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我が主



あれから、書類作業を開始して、かれこれ数時間は経過した頃だった。

未だ終わりの見えなさそうな量の書類をこなしていると、ふいに審神者部屋の戸がトントンッ、と外から叩かれた。

誰かが主の元を尋ねに来たのだろう。

光忠が「どうぞ。」と短く声をかけてやると、「入るぞ。」と小さな声が返ってきた。

程なくして、開かれた襖に姿を見せたのは、なんと、大倶利伽羅だった。

彼は、変わらず無愛想な無表情の顔をして、淡々と話し始めた。


「昼飯が出来たから呼びに来た…。」
「えっ!?もうそんな時間…っ!?やば…っ、僕、厨当番だったのに、すっかり忘れて…っ!」
「俺が代わりにやっといた。お前は、今日、主の近侍で忙しいだろう…。それに、光忠は、まだ顕現されて日が浅い…。時間の感覚が解らなくても無理はない。気にするな。」
「ありがとう…っ。それと、ごめんね…?本当は、僕の仕事だったのに…っ。夕飯は、ちゃんと間に合うよう作るから…!」
「歌仙達も、お前が忙しいのは理解している…。無理にそっちに時間を割かなくても良い。お前は、今日中にこなさなきゃならない書類の方に集中しろ。後は、俺がやっておく。」
「伽羅ちゃん…。本当、何から何までごめんね…?」
「構わん…。俺は、この本丸には古くから居る。ある程度、世話をするのには慣れている…。馴れ合いは嫌いだがな。」


そう言いつつも、しっかり馴れ合っているのだが…今は、敢えて言わないでおく。

彼が来ても尚、机上に向かったまま集中している彼女の様子を見遣り、此方側の事に気付いていないと見るや、スタスタとそのまま彼女の元へ歩を進めた大倶利伽羅。


「伽羅ちゃん…?」


何をするのか様子を窺っていると、唐突に彼女の頭を軽く小突いた。


「ちょ…っ、伽羅ちゃん…っ!?」
「おい、飯だ。早く来い。」


突然の暴挙に、光忠は慌てるも、小突かれた事で漸く彼が呼びに来ていた事に気付いた律子が、少し驚いたような表情で振り返る。


『吃驚したぁ…っ。伽羅か…。どうした?』
「飯だ。さっさと来い。皆を待たせるな。」
『あぁ…、もうそんな時間…っ。かなり集中してたから、飯の存在、すっかり忘れてたわ…。』


光忠と同様、又は、それ以上に集中していたらしい律子は、彼と同じような言葉を零し、手を止める。

若干聞き捨てならない台詞が聞こえた気はしたが、歌仙や長谷部等とは違って口煩くない大倶利伽羅は、とやかく言ったりはしない。

ただ本当に彼女等を呼びに来ただけだったのか、話が済むと、用は済んだとばかりに部屋を出ていく。

だが、素直に優しくなれない彼は、少し行った先の所で、ちゃんと付いてきているのか待ってくれていた。

可愛い奴か。


「伽羅ちゃんったら…待ってくれるなら、言ってくれれば良いのに…っ。」
『素直じゃないんだろ…?慣れた。』
「取り敢えず…わざわざ伽羅ちゃんが呼びに来てくれた訳なんだし、お昼、食べに行こっか。」
『うん。意識したら、何か腹減ってきたし。』


せっかく待ってくれているのを待たせるのは悪いと、二人して一時作業を中断させ、お昼タイムとする事に。

階段下で待っている大倶利伽羅の元へ行けば、無言で歩き出す。

広間へ着けば、すっかり揃いきった皆が、今か今かと待ち侘びていた。


『ごめんね、皆。待たせちゃったかな?』
「いや?丁度今皆揃ったばっかりだし…。冷めない内に食べよ?」
『うんっ。そんじゃ、いっただっきまぁーっす!』
「主…、その前に手を洗おうね?」
『あっ。うっかり…。すまんすまん。』


食事をする前のマナーの手洗いをし忘れている事を歌仙に指摘され、慌てて手を洗いに流し場へと行く律子。


「書類に追われて忙しかったのは解るが…、食事時くらいはしっかりして欲しいな。」
「まぁ、あの量だったからねぇ…。無理もないよ。書類の事で頭がいっぱいになっても。」


作法や礼儀にうるさい歌仙が、思わず小言を漏らすが、今の彼女の現状をよく理解する清光が、それをフォローする。


『よっし、手も洗い終わった事だし…っ。改めて、いっただっきまぁーす!』
「あの、お食事中大変申し訳ないのですが…っ。少々気になったのでお訊きしますが、今の書類の進捗状況は如何に…?」
『ん…?うーん。はっきり言って芳しくはないよねぇ…。今の現状から言うと、徹夜も覚悟して頑張らないと終わんないかな?たぶん、晩飯食う余裕も無いかも…。』
「そんなに半端ない量なのか?その書類とヤツは。」


箸を付け始めたばかりで、深刻な顔をして問うてきた長谷部の言葉に、あっけらかんとした調子で答える律子。

嫌にあっさりと口にするが、彼女的に危機的状況なのは事実である。

最早、諦めを通り越して、動じなくなったか。

鶴丸からも問いかけが飛んできたが、それは意外にも、大倶利伽羅が答えた。


「嗚呼。俺は、実際にこの目で見てきたからな…。凄まじい量だったぞ。」
「そ、そんなにか…?」
「部屋を見てみれば解る…。部屋中、紙という紙の山で埋め尽くされていたからな。」
「ま、マジか…っ。光坊は、そんな惨状の中、その書類とやらに向かい合わねばならないのか…っ?俺には出来んな…。耐えられる自信がないぜ。」
「ははは…っ。終わる兆しが見えないよね…。」


