―時は変わって、審神者部屋…。
あれから、更にヒートアップした彼女は、猛烈なスピードで書類を仕上げていた。
机の傍らには、空になったラップが、くしゃりと丸められて転がっていた。
(今やってるこれが終われば最後っ!今やってるこれが終われば最後…っ!)
ガリガリと動かしていた手が、最後の文字を書き上げる。
瞬間、ガタリッ、と強い力で置かれた筆に、掲げる書類。
『ラストッ、終わったどぉー…ッ!!』
勢いのまま、またとなく後ろにぶっ倒れる彼女。
その手には、今しがた終了した書類が。
やり切った感満載の顔で、伸び切った。
『後は、これをこんちゃんにお願いして、政府に提出してもらえば任務完了…っ!一応、不備は無いかチェックしてもらってからにしないと…っ。』
力の抜けた身体を何とか起こし、こんのすけを喚ぶと、提出する分の書類を預ける。
彼が居なくなれば、あとは自由だ。
『無事、日付が変わる前に提出、成功だどん…っ。』
力尽きたのか、机上の置き時計に手を伸ばしたまま、沈没する律子。
時刻は、既に十一時半を回っている。
すやすやと寝息を立てる彼女の部屋に、そっと入ってくる影があった。
本日の近侍であり、彼女の初期刀の光忠だ。
「…お疲れ様、主。よく頑張ったね…。」
寝る前に様子を見に来た、寝間着の浴衣姿の光忠が、ブランケットを彼女の肩に掛けに来たようだ。
疲れ切って寝落ちしてしまった彼女は、机の上に突っ伏したままである。
「ゆっくり休んでね…?」
すやすやと寝息を立てる律子の頭を、彼は優しげな手付きで撫でる。
その眼差しは、とても慈しみに満ちている。
柔らかに撫でられる彼女は、既に夢の中だった。
そっと手を離すと、ブランケットの上から、己の内番服の上着を掛ける。
音を立てぬように部屋から出れば、入ってきた時同様に、そっと戸を閉める。
皆は、既に寝静まっている。
「…良い夢をね。」
彼女の部屋の明かりは、今は消されて、薄暗い。
唯一付いているのは、小さな蛍光灯のランプだけだった。
―翌日、律子は、机の上で目を覚ました。
書類を提出し終えた途端に、電池が切れたように沈没した為か、変な体勢のまま寝てしまっていた。
おかげで、身体はギッシギシと音を立て、おまけに、枕にしていた両腕は痺れてビリビリの状態だった。
散々な寝起きである。
『し…っ、しびびび…っ!腕が…っ、めっさ痺れとる…っ!』
「ほあああ…っ!」と情けない声を上げながら起きた律子は、一番痺れた、腕枕で下の方にしていた腕を押さえて悶え苦しむ。
その時、背を起こした拍子に、肩から何か、ぱさりと落ちる。
その音に、後ろ背に振り向くと、紺色をした見覚えのあるジャージの上着が落ちていた。
『あれ…?これ、光忠の物じゃない…?』
くるりと座っていた向きを後ろ向きに変えると、肩より掛けていたブランケットがずり落ちる。
それにより、ブランケットも掛けられていたという事に気付いた彼女が、目を瞠る。
『ブランケット…っ。まさか、これも一緒に掛けてくれてたのか…?』
落ちたブランケットを手に取り、引っ張って眺め見る。
目を瞬かせながら、それをぽとりと落とすと、今度はジャージの方を手に取る。
広げて見てみれば、紺色の布地に、赤のラインが。
そして、肩口には、黄色い、鳥の羽根のようなマークがある。
間違いなく、光忠の物である内番服の上着であった。
『いつ、この部屋に来たんだろう…?』
掲げていた腕をゆっくり下ろすと、何の気無しに、ぎゅ…っと腕の中の物を抱き締めた。
すると、温かい、光忠の匂いがほんのり香った。
『…何だか、落ち着く匂いだにゃあ……っ。』
沈没してしまう程疲れていたせいか、再び眠気の来た律子は、彼の上着を大事そうに抱き締めて、ころりと横になる。
中途半端に、片側の肩にブランケットを引っ付けたまま、猫のように丸まって寝転ぶ律子。
この部屋に流れる時間は、穏やかだ。
