君亡き今



締めたカーテンの隙間から、陽の光が射して、眠る私の顔を照らす。

眩しくて、でも、まだ寝ていたくて。

私は唸りながら、ごろりと寝返りを打って、その光から逃げた。

寝返りを打った先で、再び微睡み始めていると、微かにドアの軋む音が聞こえた気がした。

だが、眠気に勝てない私は、そのまま眠る体勢に入っていた。


―ボスリッ。


突然、身体の上に重石が乗っかったように重くなった。


「ルツー、もう朝だよ?起きないの?」


この声は、この家の小さな可愛い天使の声だ。

天使と言っても、小悪魔にもなる、幼き子供である。


「アトラが起こしてきてって言ったから、起こしに来たよ。」
『ん゙〜…っ。』
「起きないと、アトラに怒られるよ?」


眠ったままの私の上に乗っかり、ゆさゆさと揺さぶる幼き子。

日々成長していく彼は、地味に重い。

横向きに寝転んでいた身を仰向けにし、腹の上に股がる彼を寝惚け眼で見つめた。


『暁……。』
「やっと起きた。おはようっ。もうご飯出来てるよ?」
『うん…、おはよう…。頼むから…上に乗っかって起こすの、やめてくれる…?』
「やだ。こうしないと、ルツ、起きてくれないから。」
『…寝起き悪いのは、認めるけど…。君、お父さんそっくりなんだから、変な気分になるんだけど…。』
「どういう気分になるの?」
『君のお父さんに組み敷かれてる気分…。俺、免疫無いから、心臓に悪いよ…。』
「ふ〜ん…。」
『よく分かってないな、その反応…。まぁ、良いや。起きるから、ちょっと退いて。』
「本当に起きる…?また寝ちゃわない…?」
『起きるったら…!もう…っ、疑り深いなぁ…っ。そんなとこも、本当に父親そっくりだよ!』
「だって、この間…起きるって言っといて、また寝たでしょ。」
『ゔ…っ、あの時はガチで疲れてたから眠かったの…っ!今日は、もう目ぇ覚めてるから…!お願いだから、降りて…っ!!』


ベッドの上で騒がしくしていると、広くはない家の中じゃ響く訳で…。


「朝からどうしたの?二人共…。」


今や、すっかり成長して、立派な母親になったアトラが、エプロンを着けた姿で部屋を覗きに来た。


『アトラァ〜…。暁が退いてくれない〜っ。』
「暁がどうしたの?」
「ルツがまた寝ないように監視してるの。」
「そんな言葉、何処で覚えたのよ…?」


呆れ気味に腰に手を当てたアトラは、母親らしくしゃきっと背中を伸ばして口にした。


「取り敢えず…、ルツは早くベッドから起きて、着替えて顔洗ってくる事…っ!じゃないと、朝ご飯冷めちゃうよ?」
『はぁ〜い…っ。』
「暁も、ルツから降りてあげて?そうじゃないと、ルツ、いつまで経っても着替えれないでしょ?」
「はーい。」


