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重傷



一瞬、我が目を疑った。

今、目にしているものは、ただの悪い夢だ…幻だと。

自分が、悪い方向悪い方向とマイナスな事ばかり考えていたから、己が見せた、質の悪い幻覚だと。

しかし、目の前に広がる景色は変わらない。

酷い惨状の光景が目蓋の裏にまで焼き付いて離れない。

だから、思考がまともに理解し、行動を起こすまでが遅れた。


「全く、君も女の子なのだから、少しは慎ましく……ッ、…!!これは、一体どうしたんだい…ッ!?」


彼女に遅れてやって来た歌仙が、小言を漏らしながら後に付いてきたが、玄関先の惨状を目にし、態度を一変させる。


「一体何があったんだ…!?」
「説明は後だ…ッ!!」
「おい、担架はまだかッ!?」
「チ…ッ!もう良い、俺が運ぶ…ッ!!」
「だが、お前も傷が深いだろう…ッ!?」
「此奴に比べたらマシだ…ッ!それに、担架を待つより俺が運んだ方が早い…!!」


慌ただしく交わされる彼等の言葉が、耳を通り過ぎ、脳裏で再生させられる。

顔色は既に無く、顔面蒼白になっていた。

もう、まともな意識は動いちゃいなかった。

ただ、混乱した頭の中、理性だけは冷静に判断を下してくれていた。


『…歌仙は、怪我人の確認と手入れ部屋の準備を…っ。』
「え…っ?けど、君、顔色が酷いじゃないか…!そんな状態の君を放っておくには…ッ、」
『俺の事はどうでも良い…ッ!!怪我人の処置の方が先だ…!!』
「主…ッ!?」


後はもうとにかく必死で、我武者羅だった。

ボロボロで帰還した第一部隊の元へ駆け寄ると、彼等の血や受けた敵の返り血で汚れるのも構わず触れた。


『光忠……ッ!!』
「あ、主様ぁ…っ!」
『お前等、よく折れずに帰ってきてくれた…!もう大丈夫だ、安心しろ!手が空いてる者は、手を貸してくれ…ッ!負傷者を運ぶぞッ!!』
「主…ッ!このままでは、血で汚れてしまいます…!!」
『構わん…!今はそんな事気にしてる場合じゃないだろ…ッ!!おい、片側貸せッ、俺も運ぶ…!!』
「俺一人で十分だ…ッ!アンタは他の奴等を…ッ、」
『良いから貸せ。お前も怪我してんだろうが、無茶すんな…ッ!』


ドスの効いた声で言い募れば、視線は鋭いままだが、怯んだ隙に片側に入り、彼の身を肩に担ぐ。

意識が朦朧とする中、彼女が側に来た事に気付いたのだろう。

呻いた後に、重い目蓋を開いた。


「ある、じ…?」
『嗚呼、俺だ。此処は本丸だ、しっかりしろ。』
「はは…ッ、ごめんね…。こんな格好じゃ、見苦しいよね…ッ。」
『良いから、喋んな。黙ってろ…っ。傷に響く。』
「ぅ、ん……っ。ごめ…ん、ね…ッ。」


ドタドタと急いで廊下を突き進んでいれば、話を聞き付けた内番組だった者達が駆け寄ってくる。


「大将ッ!燭台切の旦那…ッ!!」
『薬研か…!』
「コイツは思ってたより酷ェな…ッ。」
『手入れ部屋の方は…っ?』
「もう準備は出来てる。後は、運び入れるだけだ。」
『解った。じゃあ、薬研は他の奴等の応急手当てを…っ。』
「燭台切の旦那は…っ、」
『光忠は俺がやる。コイツは相当な重傷者だからな。』


