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龍のお守り



彼から貰った大切なお守りを手に、彼女は僅かに込もった温度を感じて目を閉じる。

両の手でそっと握り、胸に当ててみると、何故だか優しい温かみを感じる気がした。

何だろう、その小さなお守りから微かな鼓動を感じるような気がするのだ。

無機物である、小さな金属でしかない其れから鼓動を感じるなんて、そんな事有り得る訳がないのに。

確かに、感覚的なもので言い表したら、そんな表現になるのである。

言ってしまえば、ちょっと可笑しな話かもしれないだろうが。

不思議と手に馴染む其れを、大事そうに握った彼女を見て、彼は少し複雑そうな眼差しで見つめた。

どうか、彼女が思い出すきっかけになってくれ、と…。

あわよくば、彼女を護る依代となってくれ、と願う。

ペンダントの先が龍の意思に応えて、キラリと彼女の手の中で光る。


「それじゃあ…あまり長居するのも悪いだろう。俺は、そろそろお暇させてもらうぞ。」
『あ、はい。じゃ…っ、気を付けて。また元気になったら逢おうね、廣光君。』
「その、“廣光君”って呼び方…止めてもらっても良いか?」
『え……?』
「こう言っちゃ悪いかもしれないんだが…その、あまり慣れない呼び方なんでな。敬称もそうだが、“君”なんて呼び方は更々慣れなくて…。出来れば、口調と同じく、砕けた感じで呼び捨てしてもらえると助かる。」
『よ、呼び捨て…。と、いうと、廣光君じゃなくて…廣光?』
「ッ…、あ、嗚呼…それで良い。」


ちょっと不安げに確認がてら小首を傾げて問う璃子。

唐突に名を呼び捨てされた彼は、不意打ちを食らったように言葉を喉に詰まらせた。

言っておくが、これは全て無意識だ。

何も考えちゃいない故に確信犯ではないが、無自覚である為に、ある意味質が悪いものである。

不意打ちの萌えを食らった廣光は、一度咳払いをして誤魔化し、彼女に帰りの挨拶の一言を告げて、背を向ける。

立ち上がって玄関に降り、靴を履いて玄関先まで出てきた璃子は、去っていく彼の背を小さく手を振って見送った。

完全に姿が見えなくなる、道の向こう側に消えてしまうまで見送った彼女。

少し冷えてしまった身体を温める為、部屋へと戻った璃子は、温かい飲み物を飲もうと居間へと向かう。

其処には、録っていた朝の連ドラをテレビで見ながら寛ぐ母親が居た。

母親は、部屋に戻ってきた娘に対し、気になっていた事を口にした。


「さっきの男の子、誰なの?初めて見たけど…専門の時の友達か何か?」
『うん…まぁ、そんなところ。』
「ふーん…仲が良いのね。わざわざお見舞いに来てくれるし。優しい子ね。」
『うん、そうだね…。廣光は、優しいよ。何でそこまで優しくしてくれるのか?ってくらいに。正に、不思議なくらいにかな。』
「へぇ〜…。もしかしたら、アンタに気があるのかもね?」
『まっさかぁ〜っ!あんだけ顔イケてるんだから、既に彼女の一人や二人居るでしょ…?あ、でも…彼、人と馴れ合うの嫌ってるから、無いかも。』
「あら、そうなの…?勿体ないわねぇ〜。かなりイケメンなタイプに入ると思うのに…。あれ、でも、アンタとは馴れ合うのね…?今日、お見舞いに来てたくらいだし。」
『そういや、そうだね…。何でだろ…?解んないや。』