今暫くは、誰かが起こしに来るまで、この微睡みに身を任せていようと思う律子なのであった。
―数刻して。
昨晩、彼女へと掛けた内番用の上着を取りに来た光忠は、まだ起きていないだろう彼女の部屋を訪れていた。
(主…、きっとまだ眠ってるよね。まだあのまま眠ってたなら、お布団へ運んであげた方が良いよね…?だって、あの体勢のままだったら、身体痛くなっちゃうもん…っ。)
そんな風に思いつつ、朝餉はどうしようかなぁ…、と考えながら、彼女の部屋の戸を開けた時だった。
「…え…っ?ぇええ……っ!?」
思わず驚いた光忠は、ガタリッと物音を立ててしまい、慌てて部屋の中に入り、開いていた戸を閉める。
「主ったら……なんて可愛い事を…っ。」
思わぬ光景を目にし、嬉しいやら気恥ずかしいやらで複雑な気持ちになる光忠は、口許を覆って顔を逸らす。
何で、ブランケットをちゃんと着ていないのか。
何で、僕の上着を抱き締めて眠っているのか。
言いたい事は、色々とあったが…喉まで来ていた言葉を飲み込み、はぁ…っ、と溜め息を吐いた。
「一先ず…一度、主の事、起こした方が良いよね…。」
起こすのに、凄く忍びないけど…。
そう思いつつも、歩を進め、彼女の元へ腰を下ろす。
「主…、起きて…っ?」
先日の時のような事にはならないように、なるべく、優しく優しく彼女の身を揺さぶる。
すると、眠りが浅かったのか、すぐに目を覚ました律子が、ゆるりと目を開いた。
「あ…っ。おはよう。昨日はお疲れ様だったね…?」
まだ夢心地なのか、ぼんやりと寝惚けた様子で彼の方を見遣る。
『…ん…、みつただ…?』
「そうだよ、僕だよ。取り敢えず…その腕に抱いちゃってる物を取りに来たんだけど…、返してもらっても良いかなぁ…?」
『う……?抱いてる物…?』
きょとりと首を傾げると、ふと腕の中にある物を見遣った律子。
暫し、ボケーっとした様子で眺める。
そして、気付いた律子が覚醒し、慌てて跳ね起きて、ジャージを掴んだまま、彼の方を見た。
『あ…っ!あの…っ、コレは違…っ!断じて、抱き枕とかと勘違いしたとかじゃあなくて……ッ!!』
「うん…っ、解ってるよ主…?だから、慌てなくても良いよ。」
見れば、恥ずかしそうに仄かに頬を染めているが、その表情は、どこか嬉しそうだ。
何ちゅう事をやらかしてしまったんだ…っ!!
幾ら、眠くて寝惚けていたとはいえ、やらかした事のやらかし具合が半端ない上に、こっ恥ずかしい。
わたわたと慌てて返すも、未だ身体は寝惚けているのか、変によろけてしまった。
すかさず支えた光忠が、安堵の溜め息を吐く。
「昨日は、ぶっ通しで作業してたんだもの…。疲れが残ってても無理はないよ。おまけに、あのまま寝ちゃってたしね。」
『うぅ…っ、ごめんなひゃい…っ。』
「朝餉が出来るまでには、まだ時間はあるから。それまでゆっくり寝てると良いよ。出来たら、また起こしに来るから。」
『あい…っ。お願いしや〜す…っ。』
もそもそと軋む身体を何とか動かし、己の布団へと潜り込んだ律子。
元々眠たかったのか、数秒した後には、スヤァ…ッ、と夢の世界へ旅立っていくのだった。
「よっぽど眠たかったんだね…っ。随分お早い寝付き様だ。」
クスリ、と笑った光忠は、今度こそ、電気を消して部屋を出ていく。
「おやすみ、主。ゆっくり休んでね。」
部屋の外から告げた言葉も、昨晩と同じような台詞だ。
そっ、と静かに階下へ降りていくと、一度だけ、上の方を見遣った彼。
(たぶん、朝餉の時間になっても、主…起きないよね…。主の分だけ、別に避けておいて、ラップを掛けておいたら良いかな…?少しだけ、ゆっくり寝かしておいてあげよう。)
頭を正面へ戻すと、来た道を戻っていく光忠。
「あ…っ。あと、鶴さんが変に悪戯仕掛けないように見張っとかなきゃ…。」
抜け目ない彼は、後の本丸の保護者勢に成り得るのである。
執筆日:2018.01.17