有無を言わせず、異論さえ認めぬ強さで言えば、状況を察した薬研は大人しく頷く。

すぐに行動に動かすと、他の者達の手当てに回り出す。

辺りは、かけ声が飛び交っていて慌ただしく、騒然としていた。

手入れ部屋へと彼を入れ込むと、続いて共に運んできた大倶利伽羅も空いていた隣の部屋へと押し込む。

俺は良いとかぬかされたが、問答無用で強制的に押し込んだ。

重傷手前の中傷者が何言ってんだ。

傷が深く、怪我の酷い者には手伝い札を使い、出来る得る限りの迅速な治療と手入れを施した。

粗方の負傷者を運び入れ終わり、怪我の具合を把握した律子は、真っ先に手入れ部屋へ突っ込んだ彼の元へと向かう。

皆それぞれ傷を負っていたが、やはり、傷が最も一番酷かったのは、光忠だった。

入口の戸に手伝い札を掛けてあるのをもう一度確認し、部屋の中に入る。

床の間には、傷だらけで血に塗れた姿の彼が静かに横たわっていた。

その傍らで、式神達がせっせせっせと動き回っていた。

刀身剥き出しで置かれた彼の本体を見遣れば、刃こぼれが酷く、ヒビが入っていた。


「ぅ゙…、此処、は……っ。」
『手入れ部屋だよ…。手伝い札も使ってるから、あんまり時間かけずに傷治せると思う。』
「そっか…っ。早く治さないと、格好、付かないもんね……ッ。」
『馬鹿か、お前は…ッ。こんな時にまで、格好なんか気にしてんじゃねぇよ…!』
「あるじ…?」


彼の傷だらけの腕に触れた手が震える。

次いで、冷たい透明な何かが、ぽたり、破けて開けた彼の胸元へと落ちた。


「ごめん、ね…、こんな傷、負っちゃって…。」
『無理すんなって、言ったのに…っ!』
「うん…、ごめん…っ。だから、泣かない、で……っ?」
『もう良いから、黙っとけ…っ。傷に障る。黙って、休んでろ…ッ。』


彼の胸元に顔を押し付けるようにして頭を垂れた律子は、破れた服を握り締めて肩を震わせた。

時折、微かにしゃくる声が聞こえて、胸を締め付ける。

泣かないで。

泣くのなら、我慢しないで、声を堪えたりしないで。

そう言いたくも、喉が仕事をしてくれない。

己の胸元に伏せる彼女の頭を撫でたくとも、腕が上がらずに撫でる事すら儘ならない。

全身が酷く重くて、怠い。

思ったように動かせない身体が、もどかしくて歯痒い。

これ程までに辛く、苦しい気持ちは初めてであった。

戦に敗けた事も、無様に傷を負い倒れた事も、己の弱さ、未熟さが招いた事。

悔しいという思いが、滲んで、拳を握り締める。

目蓋が酷く重い。

睡魔がすぐ其処まで来ているようだ。

目を開けているのも億劫になって、目蓋を閉じる。


(…何でかな…?すごく、温かい…。眠たくなってきちゃったや…。)


血の匂いに混じって、消毒薬の匂いが、途切れる意識の鼻に掠めた。


『…………漸く眠ったか…。』


彼の胸元に伏せていた頭を上げる。

見れば、胸元に付いていた彼女の手元は、淡く光を発していた。

己の霊力を直接流し込んでいたのだ。

彼の呼吸が規則正しい静かなものになったのを確認すると、そ…っ、と手を離す。

苦し気に歪められていた顔は、穏やかで安らかな表情に変わっている。

人の身の傷が和らいだようだった。

少しだけ安堵すると、律子は立ち上がり、彼の本体の元へ膝を付いた。

手入れを一早く終わらせる為である。

此方にも、審神者としての力を直接流し込んでいく。

その分、自身の霊力共に体力は大幅に削られていくが、構っていられなかった。

彼が苦しんでいるのを、一刻も早く楽にしてやりたい。

その一心だった。


―彼の本体を完全に修復し終えたのは、彼を運び込んでから一刻程経った頃だった。

手伝い札を使い、更には、直接力まで行使したが、錬度が低い為か、予想以上に時間がかかってしまった。

力を使い過ぎた事による負荷で、身体が酷く重く怠かったが、彼女がやるべき仕事は残っている。


(手入れ部屋全てを起動させ、尚且つ、慣れない直接力を使っての修復及び治療は、やっぱり堪えたか…っ。俺も、まだまだだな…。)


