音で返す。
心地よい静けさがその場に広がると夜風が
「………そろそろ寝るか」
「うん、おやすみ」
「おう、おやすみ」
静寂を破ったのは鶴丸だった。
彼は彼女には優しく微笑みながら言葉を掛けると立ち上がった。
彼女も彼の提案に乗る。
彼女のまぶたは少し落ちかけており、眠くなっていたことが伺えた。
彼女も立ち上がるとふにゃりと頬を緩めて挨拶すれば、彼もまた挨拶を返す。
彼女はくるっと踵を返して自室へ戻ろうと歩み始め、彼はその後ろ姿が見えなくなるまで見つめ続けた。
「はあ〜〜〜……」
彼女の姿が見えなくなると彼は前髪をくしゃりと掻き分ける。
そして、盛大なため息をつくとその場にしゃがみ込んだ。
彼の頬はうっすら赤みを帯びている。
“でも、初めて会った時…凄く綺麗で見惚れちゃった”
(こりゃ適わないな…)
彼は赤い顔をしたまま、膝に肘を乗せては顔を上げて先程まで彼女のいた渡り廊下を呆然と見つめた。
どうやら彼女が鶴丸に出会った時の言葉が嬉しかったらしい。
彼女に気づかれないように冷静を保っているようにしていたが、内心はそうでもなかったようだ。
彼は彼女の優しく笑う笑顔を思い出しては困ったように眉を下げて愛しそう笑みを浮かべたのだった。