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浄化



石切丸という刀剣により清められた手入れ部屋へ今剣が運び込まれ、手入れが始まった頃…。

本丸の別の場所では、予想だにしなかった事が起こっていた。


『―が………ッッッ!!』


折檻部屋の扉を開け放った途端、突然“何か”に吹き飛ばされた律子は、勢い良く向かいの部屋の襖にぶち当たり、それを突き抜けた先のとある広間の壁まで飛ばされた。


「栗原様ーッ!!」


激しく叩き付けられた律子は、意識を飛ばしかける程にダメージを受ける。

壁に打ち付けられた衝撃で、顔を覆っていた面は捲れ、隠されていた筈の顔は露になっていた。

最早、面をしている意味など成さないが、今はそのような事に構っている暇は無い。

何せ、衝撃が強過ぎたあまりに息が詰まり、まともな呼吸が出来なくなっていたからである。

背中から思い切りぶち当たった為か、頭を激しく揺さぶられ、脳震盪も引き起こし、視界が揺らぐ。

襖諸々を突き破って吹き飛ばされた時の「ドガァアンッ!!」という凄まじい音に、騒ぎを聞き付けた刀剣達がわらわらと集まり始める。


「何事だ…!!」
「今の音は何じゃっ!?」
「これは、一体…!?」


次々に現れた刀剣男士達は、各々に自身の本体を鞘から引き抜くと、素早く構え、臨戦態勢をとった。


『ぅ゙…ッ、ぐ………ッ!』


痛みに苛まれながらも、何とか意識を落としまいと、片手に握る小さな鞘に包まれた短き刀を握り締め、決して離す事はしない律子。

その背景に、姿を現した異形のモノへ、刃を振り下ろす刀剣達。

合間を掻い潜って、何とか彼女の元まで辿り着いたこんのすけは、必死に彼女へ呼びかける。


「栗原様!!栗原様…!!しっかりしてくださいまし…ッ!!」


小さな身体いっぱいを使って、彼女の身を揺する。

だが、受けた事も無いダメージを食らった律子は呻くだけしか出来ない。

辺りは、既に戦場と化している。

外は闇掛かり、夜を示している事から、夜目の利く打刀や脇差、短刀達は敵前に躍り出ては刃を振り翳す。

反対に、夜目の利かない太刀や、室内戦に向かない大太刀は苦戦を強いられ、援護に回るくらいしか出来ないでいた。

それでいて、よく解らぬモノを相手に戦っている彼等は、戦い始めからボロボロの状態の者達ばかり。

つまり、傷を負ったまま、手入れされていないという事なのである。

何とか繋げている意識で、戦況を眺める律子。

すぐ傍らで叫んでいるこんのすけの言葉は、朧気にしか聞こえていない。


(―短刀の子達、すんごいボロボロだ…。中には、重傷の子も居るんじゃないか…?何で、他の子達も皆ボロボロなの…。まるで、始めから手入れなんてされてねぇみたいじゃんか…っ。事実、今剣は酷い状態だった。これ…下手したら、刀剣破壊するんじゃない……?)


そう思った瞬間、ゾワリと嫌なものが背筋を駆け下りていった。


(折らせて…、堪るか……っ!!)


ピクリと動いた右手は、この世界に来た時から肌身離さなかった刀を握る力を強める。

動かない身体にグッと力を込めて、半身起こそうと手足に力を入れた。


『ッ………!く、ぅ……ッ!!』


視界の端で、ふわりと紅いものが動く。


「―ちょ……っ!アンタ大丈夫なの…!?ってか…、何で人間が此処に居んの…!?」


何処かで聞き覚えのある声が、霞んだ思考の耳朶を打った。


『痛……ッ、ぅ゙………!』
「栗原様…!良かった!!意識はまだ失われていなかったのですね…!?」


壁伝いに身を起こしたのは良いものの、相変わらず空気は悪いままだ。

これでは、息もしづらいだけでなく、身体が重くて仕方がない。


(黒い霧だけでも晴れてくれたら、少しはマシになるんだろうけど…っ。)


