【肆】
我が主となる人


遂に見付ける事が出来た、“我が主となるべき人”と思い、刀の姿から仮の器である人の身を顕現させた俺。

相手は、突然の事に相当驚いてしまったのか、言葉を発する事も無く固まっていた。

もしや俺の気付かぬ間に失礼をしでかしてしまったか、もしかすると其れで気を悪くしてしまったのかもしれないと思い、慎重に努め声をかけてみれば違うから安心してくれとの言葉を頂いた。

ならば安堵しても良いのかと、胸の内に溜めていた息を吐き出す。

彼女に失礼を働いた訳でもないなら、何時までもこんな場所で時間を食っている必要は無いし、さっさと出るのが吉だろう。

先程から埃っぽ過ぎて、些か喉の奥の不快感と空気の悪さが気になり始めていたところだ。

何よりも、彼女をこんな場所で座り込ませたままでは、彼女の身に害を及ぼすかもしれない。

俺が顕現する時に吃驚してしまったのだろう、未だ尻餅を付いた状態のままで座り込んでいた。

なるべく優しい声音になるよう努め、再び声をかけながら手を差し出し、そっと立ち上がらせる。

ついでに、衣服に付いた土埃を払って綺麗にしておく事も忘れない。


「何処かお怪我をなさったりなどはしていませんか?もし、何処か擦りむいたりなどのお怪我をなされたりしていたのならば、遠慮せず仰ってください。俺が御運び致しましょう。」
『え…っ!?あ、はい…!だ、大丈夫です!何処も怪我はしてないです…っ。』
「そうでしたか…それは何よりです。ささっ、早くこの埃っぽい場所から出ましょうか。主の御躰に障ってはいけませんからね。」


まだ慣れていないせいか返事はぎこちないが、其れでも此方の言葉にきちんと返事を返そうとなさっている御姿は実に健気で愛らしい。

刀を持ち直すと、空いた反対の手で彼女を出口へと促し、歩いていく。

蔵を出る間際、一瞬だけ先まで居た奥の方を見遣った。


(…彼女は、俺の主となられる御方だ。危害を加える事は、一切この俺が許さんからな…っ。それと、念願の主候補が見付かったとの旨をあの男に報告しておけ…!)


念を押すかのように睨み付けてから、蔵に背を向ける。

蔵を出た途端、石造りの階段があったのか、其れを忘れていたらしい彼女が盛大にずり落ちた。

咄嗟に腕を掴んで支えていなかったら、一番下の段まで滑り転けて頭を打つなどの怪我をしていたかもしれない。

顕現してすぐにこうも肝を冷やすとは思わなかった俺は、焦って怪我の有無を早口で問うた。


「大丈夫ですか!?主…ッ!!」
『…あ、はい…っ、何とか……。』


彼女の方も完全に油断し切っていたようで、申し訳なさそうに謝ってきた。

全く…、この方はどうも危機感に欠けているような御方なようだ…っ。

俺がしっかり見ていないと、後々危険な目に遭いそうだ。

また土埃で汚れてしまった衣服を優しく払ってやっていると、彼女からふと声をかけられた。


『…あのぅ…、ちょっと気になっていたので質問したいんですけど…。長谷部さん…?…って、人……?なんですよ、ね…?』
「いえ…俺は、この刀に宿る付喪神であって、人ではありません。今は、仮の器に人の身を写しているので、人と同じような姿をしていますが…正真正銘、刀であり、人ではありません。…まぁ、少々訳あってこの蔵に身を寄せていたんです。詳しいお話は、後程お聞かせ致します。」
『へぇ〜、成る程…、付喪神…。だから、見た目は人だけど、何処となく雰囲気がそうじゃないというか、浮世離れした風に感じたんですね…!成る程〜…っ!……………って、付喪神…ッ!?』
「っ、え…?」
『あ…っ、いや、長谷部さんが悪いんじゃないんです…っ!理解の遅い、私の脳味噌が悪いんです…ッ。』


