海の底を歩く


「ねぇ、コナーは海って行った事ある?」
「海、ですか…?…いえ、僕はまだ行った事がありませんね。僕が今までに行った事があると言ったら、主に事件現場となった場所ばかりですから。その他でしたら、犯人確保の為に向かった場所ですとか、ハンクや貴女に連れられて行った場所くらいでしょうか」
「訊いといて何だけど、情緒も風情の欠片も無いとこばっかだね…。でも、そうだよね…コナーはデトロイト市警の所有するアンドロイドだから、行動範囲が制限されてて、私達みたいには自由に出歩けなかったんだった。…うん、ちょっと考えればすぐに辿り着く話だったよね。御免、不躾な事訊いちゃって…」
「いえ、気にしないでください。僕は貴女のその優しい気遣いが嬉しいですよ。有難うございます」
「い〜え〜、此方こそ気にしないでー」


 彼女からそんな話を振られたのは、今日のお勤めが終わっての事。
迷う事無く真っ直ぐと家まで直帰した彼女に付いていき、自宅へお邪魔し、食事も済ませてのんびりと腹休めにテレビを眺めている時の話である。
 何を切っ掛けにそんな話を振ってきたのか、彼女の意図は分からなかったが、時折彼女は突拍子もない話を気まぐれに思い付きで振る事があるので、たぶん今の話もそんなところだったのだろうと見当を付けた。
何せ、今の話に纏わるような要素が、今に至るまでの前後に無かった。
つまりは、そういう事である。
 まだ続きがあるのか、僕は何気ない風に期待を寄せて彼女に身を寄せた。
そうして、彼女が手に持つiPad端末に開かれた画面を視界に入れて、納得した。
僕が気付かぬところで、今の話を振るに至る経緯と切っ掛けとなる要素が、其処にはあったのだ。
 彼女が画面に開いていたのは、某動画専門サイトで、月額幾らで契約している内は好きなだけ色んなアニメや映画を無料で観れるという、巷で人気のサイトであった。
確か彼女は、仕事が休みの日や暇が出来た日なんかに度々このサイトを開いて僕と一緒にアニメや映画を見ていたのだったか。
画面に映された海ネタ特集という項目に、何となしに気が惹かれたのだろう。
彼女はその項目をクリックして、ずらりと出てきたタイトル欄の中から某有名なアニメ映画のタイトルを選んだ。
どうやら、今夜は眠るまでの間に一本何かしらの映画を観たい気分らしい。
彼女は、端末を見つめながら、僕へ問いかけた。


「何か今日のテレビつまんないから、映画でも一緒に観ない?」
「良いですよ。何を観るか、決まってますか?」
「私、コレ観たいと思うんだけど…」
「あぁ、ソレですか。確か、以前貴女が“観てみたいと思ってはいたけど未だ観た事がない”と言っていたヤツですよね。ルイスが観たいと思うものに、僕は興味があります。では、今夜はこの映画を観て楽しみましょうか」
「んじゃ、テレビは一旦切っちゃうね。お風呂はコレを観終わった後に入ろっか」
「でしたら、僕は映画を楽しむ為の飲み物を用意してきますね」
「有難う」


 僕はササッと手早く飲み物を準備して、彼女の待つソファーへと戻る。
僕が隣へと戻ってきたのを確認すると、彼女は満を持したように再生ボタンをクリックした。
其れから暫く、僕と彼女は二人きりで静かに映画を楽しんだ。


 ―一頻り映画を観て余韻に浸りつつ感想を言い合いながらの入浴を共にして、僕とルイスはベッドに入った。
シャンプーの甘い香りと石鹸の淡く清らかな香りを纏わせた彼女を抱き寄せて、柔らかで良い匂いのする髪や額に口付けつつ、彼女を独占出来るこの時間を愛しく思った。
今日も一日仕事に勤めて疲れているだろうに、彼女はまだ映画を観た事による興奮で眠れないのか、睡眠という休息を必要としない僕に甘えの態度を見せて「今日はもうちょっとだけ起きてても良い…?」と問うてきた。
そんなあざとさの滲む可愛らしささえも愛しくて、僕は頬を緩めて微笑んだ。


「少しだけですからね…?あまり遅くまで起きていては、明日のお仕事に響きますし、何より貴女が寝不足になってしまってはいけませんから。少しだけなら許可してあげましょう」
「んふふっ…有難う、コナー。どうしても貴方ともうちょっとだけお話していたくって…!我が儘聞いてくれてありがとね」
「いえ、僕の方もルイスとお話していたいと思ってしまいましたから…お互い様です。でも、時間も時間ですから、本当にちょっとだけですよ…?満足したら、ちゃんと寝てくださいね」
「分かってるって…!ちょっとお話したら寝るよ」


