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不安要素



出陣していた部隊が全て帰還した事で、漸く安堵出来ると心の底から溜め息を吐き出した律子。

審神者部屋の床の間に在る、誰が飾ったか解らない花を、何の理由も無しにただ卓越しに眺めた。

ボケェーッと無言で思考を停止させていると、小さなノックと共に部屋の襖が静かに開かれる。


「主、お茶が入ったよ。ついでに、食いっぱぐれちゃってた御飯も、堀川君達が気を利かせて僕達の分避けててくれてたから、温め直しておいたよ。皆が無事帰ってきてホッと安心したし、お腹空いたでしょ…?冷めない内に食べよう。」
『あ、うん。ありがとう。今行くね。』


卓上に付いていた頬杖を解き、ゆるりとした動作で立ち上がり、入口の処で待つ光忠の元へと行く。

明らかに張っていた緊張の糸が解れた様子の彼女を見て、柔らかに微笑む光忠。

彼女が出てきた襖を閉めると、そっと寄り添い、階下へと降りていく。

広間へと向かえば、出陣から帰ってきた者達がゆったりとお茶を飲み、寛いでいた。


「おっ、主…!待ってたぜ!改めて、ただいまだぜ!!」
『おーっ、おかえり皆…!そんでもってお疲れ様でした!第一部隊も第二部隊も、大した怪我なく帰ってきてくれて、本当に良かったよ!でも、その分無理というか、気遣わせちゃったよね…っ。ごめんね。久し振りの出陣だっていうのに、思いっ切り戦わせてあげられなくて。』
「そんなん気にせんでえいちや〜…!わし等を出陣させてくれただけでも、十分嬉しいぜよ!!」


獅子王の言葉に、改めて無事帰還してきてくれた事への労いと謝罪を口にした律子。

しかし、その言葉に返してくれた陸奥守の言葉は優しさに満ちていた。


『あ、陸奥守、傷治ったんだな。良かった良かった…っ。』
「おんっ!この通り、もうすっかり治ったぜよ!手入れしてくれてありがとうの、主…っ!!」
『どういたしまして。』
「それにしても、大将の慌てっぷりといい、剣幕っぷりには驚いたぜ…?何せ、怒ると同時に心配すんだもんな!おまけに、怪我人っつったのに、陸奥守の旦那を強制的に引き摺っていくもんだから…笑いが込み上げてくんの堪えるの苦労したぜ。」
「え。そうなの…?」
「嗚呼…アレは、陸奥守が悪い。」
「うんうんっ。」
「ちょ…っ、おまんら、もう済んだ事やき、勘弁しとうせぇ〜…!」


