【世話焼き】



明くる日、やつがれは、とある女に逢った。

妙な女だった。

だが、不思議と惹き付けられて、気付けば声をかけ、話しかけていた。

己は、何を血迷ったのか。

見知らぬ赤の他人である女に、己の名まで教えていた。

所詮、何処の馬の骨とも知れぬ、一般人の女に…。

女は、朝比奈光祢と名乗った。

此処、ヨコハマに至るまでの記憶を失っているのだと言う。

記憶喪失の女など、知り合ったところで面倒なだけだ。

どうせ、もう逢う事は無いだろう。

そう、思っていた筈だったのに…何故か、また彼の場所に居るのではないかと考え、無意識に足を向けていた。

すれば、彼女は、やはり、同じ場所に居た。

あの日と同じように、同じベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げていた。

何が、そんなに気になるのか。

やつがれは、空を眺めた。

別段、普段と何ら変わらぬ空があるだけだ。

視界を戻し、正面を向く。

彼女へ話しかけようとして、喉が引き攣り、小さく咳き込んだ。

その声に、気付いた彼女が、此方を見遣る。


『おや、芥川さん…。また、お逢いしましたね。』


まるで、もう一度逢えると確信していたかのような口振りに、ふ…っ、と口角が上がる。

逢って早々、彼女から花のシロップを貰った。

先日も、のど飴の代わりだと言って、甘い飴玉を貰ったばかりだった。

ニワトコとか言う花で作られた物らしい。

喉に良く、よく効くからと言われ、受け取った。

彼女は、自分の事よりも他人の事を重んじるのか。

たった一度逢っただけの、やつがれのような人間を…。

何故かは判らぬが、酷く心を突き動かされていた。

だから、柄にもなく、あんな事を口にしたのだ。


「やつがれが側に居れば、貴女は一人ではない。」


独りぼっちだと嘆いていた彼女。

彼女は、知らず知らずといった様子で涙を流していた。

次の瞬間、綺麗に笑いながら、こう言った。


『じゃあ…私のお友達になってください。そうすれば、私は、寂しくありません…っ。』


友など…やつがれには、必要無い。

有っても、その内消えていくだけだからだ。

だから、やつがれは言ってやった。


「友…には、やつがれは相応しくないので、せめて話し相手ぐらいにはなりましょう。」


苦し紛れの言い訳染みた言葉だった。

友など必要無い。

そう、先程も思った筈であろう。

だが、そんな些末な事、彼女は知らぬといったように告げた。


『話し相手になってくれるのであれば、私にとっては、もうちょっとしたお友達みたいなものです…っ。』


とても綺麗で、儚い笑顔だった。

だからなのかは判らぬが、其れからというもの、時折彼の場所を通りかかると、彼女が居ないか、姿を探すようになった。

勿論、単独での行動時のみの事だ。

彼女が居た時は、すぐ側へと行き、声をかける。

そうすれば、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべて此方を見るのだ。


『あ、こんにちは、芥川さんっ。』
「…光祢さん、こんにちは。今日も、此方に来ていたのですね。」
『はい、今日はお天気が良かったですからね。絶好のお散歩日和だと思って、近くをぶらぶら歩いてきました。まだヨコハマに来てから日が浅いというのもあって、色々と慣れませんからね…っ。道を覚えるという名目も含めて、日々お散歩してるんです。』
「そうだったのですか…。」
『はい、ですから、何処か美味しいお店とかご存知でしたら、是非とも教えてください…!私、まだお店云々も判らない状態ですので…っ。早く色々と覚えなくてはとは思ってるんですけど…覚える事が多くて、なかなか難しいですね。』


そう言って苦笑いを浮かべる光祢さん。

今日は、悲しそうでも寂しそうでもなかった。


「やつがれ自身も…あまり店を見て回ったり、そう色々と出回ったりしていない為…多くは知らないのです。」
『あ、そうだったんですか…?いつもお上品な服装をしていらっしゃったので、てっきり…。』
「此れは…その、昔、或る人から言われたもので…。簡単なマナーや礼儀作法なども、其の人から教わりました…。」
『そうなんですね。マフィアの方だと仰ってたので、黒い装いなんだなぁ〜と思ってましたが…そういう事だったんですぬ。お洒落な白いスカーフも付けていらっしゃるから、いつもきちんと身形を整えてらっしゃるのかなって思って、勝手に尊敬してました。』
「…光祢さんは、普段どのようになさっているのですか?」
『え…?私ですか?私は…実は、此れでも結構ものぐさなので…一定数の服をローテーションで着回すタイプなんですよ。そんなんですので、今置いてもらっている処の方から、たまに連れ出されて、色々な服を買わされるんです…。私、見た目とか、別に気にしないんですけどねー。何故か、言われちゃうんですよ。“もうちょいマシな格好をしな”って…。』


「あはは…っ。」と乾いた笑みを漏らす光祢さんは、恥ずかしそうに頬を掻いた。

チラリと軽く見てみたが、何処も可笑しな点は見られないように思えた。

すると、視線に気付いたのか、光祢さんは言葉を続けた。


『実は、もう一つ、其の方から言われた事なんですが…私には、女子力というものが足りないそうです。まぁ、自覚済みなんですけど。』
「女子力、ですか…。」
『そう、女子力です。ほら、私って、全体的にあんまり女性らしさってものが無いじゃないですか。だからなんですよ〜…。』
「そう、ですか…。」