軽く遠い目をして箸を進める光忠は、顕現したばかりというのに、ちょっと哀れである。

隣で食事をする鶴丸が同情の視線を向ける。

何やら吹っ切ってしまった律子は、さかさかと食事を済ますと、「ご馳走様ー。」と箸を置いて、手早く食器を片付けに行く。


『そんじゃ…っ、私作業あるから、先に部屋戻るね?』
「えっ!?あっ、ま、待って主…っ!僕も行くよ…っ!!」


いつの間に食べ上げたのか、慌てて自分も御飯を掻き込むと、ドタバタと自分の分の食器を片付けに行く。


「食事くらい、ゆっくりしたらえいじゃろうに…。」
「そうもいかない程、時間に追われてるんだろう…?気が急いても仕方はない。」
「大丈夫だろうか、主は…?心配だな…。」


彼女のせっつき様に、心配した他の初期刀組がそれぞれに言葉を呟くが、それを聞く本人はもうこの場には居ない。

昼食を摂り終えたら、作業再開で、再び書類に向かい合うだけの時間が始まる。


『……ったく…、政府も政府だよな?タイムスリップ出来るくらいスゲェ技術ある癖に、こういう事務作業はアナログなんてさ…っ!ちょいちょいデジタルなら、もういっそ、全部デジタルにしてくれりゃあ良いのによ…っ!!何が、二二○五年だよ!?だったら事務作業もハイテクにしとけよ…っ!!』
「あはは…っ。主が疲れたあまりに、とうとうぶっちゃけちゃった……っ。」


「うがーッ!!」と怒り声を上げ始めた彼女に、疲れた声でそう漏らした光忠の目は、相当疲れている。


『…光忠、お前ちょっと休め…。あれから一度も休憩してないだろう?俺は現世で社畜やってたから、まだ良いけど…。お前は顕現されてから日が浅いんだから、無理すんな。アレだったら、後は全部俺がやっとくから。元々俺がやんなきゃいけない書類なんだし。』
「主が休んでいないのに…近侍の僕なんかが休んでなんていられないよ…っ。僕の事は気にせず、主の方こそ休憩したら…、」
『駄目だ。今すぐ休め。主命だ。良いな…?』
「ゔ…っ。わ、解ったよ…。」


本来なら、あまり使いたくはない方法だったのだが…頑として動きそうになかったので、審神者権限を実行し、主命を発動させた律子。

流石に、そこまで言われてしまえば従うしかない為、大人しく引き下がった光忠は、持っていた印を置き、重い腰を上げる。


「それじゃあ…、ちょっとだけ、休憩させてもらうね?」
『おう…っ。ちょっとじゃなくて、しっかり休んでこい。』
「うん…。ありがとう、主…。僕の代わりに、お茶持ってきてもらえるよう頼んどくね?」
『んーっ。』


それだけ返事を返すと、後は書類へ向かい、背を向ける。

主たる者、部下に弱い姿は見せない。

その様子を目の当たりにした彼は、改めて、人という生き物の偉大さを感じるのだった。

彼が部屋を出ていってから、暫くして、作業の片手間に飲めるよう、マグカップにお茶を淹れて持ってきた長谷部が、部屋へとやってきた。

ついでに、疲れた脳味噌に糖分も摂取出来るよう、軽く摘まめる茶菓子も持ってきたようで。

手が汚れぬよう、袋で包装された丸ぼうろが一緒に添えてあった。


「主、なかなか休憩も取れぬと思い、お茶をお持ちしましたよ。どうぞ、作業の片手間にお飲みください。」
『嗚呼…、ありがとう。そこ、置いといて…。』
「はい。僭越ながら、疲労も大分キテいるのではないかと思い、甘い物をと、茶菓子も付けさせて頂きました。手を汚さぬよう、そのまま召し上がれる物ですよ?本日のおやつだそうです。」
『ん…っ。後で食べとく…。』
「それでは、俺は、失礼しますね。」


作業の邪魔にならぬようにと、さっさか用を済ませて出ていく長谷部は、丁寧なお辞儀をしてから部屋を出ていく。

そのまた暫くして、入れ替わりのように彼女の元を訪れた宗三。

静かに戸を開けると、丸ぼうろ片手に書類を手にする律子の姿があった。


「今日の夕餉の事ですが…どうされます?」
『あー…っ、食べる暇無さそうだから、パスするわ…。』
「ですが、何も食べない訳にはいかないでしょう…?ちゃんと食べないと、身体に悪いですよ。」
『ゔーん……っ。じゃあ、お握りか何か握ってもらっても良い…?お握りなら、作業の片手間にでも食べれるから…。』
「解りました…。では、厨当番の者に、そう伝えておきましょう。」


軽く溜め息を吐きながら頷いた宗三は、そっと戸を閉めて、部屋を出ていく。

その外で、階段の途中場で手摺に背を凭れた清光が、彼の方を見上げて問うた。


「主は、何て…?」
「夕飯は要らないそうですよ…?まぁ、それじゃあ身体に悪いと進言したら、せめてお握りなら、と了承を得てきました。」
「そんな事だと思ったよ…っ。全く、主も無茶するよね…。つっても、あの量は流石に酷だけどさ。」
「仕方ありませんよ。体調を気遣っての事だったんですから。」
「…提出期限の引き延ばしって出来ないかな…?」
「さぁ…、こんのすけに訊いてみてはどうです?」


主を支えるが為、裏方で頑張る刀剣男士等なのであった。


執筆日:2018.01.15