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緋き瞳



『―天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と 祓給ふ…!
天清浄とは 天の七曜九曜 二十八宿を清め
地清浄とは 地の神三十六神を清め
内外清浄とは 家内三寳大荒神を清め
六根清浄とは 其身其體の穢れを祓給い
清め給ふ事の由を 八百万の神等 四の聖獣 諸共に 小男鹿の 八の御耳を振立て 聞し食と申す…ッ!』


つらつらと彼女の口から唱えられた祈りの言の葉。

この言葉が唱えられた瞬間、辺りを覆っていた黒き靄が僅かに薄まり、あんなにも重くなっていた身体が軽くなるのを感じた。

自身でもそれを実感した律子は、内心で強く確信し、このまま続行し続ける事を決める。


(―やっぱり、効果あった…!駄目元で試してみたけど、これなら皆を救う事が出来る…っ!!)


もう一度、深く息を吸った律子は、今しがた唱えた言葉を繰り返した。

それにより、辺りの空気が徐々に清められ、浄化されていった。


(―これは…っ、祝詞…!?何故、ただの人の子である彼女が…っ。)


傍らで彼女の様子を見守っていた石切丸は、驚きに両目を見開いていたが、この選択が今の戦況に大きく作用していると解ると、より一層祈祷に力を入れねばと自信に溢れていた。

加えて、彼女の近くや前線で刀を振るっていた長谷部達は、先程までとは明らかに異なる身体の異変に驚きを隠せないでいた。


(な、何だ…!?身体の重みが、引いていく…?)
(あんなに動きづらくて息苦しかった空気が、緩和された…?何で…?)


戦いに集中していた者達の耳にも届き始める、清浄たる言の葉と鈴の音。


『天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と 祓給ふ
天清浄とは 天の七曜九曜 二十八宿を清め
地清浄とは 地の神三十六神を清め…。』


政に親しみのある刀が小さく、その口許に笑みを浮かべた。


「へぇ…。神事の真似事が出来るなんて、やるねぇ…。」


片側に掛けた大きな布が、ひらりと風に舞い、はためく。

祝詞とは、本来、神事など神様に対する政の時に唱える、清めの言葉である。

故に、神の末席と言えど、付喪神達の集まるこの場では、瘴気を祓う清めの術としても最も効果的なのだった。

戦況は、明らかに一変した。

完全に不利となっていた状況だったが、圧されていた力が不意に弱まったのだ。


ーグォオオオ…ッ!?


異形のモノが唸りを上げ、苦し気にその身を捻らせ始めた。

それを好機と見て、更に斬りかかる前衛隊。

敵である人為らざる者から霧散し始める黒き靄。

やはり、この靄を生み出していたのは、対峙する化け物だったらしい。

戦いの手を止めずに攻め続ける刀達。

このまま行けば、勝てるかもしれないと誰もが思った、その時であった。


ーグルルル…ッ、グガガゴァアアア…ッッッ!!


異形の者が突然咆哮し、最も近くにいた者達を吹き飛ばし、衝撃波のような物を発した。

それによって、前衛で戦っていた短刀等は壁際まで吹き飛ばされ、辛うじて耐えた打刀勢の身体を斬り刻んだ。


『ッ…!?長谷部……ッ!!』


禍々しい瘴気に、詠唱を止めてしまった律子は、次の瞬間、それを悔やむ事になる。

詠唱が止んだ事により、再び瘴気が溜まり始めた様子に、石切丸が警鐘を鳴らした。


「詠唱を止めちゃ駄目だっ!祝詞を続けて…!!」
『ハ…ッ!』


慌てて鈴飾りの付いた鞘を構え直し、詠唱に入ろうとしたところへ、彼女を狙ったように飛んできた鎌鼬。


『ッ!?あ゙あ゙…ッ!!』


何とか攻撃を防ごうとして顔の前に翳した鞘は、防いだ衝撃に弾かれ、離れた場所へと吹き飛んでいってしまった。

弾かれた衝撃が直に右手に伝わり、ビリビリと痺れを伴って彼女の恐怖心を再び煽る。

「ぃ゙…ッ、」と反対側の左手で右手を庇うが、気休めに過ぎない。

ドクドクと嫌に脈打つ鼓動に、つう…っと冷や汗が背を伝う。


―今…、防ぎきれなかったら、俺、死んでた……っ?


