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不機嫌な理由



其れは、彼女が居なくなった後での事だった。

―時の政府施設内、某所。

書類があちこちと散らばった部屋は、或るデスクを中心にして荒れに荒れていた。


「あの小娘…っ、審神者の任に就いて間もない新人風情の癖に、刀の付喪神を付き従えたというだけで一丁前に調子こきやがって…!次に逢った時、痛い目見せてやる…っ!!」
「し、しかし、係長…っ、あの娘はただ者ではありません…っ!あの娘からは、ただならぬ気配を感じました…!あ、アレは、きっと……っ。」
「弱小者が…ッ!あれくらいで怯えてどうする…!?あんなの、ただ刀に呼ばれて来ただけの小娘に過ぎん!なぁに、まだ手はある…。本当の立場はどちらが上か、目に物を見せてやる…ッ!!」


書類を投げ散らかした床の上に、自身の顔を覆い隠していた狐の面を叩き付けた黄圖典。

男の顔は、怒りと欲に駆られ、歪んでいた。

醜く歪んだ思考は、他の者の言葉を受け付けない。

床へと強く叩き付けられたお面は、衝撃を受けてパカリとヒビが走り、割れた。

狐を象った姿は、欠片も失くなってしまっていた。

そんな男の隣で、先の言葉に「畏怖すべき対象…決して逆らってはならぬ存在なのでは?」と続けようとした男は、青ざめた顔で震えていた。

その男とは、先の謁見で彼女に胸倉を掴まれ、脅された男だった。

彼は、異常なまでに怯え、恐怖し、狼狽えていた。

もしや、自分達は、触れてはならぬ者を目覚めさせてしまったのではないか…?

そんな事を考えさせられてしまう程、彼は気をやっていたのだった。


―処移って、本丸では、彼の者が不機嫌なオーラを携えて帰還していた。


『ただいま、皆…っ。』
「主…!おかえりなさいませ…っ!無事なご帰還、何よりです!!」
『おー。ただいま、長谷部。本丸警備、お疲れさん。もう普通の仕事に戻って良いぞ。』
「いえ、これしきの事、当然の務めです…!…主?何かお加減が優れぬご様子ですが、どうかされたのですか…?」
「あー…気にしないで。ちょっと色々あって、今は頗る機嫌が悪いだけだから…。」
「は…?どういう事だ、それは…?」
「まぁ、後でちゃんと話すから…今はそっとしておいてあげて?」


ズンズンと力強く歩いていく律子の背後には、ただならぬオーラが漂っていた。

施設を出る際、衣服は元着ていた物に着替えていた為、今彼女が身に纏っているのは、今朝本丸を出て行く時に着ていた物だ。

訳が解らないと疑問符を浮かべる長谷部に、苦笑いで答える二人は乾いた笑みを零した。

玄関で顔を逢わせた者に、簡単に帰宅の挨拶を告げ、部屋へと戻る律子。

部屋へ着くなりフードを下ろすと、勢い良く面を剥ぎ取り、畳へと叩き付けた。


『…あんのクソ爺…ッ!!次逢ったらただじゃおかねぇ…!!狐の面なんかしやがって、何が“キヅツネ”だ…!あんなのただの狸爺の間違いじゃねーか…ッ!!クソが…!!』
「随分荒れてるようだな…。」
『あ゙…?何だ、まんばか…。お勤めご苦労さん。何か用か?』
「相手が写しの俺で悪かったな…。別に、帰ってきてから様子が可笑しかったようだから、様子を見てくるよう兄弟に言われただけだ。かなりいきり立っているようだが…政府の処で何があったんだ?」


部屋の出入口に静かに佇んでいた山姥切。

空気を読んで、敢えて近寄ろうとしない心掛けは大事だ。


『…どうせ、もうじき、こんのすけも帰ってくるだろ…。一端、服着替えてくっから、着替え終わったら居間へ行く。其処で話してやるから、それまで待ってろ。』
「解った…。兄弟が茶を煎れて待っているだろうから、冷めない内に来てくれ。…気が落ち着いてからでも構わない。兄弟には、俺から伝えておく…。」
『おぅ…ありがとな、まんば。』
「いや…誰しも、虫の居所が悪い時ぐらいあるだろう。気にするな。」


