チュンチュンと小鳥が囀ずる鳴き声が、澄んだ朝の本丸に響き渡る。
天気も良好なのか、空は真っ青に晴れ渡り、気持ちが良い程快晴だ。
気温も、まだそれ程寒くなく、暖かい。
風も、心地好く吹いており、こんな日は洗濯物がよく乾く事だろう。
正に、洗濯日和と言える秋晴れだった。
皆が起き出すには、まだ少し早い時間だからか、本丸内は静かであった。
だが、そんな中でも、既に動き始めている者が居るのか、厨からは小さな音が聞こえてきていた。
皆が起き出す前にと朝餉を作る、厨当番組だった。
彼等厨当番の者は、他の者達よりも、数刻起きる時間が早い。
そうでないと、二十五振りも居る大人数の分を賄い切れないのだ。
今は、光忠が新たに顕現されて、二十六振りと増えたが、大所帯であるのには変わりはないし、人数などこれからもっと増えていく為、作る量も更に増えていく事だろう。
それ故、厨当番になった者達は、誰よりも早く起床し、動き出すのであった。
そんな厨当番が働く厨房内は、せかせかと忙しなく動いていた。
トントンと葉物を切る包丁の音が響いていたり、シュンシュンとヤカンが音を立てていたり。
又は、グツグツと何かを煮込むような鍋の音に、ジュウジュウと何かを焼くグリルの音がしていた。
そして、漂い出す、美味しそうな料理の匂い。
「これでよし、っと…。歌仙君、お味噌汁出来たから、味見してもらえるかな?」
「嗚呼、僕の方も、丁度和え物の味付けが終わったから、味を見てもらえないか?」
「オーケー!じゃあ、これと交換だね。」
自分が調理し終えた物をちょっとだけ小皿によそい、それをお互いに渡し合う。
そして、それを口にし、味を確かめ合う。
「うん…っ。味噌の加減も丁度良いようだ。」
「和え物の方も、丁度良い味付けだと思うよ?」
「それは、良かった。なら、これ等はそろそろよそっても良い頃だろう。」
「あっ。お魚、良い具合に焼けてきましたよ!」
「どれどれ…?わ、本当だね。じゃあ、もう器を出しておいた方が良いね。焼き魚に使うお皿は、あれかな?」
「嗚呼、食器棚の二番目の手前にある、その平皿だよ。」
カチャリカチャリと食器が小さくぶつかる音が、厨に響く。
「それはそうと…そろそろ主を起こす時間じゃないかい?」
「あ…っ、本当だね。あんなに早く起きたのに、もうこんな時間か…。時間が経つのって早いね。」
歌仙に言われ、柱に掛けられた時計を見遣る光忠は、ぽつりと漏らす。
「まぁね。人の身を得たから解る事だろう?さぁ、此処は良いから、早く行っておいで?」
「え…っ、でも、まだお味噌汁よそい終わってないよ…?」
「それは、僕の方でやっておきますから!燭台切さんは、主さんの所へ行ってあげてくださいっ。」
にこやかに彼の役割を引き継ぐ事を申し出た堀川は、出来る子だ。
流石、兼さんの助手。
フォローする事には慣れっこである。
しかし、この本丸には、まだ和泉守兼定は居ないが。
「ありがとう、二人共っ。それじゃ、主の事、起こしてくるね。」
「嗚呼、いってらっしゃい。此方の事は、僕等に任せてくれ。」
「主さんの事、お願いしますねー!」
二人に見送られ、一人厨を出た光忠は、静かな廊下を歩いていく。
タンタンッ、と軽い足取りで二階への階段を上り、唯一彼女だけが使う事を許された審神者部屋の前に立つ。
トントンと軽く入口の襖の戸をノックし、声をかける。
「主っ。僕だよ。朝餉がもうすぐ出来るから、起こしに来たよ。」
声をかけるが、中からは何の返答も無い。
まだぐっすり眠っているようだ。
「主…?起きて。もう朝だよ?」
部屋の外から二回目の声をかけるも、返事は返ってこない。
これは、少し腹を括るしかないようだ。
「う…っ。女の子が眠ってる部屋に許可無く入るのは、凄く気が進まないのだけれど…起こす為には、仕方がないよねぇ…。」
ううん、と内心唸るが、今起こしてあげなくては、彼女だけ朝餉を食いっぱぐれてしまう事になる。
それだけは可哀想だと、両頬をペチン、と叩き、気合いを入れ込む。
「ごめん、主。部屋、勝手に入るね…?」
そろぉ…り、と襖を開けて、中へと入る光忠は、緊張した面持ちで部屋の中を見渡す。
彼女が寝入る布団の位置は、昨日、彼女を運んできた時に把握しているので、問題はない。
が、問題は、別の事にあるのだ。
(わぁ…っ。やっぱり、まだぐっすりと夢の中だ…。どうしよう…これは、すぐには起きなさそうだなぁ…。)
気まずい心持ちの中、そんな風に思った光忠は、少し気恥ずかしそうに彼女の枕元に膝を付ける。