己の霊力をコントロールしきれていない事に、自嘲気味の笑みを浮かべる。

摺り足で身体を引き摺るようにして部屋を出れば、何かあったらすぐに動けるよう控えていたのだろう。

彼が眠っている部屋の戸口には、既に治療を終えていた大倶利伽羅が壁に凭れて佇んでいた。


『もう、動いて大丈夫なのか…?』
「当たり前だ。何時までも床に臥せってる程、俺は弱くはないんでね。」
『そうか…。まぁ、あんま無理はすんなよ。』
「…力、使ったのか。」
『え?あぁ…うん、多少ね。』


そう返せば、視線だけを寄越してくる彼。

小さく息を吐いて、近寄ってくる。


「そう言うアンタも、無理してるんじゃないのか…?」
『え…っ。』
「アンタまで、あんまり無理はしてくれるなよ。後が面倒だからな…。」


そう口にして、通りすがりに頭をポフリと二度叩いていった。

振り返って、先を行く彼の背中を見つめる。

彼なりの労いだろうか。

全く、どちらが無理をして無理をしていないのか。

主という立場も、存外軽くはない。

だが、時に、私情が先行してしまう時もある。

今後は、少し改めるべきだなと、未熟さ故の様々な事の見極め方を思う。

頭をもたげて暫し考えていれば、彼が去っていった方とは反対方向から薬研と清光がやって来る。


「主…っ!」
「大将!」
『ん…?あぁっ、清光に薬研か。』
「大丈夫?その…っ、凄い勢いで慌ててたから…。」
「それよりも、今の顔色、相当酷いぞ大将…。休んだ方が良いんじゃないか?」
『んーん、大丈夫だよ。ちょっと力使っただけだから。顔色悪いのは、初めてあんな血味泥になったとこ見たせいかな…?見慣れないから、私、顔面蒼白にでもなってる?』
「力使ったって…もしかして、主、直接力流し込んじゃったっていう事…?」
『え、うん。そうだよ?』
「馬鹿なのか、アンタは…ッ!!」
「主、死ぬ気…ッ!?」
『ぇ………何、これ……っ、デジャヴ…?』


いつも通りの明るい声音でそう答えれば、凄まじい剣幕で怒られた。


「力を直接流し込んで修復する遣り方は、かなりのリスクが伴う事なんだぞ…っ!!」
「それを、そんな簡単にやろうと思うだなんて…っ、馬っ鹿じゃないの主!?本気で何時か死ぬよ…!!」
『え、あ、おぅ…っ。何か、ごめん…。』
「今後一切、そんな無茶で危険な真似はよしてくれ。じゃねぇと、心臓が幾つあっても足りねぇから。」


厳重注意、及び、今後一切の直接力を使っての治療修復行為を禁ずる事で、その場を解放された律子なのであった。


処変わって、審神者部屋には、現在動ける限りの第一部隊の者が集まっていた。

副隊長を務めていた山姥切と乱に、既に手入れを終えた長谷部と大倶利伽羅だった。

第一部隊全員手入れ部屋行きだった為、空きが出るまで応急処置しか出来ていなかった山姥切と乱は、未だ手入れが行われずに負傷したままだ。


『待たせたな…っ。手入れ部屋、二つ空いたから、もう入ってきて良いぞ。』
「いや、俺達は軽傷だから、後でで良い。それよりも、先に話しておいた方が良いだろう。」
『解った…。お前達がその方が良いと言うのなら。』
「でも、話をする前に、主は、一度お召し物を替えてきた方が良いと思います…。」
「彼の言う通りだ。今のままじゃ、服が血で汚れたままだ…っ。」
『良い。着替えなんて、後で幾らでも出来る。』


二人の言葉を制して、己の席に腰を据える律子。

頬や手には、彼等に触れた時の血が付いたままだった。


『それでは、聞こうか…こうなってしまった経緯を。』


空気がピリリとざわついた。


執筆日:2018.05.08