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異形のモノ



赤き鳥居を潜った律子達は、一本の長き石畳の通り道を慎重な足取りで進んでいた。

羽織を羽織った後、律子は人の子であるという点において、念の為顔も隠しておくべきだと言われ、一枚の布を面として渡された。

某、人と妖の物語を描いた漫画に出てくるような面の仕方だ、と思いはしたが、場が場なので黙っておく…。

不気味な程静かな道を暫し歩くと、道が途切れる少し先に、何やら建物らしき物が見えてきた。

石畳の敷かれた一本道が終わりを見せる。

木々の間にあった一本道を抜けた為、急に視界が開けたような感覚に陥る。


『…やけに静かだな…。一大事だと言わんばかりに呼ばれたから、どう荒れ果ててるのかと思ったのだけど…。』
「確かに、異様に静まり返っておりますね…。」


神妙な顔をして呟くこんのすけを見やりながら、軽く辺りを見回し、少しばかり遠くに見える本丸の様子を窺った。

何だか静けさだけでなく、何かを拒むような…刺々しい雰囲気を感じる。

まるで、何かが本丸事態を覆っているかのようである。

事実、先程から絡み付く靄のような黒い霧は、本丸から流れ出てきているようだ。

段々と重苦しくなってくる空気に息が詰まり、一度口許を羽織の袂で覆い、深呼吸をした。

清められた布地越しに呼吸すると、幾ばくか落ち着きが戻り、呼吸が楽になる。


『取り敢えず…あの建物が本丸で良いんだよね…。そんで、今から向かうべき場所で合ってるんだよね…?』
「はい。アレが、私が担当しておりまする、当本丸にございます。」
『………分かった。行こうか。』


気を尖らせて周囲の警戒を怠らぬよう歩を進めていると…緑の生えた地に、何やら倒れ伏すものがあった。

否、それは“モノ”ではなく、人の形をしたものだった。


『人が倒れてる…っ!大丈夫ですか!?しっかりしてください…っ!!』


倒れ伏す姿を見るなり、急いで駆け寄り、うつ伏せになっていた身体を仰向けに起こした。

こんのすけも慌てて付いてくると、倒れた者を覗き込み、息を飲んだ。


「やや…っ!これは…っ、今剣様ではございませんか…っ!?」
『!…今剣…って、あの源義経の…?』
「はい…っ!この方は、当本丸に所属する刀剣男士の一人です…っ!何があったのですか…!?」


こんのすけが血相を変えて問いかけるも、何故か傷だらけでボロボロな彼は、呻き声を漏らすだけで、意識もはっきりしていないようだ。


『…とにかく、手入れしないと……っ。取り敢えず、早く本丸に向かおう!本丸の中の状況を知りたい!!あと、手入れ部屋ってのがあるんでしょ?其処に彼を運びたいから案内してくれ…!』
「畏まりました!急ぎますので、少し走りますよ…!!」
『了解…!今剣…少しだけの間、揺れるかもしれないけど我慢してね…っ。』


小さな身体をした彼を抱え込むと、出逢った時と同じように先を走り行く管狐の後を追った。

ガラガラッ!!と勢い良く玄関の戸を開け放ち、黒い霧が色濃く渦巻く本丸内へと足を踏み入れる。

その際、一応だが、勝手に他人の家に上がり込む訳なので、「お邪魔します!」の一声かけて上がる。

上がって、廊下を少し進んだ時に、ふいに首筋にひやりとした物が宛がわれて、足を止めざるを得なくなった。

明らかに、異質な空気を纏った物だ。

喉がヒュッ、と音を立てて、呼吸を止める。


「―誰だ、貴様…。何者だ。この本丸に何の用だ?」


喉の奥から吐き出されたような低い声音には、警戒の色が強く滲み出ている。


『オイオイ…。こちとら緊急時なんだ…。物騒なモンは納めてくれませんかね?今、首筋に当たってるの、刃物だろう…?下手すりゃ、銃刀法違反で訴えるぞ。』


緊張が走る中、何とか声を絞り出して言葉を紡ぐ。

状況が状況下なので、少しばかり地声より低めに出てしまった事は許してもらいたい…。


「質問に答えろ。貴様は何者だ?何処の本丸に所属している?もし、時間遡行軍の手の者であったとしたなら、この場で圧し斬るぞ。」
「はっ、長谷部様…っ!刀を納めてください!!その御方は……っ!」