然り気無く気遣いの言葉をかけれるウチの刀剣男士達は、良い子だ。

例え、過去に酷い扱いを受けていたり、嫌な想い出をたくさん抱えていたりする子達だとしても。

そそくさと身軽で動きやすい袴へと着替えると、お茶を煎れて待っているのだろう居間へと向かった。

その途中、鍛治場の小さな式神を連れた小夜と逢い、一寸ばかし足を止める。


『どうした、小夜…鍛刀部屋の式神なんか連れて?』
「えっと…僕が、その鍛刀部屋の前を通りかかったら、声をかけられて……。すぐに取りに来るって言われたけど、出来上がった後暫く待っても取りに来ないから、呼びに来たんだって。」
『あ゙〜…っ、政府から急な呼び出しがかかって、説明しないまんま出てったからなぁ…。すまん、鍛治屋の式神さん…っ。これから、その呼び出しについての話をしに行かなきゃならねぇから、また後で受け取りに行くな?小夜も、面倒かけちまって悪いな。』
「別に…僕はどうもしないよ。ただ…早く顕現させてやってくれ、って言われたよ。」
『おぅ…待たせて本当にすまんな。』


小夜の両手に抱えられた式神の頭をポンポンと叩き、連れてきてくれた御礼だと、ついでに小夜の頭も撫でる。

頭を撫でられるといった行為が理解出来なかったのか、不思議そうな顔を浮かべた小夜だった。

そのまま、式神を抱えた小夜も引き連れて、居間へと向かう。

居間へ入れば、其処には、国広兄弟二人だけでなく、政府へ一緒に出掛けて行った二人と、何故か長谷部に薬研までもが居た。

こじんまりとした小さな部屋に、大所帯な人数である。


『何だ…やけに人数多いな。どうした?』
「帰ってからの主さんの様子が、あまりにも可笑しかったので…。政府で何があったのか、皆さん、気になったようです…っ。」
『嗚呼、それで……。にしても、よくこんな狭っ苦しい処に、んな大人数集まれたなぁ…。座りづらくねぇか?』


訳を聞けば、苦笑で言葉を返した堀川。

彼も、此れには思うところがあったらしい…。

取り敢えず、「茶を煎れて待ってくれてありがとう。」と礼を述べ、入口付近の柱近くにある空いたスペースへと腰を下ろした。

おろおろと行き場を彷徨っていた小夜に「来い来い。」と手招き、胡座をかいた膝の上に座らせる。

その流れるような自然な遣り取りを呆然と眺める薬研達。

その流れに、長谷部一人だけが何処か羨ましそうに歯噛みしていた。

小夜が来た分、人数が増えたので、その分のお茶を煎れて手渡す堀川は微笑ましげだった。


「…それで、話の件だが…。」
『まぁ、待て、まんば。もうすぐ、こんのすけが来る。』
「…?それ、さっきも聞いたんだが、どういう意味なんだ?」
『ま…っ、聞いてりゃ解るよ。』


山姥切の言葉に軽く返事を返して、お茶を啜る。

丁度良い加減に冷めていて、飲みやすい温度になっていた。


『あ…っ、お茶美味い。温度も丁度良くて飲みやすいよ。』
「それは良かったです、主さん…!」
「なぁ、大将、さっきから何なんだ…、」
『ほれ、噂をすれば何とやらだ。』


