【拾い物】



それは、中島敦が武装探偵社に入社する少し前の話だ。

常の事ながら、仕事をサボり、その分の仕事を国木田と呼ばれる男にぶん投げして、自身は悠々と趣味である自殺を行う為に、今日も今日ながら新しい自殺方法を模索して歩いている時の事だった。

通りすがりに見かけた路地裏の隅っこに、何か人らしき物が倒れているのが目に入った。

此処、横浜では、裏社会の勢力争いが絶えない。

裏側の世界を覗けば、人が倒れていたりする事なんて何も驚く事でもないのである。

しかし、彼は探偵社の人間であるからに、人助けをするのが自然な流れでもあった。


「おや〜…?こんな所に人が倒れてるねぇ…。昨日の夜、此の辺りで何かあったかなぁ?」


目に付いた路地裏へ、通りすがりかけた足を引き戻し、人らしき物が倒れている場所へと近付いていく。

その顔は少し思案顔で、顎の辺りに手を宛がいながらである。


「まぁ…、別に何も無くとも、此の辺りは酒場もあるから…呑んだくれた人がそのまま寝ちゃったなんて事もあるよねぇ…。はぁ…っ、少し面倒だけど、起こして差し上げますか!こんな所で寝てちゃ、風邪引いちゃうからね。」


そう一人言を呟きながら、路地裏のゴミ箱置き場の付近で足を止め、腰を屈めた。


「おーい、其処の人ーっ。こんな所で寝てちゃ、風邪引くよー。起きてー。」


ポンポンッ、と倒れた相手の肩を叩きつつ、声をかける。

すると、すぐ近くで丸まっていた野良猫が「ニャア。」と鳴いた。

その様子に、彼は面倒くさそうにこう返した。


「いや、君に声をかけたんじゃなくてだね…。私は、此の人に声をかけたんだよ。」


しかし、猫に言葉が通じる筈もなく、猫は再び「ニャア。」と鳴き声を返した。

そして、寝ていた室外機の上から身を起こすと、すたりっ、と身軽に降り立ち、倒れている者の元へと歩み寄ってきた。

その様子を、彼は不思議そうな物でも見るように傍観した。


「ニャアニャア。ニャウウ…。」


歩み寄ってきた猫は、そのまま倒れている者の頭に擦り寄った。

すると、先程は反応の無かった者が小さく唸り、ちゃんと生きていると身動いだ。

もぞりとうつ伏せていた顔が横向きになり、初めて相手の顔を拝む事が出来た。


「おやまぁ…随分と綺麗な顔をした男の子だねぇ…。まだ若いのに、何があったのかな。」


静かに呟かれた言葉は、室外機から漏れる音が吸収していった。

猫は、その場に居座り、男の事を見遣っていた。

まるで、この先を促すような、そんな視線を向けて。

正に、そんな感じの空気を纏わせて、猫は再度、「ニャア。」と低めに鳴いた。


「…そんなに急かさなくても、ちゃんと起こすよ。」
「ニャア…。」


不思議かな、会話が成立しているようにも見える光景に、些かファンタジー地味てくるようだ。


「男の面倒を見るなんて、本来の私なら専門外なんだけどねぇ…。一度面倒見かけたなら、最後まで見てあげますかねっ。」


今日は新しく考え付いた自殺方法を試そうと出てきたのに、飛んだ邪魔が入ったものだよ。

そう物語る雰囲気ながらも、溜め息を吐きながらも、倒れている者の身を起こしてやる。


「ほーら、起きなさーい。いつまで寝てる気なのかなー…?此処、外だよー。寝るのなら、お家のベッドにしなさーい。」


起き上がらせた身を片腕で支え、ぺちぺちと頬を叩く。

すれば、眉間に皺が寄った者は小さく唸り声を上げ、ピクリと目蓋を震わせる。

しかし、震わせただけで、一向に目を覚ます気配は無かった。


「参ったねぇ…こりゃ起きないや。どうしたものか…。」


そこで漸く、倒れていた者の身形や装飾品、所持品などに目を向けた。


(どっからどう見ても、一人こんな所を彷徨く装いじゃないな…。あまり良い身形でもなければ、所持しているのは軽めのショルダーバッグのみ。差し詰め、お金が無く、空腹で行き倒れたか。)


そう見当付けて、再び溜め息を吐いた男。


「どう考えても、面倒な事なのに代わりはないじゃないか…。」


未だ眠ったままの者の顔は、蒼白い。

一つ、嘆息吐くと、その者を抱きかかえ背負う。


「このまま野垂れ死なれるよりは、マシだよねぇ…。」


「よいしょっ。」と背負った者が落ちないよう、抱え直して気付く。


(随分と軽いな…。ちゃんとした物を食べてなかったのかな…。)


この者が、どんな風に生きてきて、どんな経緯があってこうなってしまったかは分からないが、唯一分かるのは、今手を差し伸べてやらなければ、その命の灯火は簡単にも消えゆくものだという事。