しかし、彼が起こしに来たとも気付かずに眠り続ける律子は、完全に爆睡しているままだ。
(眠っている時の君は、本当に無防備そのものだなぁ…。こんなに可愛らしい寝顔を晒しちゃって。でも…、僕が来るまでは、眠っていても、あまり深くは眠れていなかったんだね…。目の下の隈が、まだ取れてない…。君の中では、まだ安心出来る場所にはなっていないのかな?なら、君が早く心から休めれるような場所になるよう、僕が支えてあげよう…。何せ、僕は、君の初期刀だ。本当なら、初期刀なんて特別な刀になれる筈はなかった僕が、この本丸のちょっと特殊な理由で初期刀という立場になれた。だから、ずっと側に居て、支えてあげなくちゃね…っ。)
すぅすぅ…と寝息を立てる彼女の髪を優しく撫でて、柔らかなその感触を確かめる。
「主、朝だよ。起きて…?」
せっかく気持ち良く寝入っているところを起こすのは、かなり気が引けるが、起こさない事には先に進めない。
「ほら、主。朝餉がもうすぐ出来ちゃうよ…?早く起きよう?」
『…ん゙ん゙………っ、ゔぅ゙〜…ん……っ。』
漸く唸り声だけでも上げてくれたと、反応を返した事に喜ぶ光忠は、緩めの力で身体を揺さぶった。
「あーるーじ…っ!朝だよーっ。御飯、冷めちゃうよー?」
『ゔぅ゙〜ん……っ!』
光忠からしてみたら、かなり軽めの力で揺さぶっているつもりだったのだが…如何せん、彼は顕現されたばかりで、人の身に慣れていないが故に、力の加減を知らない上に解っていない。
その上、実は、朝の彼女の寝起きが現世に居た頃から悪く…それも、人から不用意に起こされるのを嫌っていたとは、まだこの本丸の者は、誰一人として知らない。
そして、その第一被害者になってしまうとも露知らぬ彼は、声をかけ続ける。
「あーるじーっ!朝御飯の時間だよ?起きて…っ!」
『ん゙ぅ゙ゔ〜…ん゙……っ!』
に゙ゅっと布団から出てきた手に、彼は、「起きてくれた…っ!」と歓喜したが、それも次の瞬間には思考停止する事になるのである。
出てきた手は、無言で被っていた布団を剥ぐと、バサリッと今度は足が出てきて布団を蹴遣る。
もそもそとこれまた無言で動き、のそりと少し身体を起こして、声の主の方を見遣った。
「嗚呼、主、おはよう…っ、」
『誰だ、朝っぱらから人の睡眠を妨害する奴は…。』
「ひ…っ!?あ、主……っ!?」
不機嫌オーラMAXな律子が出した第一声は、少し掠れたドスの効いた低音だった。
おまけに、部屋の外から漏れる光が眩しいのか、かなりの顰めっ面だ。
更に補足すれば、寝る上で下ろされていた長い髪が、寝相で酷い有り様になっていて、その長い髪が顔を覆い隠すように垂れている為、さながら貞子のようにホラーで怖い。
思わず、控えめではあったが、格好悪くも悲鳴を上げてしまった光忠は、上体を仰け反らせた。
「ご、ごごごめんねっ!?ぐっすり眠ってるところ起こしちゃってっ!!朝餉が出来るから、起こした方が良いと思って来たんだ…っ!それと、勝手に部屋に入ってきたのも悪かったよね!?気に障ったよね…っ!?」
『…ゔ〜ん゙………っ。ん……?嗚呼、そういや…此処、家じゃなくて本丸だったわ…。何かまだたまにごっちゃになるなぁ…っ。って、あれ……?光忠…?』
「へ…?主…?」
『あ゙ー……っ。もしかして、さっきの光忠か…っ。スマン、寝惚けた思考じゃ、誰だか解んなかった…。お姉の起こし方に似てたから、お姉が起こしに来たんかと思ったわ…。ガチでごめん。』
寝起きだからか、普段よりも数倍低い声で喋る律子に、呆気に取られて固まっている光忠。
話も、半分程しか入ってきていない。
「……主って、意外と寝起き悪かったんだね…っ。」
『あー、まぁ、うん。そうだねぇ…。』
くわり、と一つ欠伸をすると、顔にまで垂れ下がった横髪をばさりと後ろに掻きあげて、視界を良くする。
だが、まだ光が眩しいのか、片目は瞑られたままで、顰めっ面のままだ。
「男前だ…。」
『ぅん…?何か言ったか…?』
「ううん…っ!何も言ってないよ!?」
『さいでっか…。んじゃ、ちょっくら外行っといてもらえる?俺、寝間着のまんまだから。』
「あ、ああっ!うんっ!!女の子の着替えを見ちゃ悪いよね…っ!?オーケー!!すぐに出ていくよ…っ!!」
モロに動揺しまくっている光忠は、ぎこちない動きで審神者部屋を出ていく。
そして、襖を思いっ切り閉め切った後、盛大に息を吐いた。
「はあぁぁ〜…っ。今の僕、すんごく格好悪い……っ!あぁ…っ、後で主と顔合わせるのどうしたら良いんだろう…っ!!」
一人密かに嘆く、伊達男なのであった。
執筆日:2018.01.13