【勘違い】



記憶喪失の状態だと思われる光祢を拾って、数刻。

待ち侘びた人物が、探偵社に帰還する。


「どうしたんだい…?皆して固まっちまってさ。誰かお客人でも来たのかい?」
「あーっ!貴女の帰りを待ってたのだよ、与謝野先生…!何処に行ってたんだい…!?」
「おや、珍しい事もあるもんだ。太宰が真面目に出社してるとはねぇ。ちょっと近くに買い出しに出てただけだけど、妾に何か用かい?」
「ちょぉ〜っと近くを散歩してたら、厄介な子を拾っちゃってね…?先生に診てもらえないかなって思っていたんだよ。今のところの私達の憶測は、彼、記憶喪失なんじゃないか?って…。」
「ふむ…。そりゃ、妾が適任だね。一寸待っとくれ。買った物を片付けてくるから。」
「彼の事を頼んだよ。」


小声でひそひそと何言か交わして話を理解した与謝野は、快く頷いた。

取り敢えずは、専門家の意見を仰ぐべく、彼等はお茶やらの準備に取り掛かるのである。


「まずは、初めましての挨拶からだね。妾は、与謝野晶子。宜しく頼むよ。」
『初めまして…っ、朝比奈光祢です。此方こそ、宜しくお願いします…。』
「そう緊張しなくて良いよ。妾は、此処探偵社専属の医者さ。早速だが、何処か悪いところがないか、怪我をしていたりはしないかを診させてもらえないかい…?幾つか質問したりもするから、分かる範囲で答えておくれ。」
『あ、はい。分かりました。』


淡々と進んでいく会話に、周りの者達は固唾を飲んで様子を窺う。


「此処じゃ何だし、医務室の方まで移動しようか。あんまり人が多いと、話しづらいだろうからね。」


外野の視線などは気にせずに、与謝野は光祢を連れて部屋を移動する。

医務室に入れば、白い医療用ベッドや医療器具なんかが置いてあり、薬の匂いがする、如何にもな空間が広がっていた。


「早速で悪いけど、其処に横になっとくれ。体勢は楽な感じで良いから。」
『はい…っ、失礼します…。』


少しおどおどとした様子で靴を脱ぎ、寝台に上がると身を横たえる光祢。

顔は緊張した様子で、視線はあっちこっちと不安げに泳ぎ、固い表情だった。


「それじゃ、診察を始めるよ。」


与謝野はそう言って問診を始め、聴診や触診を行ったりと順番に診ていき、身体の隅々の状態を確認していった。


「吐き気がして気持ちが悪いとか、気分が悪いとかはないかい?」
『ないです。』
「どこか痛いと感じたりする事は?」
『特にありません。』
「ふむ…、成る程ね。顔色も悪くないようだし、特に此れといった外傷も見られない、と。だが、念の為に、頭を診せてもらっても良いかい?」
『あ、はい。どうぞ…。』


寝台に腰掛けた体勢で、正面から顔の横を挟まれ、右や左と向けられる光祢。

後頭部あたりを診ていた与謝野が、ふいにぐっ、と力を込めて下向きに向けてきた為、「うぐ…っ、」となりつつも無言を貫き通した。


「一寸訊いても良いかい…?」
『はい、何でしょう?』
「後頭部に、少し傷っぽい物があるんだけど、何か心覚えは?」
『後頭部にですか…?あー…もしかしたら、子供の頃に遭った事故の時の痕かもしれません。』
「それはいつ頃だい?」
『いつと言われても、もう随分昔の事ですよ…?』
「そうか…判った、ありがとう。(それにしては、少し新しい気がするが…本人が気付いてない可能性もあるね。場合によっては、記憶喪失になった原因かもしれないねぇ。)」


髪に紛れて判りづらいが、よく見れば、後頭部あたりに小さな傷痕が残っていた。

古さ的に言えば、其れ程古い物ではないとの見解を見せた与謝野。

黙って各々の事柄をカルテに書き込んでいく。


「どの辺りから記憶が無いんだい?」
『えっと…、此処に至るまでの直前の記憶を覚えてないです…。なので、何で此処に居るのか、全く判んないです。』
「身に覚えも無いんだね…?」
『はい。』


書き込んでいたペンの頭を顎に当て、暫し考え込む。

これまでに判明した事は、光祢には、此のヨコハマの地に至るまでの直前の記憶が無いという事。

原因になりそうな外傷は、後頭部に見られた、其れなりに新しい打撲痕。

その他の外傷は無し、意識障害も無ければ、言語障害も無く、至って健康な普通の人間だった。

ただ、一部を除いて。


「アンタ、名前は朝比奈光祢って言ったね…?」
『はい、そうですけど…。』
「免許証にも書かれてたけど、アンタ、男じゃなくて、女だろう?」
『ええ。あ、もしかして、名前で勘違いされましたかね?“光祢”って名前聞いただけじゃ、男か女か判りづらいですよね。私の名前、どっちでもあるような名前なので。』
「まぁ、太宰の奴が間違えた理由は、名前だけじゃないだろうね。アンタの見た目も原因だと思うよ?」
『え…、そんなに女らしくないですか、私…っ。確かに、胸は断崖絶壁と言われる程小さいですけど…。』
「いや、髪型が一番の原因じゃないかい?」
『髪型…ですか?』
「嗚呼。鏡、見てみるかい?今のアンタ、結構短いよ。」