ぴょんっ、と私の上から降りた暁は、トテトテとアトラの足元へ引っ付いた。

エプロンの裾を握ると、早く行こうよと促すように、くいっくいっ、と引っ張る。


「それじゃ、私達、先行ってるね?二度寝しちゃダメだよ!」
『しないったら…!』
「早く来てね。」
『分かってるよ。ちゃんと行く。』


暁の三日月そっくりな圧力ある目で見つめられ、何度も頷いてやると、漸く部屋を出ていった。

はぁ…っ、と溜め息を吐いて、よっこらしょ、とベッドから降り、伸びをする。

カーテンを開け放って、窓を開けば、火星独特の乾いた風が入り込む。

陽はすっかり昇りきっていた。


『平和…、だね。三日月、オルガ…。』


いつものように、空へ向かって挨拶する。

彼等が居た頃と違って、今は平和そのものだ。

かつては、私も、彼等と同じ戦場に居た。

MSを操って、敵を殲滅し、生き抜いてきた。

しかし、時代は変わって、鉄華団は人々の記憶から消えていった。

争いも無くなり、人と人との対話が成されるようになったのだ。

だが、元鉄華団の団員であった者達には、色濃く…そして、深く刻まれている。

戦場で散って逝った、大切な仲間、子供達を。

私は、最後の戦闘時、機体に乗る事は許されず、メリビットさん達と行動する事を命令されていた。

女だから、何かあった時の為に生き残って欲しいとのお達しだった。

場が場であったが故に、私も反論はせず、命令を飲み、従った。


【「はい、コレ。ルツにあげる。」
『え…っ?何…コレ…。』
「指輪。結婚指輪って言うんだっけ…?前に、店で見かけてたから、ハッシュに頼んで買ってきてもらったんだ。」
『は…!?やっ、あの…っ、な、何で結婚指輪…っ!?』
「え…?何でって…結婚するなら、指輪は必要な物なんでしょ?」
『いや、そうじゃなくて…!どうして結婚指輪なんかくれるのかって事…っ!!』
「どうしてって…俺がルツと結婚したいからだけど?それとも、ルツは俺と結婚するの、嫌だった…?」
『そっ、そんなんじゃないけど…っ。でも、何で…?普通、アトラかクーデリアだと思うんだけど…。』
「前にも言ったじゃん。結婚するなら、ルツが良いって。あ、値段の事は気にしないでね?どうせ、俺、金の使い道無いし。使う事自体無かったから、貯金いっぱいあるし。ハッシュに頼んで買ってきてもらったって言っても、今俺動けないからだから。でも、ちゃんと見て決めてたヤツだから、心配しなくて良いよ。」
『ははは…っ。そういう問題…?』
「いや、一応言っといた方が良いかと思って。」
『ありがとう、三日月…っ。開けても良い…?』
「良いよ。その為に買ってきたんだし。何か、一目見た時から気に入ってたんだ、ソレ。なんか雰囲気がバルバトスっぽいだろ?ルツに似合うと思うんだ。」
『うん…っ、凄く綺麗だよ…っ!』
「何で泣いてるの…?」
『嬉しいからだよ…!ねぇ…、結婚する相手、本当に私で良いの…?』
「良いんだよ…。俺、ルツじゃなきゃ、嫌だから。幸せには出来ないかもしれないけど、出来る限りは幸せにするつもり。絶対、ルツの事護るから。だから…、俺と結婚してください。」
『ッ…、喜んで…っ!』】


―あの時、彼が嵌めてくれた指輪は、今も左手の薬指に嵌めてある。

バシャリバシャリと洗顔を済ませて、居間へと向かう。

居間へと行けば、既に食事を始めていた暁が、口いっぱいにおかずを詰め込んだ状態で此方を見てきた。


「ルツ、遅いっ。もう食べ始めちゃってるよ?」
『ハイハイ、ごめんねっ。今、席着くよ。』
「はい、ミルク。」
『ありがとう、アトラ。』
「そういえば、さっき騒がしかった時、何喋ってたの…?」
『嗚呼、アレはね…。』


ミルクを差し出されながらアトラに聞かれた私は、少し眉を下げながら、暁との会話の発端とその内容を話した。

内容は、三日月と暁の類似点についての話だった。


「確かに、暁は三日月とそっくりだよね。髪の毛の質や色、癖っ毛加減は、私に似ちゃってるけど。」
『見た目もそうだけど、特にそっくりなのが目だよね。それに、ふとした時の仕草とかも、どことなく三日月っぽい。やっぱり血筋かな…?』
「だろうねぇ〜っ。三日月の血、すっごく濃く受け継いでるよ、きっと!」
『将来有望だね、暁。あ、でも、三日月まんま育っちゃったら…俺達みたいに一夫多妻制のハーレム作り上げちゃうか…?』
「え…っ!それはちょっとやだな…っ?複雑な母心…。」
「ハーレムって何?」
『ん〜、君はまだ知らなくても良い事かなぁ〜…。』


好奇心旺盛な年齢故に、知らない事はトコトン知りたがる暁が問うてきたが、曖昧にぼかして答える。


「ねぇ、ルツ…?」
『ん?何…?』
「素朴な疑問なんだけど…。何で暁が居る時は、以前使ってた一人称の“俺”を使うの?暁が側に居ない時は使ってないよね…?」
『嗚呼、その事…。答えは簡単だよ。母親は二人も居るのに、父親が一人も居ないのは可笑しいよなぁ〜って訳で…。三人の中で唯一男勝りな俺が、父親役を勝手出てんの。』
「ルツがお父さんになるの…?」
『うんっ。三日月とリアルに結婚してんのも、俺だしね!』


朝食のパンにかぶり付きながら、あっけらかんと返す。

モグモグと咀嚼しつつ、会話を続けていれば、暁からも言葉がかけられる。

それを、ひらひらと結婚指輪をした掌を見せ付けるように振って見せた。

アトラはクスリと笑って、自身も食事の手を進める。

私は、ちゃっちゃと朝食を済ませると、仕事が休みなのを良い機会に、自室に溜まった本を空き部屋で読破していく事にする。

食事中に話題として上がった我等の旦那様を懐かしみ、手は本のページを捲りながらも、思考は三日月の事を思い出していた。

―今でさえ、当然のように受け入れてはいるものの…あの三日月が、名瀬と同じようにハーレムを作るとは、一体誰が予想出来ただろうか。

否、誰も予想出来なかったに違いない。

しかも、彼は、まだ子供と言える年齢であったにも関わらず、彼女と言える女性を三人も侍らせていた。

更には、若くして、アトラとの子供を授かっていた。

結論から言えば、その子が産まれる前に、彼は、最後の戦場で散って逝った。

故に、彼とクリソツと言わんばかりにそっくりな子供が産まれたなど、知らないのだ。

きっと、今頃、天高い蒼空の上で驚いている事だろう。

そして、時を同じくして散って逝った、かつての戦友であるオルガ・イツカに茶化されながら、語り合っている事だろう。

私達を温かく見守りながら、この世の行く末を眺めて…。


「ルツーっ。」
『はーいっ、今行くー!』


暁から呼ばれて、ビスケットの部屋だった場所から出ていく。

彼から貰った指輪は、今も大切に左手の薬指に耀いている。


執筆日:2017.11.06

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