誘うかおり




「アタシはこっちやっちゃうから、そっちの方お願いねっ。」
『はぁい…っ!此れ等の皮剥きをやれば良いのね?相変わらずエグイ量だなぁ〜…ま、文句言っててもしょうがないか。さっさと終わらせて仕込み始めないとね…っと!』


甲鉄城で暮らし始めてどれくらいが経っただろう。

毎日大変だけど、そんな大変な日常にすっかり慣れちゃってからは特に何とも思わなくなってしまった。

苦労ばかりが多い生活だけども、辛い事ばかりじゃないと気付いたのは最近だ。

私はただの人間で一般人と何ら変わりないから、カバネと戦える力なんて持ってない。

だから、そんな私達の代わりに戦ってくれる武士の人達やカバネリの無名ちゃん達、甲鉄城の皆を支える為に身の周りの事に手を尽くすのが私達の仕事。

そういう仕事の一つとして、皆の為の御飯を作る為の準備に甲鉄城の女共は奔走していた。

私もその一人。

大した戦力にはなれないかもしれないけど、何もしないよりは良いだろうと手伝いを申し出て、今夜の夕食用に用意された大量の野菜類の皮剥きを手伝っていた。

本来、女子供は皆おもに家事担当だ。

でも、私はそういうのが苦手な性分だから、普段はどっちかというと力仕事や甲鉄城内の整備係に回されている。

其れでも、こうして食事の支度の手伝いをするくらいの小さな仕事を請け負う事もある。

何せ、常に此処は戦場と隣り合わせなら、生活を回していく為の人力だって少なく人手不足なのだ。

何事も助け合っていかないと生きていけないし、安全な生活も儘ならない。

そんなこんな頭の隅で考えながらも、手元は休まず動かして籠の中に積まれた野菜類を捌いていく。

包丁を握ってどんどんと野菜の皮剥きをしている最中、「私ももっと皆の力になれたら良いのになぁ…。」なんて変に思考を飛ばして考え事をしていたら、そんな時に限ってうっかり手元が狂ってしまい。


『あ、やば…っ。』


気付いた時には遅くて、手元への注意を怠ったせいで利き手とは逆の指に小さな赤い筋が出来てしまっていた。

家事仕事には向いていないとは分かっていたし、どっかでやらかすだろうなぁ〜とは思っていたけれども、こうも予想通りにやらかしてしまうとはなかなかに情けない。


『あーあ…やらかしちまったなぁ…っ。』
「え…っ、律ちゃん、指切っちゃったの!?大丈夫!?」
『あぁ〜、此れくらい大した事ないから…。ほら、ちょっと切れちゃって血が出ただけだし。大丈夫だよ、鰍。』
「でも、早く手当てしてきた方が良いよ!えっと、確か近くに絆創膏があったような…っ。」
『あー、良いよ良いよ。此れくらい自分で手当て出来るから。ほら、飯炊き遅れちゃうと悪いから、鰍は戻った戻った…!私が抜ける間、代わりに宜しくね?私は一旦甲鉄城ん中戻って絆創膏取ってくるから。』
「分かった!念の為、傷口洗って消毒しとくんだよ?もし傷口にバイ菌でも入って化膿したりなんてしたら大変だからね…!」
『分かってるって、鰍は心配し過ぎだよ。』
「もう…っ!心配して言ってるのにぃ!」


後ろで頬を膨らまして怒る鰍に笑って手を振り返し、一旦皆の輪から外れてその場を後にする。

さて、応急手当の類が置いてあったのは、資材置場の何処だったか…。

救急箱などの医療道具が仕舞われていた場所を思い出しながら甲鉄城の中に戻って車両内を歩いていると、前方からカバネリコンビの二人が歩いてきた。


『あれ…っ、お二人さん揃ってどうしたの?』
「あっ、律…!私達、今丁度特訓終えてきたばっかでさ。躰動かしていっぱい汗かいちゃったし、外の空気吸いたいなって思って移動してたとこだったの!」
『そっか。何時も精が出るね…っ、お疲れ様!もう少ししたら夕飯も出来るだろうから、無名ちゃん達の御飯も用意するね?』
「有難う…っ!律は私達の事あんまり怖がらないから嬉しい…!」
『そりゃ、無名ちゃん達みたいには戦えない私達の代わりに何時もカバネと戦って皆の事助けてくれるんだもん。無下にしたりなんてしないよ。』


