▼▲
執務



思った以上に酷い寝起きだった彼女の一面を知り、未だギクシャクしたまま朝餉を迎えた光忠は、一人顔色が悪かった。


(主って意外と寝起き悪かったのもそうなんだけど…何よりも、起き抜けの声が予想していた以上に低くて吃驚した…っ。しかも、寝起きの不機嫌な時の目付き…、アレは怖かった…!まるで、獲物を狩る獣の如く鋭い目だったよ、あの目は…っ。)


反対に、つい先程までの事など無かったかのように、もちゃもちゃと朝餉を食べる律子。

彼女の好物が出ていたのか、今朝方の事などもう気にしていないようで、ご機嫌な様子ではむはむと箸を進めている。


『うんま〜っ!鮭の切り身マジうんまい。』
「あははっ、主さんのお気に召したようで何よりです!主さんって、焼き魚基鮭、好きなんですか?」
『うん…っ。本当ちっさい頃から鮭食って育ってきたからね〜。まぁ、ちっさい頃よく食べてたのは鮭フレークで、ご飯の上に毎日掛けて食べてたくらいだよ。だから、コンビニのお握りもツナマヨより鮭派なんだにゃあ…。』
「(にゃあ…。無意識…?)って事は、主は、昔から魚をよく食べてきて育ったって事?じゃあ、鮭以外で好きな魚って何かあるの?」
『うん。鯖とか鰈とかホッケとか…基本、魚は何でも食べれるよ。料理で言えば…鯖のみぞれ煮、鯖の味噌焼き、鰈の煮付け、河豚のムニエルとか…。シンプルに、鯖の塩焼きとかも好きかな?ししゃもの天ぷらとかも美味しいよねぇ〜。学校の給食とかで出てたなぁ…今じゃ懐かしいぜ、学校の給食生活。』


清光から好きな魚は何かと問われ、聞いてもいない事も含めてペラペラと語る律子。

余程ご機嫌なのだろう。

もぐもぐと綺麗に骨を取り除いて食べる姿は、正しく猫のようだ。

その脇で、彼女の好む食べ物含め料理をメモする堀川。

然り気無い…。


「あ、主様の骨…凄く綺麗に取れてます…っ。」
『まぁ、魚食べ慣れてるからね。』
「だが、今時の若者は、魚を食べないと言うじゃないか…っ。それと違って、主はしっかり魚も食べるようで、偉いね。」
『だって、ワテ日本人ですし…?日本という島国、それも九州出身、豊後国出身ですからぁ…?お魚好きですよん?お魚ウマウマ。』
「魚好きってので思ったが…大将って、何処となく猫っぽいよな…。」
『よく言われる。俺自身、自分動物に例えるなら猫だと思ってるから。』


そうこう話している内に、鮭の切り身を平らげ、ほうれん草の和え物の小鉢を突付き、胡麻と醤油で和えただけの素朴な味に舌鼓を打つ。


「その和え物は、僕が味付けしたんだ。気に入ってもらえたみたいで安心したよ。それにしても、主は本当に美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるね!」
「…おーい、光坊ー?大丈夫かぁー…?」
「…ハ…ッ!」
「君、さっきからボーッとしてたぞ…?何かあったのか?」
「いや…っ!?何にもないよ!?まだ人の身に慣れてないのもだけど、朝起きたのが皆より早かったせいかな?ちょっと眠かっただけだよ!心配してくれてありがとう、鶴さんっ。」
「光忠…おかわり。」
「嗚呼っ、お味噌汁のおかわりだね!ちょっと待ってて…っ、今注いでくるから…っ。」


自分の食事が途中なのも構わず、大倶利伽羅の味噌汁のおかわりに席を立った光忠は、そのままお椀を持って厨の方へ。

何だか少し様子の可笑しかった彼に、首を傾げた鶴丸だった。


(彼女の沽券に関わる事だもの…不用意に喋ったりだなんて出来ないよ…。)


一人厨におかわりを注ぎに来た光忠は、誰も居ない所で、こっそり溜め息を吐くのであった。


『あっ、光忠おかえり…!お味噌汁美味しかったよっ!』
「え…っ?」
『今日のお味噌汁、光忠が作ったんでしょ?歌仙に聞いたよ。まだ顕現されて間もないのに、こんなに美味しいお味噌汁作れるなんて凄いね!流石、元の主が伊達政宗公なだけあるよ!』
「…え、えっと、あ、ありがとう…っ。」


厨から戻ってきたところに、開口一番に彼女からそう言われた光忠。

すると、照れたように頬を掻いて礼を述べ、顔を俯ける。

そこへ、ひらひらと舞う誉桜が、ちらほらと彼女の頭の上に散っていく。

刀剣男士特有の喜び表現である。


「昼餉も頑張って作るね…っ!」
『うんっ。楽しみにしてる!』


にぱっと笑った笑顔を見て、あの時会話していた二振り…薬研とにっかりが穏やかに笑んでいた。


(これで、大将も気を許せるようになるな…。本当に良かったな、大将。アンタ自身の刀が出来て…。)
(彼が来た事で、彼女の笑顔を早くも見る事が出来たよ。やはり、君には笑顔が似合うと思うよ…。にっかりとした、表裏無い純粋な笑顔が、ね。)