そう言って、手短にあった手鏡を渡され、中を覗き込んでみる。

すると、驚きの結果が待っていたのだった。


『え…っ!?嘘…!!髪が短くなってる…っ!!しかも、めっちゃバッサリやん…!?何コレ…ッ、どうなってんの!?』


言葉の通り、知らぬ間に髪が短くなっており、肩過ぎまで伸びていた髪は、ショートヘアと言わんばかりの長さに変貌してしまっていた。

この長さであれば、男若しくは男の娘と間違えても仕方がなかろう。


「アンタ、今まで気付いてなかったのかい…?」
『全く…!そもそも、何で髪の毛が短くなっているのかさえ判りません…!!』
「その事について、何も覚えていないと…?」
『はい…っ、全然と言って良い程、身に覚えがありません…。』
「う〜ん…。こりゃ、参ったねぇ…。単に記憶を失ったが故に覚えていないだけなのか、はたまた、何かの事件に巻き込まれて誘拐され、その時に犯人にやられたものなのか。妾じゃ、皆目見当が付かない。いざとなれば、乱歩さんを頼るしかなさそうだね。」
『ふぇ〜…っ。そろそろ切ろうとは思ってたけど、いきなり自分の知らないところで短くなってるなんて、あんまりだよぉ〜……っ。』


しくしくと泣いていれば、慰めるように後ろ背を叩く与謝野。


「取り敢えず、一通りの検査は済んだから、皆の処に戻るよ。調べた結果の報告もしなきゃならないしね。」
『はい…っ。すみましぇん…っ。』
「そんなに落ち込むんじゃないよ。髪なんて、また伸びるじゃないか。何だったら、妾の髪飾りを一つ貸してやろうかい?丁度アンタに似合いそうな可愛いヤツがあるからさっ。」
『ゔぅ゙…っ、ありがとうございます…っ。与謝野さん、めっちゃ優しい良い人や…!』
「大袈裟だねぇ…。」


画して、元居た部屋へと戻り、彼女について調べた結果を報告すると共に、彼女の本当の性別を拾い主である太宰へ教えてやれば、凄まじい顔でショックを受けるのだった。


「そんな…っ、この私が間違えるだなんて…!」
「残念だったねぇ、太宰…?」
「あの太宰が性別を間違えるとはなぁ…珍しい事もあるもんだ。」
「そういう国木田も間違えてただろう…?」
「ぅ゙…っ、仰る通りです…っ。」
「私は、てっきり男の子だ、と…っ。」
「太宰が壊れたね。(パリパリ)」
「ぬぉおお…ッ!何たる不覚…!!これまで一度たりとも女性と男性の性別を間違えた事の無い私が、判断を間違えるだなんて…ッ!!」
『えと…そんなにショック受ける事なんですかね…っ。』
「こんな事は生まれて初めてだよ!朝比奈君…ッ!!いや、女性と知った今なら、光祢さんとお呼びした方が良いかな…ッ!?」
『いえっ、今まで通り朝比奈で大丈夫です…っ!』
「ふむ、君がそう言うのなら、仕方がない…。では、これからも、朝比奈君と呼ばせてもらおう。」
『はぁ…。』
「君と出逢ったのも何かの縁だ…。出来る事なら、君の力になりたいと思うのだけど…どうかな?」
『どう…と仰いますと?』
「君の事は、此処、武装探偵社が預かるという事だよ。記憶を失っているのなら、その失った記憶を取り戻す手助けをさせてくれないかな?」


備え付けられたソファーに腰を据えた彼女の目の前に膝を付き、手を取ってそう訴えかけてくる太宰。


『…それって、此処に置いてもらえるって事ですか…?』
「うん。だって、君、住む処無いでしょ?」
『訳の判らない、身寄りの無い私なんかを、置いてもらって良いんでしょうか…?』
「君が私に拾われたのが、此処へと導かれる運命だったのだよ。だから、安心して、此処に居なさい。誰も、君を疎ましく思ったりなんかはしないから。」


泣きそうに顔を歪める彼女を安心させるかのように、優しく語りかける太宰。

彼に握られた手は、温かかった。


『……これから、お世話になります…っ。宜しくお願いします…!』
「ようこそ、我が武装探偵社へ。」


こうして、朝比奈光祢という迷い人は、探偵社の一員として迎え入れられたのであった。


執筆日:2018.04.26