たったさっきまでただ人だった彼女からして、未だ混乱していても仕方のない事かもしれなかった。

やはり、事の理解はしたつもりでも頭の方が事態の展開に付いてこれていないようで、俺の言葉の意味を遅れて理解したようだった。

彼女の反応に思わず聞き返してしまうと、彼女は慌ててそう言って弁明した。

其れから色々と考え込み始めたのか、百面相をし始めた彼女。

ジッと黙って眺めていたら何だか可笑しくなってきて、つい笑い声が漏れて、口許を手で塞ぐ。

すると、俺の様子の変化に気付いたのか、ポカン…ッとした様子で此方を見遣り、問うてきた。


『………あの…今の間に、何か面白い事でもありましたか……?』
「…っふふ、嗚呼…、いえ…っ。これは飛んだご無礼を。少々、今しがたの主の表情の変わり様が可笑しかったので…つい。何やら随分と考え込んでおられたのか、百面相になられていた様子にちょっとツボにハマってしまっただけです。気を悪くされたのでしたら、すみません。」
『い、いいえ…っ!長谷部様のお気に召されたのなら、良かったです…っ!!』


その言葉についピクリと反応せざるを得なかった俺は、分不相応にも己の今の立場を弁えず、彼女に対し提言してしまった。

「様」呼びに引っ掛かり少々気に食わなかったからとはいえ、一度主と称した方に初っ端から上から物を言うような態度を取ってしまっては、飽きられてしまう…っ。

言った後に悔やんでも仕方がないが、「取り繕うなら今だ…!」と俺の発言のせいで戸惑っていらっしゃる彼女の前に再び跪いた。


「では、こう致しましょう。主が慣れるまでは、さん呼びで。主が慣れてきたなと思われたのなら、呼び捨てでお呼びください。俺は、様付け以外なら、どちら呼びでも構わないのですが…主が決め兼ねているご様子だったので。僭越ながら、俺からご提案させて頂きました。どうぞ、そう畏まらずに、お気を楽になさってください。」
『……ほ、本当に…様付けしなくて良いんですか…?』
「俺は主に仕える身ですよ…?何をそんなに畏まる必要があるのです?」


彼女が少しでも気を回さなくても言いよう、そう告げた。

…が、根が真面目な人なのか、此処まで言っても悩んでいるようだった。

しかし、漸く意を決したのか、改めて顔を上げるとおずおずといった様子で言葉を口にしてきた。


『わ、分かりました…っ。じゃあ、まずは初めてお逢いしたばかりなので…、さん呼びから始めても良いですか……?』


物凄く自信無さげな様子だったが、彼女が其れで良しとするのならば…、と肯定の返事を返す。

だが、此処まで来ても未だ納得がいかないのか、言葉を続けかけたが、取り敢えずは「さん」呼びする事に決定したようだ。

俺は、先の失態を挽回出来たのなら、結果がどうであれ何でも良かった。

呼び方が何だ。

主に呼ばれるのなら何だって構わないだろうが…!

気にし過ぎていた事と、今までの自分の傲慢さに腹を立てていると、突如目の前に手を差し出された。

何かと思い顔を上げて見遣れば、彼女が俺に向かって手を差し伸べてくれていたのだった。


『えと…、取り敢えず、今すぐ立ち上がりましょうか…。神様に膝を付かせてるとか、大変物凄く申し訳ないので…っ。』


何処まで心優しい御人なのだろうか。

此れまでに抱いた事の無い温かな気持ちに包まれながら、俺は目尻を下げるしかなかった。


「…はい……っ、主の仰せのままに。」


こうして、仮契約ではあるものの、彼女を俺の主と定める事に決めた。

俺は、此れからの生活や期待に胸を膨らませて主からの命を待った。

一先ず、此れから遣らねばならない事は、まず俺達刀剣男士の存在の事や時間遡行軍という存在が居る事の説明からだろう。

遣らねばならない事の段取りを頭の中で考えつつ、どれから順に説明していこうかを練っていると、不意に主が俺の服をつい…っ、と引っ張ってきた。


「…?どうかなさいましたか…?主。」
『いえ……、その…っ、何か考え事をなさっていた最中だったら申し訳ないんですけど…。此処、敷地内とはいえ家の外になりますんで…あの、良かったらで良いんですが、一度家の方に上がりませんか…?…って、家主の私がもっと早くに気付いて言わなきゃならない事だったんですけど…っ、気が利かなくて本当すみません……ッ。』
「い、いえ…っ!此方こそ、気が回らず居り申し訳ありません…っ!!」
『あ、や、良いんです。そんな全力で謝らないでください…っ。色々あって混乱してたというのもありますし、お互い気付かなかったんですから、お相子様です。家の入口は此方になりますんで、どうぞ上がってってください。いきなり裏口(勝手口)からで申し訳ないですけど…っ。』
「え…?あ、主…っ!?よ、宜しいのですか……!?…その、こう言っては何なのですが…、俺なんかが、その、主の住まれている家にそんな気軽に…というか、同じ屋根の下に入っても宜しいので………?」