 布団の中で向かい合わせになると、彼女は夜の時間と寝る前である事も合わさって声を落として小さな声で話し始めた。


「ねぇねぇ、海に繋がる話から訊くけども、コナーって泳げる?それとも泳げない?」
「泳ごうと思えば泳げるとは思いますが…僕はアンドロイドですから、恐らく水に浮く以前に沈んでしまうでしょうね。アンドロイドに浮力は搭載されていませんから、重さで沈んでしまうんですよ」
「成程〜。じゃあ、仮にコナーが海へ行ったとして、海の中にダイブしたらそのままザブンッと下まで沈んでっちゃう訳だ…?」
「実際に試した事が無い以上、憶測でしか言えませんが…たぶん、そうなるでしょうね」
「え、其れは其れで面白そうだから見てみたいな…っ。水に浮かないって事は、そのまま海底とか歩けそうじゃない?そしたら、海底調査隊みたいな事出来るじゃん!面白そうだし、楽しそう…っ!」
「…今度プールか何かで試してみます?」
「いや、いっその事、海まで行って試しちゃおう…!今度の休みに近場の海水浴場行ってみようよ!まだ暑いから、気候的に泳いだって全然へっちゃらよ!」
「確かに、今年は例年に比べて異常な暑さを記録してますからね…海水温もまだ高く、泳ぐのには適した環境でしょう」
「決まりね…!次の休みは海に行こう!だから、事件よ何も起こるな、平穏な日常であれ〜…っ」


 余程楽しみなのか、次の休みが緊急な仕事や事件で潰されないようにと念を込めて祈るルイス。
時間が許されるならば、僕も彼女との時間を沢山過ごしたいので、出来れば事件や急な仕事が入ってこない事を祈る。
 一先ず、次の休みには海へ行くという事が決まったので、僕は比較的近い場所で安全な海水浴場の場所を検索に掛け、幾つかピックアップした。
此処、デトロイトから海までは遠い距離であるが、車を使えば行けない距離でもない。
ついでに、ドライブも楽しもうという事込みのルートを検索し、其方もピックアップしておく。
彼女とのデートは貴重な時間である。
格好良い彼氏を努める為にも、デートへ掛ける思いは人一倍強い。
よって、デートへの計画に余念は無い。
 海水浴へ出掛けるのに必要な物もピックアップしながら、ぐるぐると思考を回していてふ…っ、と思った。


「海と言えば水着ですが…ルイスは水着お持ちでしたっけ?水着その物を所持している記憶が僕にはありませんが…」
「あー…どっかに泳ぎに行くって事自体、学生時代の頃以来無かったからなぁ…今の私が着れる水着は無かったね」
「じゃあ、明日にでも暇な時間に買いに行きましょう。僕のも必要ですしね!せっかくですから、お互いに選んだ水着を着て行きませんか?」
「えっ、其れ、は別に構わないけども…もう何十年と水着なんて着てないから恥ずかしいな……っ。激務故に太ってはいないけども、ナイスバディーと言える程の体型でもないし…」
「大丈夫です、ルイスは綺麗ですよ。僕が保証します。何たって、僕は夜の営みをする度に確認しているんですからね、間違いありません。貴女の躰は綺麗だ。なので、その肌を太陽に曝し僕以外の誰かに見られてしまう事が心配ですね。端的に言って嫉妬してしまいそうです…っ」
「いや、ちゃんと水着の上からパーカー着るし、泳ぐ時はコナーと二人きりなんだから、見るのはコナー一人だけよ?…というか、一々そういう恥ずかしい言い方しないでよ、もう…っ」
「そうですよね!其れを聞いて僕は安心致しました!そうと決まれば、ルイスに似合う素敵な水着を選ばないといけませんね…!どんなタイプが良いですかね?今の内に好みのタイプをインプットして、良い感じの物をピックアップしておきます」
「気が早いし仕事が早いな…!」
「だって、ルイスの貴重な水着姿ですよ…?控えめに言って凄く見たいですし、興奮を抑え切れません」
「正直か!いや、まぁ、初めての事にテンション上がる気持ちは分かるけどもね?…斯く言う私も気になるし、コナーの水着姿…。コナーってば普通にしてても格好良いから、きっと水着だって着こなしちゃうんだわ…」
「すみません。既に想像だけでも興奮を禁じ得ませんが、今の恥ずかしがって頬を染めつつもそんな愛らしい事を言う貴女に興奮せざるを得ません」
「待って、今そういう話じゃないから落ち着いて、正気を保って」
「すみません」