何とか起こした身には辛いが、鞭を打ち、よろめきながら立ち上がる。

頭に被っていた破片やら欠片がぱらり…っ、と落ちていく。


「っ、ぐ……ッ!!こりゃあ、キツいな…ッ!!」
「………ッ!!争いは嫌いです……っ。」
「チ…ッ、戦力が足りねぇ…!!」


異形のモノのドス黒い魔の手が、夜戦に不利な太刀等を襲う。

ギリギリと火花を散らして防ぐが、圧されるのは時間の問題である。


「ぐあ……ッ!?」
「前田っ!!クソ…ッ!!」
「……ッ!ご、め…っ、皆…ボク、もぅ、無理………ッ。」
「乱…ッ!!くっ………!」


傷が深過ぎ、力に耐えられなくなった短刀達が、次々と体勢を崩し、倒れていく。

同じく短刀の者や、すぐ側で戦っていた者達が悲痛に叫んだ。


『―……こんのすけ…、頼みがある…っ。』
「な、何でございましょうか…?」


震える息を吸い込み、吐き出してから口にする律子。


『…重傷な子達から優先に、手入れ部屋へ連れていって欲しい。運び係として、石切丸と長谷部を同伴させて。頼んだ…!』


彼女の視線は、ただ前を見つめるのみ。

緊張の糸を張り巡らせたかのように表情は固く、口許は引き結ばれていた。

傍らに握る刀を胸元まで掲げ、想いを込めるように、一度だけ目を伏せる。


(―もし、お前にも付喪神が宿っているのなら、力を貸して欲しい…っ!)


強き意志を宿らせた瞳を開くと同時に、刀を抜いた。


『重傷な者達は一度下がれ…!まだ動けそうな者は、重傷者を手入れ部屋まで運ぶのを手伝え…っ!!後の者は、この化け物を倒す事に尽力を注いでくれ!!』


自身を守るべくして刀を構えた律子は、高らかにそう告げる。

人の子が当本丸に居る事事態に驚いた刀剣達は、彼女の存在に意識が逸れ、動きに隙が生まれる。


『前を見ろ!今は奴を倒す事だけに集中しろ…っ!!』


今の現状、油断は大敵である。

律子は後方で援助しながら、声を張り上げて喝を入れた。

しかしながら、やはり黒い霧が濃く渦巻く中では動きが鈍り、刀剣等は皆実力を発揮出来ずにいた。


「栗原様…!最も重傷とされる刀剣達は皆、手入れ部屋へと運び終えましたよ!!」


異形のモノの力故に、あまり近付けないこんのすけが、少し離れた場所にて律子へと叫んだ。


「次は何をしたら良いのかな?」


いつの間にやら傍らへ来ていた石切丸が、彼女を守るように自身の刀身を盾に問うてきた。


『―室内戦では、大太刀は刀が大き過ぎて力を振るえない。けど、貴方は御神刀だ。この霧を晴らす為の祈祷を頼めるか…?』
「勿論だとも。快く承ろう。」
「あの…っ!俺も、何か他に手伝える事はないだろうか…?」
『打刀なら夜目が利く。それでいて、アンタは軽傷だ。出来るなら前線で、なるべく奴を引き付けておいてくれ。』
「わ、解った…!」


石切丸に次いで問うてきたへし切長谷部にもテキパキと指示を出す律子。

目線を前へ戻した彼女の目は、再び鋭いものに変わる。


『俺は…今出来得る限りの事をやるよ。』


途端に、彼女の纏っていた空気が変わった。

大きく息を吸うと、刀を胸元に構え、鈴飾りの付いた鞘を正面へ掲げる。


『―天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と 祓給ふ…!』


重苦しく穢れた本丸に、彼女の口から、祈りの言の葉が紡がれたのだった。

執筆日:2017.03.10