手拭いで汗を拭いながらにこやかに会話に花を咲かせていると、さっきから変にだんまりで一向に喋る気配の無い生駒の様子が気になって彼の方を見遣った。


『生駒…?どうしたの?』
「生駒?何黙っちゃってんのよ?」
「……………ッハ!あ…俺、今、完全に無意識に…っ。」
「ちょっと、さっきまでの元気は何処行っちゃったのさ?」
「いや、本当ごめん!ワザとじゃないんだ…っ!微かになんだけど血の匂いがした気がして、其れを嗅いでから妙にこう…ザワザワァーッ!って感じになってさ……何だろ?」
『あ゛ー…っ、もしかして此れのせいかな?』


たぶんカバネリとしての血が騒いだんだろう。

沢山躰を動かしてお腹を空かしてたのもあって過剰に血の匂いに反応したらしい。

ギラギラと紅い目をギラつかせる生駒の前に、さっき包丁で切ってしまった指を出して見せた。


「あ、さっきから血の匂いがしてたのは律だったんだ。」
「指、切れてるじゃないか…!」
『うん。さっき飯炊きの手伝いしてたらうっかり包丁で手ぇ切っちゃってね。ちっちゃい傷だけど、血が出てたから其れに反応したんでしょ。生駒、よっぽどお腹空いてたんだね?』
「うん…まぁ、もうじき飯時だし……。」
「そういや私もお腹ペコペコ〜。」
『此れぐらいの傷じゃあすぐに血ぃ止まっちゃうけど…良かったらいる?私の血。』
「え…っ!?」
「あ、其れ良いね!貰っちゃおう!」
「いや、何言ってるんだよ無名…っ!!」
「そっちこそ何言ってるのよ。こんな絶好のチャンス逃す方が馬鹿みたいでしょ?其れに、せっかく律がくれるって言ってるんだから貰わない方が悪いじゃん…!何より、私も躰動かしてお腹空いてるしっ。」
「いや、だけど…!」
「もぉ〜…っ、生駒ったら面倒くさいなぁ…。じゃあ、私は鰍から貰ってくるから、律のは生駒にあげる!其れで良いよね?」
「はあっっっ!?な、何勝手に決めて…ッ!!」
『あ、うん。無名ちゃんが其れで良いなら、私も構わないけど。』
「じゃ、私鰍んとこ行ってくるね。生駒の事宜しくぅー!」
「ちょっ、待てってば無名…っ!!人の話聞けって……ッ、」
『はぁーい、行ってらっしゃーい。』


軽く手を振って彼女の背を見送ると、傍らでは状況に置いてけぼりにされた生駒が呆然とした後に項垂れてしょげた。

うん、何だか哀愁漂ってて可哀そう。

元気付けてやる為にも、少ない血を提供してあげてしんぜよう。


『はい、新鮮な血。遠慮せずにどうぞ。』
「…律って意外と物怖じしないと言うか、変な時に肝が据わってるよな…。」
『そう?持ちつ持たれつの関係でやったつもりだったんだけど…何か違ったかな。』
「いや、変な事言ってごめん。別に律の気遣いが迷惑だった訳じゃないんだ。ただ、律は本当に良いのかな、って…。」
『何が?』
「いや…その、抵抗とか無いのかって事……っ。ほら、少なからず他の人は律程俺達に血を提供する事、快く思ってないからさ…其れで。」
『成程…。生駒は変なとこで気にするね。』
「な…っ、変って事はないだろ!?」
『私が良いって言ってるんだから、そんな気にする事ないよ。ほら、血が乾いて固まっちゃう前にさ。さっさと舐めちゃってくださいな。』
「ッ…、分かったよ……っ。有難く頂きます…。」
『はい、どうぞ召し上がれ。』


