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命令



『おはよう〜……っ。』


朝餉の時刻をとうに過ぎた頃になって、漸く起きてきた律子。

昼餉にはまだ早いが、朝餉というにも遅い時間である。


「おはよう、主。よく眠れた?」
『うん…。そりゃもう、ぐっすりと…。完全に爆睡してたわ…。おかげで、朝餉の時間をとうに過ぎてもうたわ。』
「仕方がないよ。昨日は、夜遅くまで頑張ってたし、そのまま寝落ちしちゃってたもんね…っ。お疲れ様、主。よく頑張りました!」
『ん…。あざぁ〜っす、みっちゃん…。』
「(みっちゃん…っ。まだ寝惚けてるのかな…?)主の分の朝御飯、取っておいたよ。食べるでしょ?」
『うん。長い事寝てたから、腹減った。』


寝起きだからか、些か間伸びした口調で話す律子。

しっかり眠りはしたものの、最初の寝方が悪かった為に、身体はあまり休まっていなかったようだ。

故に、一度起きてから寝直したと言えども、まだ眠気が残るようである。

寝足りない感じなのだろう。

若干、目が眠そうだ。

光忠は、そんな彼女を気遣ってか、今朝の早朝での出来事については一切触れずに振る舞った。

彼女自身覚えているかどうか定かではないから…、というのが彼の最もな理由ではあるが。

敢えてそっとしておこうと、己の心の中だけに閉まっておく事にした光忠。

温め直した朝餉を、居間の食卓の端に並べる。

何故、端っこなのかというと、彼女だけしか食事をする者が居ないからと、貧乏性的性質からだった。


『わ〜…、今日の朝餉も美味そうなのがいっぱいや〜。』
「しっかり朝御飯食べて、今日も一日頑張らなきゃね!」
『朝飯言うにゃ、大分遅い時間やけどなぁ…。』
「まぁ、それはそうなんだけどね…っ。」


彼女の最もな言葉に、苦笑いを浮かべて返す光忠は、少しだけぎこちない。

対して、そんな彼の変化に気付かない彼女は、ポヤ〜ッとした様子で食事を始める。

もきゅもきゅと口を動かす様は、まるで動物のように見えて、何とも愛らしい。

眠たげな感じも相俟って、愛らしさが倍増中である。


(あんなに勇ましいというか、男の子っぽく振る舞ってたかと思うと、ちゃんと女の子らしいというか、無防備…いや、単に気を抜いてるだけかな?構えてない姿を見れるっていうのは、嬉しいよね…。)


彼女がこの本丸に来てからの来歴を鑑みれば、相当な物の差である。

何しろ、訪れた当初は、殺伐とした空気ビンビンで、如何にも、殺されるか否かの境目のような状態の本丸で。

其処へ、何も詳細を聞かされていない状態で放り込まれ、挙げ句の果てには、戦経験も無い平凡そのものの人間が人外との戦闘へと巻き込まれ…色々と頭の痛い話があって、最終的な流れで今にまで至っている。

彼女の精神的負担を考えると、相当な負担を期している筈なのだ。

それでも、彼女は一つも弱音を吐いていないらしい。

そんなところが、彼女の性分なのかもしれないと薄々感じ始めてきた光忠は、彼女が頑張り過ぎて無理をきたさないよう、しっかり見ておこうと密かに胸の内だけで思った。

心を壊してしまう前に、倒れてしまう前に、支えて側に居てあげられる刀になれるように…。

美味しそうに料理を口に運んでいく彼女を見遣りながら、彼はそっと決意するのであった。


(僕は…、何があっても、彼女を護ろう。彼女の生きていく為の支えになれるように。彼女が、審神者として立っていけるように。彼女が…悲しみで頬を濡らさないように。僕は、彼女の唯一の刀…。どんな事があっても、必ず君を護り抜くよ。)


―ふわり…、小さな小さな光の粒子が、何処とも知れぬ内に宙を舞った。

まるで、何かが、何処からか彼等を見守るかのように。


少しばかりズレた時間に朝餉を摂ったにも関わらず、皆と同じ時間に揃って昼餉を摂っていると…。

昨夜の政府への書類提出から帰還したこんのすけが、遅れた様子で昼餉に参加してきた。


「おはようございます、主様。もう、こんにちはの時間ではありますが…。」
『うん、おはよう、こんのすけ。お勤めご苦労様っ。昨日は、夜遅い時間に提出させちゃってごめんね…?』
「いえ、それが僕の務めですから…っ!」
『それでもだよ。ありがとね、こんのすけ。さっ、一緒に御飯食べよ?』
「…っ、はい!では、ご一緒させて頂きますね…っ。」


