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安堵



光忠に運ばれて部屋で横になっていると、ドタバタと廊下をかけてくる足音が響いた。


「主…っ!!また倒れたとは本当ですか…っっっ!?」
『おー、長谷部か。倒れるまではいってないから安心せい。』


横になったばかりの状態からそう答えると、襖が外れんばかりの力で勢い良く開かれた戸はそのままに、シュバッと彼女の布団の側へ正座する長谷部。

正に、安定の長谷部だが、もう少し落ち着きを持って欲しい。

ついでに付け足せば、人の話はちゃんと最後まで聞くように。


「ごめーん主。ちゃんと説明したんだけど、長谷部の奴が途中で突っ走っちゃってさ。俺、一応止めたかんね。」
『うん、そんなこったろうと思ったわ。主大事なのは解るけど、話は最後まで聞こうな?』
「申し訳ありません…。主が倒れたのではないかと思うと、居てもたっても居られず…っ。」
『うん。だから、清光も言ったと思うけど、俺倒れてはいないから。力は抜けたけど、そこまでいってないから。』
「しかし、現に今は床に就かれて…っ。」
『念を入れての事だよ。力をかなり消耗した事には変わりはないからね。』
「あ、言われた通り、薬研呼んできたよ。」
「よぉ、大将。思ったより顔色良いみたいだな?長谷部の旦那が血相変えて走ってくから、また無茶やらかしたんじゃねぇかとひやひやしたぜ。」
『そら、余計な心配おかけしてすんませんなぁ〜。』
「なぁに、大将が元気なら、それで構わねぇよ。むしろ、元気で居てもらわねぇと困るからな!」


傍らに座る長谷部を押し退け、診察の為としれっと座るポジションを奪う薬研。

然り気無さ過ぎて感嘆する。


「おっ。何処の伊達男さんが居るのかと思えば、燭台切の旦那じゃねぇか。もしかして、旦那が大将の初期刀かつ初鍛刀で呼ばれた刀かい?」
「うん、そうみたいだ。久し振りだね、薬研君!元気そうで何よりだよっ。」
「何だ、燭台切か。」
「え…っ。ちょっ、長谷部君、久し振りの再会だよね?反応がちょっとドライ過ぎやしないかい…?」
「ふんっ。俺は主以外に興味は無い。」
「はは…っ、相変わらずみたいだね…。」
「あー、まぁ、気にしなさんな。旦那のは単なる焼きもちだ。」
「誰が焼きもちだ…っ!!」


長谷部のドライな反応に乾いた笑みを浮かべる光忠。

それに対し、平然とぶちまける薬研は配慮というものを知らない。


「どう…?薬研君。」
「診たところ、今回は大した事なさそうだ。ちぃっとばかし力を使い過ぎたってところだろう。顔色も、そんなに悪くねぇしな。良かったな、大将?」
『ふぅ〜…っ、診察あざーっす。』
「だが、今日のところはもう休んどいた方が良いだろう。残りの執務なら、簡単な雑務程度くらいだろうし、本日の近侍殿に任せちまって良いんじゃねぇか?」
『うーん、そうだねぇ…。じゃあ、お願いしても良い?』
「はぁーい、任されましたぁー。」


薬研の提案から、残りの執務を任せると、快諾したようで、少し間伸びした軽い返事が返ってきた。

これで、彼女は夕餉の時刻になるまでフリーである。


「それじゃあ、僕は、まだ逢ってない皆に挨拶回りでもしてこようかな…?ずっと此処に居ては、主の気も休まらないだろうからね。」
『うん、そうすると良いよ。にしても、ごめんね…?顕現して早々、主の私がこんな状態でさ。』
「良いんだよ、主。僕は、君の元に顕現出来ただけで感謝しているんだから。主はゆっくり休んでて?」
『ん。ありがとね、光忠。』
「そんじゃ、俺っちも用が済んだ事だし、戻るとすっか。薬の調合途中だったしな。」
『薬研も、作業中に呼んじゃってごめんね?』
「気にすんなって。大将の大事に駆け付けんのは、刀剣男士として当たり前さ。」
「んじゃ、俺も行きますかね?」
「そうだな。俺も内番中だった。」


光忠の一声に、皆それぞれの作業に戻っていき、静かになる部屋。

部屋に居るのは、部屋の主であり、布団に横になって休む彼女、律子のみ。

聞こえるのは、自身の鼓動と息付く呼吸音だけで、あとは静寂そのものである。


(嗚呼…急に静かになったな…。誰も居ない、自分一人だけの部屋…。慣れない、だだっ広い部屋に一人きり…。)


ただ真っ直ぐに仰向けに寝ていた身体をごろりと横向ける。


(寂しい、なぁ…。)