確かに、彼女に女性らしさというものは、あまり見受けられなかった。

だが、しかし、それでも彼女の魅力を感じる点は、幾つかあると思う。

今、口に出して言う気は無いが。


『まぁ、何処か良さそうなお店が見付かったら、今度教えてください…!私も、行ってみたいので。』
「判りました…。良さそうな店を見付けた時は、光祢さんにご紹介します。」
『ありがとうございます。私の方も、もし見付けたら、お知らせしますねっ。』
「はい…、楽しみにしてますね。」


何気ない会話だったが、悪いものではなかった。

出逢ってそんなに経たない為、まだ其れ程会話が弾む訳ではなかったが…彼女と話すのは、嫌ではなかった。

光祢さんは、何気なく話している風だったが、どことなく楽しそうにしていた為、やつがれも心穏やかで居れた。


『あ、そうだ…っ。はい、此れどうぞ。』
「此れは…先日の?」
『はい。先日あげた物と同じ、ニワトコの花で作ったシロップです。芥川さん、どうも喉が悪いようでしたから…良かったら、と思って。』
「…わざわざ、やつがれの為に、光祢さんの貴重な時間を割いては…っ。」
『良いんですよ。どうせ、私は、お手伝いぐらいしか出来ない人間ですから…あまり遣る事が無くて、暇なんです。だから、遠慮なんてしなくて良いですよ。』


彼女が今何処に身を置いているのか、あまり深くは聞いてはいなかったが…あまり良い扱いは受けていないのだろうか。


「ありがとう、ございます…。いつも、すみません。」
『いーえ、私が好きでやってる事ですから。気にしないでください…!』
「では、今度、御礼に何か持ってきます…。何が良いでしょうか。光祢さんの好きな物など、どうでしょうか…?」
『え…っ!?い、良いですよ、わざわざ…!御礼を貰いたくて渡した訳じゃありませんから…っ!』
「いえ、このままでは、やつがれの気が済みませんから。何がお好きか、教えて頂いても宜しいですか…?」
『わ、私の好きな物ですか…っ。そうですね…好きな物は、たくさんあるんですが…強いて言うなら、甘い物、ですかね…?甘過ぎるのは苦手ですけど。クッキーとか、ドーナツとか、パンケーキなんかは好きですね。手軽に食べれて、美味しいです!』


にこやかに話す彼女は、とても楽しそうだった。

彼女は案外、人と話すのが好きなようだ。


「判りました…。今度逢えた時は、甘い物を持って来ますね。」
『えっと、本当に良いんですかね…?』


内ポケットに入れていた手帳に、彼女への御礼の件を書き記していると、彼女はそう零した。


「…何がそんなに気になるのですか…?」
『え、いや…別に、そこまでしてもらう程の事はしてないので、何だか申し訳なくなってしまって…っ。』
「気にしなくて良いと言ったのは、やつがれです。御礼をしたいと言ったのもやつがれです。だから、貴女は何も気にせず、次に逢う時を楽しみに待っていれば良い。」
『そ、うなのかな…?』
「そうです。」


あまり人から何かを受け取る事は少ないのか、不慣れな事にわたわたとする光祢さん。

貰える物は、素直に受け取っておけば良いというのに…。

その辺りは、変に真面目なんだろう。

ある意味、彼女の美点というところか。


「それでは、またお逢いしましょう。」
『あれ…もう帰られますか?』
「ええ。やつがれも、あまり暇ではない故…。」
『そうですか。お忙しい中、わざわざ私のお話に付き合ってくださって、ありがとうございました。』
「いえ、此方こそ、有意義な時間を過ごせました。やつがれも、一休憩として休む事が出来ました。貴女の事も、少しであれど知る事が出来た。重畳というもの。」
『そうですか、それは良かったです。次に逢えた時は、今度は芥川さんの事を教えてくださいね?』
「………、やつがれの事など、知っても何の特には為らぬ事。例え知れたとしても、其れは貴女にとって不利益しか生まない。…よって、やつがれの事は、あまり話すべき事ではない。」


いつもの癖で、冷たくそう返せば、彼女はキョトンとした目で此方を見た。


『なら…、芥川さんが話しても大丈夫だと思う話だけ聞かせてください。今日は私の好きな物のお話でしたので、次は芥川さんの好きな物についてのお話をしましょうっ。』
「…貴女が、其れで良いというのなら…。」
『じゃあ、決まりですね…!では、またお逢い出来る其の日まで。』
「はい…。また。」


ベンチから立ち上がった彼女は、ペコリと頭を下げて手を振った。

やつがれは、ただ其れに対して無言で一つ会釈を返す。

そして、踵を返し、夜の世界へと帰っていく。

笑止。

我ながら、可笑しな真似をしているものだと嘲笑った。


「…やつがれは、ただ闇に生きるのみ。やつがれの悪食はあらゆる物を喰らう。何れ、彼の者も悪食の餌食となるだけ…。ただ、其れだけの事。」


人気の無い路地裏に、靴音が響く。

久々に、悪食が疼いた気がした。


執筆日:2018.08.28