彼女が、初期刀の彼と共に、この本丸に馴染み切るのは、そんなに遅くはないであろう事に、皆は一安心しつつ、優しく見守っていくのである。


―時は移り、場所を審神者部屋。

部屋には、これまでずっと政府中を駆け回り、彼女の身体変化について調べていたこんのすけが、帰還し、報告をしていているところだった。


「…と、いう訳で、報告は以上になります…っ。」
『そうか…。俺と似た事例は幾つかあれども、何れもハッキリとはしないんだね…。解った。調べてくれてありがとう、こんのすけ。他の審神者さんも、似たような変化があったりしたって事が解っただけでも、助かるよ。』
「あまりお役に立てず、申し訳ありません…。」
『良いんだよ。それより、疲れたろう?ほとんど休まずに動いてたなら、お腹も減ってるんじゃない…?光忠特製のとびっきり美味しいお揚げを用意してるから、それ食べて、ゆっくり休みな。』
「そっ、そんな…っ!僕なんかの為に、わざわざ用意だなんて…!」
『だって、こんのすけはしっかり働いてくれてたんだから、その分のお返しはしなきゃね!』
「あ、ありがたき幸せ…っ!主様のような主を持てて、僕は嬉しいです…っ!!」


軽く涙目で頭を下げたこんのすけの頭を優しく撫でる律子は、良い主だ。

中には、政府からの遣いだからと無茶苦茶に扱ったり、それぞ、動物虐待のような扱いをする審神者も少なくない。

現に、少し前の当本丸も、ブラック本丸であったが為に、前任はかなり酷な扱いを受けていたようだ。

政府内でも、ブラックな一面は存在するのだ。

それ等を知る後任の彼は、涙する程感極まり、最終的にはマジ泣きしながら特製お揚げを食したと言う…。

涙故に、その味は、少し塩加減が増してしょっぱかったようだ。


―話は変わり、初期刀を顕現させるのに成功した彼女は、本格的に審神者としての勤めを果たすべく、審神者のお仕事を開始する事にした。

開始するという事は、これまで体調を考慮したりなどで出来ていなかった故に溜まっていた書類達が、山のように出現するという事なのである。

事実、今、彼女が目にする目の前の光景は、部屋いっぱいに広がる書類の山、山…。

こんのすけを休める為に、こんのすけが食べた後の皿を片付けるのに、少し部屋から離れている間に起こった現象である。

凄まじい変わり様だ。

それにしても、多過ぎやしないだろうか?


「主がこの本丸を引き継ぐって決まる前からの書類に、本丸引き継ぎについての書類諸々…今日中に政府に提出しなきゃいけない物も含めて、まだあるかんね。」
「どれが優先順位かなどは、此方で仕分けさせて頂きましたので。後は、主が目を通してサイン、又は押印してくだされば良いですよ。まぁ、その量も半端ではございませんが…。」


所々に付箋なんかを付けた書類の塊を抱えて運んできた二人が、それぞれに喋る。

上から、清光に長谷部だが、その言葉は淡々としている。

彼等は、悪までフォロワーであり、補助なのだ。

故に、実際に全てを処理し、片していくのは、審神者である律子自身なのである。

あまりの量に、思わず引き攣った笑みを浮かべ、視線だけを向ける律子。

本日の近侍を任せられた光忠も、呆然と部屋の変わり様を眺め、唖然としている。


「もしかして…コレ、全部処理しなきゃいけないの……?」
「全部だね。」
「全部だな。」
「…今日中に、全て……?」
「いや、中には、明日以降の期限のもあるから。取り敢えず、今日中に提出しなきゃいけないのを優先してこなしていけば良いんじゃない?」
「一応、どの書類を一番優先しなくてはならないのかというのは、付箋で分けているから、最も優先すべき物から終わらせれば済む事だろう。」
「…だってさ、主…?」


視点を下げた先で、目ん玉開いたままで思考停止する律子を見遣るが、既に生気を失ったような顔をしている。


「えーっと…大丈夫…?」
『……今すぐこの場から即行逃げたい…。』
「駄目ですよ、主。」
「そうだよ、主〜。逃げれば逃げる程増えてくだけだから、根気強く耐えるしかないよ?」


まさかの味方は居らず、逃げ道も無いようだ。

思わず、後ろの光忠を顧みた彼女だが、しかし、縋るような視線を向けられても、その意には応えてやれないのが現実なのである。


「一先ず…地道にこなしていこっか。」
『この世に楽園は無いのか…?』


改めて、審神者という仕事の辛さを突き付けられた律子であった。

…南無。


執筆日:2018.01.14