次第にうとり、と来る睡魔。

落ちてくる目蓋のままに、律子は眠りに就いた。


―温かい…。

優しい何かに包まれている様だ。

柔らかくて、ふわふわしている…。

凄く気持ち良い…。

うっすら目を開けば、白い毛並みと黒い何かが見えた。

さらり、頭を撫でていく温かい手。

優しい手付きで頭を撫でてくれる黒い人は、口許に笑みの形を浮かべて微笑んだ。

うとうとと瞬けば、撫でる手はもっと優しげな手付きで撫でゆく。

またとなく落ちていく意識。

温かく、そして、何故か酷く落ち着く心地に閉じていった瞳に、黒い人は何かを呟いていた。


「―安心せよ。其方の事は、何時でも見守っておる故に…。安らかに眠りやれ、我が愛しき子よ…。」


静かな刻の音は、彼女を優しく包んで、安らぎを与えたのであった。


―ふと、ふわりふわりと揺れ動く気配に、ゆっくりと浮上しゆく意識。

これまたゆっくりと目蓋を開けば、柔らかに撫でゆく、掌の感覚。

視点をずらせば、優しい色を映した金色の瞳が此方を見つめていた。


「あ…、目が覚めたようだね…。おはよう、主。気分はどうかな…?」


柔らかに笑んだ光忠は、それはそれは絵になるような程美しくて、寝起きの目には些か眩しく感じた。


『みつ、ただ……?』
「そうだよ。気付かない内に眠っちゃってたみたいだね…?もうすぐで夕餉が出来そうだったから、起こしに来たよ。」
『そうなの…。ありがとう…。』


寝起きだからか、ぼんやりとした様子で彼の事を見遣る律子。

寝顔もそうであるが、寝起きもあどけなくて、愛らしい。

言えば彼女が気にするだろう事なので口にはしないが、こっそりとそう思う光忠。

恐らく、彼女の寝込みと寝起きを目撃した者なら、皆同じ事を思ったであろう。

決して、彼だけが特別そうではないのだ。


『んぅ゙…。今、起きる……っ。』
「うんっ。あ、実は、今日の夕餉、僕も作ったんだよ?厨当番だった人達に頼み込んでね!料理、一度やってみたかったからさ…っ。せっかく主の力で人の身を得れた今なら、色々出来ると思ってね!顕現したばかりだから、やってみたい事がいっぱいだよ…!それもこれも、主が居てくれたおかげだ…っ。」


これからの刃生が、本当に楽しみでならないのだろう。

キラキラとした瞳で、輝きに満ちている。

彼という刀の個性が表れているのが、よく解るようだ。

律子は、眠っていた事でふと浮かんだ気になった事に、口を開く。


『あの、さ…一つ訊いて良い…?』
「ん…?何かな?」
『眠っている間、ずっと頭を撫でられていた気がするんだけど…光忠がずっと撫でてくれてたの…?』
「いや…?僕が主を起こしにこの部屋を訪れたのは、ついさっきだよ?頭を撫でていたのも、ちょっと前からだし…。それが、どうかしたかい?」


不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げる光忠。

あれは、夢だったのか。

黒い人だったから、てっきり光忠かと思ったのだが…どうやら違ったようだ。

では、あれは誰だったのだろうか?

知らない、という訳ではない気がしたのだが…今は全く解らない。


『いや…ちょっと気になっただけだから、気にしないで?』
「そう…?まぁ、主が気にしないでって言うなら…。僕は部屋の外で待っとくから、身支度を整え終えたら出ておいで?」
『うん、ありがとう。』


然り気無く、寝起きな事を気遣ってくれる光忠は、どこまでも紳士だ。

おまけに、皆の集まる広間までお供してくれるらしい。

なんて思いやりある刀か。

自分自身の刀…それも、初期刀とも呼べる刀が居る事が、どれだけ嬉しく、安心する事か。

それを染々と感じつつ、彼を彼の主らしく使いこなせるよう、しっかりやっていこうと気持ちを切り換える律子。

身体を起こして、軽く乱れた衣服や髪を整える。

そうして、自身を待つ彼をあまり待たせぬ内にと部屋を出る前に、枕元に置いてあった黒き鞘をした短刀を見遣った。

ただ其処に在る、という事だけではない気がして見遣ってしまったのだが、刀には何も変化はない。

単なる気のせいか…。

少し不思議な気配がした気がしたのだが、そう思い直し、布が畳を踏み締めていく音を立てて部屋を出ていった。


―彼女が居なくなった部屋で、ふわり、小さな光の粒子が、枕元…短刀の元に落ちた。

一瞬だけ、刀自身が淡く光を発したが、次の瞬間には元の姿に戻っている。

ただし、彼女の知らぬところであるが…。

不思議な事が起きたのは事実であった。


執筆日:2018.01.12