フッと暗くなる意識に、ポンッと肩を叩かれた感覚がして我に返った律子。

気付けば、黒髪のショートヘアの短刀の子が、此方を窺うように見ていた。


「大丈夫か?アンタ。此処に政府以外の新しい人間が来るって事は、アンタ、審神者だろう?だったら、このぐらいで怖じ気付くなよ。この本丸を救いに来てくれたんだろ…?しっかりしてくれや。」


この子も、確かネット等で見覚えのある短刀の子だ。

彼も他の刀達同様、既にボロボロの傷だらけで、恐らく中傷あたりまでいっているだろう。

当然、人為らざる異形のモノと戦う前から傷だらけで、手入れさえも行われていない筈だ。

そんな彼にこれだけの事で心配をかけ、励まされていては、元も子もない。


『ッ…、そうだよな…。こんなんじゃ、この先やっていけるかも解ったもんじゃねぇよな…ッ!』


遅れて飛んできた何かの破片を、構え直した刀で叩き落す。

すぐに気を取り直した様子に、少しばかり驚いた彼は、一瞬だけ呆気に取られたが、次の瞬間には小さく笑みを浮かべ、自らも自身の本体を構える。


「アンタの守りは、俺っちに任してくれ。そっちは、アイツをどうにかする術とやらに集中してくれや。」
『あ、あぁ…。任せたっ。』


意外な提案に目をぱちくり瞬かせつつも、唱え直す為に一度目を閉じ、乱れた呼吸を整えた。

そうして、再び祝詞を唱えるべく、口を開いた。

突然のアクシデントだったが、何とか持ち直した戦況に、敵は再度態勢を崩されていく事となる。

徐々に此方の形勢が優勢になりつつあった。

しかし、敵も元は神々等から生まれた澱みで、瘴気の塊だ。

最後の抵抗とばかりに抗い、吼えた。

夜が更けたばかりの頃から続く戦いは、思ったよりも長引き、その結果、倒れゆく刀達が次々と出てきた。

それは、主に傷が深かった短刀や脇差等で、全て重傷の者達だった。

未だ、折れていない事が奇跡とでもいうくらいの状態である。

そんな現状を、これまで見続けてきたとある数振りの刀が、耐えられなくなったのか、纏う雰囲気を変えて敵を睨み付けた。


「もう、こんなのたくさんです…っ。どれだけ苦しめば、終わりが見えてくるのですか…?」
「…俺は、このまま死ぬ事は出来ない…ッ。彼奴を、取り戻すまでは…何が何でも、折れる事なんて出来ないんだ…ッ!」


ゴウ…ッ、と彼等の周りだけ荒々しい風が巻き起こると、不穏な空気がピリリと肌を刺した。

「まさか…ッ!?」と思った律子は、彼の守りの範囲から外れ、駆け出し、跳躍する。


「な…ッ!?離れると危ないぞ…ッ!!」


ユラリと不穏な空気を纏った二振りが、敵方へ足を踏み出していた。

打刀の宗三左文字と大倶利伽羅である。

擦れ違った刀達が見た二振りの両目は、緋く染まり始めていた。

それがどういう状況か、逸早く気付いた一振りの刀が。

彼等からは離れた場所で戦っていたからだろう、あらん限りの声を張り上げて、制止の言葉を投げかけた。


「伽羅坊…ッ!よせッ、堕ちたら全部終いなんだぞ…ッ!?」


自身の血が滴り落ちるのも気に留めず、必死に食い止めようと腕を伸ばすが、届かない。

ぐらりと傾いだ彼の身を近くに居た刀が咄嗟に支え、声をかける。


「おい…ッ!しっかりしろ鶴丸…ッ!!」


制止の声も、今や聞こえないのか、二人は自身の本体を引き摺り、火花を散らして、今にも駆け出そうと踏み込む足に力を込めた時である。

トン…ッ、と二人の肩を同時に叩いた者が、フワリと身を翻して目の前に舞い降りた。

そして、清められた羽織が二人の緋く染まった瞳を覆うように掛けられる。


『アンタ等が堕ちるにはまだ早いぞ。諦めんなよ。アンタ等の重荷は、俺も少し背負うからさ…。』


ゆっくりと開かれる彼女の瞳が、異形のモノを見据える。

スッと向けられた短き刃に、迷いは無い。


『だから、まだ堕ちるな。』


ザシュリッと薙いだ一閃が、瘴気を纏った腕を斬り裂いた。


執筆日:2017.09.19