 思わぬ事でヤル気スイッチが入りかけてしまい、彼女に迷惑をかけてしまうところだった。
今日はもう夜も遅い時間だし、明日も仕事が待っている。
よって、今夜は大人しく寝る事を推奨する。
今は、その推奨事項へ促す為の大事な時間である。
其れを邪魔するとは何事か。
僕は思考を整理し直す事で頭をリフレッシュさせた。
 取り敢えず、彼女の好みの水着のタイプはズボンタイプとの事らしい。
露出は控えめなところが彼女らしい選出である。
別のタイプにはなるが、彼女の好みに触れそうなタイプの水着もピックアップしておく。
後は、実際にお店で試着してみてから決める事にしよう。
ネットの通販で選んだ物でも事足りるかもしれないが、いざ実際に着てみて着心地が悪かったりサイズが合わなかったりしたら意味が無い。
だから、買うのは直接お店を覗いて見てから決めたいところである。


「ところで、ルイスは泳ぎは得意なんですか…?」
「いや、ぶっちゃけ苦手で泳げない方だよ。カナヅチと言っても良いくらいのレベルに駄目駄目」
「じゃあ、何で海に行きたいだなんて言い出したんですか…」
「純粋に、私がコナーと海に行ってみたかったから。あわよくば、ちょっとだけ泳いでみたりなんてして、恋人同士の定番を味わってみたかったのよ。ほら、よく色んな媒体でもカップルでのネタとして見掛けるじゃない…?恋人達が海へ行って浜辺やら何やらでキャッキャウフフしてるヤツ。一度くらいは、そんなのを私もリアルに体験してみたいって訳。…実際のとこ、今の今まで彼氏とか居た事無かったから、そういう体験出来なかったけどもね。あと、海行ってもそんな泳げないから、家族とか知り合いに連れられて海水浴行った事あるけども、あんまり楽しめなかった記憶しか無いのよねぇ〜…。どっちかと言うと、海よりバーベキューの方がメインに楽しんでたかな、過去の私」
「そうだったんですね…。だったら、是非とも一緒に行きましょうか。貴女の初めての彼氏として、貴女が楽しめるよう努めますね!仮に、泳ぎが苦手な人でも海を楽しめる方法はありますよ!スキューバダイビングなんてどうですか?アレでしたら、比較的浅瀬の安全な場所で泳ぐだけですし、有名な場所とかでしたら、きちんと案内係の方が付いていますから。海の中の景色や生き物達を鑑賞するというのは、興味深くありませんか…?まぁ、似たような事は水族館でも出来そうですが…」
「水族館も行ってみたいけれどね。まずは実際の海に潜ってみたいかなぁ…。そんで、海底を歩くコナーを眺めるの!絶対シュールな光景だろうけど、見てて飽きなさそう…っ!」
「海の中を泳ぐ魚達ではなく、僕を眺めるんですか…?」
「うん。だって、海へ行きたいと思った理由の根本が、コナーが海の中で歩いてるのを見るって事だもの。きっと、某夢の国の物語に出てくるみたいな光景になるんでしょうね〜…。太陽の光が射し込む海の中、キラキラと光る水泡を纏わせながら海底を歩くコナーの周りを、色とりどりの鮮やかな姿をした小魚達の群れが“何だ、コイツは!何か変な面白い奴が居るぞ!”って興味津々に見ながら泳いでるの。…で、私は其れを水面近くで泳ぎながら眺めるのよ。ふふっ…想像しただけで何だか楽しみだわ!素敵な思い出になりそう…」


 そううっとりとした微笑みを浮かべて笑った彼女の言葉に、僕はシリウムポンプのある場所――人間で言う心臓のある箇所をギュンッと締め付けられるように感じて、内心「グッ…!」と呻いた。
頼むから、そんな不意打ちにも可愛い事を言わないでくれ…っ。
米神のLEDライトが真っ赤になって点滅するくらいにはときめいてしまうから。
こういう感情を…人で言うところの“萌え”という感情なのだろう。
彼女は時折天然な程にこういう可愛い事を仕出かしてくれるから、躰が幾らあったとて足りないと思ってしまう。
まぁ、変な話、こういう時こそ、僕はアンドロイドの身で良かったとつくづく思う…。
何故なら、人の身であったならば耐えられない程の衝撃を受けるからである。
恐らく、僕が人間の身であったなら、彼女の可愛さに耐え切れず、今頃死んでいたに違いない。
其れくらい今の彼女は可愛く愛おしかった。
 僕は言葉を失った代わりに、彼女へ愛しさを伝える為に、彼女を腕の中に閉じ込める形で思い切りギュッと抱き締めた。
急な僕からのハグに彼女は驚いたようだったが、嫌がる様子は無く、寧ろ自然と受け入れるように背中へと腕を回して抱き返してきた。
好きだ。
今、この気持ちを抑える事は出来なさそうである。
彼女は僕の腕の中で嬉しそうに胸元へ顔を寄せ、頬擦りをした。
控えめに言って可愛い。
大事な記録としてシャッターを切り、ついでに動画としても収めておこうとRECした。