「飛んだ拾い物しちゃったなぁ〜…っ!こりゃ、国木田君にどやされるね。」


その言葉には、嫌だなといった気持ちが滲み出ていたが、彼が纏う空気は、楽しみだとでも言わんばかりに明るいものだった。


―某時刻、某場所。

飄々とした顔で、いつものように探偵社に帰宅した彼は、今正に例の人物からお怒りを受けようとしていた。


「太宰…ッ、貴様、今まで何処をほっつき歩いていたんだ、ァ゙ア゙…ッ!?」
「やだなぁ、国木田君。そんな怖い顔しないでよー。」
「貴様が仕事をサボって何処其処に行くから、その分が全部俺の方に回ってきててんやわんやなんだよッ!!少しは仕事しろ!!」
「そんなあからさまに怒鳴り付けられちゃあ、遣る気も無くなっちゃうよねぇー?」
「貴様ァ…ッ、この期に及んでまだそんな事を…!………おい、その背中に背負った物は何だ。」
「ちょっと、気付くの遅いよ…?私が此処に帰ってきて、もう数十秒は経ってるんだけど。」
「喧しい…ッ!!俺は今、その背にある物は何だと訊いている…ッ!!」


こめかみに青筋を浮かべながら、彼を指差した国木田は、これでもかと叫ぶ。


「う〜ん…どっからどう見ても人だよね。その人、どうしたの?太宰。」


猫のように糸目な一人の男が、スナック菓子をパクつきながら問う。


「路地裏で拾った。」


あっけらかんと何でもないように答えた彼に、国木田の怒りは更に増した。


「そんな犬猫みたいにひょいひょい何でも拾ってくるな…ッ!!」
「え〜…っ、だって、あのまま放置してたらきっと野垂れ死んじゃってて、寝覚めの悪い事になっちゃってたよ…?そんな事になるくらいなら、ちょっとだけ面倒を見てあげた方が良くない?」
「だからと言って、人間を拾ってくる馬鹿が何処に居る!!面倒は貴様が見るんだぞ!?」
「分かってるよー…。取り敢えず、与謝野先生に診てもらおうと思うんだけど…、」
「与謝野先生なら、つい今しがた出掛けられましたよ?」
「あちゃーっ!バッドタイミングだったか…。一先ず、どっかに寝かせないとね。いつまでも男を背負っとく趣味は、私にはない。彼処のソファーで良いかな?」


怒り心頭だったところも興醒めで、深い深い溜め息を吐くと、ソファーに寝かされた人物を見遣った国木田。


「で…?ソイツは何処の誰なんだ…?」
「それがねぇ、国木田君。はっきりとした事は分かってないのだよ。」
「はぁ…ッ!?」
「所持していたバッグの中身を見てみたけど、此れと言った物は見当たらなくてねー。唯一それらしき物が財布の中に入っていたのだけど…。」


ピラリと指に挟んで見せたカードらしき物。


「運転免許証…十分な身分証明書じゃないか。此れの何処に問題があると?」
「この運転免許証、本当にこの人の物かも怪しいと思わないかい?しかも、書かれている内容もちょっと可笑しいかも。」
「偽造か…。はたまた、別人の物か。」
「だからあまり当てにならないんだよね…。どうしたものかなぁ…?目が覚めてくれない限り、話を聞けないんだよねぇー…。」
「起こせば良いんじゃないのか?」
「それが、一向に起きてくれなかったんだよ…。」
「既に試したが駄目だったという訳か…。此れは、自然に目が覚めるのを待つしかないな。」
「早く起きてー…っ。」


―ピクリ、意識の遠いところで、誰かが呼ぶ声がした。


(誰だ…?)


ゆっくりと意識が浮上してくる。

薄ぼんやりとした意識を繋いで、目蓋を開く。

すると、聞き覚えのあるような無いような声が聞こえてきた。


「漸く起きたかい…?おはよう。此処が何処だか分かるかい?」


ぼんやりとぼやけた視界で、誰かが喋りかけているのが分かった。

眼鏡の弦を探したつもりで中指を当てたつもりが、触れたのは自分の鼻筋だった。

そのまま、わたわたと手を伸ばして探していると、察してくれたようで。


「もしかして、お探しの物はコレかな?」


と、眼鏡をかけてくれた。

しかし、其れは求めていた眼鏡とは違い、度の高い方の眼鏡だった。

目覚めたばかりにそんな度を食らって、思わず呻く。

暫くして度に慣れると、視界を見渡した。


『あれ……?此処、何処だ…?』


頭の中に、幾つもの疑問符が舞った。


「此処は、横浜、武装探偵社という場所だよ。とある路地裏で倒れていたところを私が発見して、此処に運んできたんだ。どこか気分が悪いとか、怪我をしていたりとかはしてないかい…?」


置かれている状況がよく分からずに、取り敢えず、目の前の包帯を巻いた人の言葉に頷く。

寧ろ、怪我をしているのは貴方の方じゃないのか。

そう思ってしまったが、黙っておいた。


「君は、自分が誰だか分かるかい?」
『あ、はい…。朝比奈光祢です…。』
「では、自分が今まで何をしていたのか、分かるかい…?」
『はい。えっと…確か、私は…仕事が休みだったから、どっかへ出掛けていて、それで………あれ?何やってたんだっけ…?つか、そもそも何かあったっけ……?あれ、可笑しいな…何かやってた気はするんだけど…上手く思い出せない…?』


彼と国木田が顔を見合わせ、頷いた。

それが、この者が拾われた最初のきっかけだった。


執筆日:2018.03.04