彼女が口にし、視線を寄越してやれば、其処だけ一瞬ポワリと光り、その空間が歪んで黄色い塊が飛び出てきた。


「酷いじゃないですか、主様…っ!僕だけあの場に残して置いていくなんて…!!」
『すまんすまん…っ。あん時は、かなり頭に血が上ってたからな…うっかりな。』
「僕の存在を忘れるなんて、酷いです…っ!あの後、色々と後処理に追われて大変だったんですからね!?そもそも、何で政府の方々に啖呵を切るなんて事したんですか…っ!!アレでは、喧嘩を売っているようなものですよ…!?」
『いや、先に喧嘩吹っかけてきたのはアッチだぜ…?最初に逢った時の態度からしてふざけた態度だったじゃねーか。アレで管理職なんて勤めてるとか、不愉快極まりないんだけど。というか、礼儀も敬意も無くて甚だしい。社会の恥だな。もういっぺん、新社会人からやり直した方が良いんじゃないの…?社会のマナーを学び直してきた方が良いよ、絶対。』
「主の口が凄まじく饒舌だ…。」
「…こいつは相当頭にキテるみてぇだなぁ、大将…。」
「復讐するなら、僕も協力するよ…?」
「いや、小夜君、そういう事じゃないから…っ。」


思わず、ひく…っ、と口許を引き攣らさせた薬研は悪くない。

こんのすけの訴えに一気に捲し立てた律子の様子に、一同驚きの声を上げる。

流石のキレように、あの長谷部でさえ呆けていた。

その横でズレたツッコミを入れる小夜に、乾いた笑みを零した光忠であった。


「つまり、どういう事なんですか…?主さん。」
「どうもこうも無いですよ、この方は…。初めて政府へ窺ったにも関わらず、ご自身の上司とも言える方に啖呵を切り、喧嘩を吹っかけただけでは飽き足らず、相手に詰め寄り胸倉を掴んで、半ば恫喝のような脅し文句まで吐き捨てて帰って行ったんですから…っっっ!」
「はっはっはっはっは…っ!そいつぁ傑作だ…っ!!胸倉掴まれた奴は、災難だったなぁ…!」
「いや、笑いどころではないだろう、薬研。これは、然るべき状況だぞ…。」
『めちゃくちゃ爆笑してんな。そんなにウケたか…?今の説明。』
「いや…っ、こんのすけの説明に笑ったんじゃない…っ。アンタの政府の奴へとしでかした行動に笑ったんだ…!」
「いやはや…君には常に驚かされるが、今回も実に素晴らしい程に驚かされたよ。君は本当に面白いな!いつも驚きがあって、退屈しないぜ…!」
「うわっ、鶴さん…!いつの間に!?」
「どっから湧いたの、この人…。」


話をしていれば、何処ともなく現れた鶴が、廊下の方から顔を出す。

何時から聞いていたのやら、薬研と一緒になって面白そうに笑っていた。


『何処から聞いてたんだ…?』
「ん?こんのすけが大きな声で叫び散らしてる辺りからかな…?暇潰しに屋根で寝転んでいたら、話が聞こえてきたんで、上からぶら下がって聞いてたのさ。実際に降りてきたのは、今しがただぜ…!」
「ほぼ最初からじゃん…。てか、何やってんの、この人…?屋根からぶら下がって聞いてたとか、野生児かよ。」
「どっちかと言うと、猿の間違いなんじゃないか…?」
『鶴なのに猿なのか。すげぇな、お前。』
「何か酷い言われようだけど、良いのかな?アレ…。」
「良いんじゃないか…?放っておいて。」


清光のツッコミに、更に突っ込む長谷部。

一部置いていかれた面子は、呆れて薄い笑みを浮かべる。

隣に居る堀川から問われた山姥切は、気にせずスルーする事に決めたのだった。

一先ず終わった話に、集まっていた者達はバラバラと他の作業をしに散っていく。

その中の一部だった清光、光忠を呼び止めて、引き留める律子。

その隣には、先程からずっと側に居た小夜が、彼女に手を握られて立っていた。


「どうしたの、主…?」
「なぁに、俺に何か用事?」
『うん、ちょっと二人にね?これから、小夜と小夜に連れられた式神さんを連れて鍛刀部屋まで行くんだけど…二人にも付いてきてもらおうかなって思って。』
「僕達も…?」
「何で…?」
『んっとね、なんとなく来るんじゃないかなぁ〜って、思うからかな…っ?』


揃って首を傾げる二人。

先程とは打って変わって、にこにこと楽しげに笑う彼女を、 小夜は不思議そうに見上げるのだった。


執筆日:2018.08.26