血の垂れる指をそっと受け取って顔を近付けた生駒は、そのまま血の匂いに魅かれるように口を付けてぺろぺろと舐め始めた。

舌先を尖らせてちろちろと指を這う舌の感触が何とも言えない感触で擽ったい。


『…血、美味しい?』
「うん…っ。腹減ってたから、余計に……。」
『ふーん…血ってそんなに美味しいもん?偶に今日みたいに手ぇ切っちゃったりして自分の血舐めてみたりする事あるけど、そんな美味しくは感じないかなぁ…。ただ鉄の味がするって分かるだけであんま美味しくはないよね。』
「俺達の場合はカバネリで、半分カバネだからな。普通の人間である律が自分の血なんかを舐めても美味しく感じないのは当然の事だと思う。」
『やっぱそういう事なのかぁ〜…よく分かんないな。』
「血を提供してくれるのは純粋に嬉しいけど、そんな風に思われながら血を貰うのも何か気まずいな……っ。」
『あ、ごめんね。別にそういうつもりはなかったんだけど、気にしちゃったならすまん。生駒は気にしないで血舐めてて良いよ。』
「そう淡々と返されるのも逆に複雑というかなぁ…っ、はぁ。律の危機感の無さが偶に心配になる…。」


そう言いつつも、血を舐めるのは止めないところを見るに、やっぱりお腹が空いてたんだと思う。

傷口から滲み出てくる血さえも求めるように舐めるだけだったのから甘く吸い付いてくるようになった。

その感触が慣れなくて、少し背中がぞわりと粟立った。

少しでも空腹を満たそうと血を欲するカバネリの性質に揺れ動かされて、もっともっとと生駒は私の血を求めた。

次第に力が抜けてきた私は、断りを入れてすぐ側の壁に凭れ掛かるようにして座り込む。

そんな私に、生駒は時折気遣わし気な視線を投げかけてくるも、カバネリの性質故に血を求める衝動に抗えないのか、血の出る指先から口を離さなかった。

ちゅうちゅうと柔く吸われる指先から、じわりじわり自分の血液が彼の口へと吸われていく感覚を直に感じる。

此れは、あんまり長く感じて良いものじゃないな…、と理性的な思考が告げた。

そうして、長いような短いような時間、彼への血の提供を行った。

最初は滴り落ちそうになっていた血もすっかり綺麗に余す事無く平らげられ、気付けば傷口もよく見ないと分からないぐらいになっていた。


「ふぅ……っ、御馳走様でした…!」
『あぁ…うん、お粗末様でした………っ。』
「あっ、わ、悪い…!お腹空いてたからって、ついがっつくような真似して…っ!その、大丈夫か…?」
『あ゛ー…まぁ、うん。大丈夫デス。』
「その返事はあんま大丈夫じゃない感じだよな…。本っ当ごめん…!立てるか?」
『…うん、それくらいなら大丈夫。平気だよ。』
「本当ごめんな…っ?もし気分悪くなったりとかしたら言ってくれよ?責任持って俺が介抱するから…っ!」
『いや…うん、有難う。もしそうなった時は鰍にでも頼むから…もしくは無名ちゃんにでも。その…暫くは一人にしてくれないかな?このまま生駒と一緒に居たら、何か色々と変な事悶々と考えてきそうだから…。』
「え?あ、うん…っ、分かった…!そっとしておけば良いんだな?じゃ、じゃあ俺も外行ってるから…あ、傷、ちゃんと絆創膏貼っとくんだぞ!」
『うん…分かってるって……。』


変なとこで鈍い生駒は不思議そうな顔をしながらも、そう言って外へ向かって出て行った。

まぁ、こういう時、逆に鈍ちんで居てくれて良かったと思って深く溜め息を吐き出した。


『っはぁ〜………ッ。流石の今のはヤバかったなぁ……………あのまま血吸われてたらどうなるかと思ったよ。切ったのがちょっとのレベルで良かったぁ〜………っ。』


変に火照ってしまった頭を冷やすべく、私も外の風に当たりに行くかと生駒達が向かったのとは逆方向に進んで外の冷たい外気に当たりに行く。

あ…結局、後の仕事鰍に押し付ける形になっちゃって申し訳なかったな…。

まぁ、たぶん無名ちゃん辺りが話してくれてると思うから、もうちょっと一人きりで居させてもらおう。

そうやって一人風に当たりながら思い耽り黄昏れるのであった。


執筆日:2020.05.17

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