薬研の暴露により、まだ知れていなかった第一部隊のメンバーに伝わっていく情報。

清光の声に、蜂須賀と獅子王が頷いた。

どうやら、第二部隊も第一部隊と同じく怪我無しで帰還する事を目標としていたらしい。

が、その目標を隊長自らなし崩しにしてしまったようだ。

律子が主となってからは初めての出陣という事もあり、皆張り切ってその目標を達成した上での帰還をするつもりだったそうだ。

故に、せっかくの初出陣となったが、目標不達成により、ちょっとだけおこな蜂須賀と獅子王。

なじられた陸奥守は、しょげた空気で顔の前で手を合わせ、皆に謝るのであった。


「あの…ひとつきになったのですが、どうして、ここにふたりぶんのごはんがあるのですか?」


そんな中、広間に入ってきた時点で気になっていたのだろう。

至極当然とばかりに質問してきた今剣は、目の前に置かれた二人前の御飯を指差した。


「あ、それ、俺も思ってた。」
「これは、僕達の昼餉だよ。実は…書類片付けに集中し過ぎて、僕も主もお昼の事をすっかり忘れちゃってたんだ…っ。だから、遅くなっちゃったけど、今からお昼なんだ。」
「ほ…っ!?そら、ほんまか…!?」
「えっ!マジで言ってんの…!?もう三時だよ…!?お昼って言うより、おやつの時間じゃん!!」
『あははは〜…っ。いやぁ…っ、始めは、君達が無事帰ってくるのかが心配でなかなか仕事に手が付かなかったんだけども…。昨日に引き続き、今日中に提出しなきゃなんない書類の数が多くて、ついうっかりねぇ〜。まぁ、頭使えばすぐに腹減るから、大丈夫だって!晩飯の心配はしなくて良いよ…!』
「そういう問題じゃねぇだろうよ…。」
「ごもっともだよ、獅子王君…。僕もしっかりしてれば良かったのにね…っ。」
「ごはんはちゃんとたべなきゃだめですよ、あるじさま…?」
『すんません…っ。いまつるちゃんに言われんのが、一番グッサリ来るわ…!』


昼飯を食いっぱぐれていた事を告げると、出陣していた皆は一様に驚いた様子を見せる。

清光や獅子王からお小言をもらい、反省の色を見せる彼女等は、身を縮こまらせて背を丸めた。


「ほいたら、主は、腹空いちゅーに自分等の事は後回しで、帰還したわし等を出迎えてくれたり手入れしてくれたち言うんか…?」
『うん、そーだね。』
「何も食べていなかったなら、相当腹が空いていただろうに…。俺達の事は気にせず、食べていてくれて良かったんだよ?」
「いや、そういう訳にもいかないよ…。主にとっても、食事や空腹よりも君達の事の方が心配で堪らなかったと思うからね。」
「気持ちは解るが…飯はきちんと食べてくれ。しっかり食っとかねぇと、また何時かみたいに倒れるぞ、大将。」
『オイッス…気を付けまふ…っ。』


もぐもぐと箸を食わえたまま返す律子。

食欲自体は、彼等の無事帰還により通常通りなようだが…先が思いやられる事である。

そこで気付く薬研とにっかりは、内心で眉根を潜めた。


(どうも、彼女は自分の事を蔑ろにする風潮があるようだ…。今回は、ただちょっと御飯を食べ忘れた程度で済んではいるみたいだけれど…。)
(このままいけば、確実に無理をするのは目に見えてるな…。)


賑やかしい喧騒の中、二振りは静かに目配せした。

集まる彼等の輪から一時離脱した二人は、廊下の隅で密かに会話を交わした。


「…君、今回の件、どう思うかい…?」
「ちょっとした程度で済んじゃあいるが…問題は、大将にだけって訳じゃねぇな…。燭台切の旦那の方も、少し注意しといた方が良さそうだ。」
「そうだねぇ…。確かに、彼はまだ人の身を得てから日が浅いから、時間というものに慣れていない事もあるとは思うのだけど…。彼は、彼女に顕現された刀だ。彼女に似て、無理をしやすいかもしれないね。」
「旦那も大将に似て、顔に出さないかもしれねぇからな…。この先、出陣を重ねていく中で、自分の身を蔑ろにしないとも限らない。」
「…彼の保護者にも、一応忠告はしておこうか。」


不安的要素は、じわりじわりと近付いてきているのだった。

遅い昼餉を食べ終えた後は、元居た審神者部屋へと戻り、各部隊の戦績報告を受け、後の戦へと活かす為に近侍に報告書にまとめてもらい、本日提出する書類と一緒に提出する事とした。

