【ご一緒に】



腹を空かせた一匹の白い虎が、机の上にだれ、伸びていた。


「お腹、空いたぁ〜…っ。」


ぐきゅるるるるぅ〜…っ。


言葉を言い終えるか言い終えない内に鳴った、彼の腹の音。

一度鳴ったら、後から盛大に鳴り出して、物凄い音が部屋に鳴り響き始めた。


「…物凄い音だね…っ。」
「うぅ…っ、お腹減って力が出ないよぉ〜…っ。」
「そういえば、もうお昼時だったっけ。」


敦の情けない様子に苦笑しつつ、壁に立て掛けられた時計を見遣り、ポツリ呟いた谷崎。

その間も、彼の腹からは凄まじい空腹音が鳴り響く。


「敦君、今日のお昼は…?」
「僕…まだ無一文なので、太宰さんが帰ってくるまではお預けですぅ〜…っ。」
「あははは…っ、それは困ったね…。」


帰ってくるかも判らない人物に頼らねばならないとは、何とも哀れだ。

それに、今日、彼の姿を見ていない。

つまり、彼は、未だに出社してきていないという事になる。

そして、付け加えれば、この後も出社してくるかどうかは判らない。

寧ろ、出社してくるかどうか自体怪しいところだ。

何せ、彼はまともに真面目に出社してくる事が少ない。

事務所に居る事自体珍しい程だ。


『太宰さん…今日はまだ見てないよね?』
「はい、今日はまだ一度も見てませんね…。」


捜査した事件のファイルを見ていた光祢が顔を上げ、そう谷崎に問うて、二人して敦を見遣る。


「ふぇ〜…っ、お腹が空き過ぎて、お腹と背中がくっつきそうだよ〜…。」


ぐてりと項垂れた敦が、机に突っ伏したまま泣き言を漏らす。

心なしか、目の端に涙を浮かべている気がする。


『そんなにお腹空いてるなら、ウチ来る…?私、これから一端家に戻って御飯食べるんだけど。』
「良いんですか…っ!?」


余程腹を空かせていたのだろう…、かなり食い気味に返ってきた。

此方に振り向くスピードも一瞬の如く早く、目もくわりとかっ開いていた。


『え、あぁ、うん、良いよ〜。大した物は出せないけどね。社の寮なら此処からすぐだし、腹ペコで今にも野垂れ死にしそうなくらい可哀想な小虎ちゃんを一人放っとくくらいなら。』
「うわぁーっ、ありがとうございますぅぅぅ!!朝比奈さんは神様ですぅぅうううッッッ!!」
『そんな大袈裟な…っ。ちょっと御飯に誘っただけじゃん。』
「今の僕にとっては、それだけでもめちゃくちゃ嬉しいです!ありがとうございます、朝比奈さん…っ!!」


言葉の通り、ちょっと御飯に誘っただけなのに、この荒ぶり様…。

彼の食事情が心配になってくるものである。


『それじゃ、御飯行こっか。敦君?』
「はい…っ!!」
『じゃあ、一時的にお家に戻りますね〜。いってきまぁーす…!』
「はい、いってらっしゃ〜い。」


ひらひらと掌を振り返してくれる谷崎に一言告げて、探偵社を後にする二人。

お互い猫科にまつわる異能力を持つ為か、仲が良い。

恐らく、光祢が新入りな彼を可愛がり、彼の世話を焼くのもそのせいであろう。


『はぁ〜い、我が家へとうちゃ〜く…っ。ちょっと散らかってるかもだけど、どうぞ上がってー。』
「では、お邪魔しまーす…!」


我が家といっても、彼と同じ社宅を借りている為、部屋が違うだけで、場所は同じだ。

茶の間のスペースがあって、僅かながらの家具が置いてある、何の変わり映えもしない、ごく平凡な一室である。

取り敢えず、二人共荷物を置いて手を洗い、彼女はご飯を用意するべく台所に立ち、彼には適当に座って楽にしているよう告げた。


『全く、保護者ならしっかりその辺も含めて面倒見てあげなよね〜、太宰さん。』
「あ、あの…い、今更ですけど…本当に良いんですか…?その、ご相伴に預からせて頂いて…っ。」
『良いって事よ〜。殆ど時期は変わらずとも、先に入社した私の方が、幾分先輩だかんね。入り立てで右も左も判らない後輩ちゃんのお世話なら任せんしゃい。』


にこりと緩く柔和な笑みを浮かべて、彼の方を向く。

それだけでも、緊張しまくった新人の小虎には、ホッと安堵するくらいにはなったようだった。

その後も、着々と食事の準備を進めていると、戸棚の中を覗き込み漁くっていた彼女から声が上げられた。


『あー、ごめん。君の好きなお茶漬けでも作ってあげようと思ってたのだけど、丁度切れてたわ。ついこの間、私が食べちゃったんだなぁー…。ありゃりゃ…、買い足し忘れてたなぁ。食欲無い時は、汁物系に頼るからなぁー…仕方がない。猫まんまでも良いかな、敦君?』
「え…っ?猫まんま、ですか…?」
『うん、そう。炊いた御飯に、ただ味噌汁をぶっかけるだけの簡単な汁かけ飯。通称、猫まんま。』
「あ、何だ…そういう事か…っ。本当の猫の餌食わされるのかと思った…。」
『そんな酷い事しないよぅ。つか、猫の餌でも、アレ、実は人間も食えちゃうかんね?人間様が味見して作ってるし。』
「そうなんですか…!?」
『え、知らなかったの…?だから、いざとなれば、猫缶なんて物でも、私達の命を繋ぐ食料になっちゃうという事なのだよー。というか、君、今までちゃんとした食事摂ってきてないから、いきなり色んな物食べたりしたら胃が吃驚しちゃうでしょ?だから、まずは、消化の良い物から徐々に食べていこうねーっ。』
「わ、わざわざ僕の身体の事まで気遣って頂いて…っ!ありがとうございます…っ!!」
『いーえ、此れも同じ社員としての仕事みたいなもんですから〜。』


涙を浮かべてまで頭を下げてくる敦。

同情する訳ではないが、其れ程までに過酷な人生を送ってきたのだろう。

齢十八にして、何と憐れな事か。

此れは、庇護欲や母性的な何かが働いたとしても可笑しくはないと思う。


『ハイ、お待ちどーんっ。昨日の晩飯の残りの味噌汁だけど、どうぞ。最初からいきなり汁かけ飯にするのもどうかと思ったから、一応汁と飯分けてついできたよ。あと、お漬け物に沢庵も持ってきた。』
「ありがとうございます!わぁ…っ、こんなにまともな御飯食べれるのなんて何時ぶりだろう…っ。頂きます!!」
『はい、どうぞ召し上がれ。焦って食べなくても良いから、ゆっくり噛んで食べな?じゃないと、消化に悪いから。』
「はい…っ!」


此の日を境に、彼を度々餌付けする日々は始まってしまうのであった。


(だって、せっかく生きてるのに、お腹いっぱい食べれないとか…可哀想じゃん?)


執筆日:2018.07.31