花粉症じゃないもん

「絶対そうですって!」
「絶対違うもん…!」


 ここは某本丸。桜の花が笑う季節。
 一人と一振は言い争っていた。

 特徴的なアホ毛。
 長い黒髪を赤い髪紐で纏めた青年。

 鯰尾藤四郎は眉を釣り上げる。
 彼の右手には水の入ったコップ。
 左手には何か握っているように見える。

 そんな彼に抗うように女性もまた必死に彼の言い分を否定しているようだ。


「何で認めないんですか!」
「認めたくないでしょ!?」


 彼は紫色の瞳で彼女を見つめる。
 そして、少々声を荒らげた。

 どうやら、このやり取りは長々と続いているようだ。
 彼女は鼻頭を真っ赤にさせて鯰尾に負けじと言葉を返している。


「薬研だってそう言ってたじゃないですか」
「いーや、絶対に違う。誤診だもん。花粉症じゃないもん」


 彼は子供のように駄々をこねる彼女に眉を下げた。
 彼の表情からは相当困っていることが伝わるが、彼女は断固として引き下がらない。

 フイッと顔を逸らせば、薬研藤四郎の診断を間違っていると抗議した。
 どうやら彼女は花粉症と診断をされたらしい。


「主さん…鼻が痒くてかいていて…しかも、啜ってますよね」
「風邪です!」


 彼は認めない彼女に深いため息をつくとじっと見つめる。
 彼女を観察していて気付いたからこそ、理詰めするように言葉を紡いだ。
 彼の言葉は正しく当てはまっていたのだろう。

 彼女はうっ…と小さな声を漏らす。
 そして、言い訳をするように別の病名を口にした。


 それはそれでどうなんだ。


 そう思ったのか鯰尾は頭を抱える。


「風邪は喉が痛くはなりますが、痒くならないですよ」
「……」


 彼はまだ認めようとしない彼女に呆れていた。
 ジト目で彼女を見つめ、ただ冷静に言葉を口にする。

 彼の言葉が正論。
 尚且つ、図星を付かれているのだろう。

 反論のしようのない彼女は唇を噛み締めて目を逸らした。


「薬研の言ってた通り、花粉症ですって」
「………認めたら一生付き合わないとじゃん」


 やっと反論を返さなくなった彼女にふぅと息をつき、眉を下げて柔らかい笑みを向けた。
 そろそろ認めると思ったのだろう。

 しかし、彼女は相当頑固者だ。
 拗ねた表情を浮かべてはブツブツと文句を零す。

 どうやら理解はしているらしい。
 けど、認めるとなると話は別のようだ。
 彼女にとっては。


「でも、薬を飲まないで一生付き合うのは辛いですよ」
「花粉症じゃないもん…」


 鯰尾は困った表情を浮かべる。
 花粉症の薬を飲めば楽になるというのに症状自体を認めない。
 その状態が続いていたのだから無理もない。
 彼は彼女の身を思って薬を勧めてるに過ぎないのだ。

 彼女はやはり認めたくないらしい。
 視線を下におろし、ボソッと小さな声で言葉を零した。


「あー…もー…」
「……!?」


 このやり取りでも四半刻も費やしている。
 彼は近侍として彼女の政務に取り掛からせる義務があるのだ。

 なのにも関わらず、机の上の書類は山のよう。
 彼はしびれを切らしたようだ。
 ため息を吐くように言葉を零す。

 手に持っていた錠剤を口に入れると水をそのまま含んだ。
 そして、彼女の後頭部に手を回すと無理やり唇を奪う。

 彼女は今起きていることが理解出来ていないのか目を見開いた。
 言葉を発しようと思ったのだろう。

 彼女は薄く唇を開けるとそこから錠剤と水が流れ込む。
 抵抗しようのない攻撃に彼女の食道は異物と水をすんなり通してしまった。


「…ちゃんと飲めましたね」
「っ、な、鯰…尾!?」


 彼女の喉がごくりと音を鳴らす。
 それを聞き取ったのだろう。
 彼は唇を離すと満足そうにうんっと首を縦に振った。

 彼女は頬を真っ赤にさせては口をパクパク動かす。
 それはまるで池の鯉のように。

 そして、とぎれとぎれに彼の名前を呼ぶ。
 いや、叫ぶに近い。


「主さんがいけないんですよ?」
「………」


 彼女の反応が珍しかったのだろう。
 彼はきょとんとした顔をする。

 次の瞬間、面白そうに口角を上げた。
 それはまるで挑発するように。

 彼女は端麗な顔が近づいてくることに頬を引きつらせる。
 そして、身の危険を感じるのか後ずさった。


「認めないし、飲まないから…強制的に飲んでもらいました」
「だ、だからって…」


 彼は後ずさる彼女にジリジリと近寄る。
 その様は獲物を捉える寸前の獣のよう。

 彼女は顔を真っ赤にさせたまま戸惑いの表情を浮かべた。
 言い返さなきゃという本能が出てくるのか言葉を紡ぐ。
 しかし、接続語の後に言葉はなかなか出てこずに瞳を揺らした。


「これからも飲まないんだったら飲ませてあげますから」
「っ、…お、お断りします!!」


 鯰尾はにっこり意地悪な笑みを浮かべる。
 そして、彼女にとっては脅しとも取れる言葉を紡ぐ。

 彼女は先程の彼の行動を思い出したのか目が落ちるほど見開き、声にならない驚きの声を零した。
 薄く開いた口からやっと出た言葉は彼の言葉を拒否する言葉。

 彼女はキャパシティオーバーだったのだろう。
 相当大きな声で断りを述べ、突然立ち上がると逃げるように廊下を走って行った。


「……少し、複雑…」


 その場に残された鯰尾はふうと息を吐くと肩の力を抜く。
 誰もいない部屋でぽつりと零した言葉は空気に溶けた。

 先程まで取り繕っていた表情は照れくさそうなものへ変わる。
 頬をほんのり赤く染めていた。


 もう少し彼女が逃げるのが遅かったらこの表情を見ることは出来たかもしれない。



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