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黒き靄



秋の夜闇に溶け込んだ景色の中、時の政府からの遣いだとか言う、“管狐のこんのすけ”の後を追って駆けた先に、目的のものはあった。

薄闇の中で佇んだ先に見えたものは、何やらドス黒いものに覆われていた。

否、今彼女等が居る場所をうねるように辺りを漂っていた。


『………何だ、これ…。真っ黒な霧みたいな靄みたいなもので、先が全く見えないんだけど…。っつーか、急に空気悪くなってない…?澱んでんのか、何なのかよく解んないけど…。この先がどうしたの?』


思わず、思った事をそのまま口にしてしまう程に悪い空気である。

肌に触れた瞬間に、「あ、コレ何かヤバイ奴だ。」と直感で感じるくらいに暗く重い空気なのだ。

先程まで感じていた澄んだ空気が嘘のように一変した、だだっ広い空間の中の一ヵ所。

霧がかった視界の先に、朧気にだが、どうやら大きく赤い鳥居があるのが見えた。


「この靄の先に、先程申しました件の本丸がございます。この靄は、その本丸より発生しているのでございます。根源を絶つには、直接本丸内へ干渉して頂かなくてはなりません…。しかし、念の為に忠告しておきますと、この靄には瘴気が含まれております。本丸に溜まりに溜まった悪しき空気とでも言いましょうか…。神の集う場に穢れが溜まった事によるものですので、人の身である審神者様はあまり吸い込んでしまうと身体に障ります。お気を付けくださいまし。」
『……マジかよ。この中に入らなきゃならんのか…?全然大丈夫な気がしないんだけど。むしろ、ガチでやばいんですけど。何か本能が逃げろと警鐘を鳴らす並にやばいんですけど。ねぇ、こんのすけさんよ?』


引くつく表情筋を何とかしつつ、出来得る範囲の平常を保つ。

最早、全くと言って良い程平常ではないが。

目の前の、現実世界的に考えて信じ難いものの前に、思考は追い付かず、ただただ本能が逃げろと足を退けようとする。

無意識に、手にしていた短刀を胸元で握り締める。

すると、様子を見兼ねたこんのすけが、あまり保証にならない言葉を紡いだ。


「大丈夫です。何も、貴女様御一人でという訳ではございません。私めも付いております故、ご安心ください。審神者である貴女様に何かあった時は、この私めが出来得る限りお守り致します。」
『こう言っちゃうと失礼だけど…本当に大丈夫…?君、凄く小さいけど、本当に私を守り切れるのか…?相手が何なのか、全く解ってもいないし…。』
「相手は、恐らく、“人為らざる者”にございましょう。瘴気が溜まりに溜まって出来た塊…謂わば、生を持ってしまった怨念の化け物、というところです…。しかし、相手が神であろうと物ノ怪の類いであろうと、時の政府より遣わされました式神であるこのこんのすけが、お守り致して見せます!」
『え。本体ちゃうの…?式神なの…?なら、尚更マズイじゃないかっ!本体じゃないなら、万が一攻撃とか受けたりしたら、消えちゃうって事じゃん…っ!!=ダメじゃん!?』
「そうならないように努めますからっ!どうかお力を貸してくださいまし…っ!!」
『うわぁー。ぶっちゃけ言うなら、全力で入りたくないなぁー…。』


もう全力で拒否の意を示す身体だが、良心の働く気持ちが押し留めて動かない。

行かない心と良心の心とがせめぎ合ってぶつかっている。

でも、僅かに、良心の方へと気持ちが傾いている気がする。


「お願い致しまする…っ!これは、審神者たる貴女様にしか出来ない事なのでございます…っ!!どうか、どうかお力をお貸しくださいませ…っ!!」


初めに逢った時同様に、必死に懇願してくるこんのすけという狐。

時の政府から遣わされた管狐だか式神だか何だか知らないが…要は、自分の力を貸してくれという事なのだ。

自分に、そんなよく解らない物と対峙出来るような力があるとは思えないが、とにかく藁にも縋る気持ちで訴えかけられている。

そもそも思う事…先程からちょいちょい言われてるが、私はまだ審神者なんて者じゃない。

単なる非力な人間である。

神様を使役出来るような力なんて、これっぽっちも持っちゃいない。

だが思うに…自分は、審神者たる者として、此方の世に呼ばれたのかもしれない…。

ならば、もう、答えは決まっているだろう。


『―私にどうこう出来る事じゃないとは思うが…何か審神者たる者として呼ばれたんだったら?私の無い力、貸してやろうじゃないの。何が出来るかは分からんが、この目の前の問題、解決してやんよ…っ!』


震える拳を握り締め、声高に言い切ると、足元で不安気に見上げていたこんのすけが、歓喜に顔を綻ばせた。


「それは誠にございますか…っ!?ありがとうございまする…!!私だけではどうにも出来ぬ事だったので、貴女様がお力を貸してくださるのであれば、心強いです!」
『“私だけ”って…時の政府は何やってんの…?何もしてくれない訳…?』
「いえ…解決しようと試みてはくださったのですが、本丸に在るこの異様な力に拒まれてしまい…。この本丸を担当するのが私でしたし、唯一干渉出来るのも私であった為、対処出来ずに…。政府は他の事案も山程抱えていましたし、ウチだけに付きっきりになる訳にもいかず、そのまま時間だけが流れていってしまい…挙げ句の果てに、ここまで悪化してしまったのでございます…。おかげで、本丸に留まっている付喪神達にも影響が出始め…一部は闇堕ちしかけております。」
『政府は何やってんだよ…。まぁ、今あだこだ言っててもしゃあーないか。よし…っ、政府へはコレが片付いてから物申すとして、とにかく早いとこ片付けてしまおうっ。んでもって、早く帰ろう!一刻も早くこんな場所からおさらばしたい…!!』


心を決めると、意気込んで腕を捲った。

やる気が満ちている今の内に、さっさと終わらせてしまおう。

こういう事に慣れてない分、チキンな部分が顔を見せ始めている。

本当、早いとこ終わらせよう…。


「本丸内へ足を踏み入れるのでしたら、此方をお召しください。鳥居の中を通るのも、本丸の結界内に入る為、まだ正式に審神者となっていない貴女様は弾かれてしまうかもしれません。この羽織は、審神者達がよく身に付けている物と同じ物です。」


いざ鳥居内へ踏み込もうとしていると、こんのすけが何処から出したのか、淡い翡翠色の羽織を差し出す。

「これを羽織れば良いんだな…?」と考えつつ、仕事着の上から袖を通した。

すると、今しがたまで重かった空気が少しだけ軽くなり、重い空気に押し潰されそうだった身体が楽になった。


―この羽織には、穢れを清める効果があるのか…凄いな。


羽織を羽織った事で、漸く事が進められる。


『あ、そうだ…。さっきから気になってたんだけど…私の名前、教えてなかったね。私の名前は、栗原律子。とりあえず、宜しくね。』
「栗原様にございますね。しかと覚えました!」
『んじゃ、自己紹介も終わったところで…行きますかね、あの向こう側に。』


ジャ…ッ、と砂を踏む音を鳴らして、靄の先を見据える。


『待ってろよ、化け物…。今すぐにでも俺が成敗してくれる…っ。』


鋭い目付きをさらに鋭くすがめた律子だった。

執筆日:2016.12.18