という事で、一時、書類片付けは彼女へ一任し、近侍であった光忠には報告書を書いてもらう事になった。

夕餉の時間になるまで、二人はまた部屋へと籠り、作業に没頭するのだった。

夕餉の準備が済み、他の者が揃い始めた頃に、飯が出来たとの旨を伝えに来た山姥切。

性格通り静かに現れ、部屋へ呼びに来た。


「…山姥切だ。入るぞ。」
『はぁーい。どうぞー。』


書類に向き合ったまま返事を返せば、スッと開いた襖に顔を上げた律子。

入口の方を見遣れば、居心地悪そうに立った山姥切の姿が目に入った。


「夕餉が出来たから呼びに来た…。皆もう揃っているぞ。食える状況であるなら、早く来い。」
「うん、解った。わざわざ呼びに来てくれてありがとう、山姥切君。」
『書類散らかしちゃってるから、ちょっと片してからそっちに向かうね。』
「解った…。皆にそう伝えておく。俺は先に行ってるからな。」
『あいよ。ありがとね。』


言うべき事を伝え終わると、被っていた布を引っ張り、そそくさと去っていく山姥切。

まだ彼との仲良しレベルは低いようだ。


『ふぅむ…。これは、何処かで改善する余地有りか…?彼とももっとコミュニケーションを謀って、コミュ力を築かねば…。』
「何か言ったかい、主?」
『いんや、何も。ただの一人言だから気にしないで〜。』
「…?」


首を傾げる光忠であった。


夕餉を終え、今日提出するべき書類も完成させた律子は、明日の内番等を決めるべく、また頭を悩ませていた。


『うーん…。やっぱり、明日からは本格的に出陣や遠征も組んだ方が良いよねぇ〜…。』
「そうですね…。本日、主様の代による初出陣は叶いましたから、これからはどんどん増やしていくべきだと思います。敵方の方の進行は続いていますから、なるべく手を打っていた方が良いでしょうね。」
『だよねー…。敵自体は待ってはくれないんだし、渋ってる余裕もゆっくりしてる暇も無い訳だ。』


書類提出で呼び付けたこんのすけと共に頭を捻る。

粗方のメンバーを書き起こしていくのに紙に仮書きしていた律子は、持っていたシャーペンをコンコンと机に打ち付けた。

うんうんと頭を悩ませながら浮かんだ一つの案を、口にした。


『ねぇ、光忠…。』
「ん…?何かな?」
『明日の出陣部隊の編成決めてたんだけどさ…光忠、明日の戦、出てみる?』
「え……っ?」


思ってもみなかった回答に、一瞬全ての動きを止めた光忠。

再開した後、ぎこちないながらも言葉を絞り出した。


「ぼ、僕が、明日の出陣に…?」
『うん…。この二日間で、大分人の身体には慣れたかなぁって思ったから。』
「確かに、少しは慣れた気はするけども…。良いのかい?僕なんかが出陣しちゃって…。」
『どっちにしろ、近い内には出陣させるつもりだったからね。何時までも、近侍や内番ばかり任せとくのもどうかと思ってたし…。』
「それに関しては、僕も別に構わないのだけど…本当に良いのかなって。」


不安気な表情で彼女の事を見遣る光忠。

恐らく、今日の様子を思い、心配しての事だろう。

律子は、彼の方を見て、柔く笑んだ。


『私の事心配してくれてるんだよね…大丈夫。今日は、初めてだったから、色々と取り乱しちゃったとこはあるけど…っ。明日からは、そういう事無いように努めるから!』
「本当に、大丈夫かい…?」
『う、うん…っ。本当は、そりゃ不安でいっぱいだけど…何時までも出陣させない訳にもいかないし、何より、刀は戦う事が本分…。戦場で振るわれる事に意義があると思うから。』


まだ少し揺らぎはあるものの、確かに、彼女の瞳には決意たる意志がある事が見えた。

真っ直ぐと見つめてくる視線と真摯に向き合う。


「そうだね…。僕達は刀だ。戦って、振るわれる、それが何よりの生きる意味だ。」
『明日の第一部隊、隊長…引き受けてくれるか?』
「オーケー。格好良く決めて見せるよ…!必ず、強くなって戻ってきてみせるから。期待しててね。」
『うん…っ、頑張って!応援してる。』


ほんのりと心に落ちる不安は、蟠りとなって、重くなっていった。


執筆日:2018.05.07