花舞病-月下美人-

 俺の主には恋刀がいる。
 彼女のそばに居る近侍がそうだ。

 あいつが現れるまではあそこは俺の居場所だった。
 あの笑顔を守るのは俺だった。
 

 胸が苦しくて。もやもやする。


 この気持ちに気が付くのは時間の問題だった。
 俺は主に恋慕を寄せていた。

 そのことに気付いた頃だったか。
 俺の周りにまとわりつく花の甘い香り。

 どんなに風呂に入っても取れることはなくて。
 日に日に香りが強くなる一方だった。
 そして、それはある日突然起きた。
 

 俺の手の甲から一枚の白い花びらが浮かんでは取れた。
 それが俺の病の始まりだった。
 


◇ ◇ ◇



 病の進行をただじっと待つだけだった。
 俺は花のように散っていく運命。
 あんな二人を見るくらいならその方が幸せかもしれないな。

 
 淡く。はかない。


 そんな月を呆然と眺めながら、そんなことを思っていた。


「……まんば」
「主か…」
 

 小さく。鈴のなるような声が聞こえる。
 この声に胸をあたたかくさせた。

 表情に出さないように。
 いつも通りを装って呼び返す。


「月が綺麗だね」
「……ああ」


 主は眉を下げて微笑んだ。
 どうしてそんな顔をするのか分からない。
 彼女はそのまま視線を月を見上げる。

 それがあまりにも美しかった。
 思わず見とれるほどに。
 だから、返事が遅れた。


「…まんば、見つけるの遅くなってごめんね」
「まさか、見つかったのか…?」


 彼女は悲しそうに眉を潜める。


 どうして、そんな顔をするんだ?
 お前の好きなあいつは元気だ。
 あいつは病になってない。
 そんな顔をするのはやめろ。


 そう思うが、言葉は出ない。
 ただ黙って彼女を見つめた。
 いや、それしか出来なかった。

 そして、彼女が口を開く。
 その言葉にドキッと俺の心臓を跳ねた。

 このまま朽ちていくと思っていたのに助かる方法が見つかった。
 そう取れる言葉を彼女が口にしたからだ。
 発症して間も無いと言うのに。


「ふふ、特徴的な匂いだから時間はかからなかったよ」
「何の花なんだ?」


 主は得意気に笑う。
 いや、俺の驚いた顔に笑ったのか。
 それは分からない。

 けれど、そうだ。
 彼女は花が好きだった。
 それもあって見つけられたのだろう。


 自分のなった病の原因の花が知りたくて俺は彼女へ問いかけた。
 花なんて普段は愛でたりはしない。
 けれど、俺はなった病のせいか。
 親近感が湧いた。


「年に一度しか咲かないって言われてる月下美人」
「月下美人……?」


 彼女は俺の隣に座る。
 そして、俺の問いかけに答えた。
 それも宙に浮かぶ丸い月を見つめながら。

 その瞳は何故か揺れていた。

 聞き覚えのない花の名前に俺は目を見開く。
 初めて聞いたくらいだ。


 ただ、名前の響きが綺麗だ。


 そう思った。
 俺なんかがそんな花の病になったのか疑問に思うくらいだ。


「そう……早く治して戻ってきてね」
「……」


 彼女は目をそっと閉じて肯定する。
 そして、俺の手を握った。

 その手は少し震えている。
 どうして、そんなに震えているのか。
 俺が逝っても新しい俺はここにくるだろうに。

 だから、どう言葉を返していいか分からなかった。


「まんばが死ぬのなんて見たくないの」
「…ああ。治して戻ってくる」


 彼女は今にも泣きそうな顔をして俺を見る。
 彼女の瞳にいつも映るのはあいつ。
 けれど、今、この瞳を映すのは俺だ。


 ああ、俺を失うことを恐れている。

 
 もう、十分だ。
 その気持ちだけで。

 俺が逝くことで守りたかった笑顔を失うのであれば俺はそれを守ろう。
 

 この笑顔を守るためなら俺は…このはかない恋を胸の奥に押し込めよう。


 そう思った。


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