 ベッドの中でコソコソと話をしていたからか、仕事の疲れも相俟って眠気が来たのだろう。
程好い加減でトロリと微睡み始めた彼女が、甘えるように身を寄せてきた。
僕の彼女が尊い。
またルイスのフォルダーに収まるデータが増えてしまった…幸せである。
 僕は少しだけ身を捩って、甘えてくるルイスへと口付けた。
此れは、愛情を示す為の行為だ。
君の事が好きで好きで堪らないのだと伝える為の、唯一で簡単な方法。
ルイスは小さく笑って擽ったそうにしながらも、其れを甘受した。
嗚呼、愛しくて堪らない、僕の大切な人…ルイス。
君が望むのなら何処へだって一緒に行くし、色んな事を共有し合いたいと思っているよ。
 一頻り顔や耳や首筋といった至る所に触れるだけの可愛らしい口付けを贈ってから、最後に唇へ小さなリップ音を鳴らして口付ける。


「コナーの心臓、凄くドクドクいってるね……ふふふっ、凄く速い心音だ事…」
「貴女と居る時は、いつだってドキドキしっ放しですよ…?」
「んふふっ…其れは嬉しいなぁ…」
「良ければ、貴女の心音も聴きたいのですが…駄目ですか?」
「んっ…、エッチは無しよ…?今日はもう眠たいから…そろそろ寝ましょ…。明日も仕事だしね」
「そうですね…。残念ですが、明日の事を考えて諦めましょう。…その代わりと言っては何ですが、貴女を抱き締めたまま胸元へ頭を埋めて眠っても?」
「良いよぉ…コナーの頭を抱き締めて寝るの、結構好きだから…。コナーの頭って、抱き心地良いよね…変な抱き枕使うより、凄く眠れそう〜……」
「其れは何よりです。僕の我が儘を聞いてくださって有難うございます、ルイス。…愛していますよ」
「ん…私もよ、コナー」


 お互いに安心する姿勢で寝付く二人。
正確に言えば、一人の人間とアンドロイドで、実際に眠るのは彼女だけであり、僕はスリープモードに移行するだけだ。
それでも、形としては、一組の男女が抱き合って眠りに就いている事に変わりはない。
 彼女の心臓がトクトクと規則正しい音を鳴らして、僕の耳元へ響く。
僕は、彼女の呼吸音と心音に聴覚システムの集音レベルを集中させ、休息に入る。
人で言うところのASMRみたいな感じであった。
彼女も興味があるだろうか…。
だったら、今度、一時間か二時間程のタイム数で僕の心拍音のデータを収録して、彼女が眠る際にでも聴かせてみようか。
確か以前、彼女は僕のシリウムポンプが拍動する音を好きだと言っていた筈。
睡眠導入用のASMR動画みたいな構成で作ってみよう。
その為には、彼女が見ていたASMR系の動画の閲覧履歴を確認する必要がある。
囁きボイスとやらが必要なら、其れっぽく録音した音声も載せてみよう。
その時は、眠りを促す周波数を意識した声音で録音しなければ…。
彼女は喜んでくれるだろうか。
其れとも、恥ずかしがってしまうだろうか。
…まぁ、そんな事をせずとも、本物の僕はいつだって側に居るのだから、わざわざそんな物に頼らずとも僕が直接聴かせてあげれば良い話なのだけれども。
興味が湧いたから、一応お試し程度に数パターンのデータを作っておこう。

 翌日、朝目が覚めた後にいつも通りにおはようの挨拶を告げたらば、彼女から僕と海に行っている夢を見たと教えられた。
昨晩、寝る直前に話していた事をそのまま夢に見たと言うのだ。
彼女曰く、起きるのが残念になるくらいとても素敵な夢だったそう。
ならば、その夢を現実とするべく、次の休みまで頑張って働かねば。
そして、満を持して休日を迎えた暁には、僕のピックアップしたオススメの場所へ向かうのである。
彼女が夢に見る程見たいと願う、僕が海底を歩く様を見せる為に。


執筆日:2021.10.04
公開日:2021.10.07