ひだまりの声




何故だか、悲しくなって、涙が溢れてしまう時などはないだろうか。

今の私が、其れだ。

理由は分からぬも、ただ胸の内にぽっかりと穴が開いたように酷く心が虚しくなって涙が溢れてくるのだ。

一時的に、抱く想いと感情とが切り離されたみたいに上手く働かなくなって、考える方向とは逆に器官が動く。

泣きたくもないのに、何でか涙が溢れてきて止まないのだ。

感情の制御の均衡が取れなくなって、まるでガタが来たみたいに崩れ落ちる。

そうして、意思とは反対に勝手に涙腺が緩んで涙が溢れていく。

こんなの変だ、とは分かっている。

でも、私の涙腺を制御する器官は、感情を制御する糸は、狂ったみたいに時折可笑しくなって壊れる。

何も理由無く涙を流す人なんて、ただの可笑しな人間じゃないか。

可笑しな人間というものは、大抵が気味悪がられたり忌み嫌われたりして、煙たがられるか疎まれ蔑みの対象となって輪の内から排除される。

今の私は、正しくそんな内の一人だ。

惨めったらしく、過去に遭った事を思い起こすかのように脳裏に甦らせて女々しく泣き喚く。

なんと醜く恥晒しも甚だしいのか。

そんな事が思考に掠めるが、今はそういう事ではないのだ。

ただ、何も無くて、涙が勝手に目から溢れ落ちていく。

虚ろ、虚無、空洞、空っぽ。

現状の感情を言い表す言葉は幾らでも存在するだろうが、恐らくきっと今挙げたような言葉が適当だろう。

ただただ鬱に陰ってゆく心模様に乗せられるかのように、視界が潤んで歪んでいく。

気付けば、目の端から塩分を含んだみたいに塩辛い透明な滴が頬を伝って溢れ落ちている。

自分の感情が分からない。

時々、胸の内がそんな風に気持ちを開示してくる。

だがしかし、どうすれば其れが解決するのかは分からない。

分からない事が分からない。

分からないから分からない。

もう何もかもがぐちゃぐちゃだ。

思考が入り乱れて正常に働かない。

そうなったら、後は涙が自然と止まってくれるのを待つしかない。

止まったかのように思えた矢先で、また溢れ始めてしまったら、再び止むのを待つしかない。

まるで無限ループだ。

自分の事なのに、自分じゃ分からなくなる。

嗚呼、何も分からなくて、とてつもなく虚しくて、涙が止まらない。

誰か、この涙の蛇口を閉めてくれ。

誰でもは良くないかもしれないけれど、もしこんな私を受け入れてくれる人が居るのならば、どうか助けて欲しい。

まるで暗闇の中に独り置いてきぼりにされて蹲る幼子のようで、滑稽だ。

もう、よく分からない。

出鱈目な思考では、まともな考えが導き出せない。

一眠りしたら、治るだろうか。

治れば良いな。

はらはら、ぽたぽたと流れゆく涙を止めれぬまま、思考を止めて空(クウ)を眺めてた。

そしたら、耳に優しい音色が聴こえてきた。


「どうして、君は泣いているんだ…?」


音色が聴こえてきた方角へそっと振り返る。

すると、赤みを帯びた黒髪の少年が膝を折って此方を窺い見ていた。


『…どうして…?そんなもの、私にも分からないよ…。分からないけど、凄く虚しくて何だか悲しくて、涙が止まらないんだ…っ。』
「そうなのか…。」
『泣きたくもない筈なのに、何故だか涙が勝手に溢れてきて…。もう訳が分からないよぅ………!』
「理由は分からないけど、涙が溢れてしまうんだね?」
『……うん。』
「うーん。…なら、その涙が止まるまで、俺が側に付いていてあげるよ。」
『え……?』


名も知らぬ少年はそう言って、私のすぐ側に腰を下ろして座った。

訳が分からない私は、其れを呆然と見遣る。


「大丈夫、安心して。俺は、君に変な事をするつもりは無いし、危害を加えるつもりも無い。ただ、君の涙が止まるまで、君の側に居るよ。」
『……どうして?』
「もしかしたら、その涙は、君が心の底では寂しくて誰かに寄り添って欲しいと思っているからなのかもしれないからかな…?もしくは、とにかく誰かに安心させてもらいたいのかもしれない…!」
『………。』
「…大丈夫。大丈夫だよ。今はよく分からなくても、泣きたいだけ泣けば良い。理由は後から幾らでも考えれば良いから…今は涙が自然と止まってくれるまで、我慢せず泣いて良いぞ。」
『…………っく、…ひっく、……ふぅ゙っ、…ぅ゙ううう………ッ!』


彼にそう言われたら、何だかやけにすとんっと胸に落ちて、口から嗚咽が漏れる。

少年は、優しく声を掛け続けながら、頭を撫でてくれた。

嗚咽で呼吸が儘ならずに咳き込めば、背中を擦って「大丈夫か?落ち着いて深呼吸しような。」と言ってくれた。

彼のおかげで、随分と心が軽くなった気がした。

暫くして涙が止まると、少年は泣いて腫れぼったくなってしまった目蓋を見て、気の毒そうに顔を歪めて言った。


「たくさん泣いた事で、目蓋が腫れてしまったな…。」
『…これぐらい、どうって事ないよ。自分のせいだ。放っておけば…その内治る。』
「其れでは駄目だ。君は女の子だし、顔は身体の部位で一番目立つ場所だ。今すぐ冷やした方が良い。…自分の事を大事にするのも、時には大切な事だぞ?ちょっと待っていてくれ。手拭いを水で濡らしてくるから。」


そう言って、彼は少しの間側を離、濡れた手拭いを持ってきてくれた。


「此れで、腫れた目蓋を冷やすと良い。少しだけ上向きに向いて、目蓋の上に暫く乗せておくんだ。そうすれば、今よりも少しマシになると思うよ。」
『…ありがとう。』
「どういたしまして。」


少年はにこやかに微笑んで笑った。

少年のお陰で、鬱に暮れていた心に日が射し込んだ。

名も知らぬ少年に礼を告げて別れる。

少年の柔らかな温かい声が私を救ってくれたようで、私の心は先程までと違って温かかった。

もし、また出逢える事があるのなら、その時は今日の御礼をしようと明るみを帯び始めた道を歩き出した。


執筆日:2019.09.16

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