どうやら、この男、この本丸に所属する刀剣男士の一人のようだ。

異様なまでに澱んでしまった空気に充てられて、気が立っていると見える。

こんのすけが必死で宥めようと、短い足で立ち上がり、二本足立ちで声を張り上げた。


『何処の本丸に所属してるのかって言われても…そもそも俺、こっちに呼ばれたばっかなんだけどな…。まぁ、今はそれどころじゃない。さっきも言ったが、緊急時なんだ。通してくれ。一刻も早く、コイツを手入れしてやりたいんでね。』
「は…?手入れって……、っ!?今剣…!?」
『だから退けって言ってんだろ…!見ず知らずの赤の他人が、勝手に上がり込んでるのが気に食わないんだろうが、これでも一応、そこの管狐から許可を得て入ってきてる。断じて、不法侵入ではないから、斬り殺されるなんて事はご勘弁だぜ。あと、詳しい事は此方も把握してない。なので、知りたきゃソイツに訊け。が、今は忙しい。こんのすけっ!道案内頼む…!』
「はっ、はい…っ!!今すぐ……っ!!」


男が口を挟む隙を与えず、一気に捲し立てて言うと、言葉を飲み下しきれなかったのか、呆然と此方を見やっている。

それを放置し、此方は先を急がねばと、こんのすけを前に再び駆け出した。

少し離れた頃にふと思い、後ろを振り返って声を上げた。


『ところで、アンタの名前は…っ!?』
「は…っ?名前?……へし切長谷部だが…っ。」
『へし切長谷部ね。暇なら、本丸中の窓とか戸を全て開けてきてくれっ!この澱みきった空気を換える!!頼んだぞ!』


それだけを言い残し、前に向き直って手入れ部屋を目指した。


(―そういやぁ…“へし切長谷部”って、確か織田信長の刀だったよね…。まっ、いっか…。)


一瞬、脳裏に浮かんだ思考だが、すぐに振り払い、目の前の事に集中した。

―程なくして、手入れ部屋と思しき場所に辿り着き、その部屋の戸に手をかける。


「―おや…?何か別の気配がすると思ったら…人の子かい?」


片手で開けづらい戸を開きかけていると、何やら大きな男に話しかけられた。

先程まで誰も居ないように感じていた所に、その大柄な男は静かに佇んでいて、少し不気味だ。


「石切丸様…っ!」
「ふむ…。どうやら、良からぬ事が起きそうな予感だね。君の手にあるのは、今剣かい…?」
『話が分かるのなら、早い…。この子を手入れしてやりたい。この戸を開けるのを手伝ってくれないか?』
「酷い傷だね…分かったよ。今、手を貸そう。だけど、暫くの間使われずに、空気が穢れてしまっているから…少し浄化をしてからの方が良いだろう。」
「石切丸様なら、神社に奉られていた刀ですから、穢れを祓う事が出来ますね!」
『なるほど…それは心強い。是非頼む。』
「勿論さ。今すぐに祓ってみせよう。」
『よし。ねぇ、こんのすけ。手入れするのって、確かちっちゃなお手伝いさんがしてくれるんだよね…?だったら、私、他を回ってくるから、此処は彼に任せても良いか?』
「そうですね、石切丸様なら大丈夫ですし。参りましょう!」
「あ、その前に一つ…。この本丸内で最も穢れを放っているのは…恐らく、折檻部屋だ。もし、君が、この本丸の黒い靄を祓いに来てくれたのなら、其処へ向かうと良い。きっと、其処がこの穢れの根源の筈だから。」
『分かった。折檻部屋ね。教えてくれてありがとう。助かるよ。』

事情は何一つ聞く事は無かったが、御神刀な故か、空気で察してくれたようで。

一先ず、この場は彼に任せ、こんのすけを連れて折檻部屋へ向かった。


『ゔ…っ。何か、向かうにつれて、余計に空気が悪くなっていくな…っ!』


最早、袂で鼻と口を塞いでいないと呼吸がしづらいところまでキテいるようだ。

目の前に、折檻部屋らしきものが見え、その戸に手をかけた。

瞬時、触れた手がビリビリと痺れ、拒まれる。


『ッ………!!』
「栗原様…!!」


痛みを堪え、勢い良く戸を開け放つと、瞬く間に広がった黒き靄と瘴気。


『な、んだ…?コレ……っ?』


目を疑うモノが、其処にはあったのである。

執筆日:2017.01.22