薄暗い秋の夜の景色。
それは、まごうことなき見知らぬ風景である。
鈴虫の音が朧気に聞こえるが、彼女の頭は混乱していてそれどころではない。
(何、此処。何処よ、此処?何で私こんな所に居んの…?マジ訳解らん。)
ぽけぇ〜…っと暫く呆けて瞬きするが、夢から覚める訳でもなく、現実である事を認める他無いようだ。
しかし、人間、混乱の極みに立つと現実逃避をしたくなるもの…。
故に、彼女も例外ではなく、身体を起こしてからというもの、全くその場から動こうとせず座り込んだままだった。
緩やかな風が草木を揺らし、ザワザワと音を鳴らす。
(………取り敢えず、どっかに動いた方が良いよね…?このまま此処に居たって何も変わんないし。)
思うが早いか、律子はゆっくりと立ち上がり、改めて辺りを見渡した。
少し離れた先に小さな祠がある以外、何も無い。
ただただ、自然の風景が広がるだけの空間である。
一先ず、一番最初に気になった祠の方向へと歩を進めてみる事にした。
立ち上がったと同時に掴んだ短刀を片手に歩み始める。
すると、目が覚めた時から側に居る黒猫が足元に付いてきた。
よく解らないが、何故か一向に離れる気配がなく、側に寄り添うように居る。
『…お前、どっから来たの?』
「にゃあ〜。」
『名前はあるの?』
「にゃあ〜。」
『……………。(うん…、解らん。)』
猫相手に聞くのも可笑しいものだが、そもそものところ、猫語など解る筈もなく溜め息を吐いた。
何故引っ付いてくるのかは解らないが、害もないし、生き物を邪険にするのも気が引ける。
何の打開策も浮かばない事から、そのまま放置し、好きに居させてやる事にする律子。
大人しい黒猫はテトテトと足元に付いて歩き、彼女が祠の前に来ても、ただ彼女の事をジッと見上げるだけだった。
一応、視線は返したが掛ける言葉も見付からず、無言で正面に向き直り、小さな祠を見つめた。
見ると、祠は石で出来ていた。
立派なしめ縄が掛かっており、中には何かを置いていたのか、それを置く為の物と何やら文字の書かれた御札がある。
ふと考えて、片手に携えた刀を見やった。
(―もしかすると、この短刀を置く為の物では…?)
そう思い、試しに置いてみるとしっかりと型に嵌まるようにその場に留まった。
やはり、この短刀を置く為の物だったらしい。
という事は、元は祠に祀ってあった物であるという事。
(何故、私の手元に触れる場所に在ったのだろう…。)
思考は纏まらぬまま、眉間に皺を寄せるだけ、再び溜め息を吐く。
解らぬものは解らぬのだ。
ならば、別の事を考えた方が良い。
思考を切り換えるように軽く頭を振り、猫の方を見やり、口を開く。
『…何で私、此処に居んのかね…?』
さっきから変わらぬ問いだが、応える者は誰も居ない。
「にゃぁ…ん。」
代わりに、目の前に居る黒猫が鳴いただけであった。
何処へ向かえば良いのかも解らずに、祠の前で屈み込み、猫の頭を撫でる。
そして、特に意味もなく、先程元の定位置に戻したであろう短刀を再度手に取り、眺める。
豪奢な装飾が施されている訳でもないが、保存状態が良いのか、綺麗な見た目の鞘に納められていた。
物は試しと、刀身を鞘から抜き出す。
すらりと姿を現した刀身は刃こぼれもなく、錆も無い美しい状態だった。
しかし、永き時を経て使われていなかったのか、どこかくすみがかっていた。
『…これ、磨き上げたらもっと綺麗になるんだろうなぁ。あ…、何か刃の背の部分、黒く塗ってある…?というか、元より黒いのか。』
しげしげと見つめて、普段では目に掛かる事も無いモノホンの真剣を興味深そうに眺めていた。
そして、疼いた中二心に構えの姿勢を取ってみたりする律子。
『…あはっ、これじゃ完全なる中二病じゃん。何やってんだ自分。』
「でも格好良いし、刀なんて見たら構えてみたくなるのは当然だよね?」と、明らかに決め付けな考えを全世界の一般人に問う。
一人寂しくテンション高々にポージングを決めていたが、何だか急に馬鹿らしくなり、真顔に戻ると静かに刀を鞘に納めた。
『―何でお前、私の所に居たんだ…?』
何処にでも居そうな極一般人な己には不釣り合いな刀…基短刀を見つめ、まるで人に語りかけるように問うた。
夜の漆黒を思わせる黒き鞘は、当然の事ながら沈黙を返す。
ただ、月明かりによって照らされた一部を妖しく黒光らせているだけである。
ふと、足元に居た気配が居なくなっている事に気付いた。
それは、彼女がこの場所へ誘われた時と同じように、忽然と姿を消した。
しかし、足元には確かに、先程まで纏わり付いていた猫の温度の余韻が残っていた。
『あ、れ……アイツ、何処行った………?』
ぐるりと辺りを見回すも、静寂が包むだけだ。
再び、呆然と立ち尽くす律子。
―其処へ、不意に別の気配を感じて勢い良く振り向く。
ガサガサと草のざわめく音が近付いたと思ったところに、草の隙間から顔を覗かせた小さな狐。
『あ…。何だ、狐か…。』
だが、そう思ったのも束の間。
狐は狐でも、突如現れた狐は、妖の面のような顔をしていた。
狐は、小さな身体を荒く息付かせながら近寄ってきた。
「もしや…っ!貴女様が、新しく来たという審神者様でございますか…っ!?」
『………へ……っ?さ、にわ………?』
さらに驚くべき事に、なんとその狐と思っていた生き物から人の言葉が発せられたではないか。
喋る狐とは、如何に…?
ただでさえ混乱していたのが、極みに達する程追い打ちをかけられた律子は、動きという動きを停止させた。
しかも、狐の口からは聞き覚えのある単語が。
(―“さにわ”…って、もしかしてあの“審神者”の事か……?)
「私めは、時の政府より遣わされました、管狐のこんのすけと申しまする!詳しい事情は追って説明致します故、急ぎ付いてきてください!!本丸が大変な事になっているのです…っ!!」
懸命に頼み込んでくる、こんのすけという狐の必死さたるや、尋常ではない事が起こっているようだ。
「件の本丸は此方です…っ!」
先に小さな身で駆けていく狐の後を、困惑した状態のまま追いかける。
何故か、己は付いていかねばならぬのだと、本能のどこかで告げていた。
執筆日:2016.11.11