目蓋の裏で見えるもの



※此れを書いた作者は、ニワカ知識にて執筆しております。
※一応、アニメの一期と二期のみ履修済みです。
※尚、当作品は、作者の自己満且つ俺得構成より成り立った作品です。
※以上を踏まえた上で、どうぞ。


 閉じたばかりの目蓋の裏で光の粒子が波打っている。否、蠢いている。
 凡そ、ただの無機物とは言い難い、何方かと言うと生き物のような動き方をした其れは、何なのか。目蓋を開き見ていた時の光の残滓か。或いは、体内を巡る血液の流れが見せたものか。また、或いは、目が捉えた錯覚なるものか。
 答えは、不明だ。分からない。分からないままで居た方が心穏やかなままで居れるだろう、という事だけは確かに分かる。其れは何故か。だって、仮に今見た現象が他の存在が与えて起きた現象だと知れたら、怖いだろう。自分以外の何ものかが与えた影響で起きる事だなんて、答えを与えない方が良い。心の平穏を崩してしまうだろうから。
 人の心は、些細な事でさえ均衡を崩す。特に、他の生き物の存在から与えられる刺激や影響というものには、滅法弱い。だから、下手な口は利かずに黙する。特異とした物事には秘して蓋をする。そうすれば、心の平穏を保ったままで居られるから。
 だが、誰に言うでもなく、ただ自分一人が知るだけならばどうか。例え、その答えを知ったところで、周りの人間へと共有しなければ他を脅かす脅威にすら成り得ない。単に自分一人が何かについてを知り、納得するか否かに終わる。


 時折、目を閉じたばかりの目蓋の裏で何某かの光が蠢くのを見た。其れが何なのか、子供の時から不思議に思っていた。大人になった今でも時々見ている。
 静かにふっと目を閉じた先の、目蓋の向こう側とでも言うのか――否、何方かと言えば目蓋の裏といった感じの印象だ――其処に、光の粒子か、光の筋か、そんなものがチラチラと映るのだ。本来ならば、目を閉じた視界というものは、目蓋という壁に視界を塞がれて暗闇しか映さない筈である。偶に、眩しい光の当たる場所なんかでは、目蓋の向こう側を透けて光が映る事はあれども。そうではない。
 明かりも消した暗闇の中、床に就いて眠る寸で、目を閉じた時にも見える何か。輪郭は朧げで、その時々で違う形違う姿が映った。非科学的な何かのように思えて、不気味とも言える其れは、一体何なのか。ずっと、不思議に思っていた。
 此れを口に出した時は決まって、“どうせ目の錯覚に過ぎない”やら、果てには“そんな事を言うくらい疲れてしまっているのだろう”と言われ、今日のところは早めに床に就くように付け加えられた。だから、通りすがりの旅人に話したとて、自分の望むような答えは返ってきやしないと思いつつも、暇潰しの世間話でもするかのように問うていた。彼が、医者紛いの事を生業とする者だと風の噂に聞いたからだろうか。初対面の人間相手に、うっかり口が滑ってしまっていた。
 すると、彼は、何ら不思議にも不気味とも思わない平然とした口調で答えを口にした。
「あぁ、そいつは蟲の仕業でしょうな」
「えっ……むし、とな?」
「そう。俺が言う蟲ってのは、其処らの地面を這って生きている蟻なんかの“虫”の事ではなく、普通の人の目には見えない類の方の“蟲”の事だ。あぁ、其れ等が見えるからと言って、別に変な事でも可笑しな事でもないから、そう気に病まんでくれ。あんたが見ている蟲は害の無い物で、目蓋を通して見えちまってるだけだから気にしなくて良い。ただ、見える事で何かしらの不調を訴えてるとかなら、俺の出番だな」
「えっと……まさか、こんな簡単に答えが返ってくるとは思ってなくて驚きなんだが……。あんた、一体何者なんだい?」
 そう問うと、男は煙草を咥えた口端を吊り上げてニッと笑う。
「何者かと問われれば、蟲師をやってるモンだ。名は、ギンコと言う。あんたは?」
「律だけど……」
「律か。あんたの今の話、もうちょい詳しく聞かせちゃくれねぇか? 蟲が関わる事なら、俺が何とか出来るかもしれんのでね」
「別段困ってるとかではないから、どうにかしてもらおうとかって話でもないんだが……まぁ、他の人にはそう安々とは話せん内容故に、聞いてくれる相手が居るのは有難いよ」
「何だ、あんた意外と平気なんだな」
「生き物としての“虫”の類は苦手な方だが、普通の人の目には見えない類の方の話なら幾らか耐性が有るんでね。昔、話を聞いてくれたあんたみたいな旅人に言われた事だが……曰く、波長が合っちまった所為だとか。だから、常として見える訳じゃあないが、時折視界にチラつく事があるんだろうって」
「へぇ。前にも蟲師が此処に来たのかい?」
「あんたと同じく蟲師をやっていたかどうかは訊いちゃいないんで知らないが、何処となく纏う空気があんたと似た雰囲気だったのだけは覚えているよ。ちょろっと言葉を交わしただけだったから、詳しくは知らないがな」
「まぁ、俺達みたいな者は一つ処に留まらず、彼方此方を旅しながら、その時々で立ち寄っては宿を借りるついでにその恩を生業で返して生活している。あんたが過去に出会ったっつーその人も、同業者か、或いは似た職業に就いてる奴だったんだろうな」
 ギンコと名乗った白髪の男は、凡そ人間らしくない翡翠の目をして、煙草を吹かしていた。浮世離れした雰囲気だが、不思議と落ち着く、そんな感じの人だ。
 彼曰く、これまで見えていた不思議なもの達は、皆蟲と言う生き物達だったらしい。生き物、と称して正しいかどうかはあやふやだが、生きとし生ける生命の源たる場所に近しいところで息衝く物達だ。衆生の枠組みからは少し外れた物だけども。害が無い限りはそのままにしておく方が良いのだとか。其れが、生きるもの同士の共存とでも言えようか。
「あんたは、蟲を恐れないんだな」
「何故? 不思議とは思えども、怖いと思った事はないよ。子供の頃は、何も知らなかったから、不気味とは思ったかもしれないけどね。自分が生きる人生の中で本当の意味で恐ろしいと思ったのは、生きた人間だけ。此れに尽きるさ」
「ははっ、確かに言い得て妙だ。どうやら、あんたは俺達みたいなのと馬が合うらしい。話していて面白いよ」
「そんな事、初めて言われたな……。でも、まぁ、悪い気はしないね。自分も、あんたと言葉を交わすのが不思議と心地良く感じてるし」
「そりゃ結構。あんたさえ良ければ、今宵一献酒でもどうだい?」
「其れは良い! 囲炉裏を囲んで鍋でも突付きながらしっぽり盃を交わすとしましょうや!」
 流れの旅人である蟲師の男は、ほんに不思議な人であった。まるで、昔の友人にでも会ったかの如く会話が弾んだ。浮世離れした雰囲気を纏う人であるのに、微塵も怖いという感情は抱かなかった。
 ギンコという名の蟲師は、数日宿に滞在した後、次の目的地へと旅立って行った。機会があれば、また顔を見る事もあろう。その時が来たら、また酒を飲み交わしながら不思議な話に花を咲かせてみたいものである。


執筆日:2024.02.06

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