働いてきた度に、労いの言葉をかけてくれる優しさに満ちた主に、彼はまたとなく円らな瞳を潤ませるのだった。

そうして、政府の遣いである管狐も仲良く食事風景に参加していると、食事を終え、後片付けに入った頃合いに、真剣な面持ちで話を切り出した。


「それで…、本日の午後からのご予定の事なのですが…。」
『うん…、何かあるのかな…?』


どうしてそんなトーンで切り出すのだろうと、小さな狐の身をしたこんのすけを見遣る。

こんのすけは、言葉を詰まらすような様子で、言葉を切り出した。


「本日、午後より、当本丸へ出陣命令が下されました。部隊を整え次第、彼の地へ刀剣男士達を向かわせるよう、政府からのお達しです…。」


途端、部屋に集まっていた皆は、一斉にざわつき始める。

その中でも、まだ出陣という事を行った事の無い彼女を憂いて、心配そうな顔を向ける数振りの刀達が居た。

当本丸で初期刀に当たる、清光と光忠に、初期刀組としてのメンバーに挙げられる、山姥切と歌仙、そして、陸奥守と蜂須賀だった。

彼等は、彼女がどう反応を示すのかが不安だった。

何せ、彼女は戦を知らない時代から来たのだ。

いざ、「戦だ、出陣せよ。」と言われても、恐怖や不安以外に感じるものなどあるだろうか。


『…出陣……。』


彼の言葉を飲み込むように、言葉を復唱した律子。

突然として突き付けられた、審神者としての責務に、彼女は呆然とした様子で佇んでいた。

出陣とは、主たる審神者が、己の指示で刀剣男士等に命令を下す事である。

即ち、彼女の判断が、出陣した先の彼等と戦を左右するのである。

それは、重くも恐ろしい、審神者となっては、何時かは来るべき責務であり、遣らねばならぬ仕事だった。

先程までの和気藹々とした空気は何処へ、今や緊張に満ちた空気へと変わっていた。

笑みを浮かべていた筈の彼女からも、その表情は消え、顔色は青白くなっている。


「…此れは、審神者として成さねばならない、重要な務めです…。それと、此れは、政府からの命令です。拒否を示す事は、命令に背く事…即ち、政府の意向に逆らう事になります。政府からの命令は絶対です…。逆らえば、処罰の対象となり兼ねません。」
『…うん、解ってるよ。大丈夫、そう心配しないで…?どう指示したりすれば良いかは、知識としては、色々かじってて知ってるから…。大丈夫…、ちゃんと出来るよ。』


まるで自分へ言い聞かせるように返した律子。

その表情は、不安定に揺らいだもので、上手く顔を作れないから、無のように見える感じのものだった。

言葉にも、覇気を感じられず、自信が無い様子は明らかであった。


「主…、」


心配した様子で、彼女へ清光が声をかけた。

すると、律子は、一度ス…ッ、と顔を俯かせる。

そして、再び顔を上げて、引き締めた表情で言った。


『解った。此れより、汝は、速やかに部隊編成を行い、刀剣男士達を彼の地へ出陣させます。報告のあった時代と場所を教えてください。今までから現在に至るまでの部隊編成が解る者は、資料を持って審神者部屋まで来てください。それから、部隊が決まり次第、居間に集まってもらいますので、各自それぞれに待機していてください。尚、最も知識を有すると思われる初期刀の皆様は、会議に参加してください。意見を募りたく思います。』


モードを仕事モードに切り替えた律子は、審神者たる者として、各々に指示を下し始めた。

一寸前の憂いた様子など欠片も感じられない様子である。

そんな彼女の変わり様に戸惑いを隠せない皆は、動揺した様子で狼狽えた。

様子を見兼ねた長谷部が、パンパンッと小気味良く手を叩き、声を出した。


「ほら、さっさとしろ…っ!主からの命令だ!ぼさっと突っ立ってないで、動け!愚図共が…っ!!」
「ちょっと…、何なの?その言い方…?」
「流石に…、今の言い方はどうかと思うよ?長谷部君…。」
「喧しい!こうでも言わんと貴様等動かんではないか…っ!」


言い方に難はあるものの、彼の一言により、動き出した皆がぞろぞろと部屋を出ていく。


「ぼくは、もっともさいきんまでしゅつじんしていたかたなだったので、あるじさまについていきますね!」
「俺っちも、何かと参考になるかもしれんだろうから、参加するぜ。」
『ありがとう、助かるよ。何せ、初めての事だからな…。解らない事があったら、色々と訊くと思うし。そっちも、疑問に思う事とか気になる事とかあったら、遠慮なく言ってくれ。』
「嗚呼、そうさせてもらう。」
「あるじさまのために、ぼく、いっぱいきょうりょくしますね!」


画して、部隊編成を行う事になった一行は、審神者部屋へと向かうのであった。


執筆日:2018.02.04