ごく自然な流れで俺を家へと上げようとする主に、慌てて制止の声をかける。

主はというと、「どうしてそんな事で焦っているの?」とでも言いたそうな目で俺を見つめてきた。


(本当に危機感が無いな、この人は…っ。)


半ば呆れたが、「伝えておかねばならない事はきちんとお伝えしておかなければ…!」と思い直して彼女と向き直る。


「良いですか…?主。俺は付喪神ですよ…?位は末席とはいえ、神の者です。そんな輩に、そう簡単に敷居を跨がせても宜しいのですか?」
『え………。良いも悪いも…、長谷部さんは、今日からウチにお世話になる訳なんですよね…?でしたら、家に上げるのは当然の流れじゃないですか。』
「其れはそうなんですが…っ!見れば分かるとは思いますが、俺は男なんですよ…!?」
『…はい、其れは分かってますよ。だから、何なんですか…?お客さんを家に上げるのに、男も女も関係無くないですか?』


まさかの解答に、呆れを通り越して感服した。


「いえですね…!俺が言いたい事というのは、そもそもが神の身である者をそうひょいひょいと簡単に家に上げて良いものなのか、って事なんですよ…っ!ましてや、仮の器とはいえ男の身である俺を、女人の身である主が住まう場所に容易に上げるのは些か危機感が足りないのでは……ッ!」
『…何か物凄い感じで頭を抱えてらっしゃいますけど……、そんなに気になりますかね?男の人を家に上げるのって。』
「ええ、とても物凄く…っ!!」


寧ろ、何故気にならないのかが俺には分かりません…ッ!!

そんな感じで暫く裏口と言われた入口先で頭を抱えていると、痺れを切らしたのか、前触れ無く俺の手を取ると家の中へと引き込んできた主。

唐突な事に付いていけなかった俺は、当然の事ながら主に引かれるままに家の敷地内へと足を踏み入れてしまった。

そして、先程まで散々悩んでいた敷居を跨いでしまった事に気付いて、瞬時に顔を青くし、遅れて後ろを確認して、次に足元を見遣った。

見たところで現実が変わる事などないのだが、見ずにはいられなかったのだ。


『失礼極まりないとは存じますが…正直、面倒くさいですよ、長谷部さん。』
「ッ………、貴女って人は…なんて強引な方なんだ…っ、全く……。」
『ふふふ…っ。この際、まどろっこしい事は無しにしましょう?長谷部さん。』
「…はい、そうですね……っ。」


さっきまでおどおどしていたかに見えていたのが、急にシャンとしたように振る舞われる。

まだお互いに知り得ない事は大いに有ると分かってはいるが、どうもこのままの流れのままで居たら調子が狂いそうだ。

思わず、何時もの癖で「はぁ…っ、」と溜め息が口を突いて出た。

「いけない…っ!」と気付いてすぐに慌てて口を塞げば、不思議そうに見つめてくる主。

良かった…、気付かれてはいなかったようだ。

ホッと息を吐いて、肩の力を抜く。

変に緊張してしまっているせいか、さっきから無駄な力が入ってしまって変な気分だ。

慣れるまでは仕方のない事だろうが、このままでは肩が凝ってしまいそうで嫌になる。

まぁ、肩が凝るだの何だのと苦労させられるのは別に今に始まった事ではないから最早慣れたものだが…嫌な慣れというものだな。

無意識に乾いた笑みを浮かべてしまう。


『あの…、どうかされましたか…?』
「いえ…何でもないですよ。ちょっとした事で自己嫌悪に陥っていただけですから。」
『…はぁ、…?』


よく分からないという風に首を傾げた主。

今日から、俺はこの人と共に暮らしていくのだ。

小さな事でも良いから、早くこの人との生活に慣れねば。

そして、この御方に、一日も早く俺という存在に慣れてもらわねば…。

そう思いつつ、俺は主の手に引かれ、主が住まわれる家の中へと足を踏み入れるのだった。


執筆日:2018.04.16
加筆修正日:2020.02.04

優しい御人。

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