「そういえば、そうだ。」と考えた彼女は、首を傾げる。

理由を考えてみるも、あまりまだ彼の事を知らない彼女は、解らずに疑問符を浮かべた。

取り敢えず、「なんとなく馬が合ったんじゃない…?」と適当に結論付け、飲み物を淹れようと、インスタントの紅茶を置いた隣の部屋まで取りに行く。

母親自身も、特にそこまで気にしていなかったのか、テレビの方へと意識を戻す。

インスタントの紅茶を淹れた璃子は、それを一口のみ、彼に貰ったばかりのゼリーは冷蔵庫へ仕舞い、夜晩御飯の後に食べる事に。

温かい物を飲んで温まった後は、また布団へと戻って横になる彼女。

彼から貰ったネックレスは、枕元へと置いて、大事に触れる。


『此れ、本当に貰っちゃって良かったのかな…?何か、凄く大事そうな物だったように思えるんだけど…。』


解らない事は、考えてみても解らない事である。

仕方なく、思考に区切りを付けた彼女は、身体を真っ直ぐに横たえ、目を瞑る。

それから少し眠った璃子だったが、眠っていた間、何かの夢を見た。

何処か知らない古いお屋敷で、知らない誰かとたくさんの子供達の走り回る景色を見ているような夢だった。

何故か、その光景が酷く懐かしく思えたが、起きた後は、夢に見た其れは朧気になってしまってよく解らなくなっていた。

不思議なものだ。

訳が解らずに、頭を捻るも、何も変わらない。

なら、考えても仕方なかろう。

思い直した彼女は起き上がり、何となく元彼のネックレスを手に取り、自身の首へ付けてみた。

サイズが彼の付けていた長さのまま故、少し彼女が付けるには紐の長さが余ったが、不思議と違和感は無かった。

寧ろ、不思議なくらい馴染み、まるで、其れは元々彼女の物であったかのように在った。


『此れ、何て書いてあるんだろ…?この字、確か梵字っていうんだったよね…?』


ネックレスの先に描かれた文字を見て、思う。

今度調べてみようと思った彼女は、腰を上げて、部屋を出る。

彼女の首で、彼のネックレスが揺れる。


―某月、某日。

彼女は、欲しい本の新刊を手に入れる為に、また街の中心部へと出てきていた。

地元にあった小さな本屋は、遠い昔の記憶に潰れてしまっている。

よって、欲しい本を買う為だけにも隣町か、遠くて街の中心部まで足を運ばなくてはならなかった。

今回、街の中心部まで来たのは、初回限定版の特典を手に入れる為である。

書籍によっては、各本屋で付く購入特典が異なるので、それ目的でわざわざ足を運んだのだ。

何故、ネットの通販を利用しないのか、と疑問に思う者も居るだろう。

答えは、目で直接品物を見て、触れ、最も綺麗で品質の良い物を選んでから買いたいからだ。

これは余談であるが、以前、彼女は何時もの感覚で選んで品物を買ったところ、一度だけ不良品に当たった事があった。

それ以来、彼女は、欲しい本は出来るだけ直接目で見て選んで買う事にしているのである。

故に、特別購入特典が付く訳でもない時でも、俗に言う薄い本以外はネットでは買わない事にしているのだ。

お気に入りの本の新刊が発売されたとあって気分が向上していた璃子は、足音軽く、スキップをしそうなくらいな程に浮かれていた。

「ふふふん…♪」と鼻歌を口にしそうな上機嫌な様子で、交差点の道路を渡ろうと足を踏み出しかける。

信号は青を指していた。

軽く左右を見渡して、安全を確認してから渡ろうと進み出す。

その瞬間、赤信号で止まっている筈の車が横合いから突っ込んできた。

一瞬、予想だにしない事に狼狽え、対応が遅れる。

誰かの甲高い悲鳴が、遠い意識の端で聞こえた。

ギリギリ何とかなるか。

身構えて何とか避けようと駆け足の体勢を取った瞬間、誰かが車との間に滑り込み、彼女を庇った。


「危ない…ッ!!」
『ッ…!?』


突然、視界がブレ、強い力に身体を押し倒される。

倒れた弾みで身体を打ち付け、その衝撃に目を瞑る。

一瞬の出来事であった。


「大丈夫ですか…っ!?何処か、お怪我をしていたりなどはしていませんか…っ?」
『…あ…はい、特には何処も……っ。』
「そうですか…。良かったぁ…っ!」
『えと…助けてくれてありがとうございました。おかげで、命拾いしました。』
「いえ、何の…!貴女に怪我が無く無事であるなら…っ!」


倒れていた身を起こせば、咄嗟に道路へ飛び出し、彼女を庇ったのだろう人がすぐ側で膝を付いていた。

スーツを着た、如何にもサラリーマンといった感じの若い男性だった。

彼の私物なのだろう、咄嗟に道路へ飛び出す際に投げて捨てただろう鞄が、少し離れた場所に転がっていた。

自身が肩から提げていたバッグは、どうなったのであろう。

キョロキョロと少し辺りを見渡せば、遠く離れた場所ではあったが、彼のバッグ同様に転がっていた。

大した怪我も無い為、礼もそこそこにこの場を立ち去ろうとすれば、目の前に差し出された掌。

見れば、助けてくれた男性が差し出してくれていたものであった。


『ぁ…、すみません…っ。わざわざ、ありがとうございます…。』
「いえ、お気になさらず。」


にこりと微笑みを浮かべた男性にありがたく思いつつ、掌を乗せ、彼の手を借りながら再び立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、鈍くズキリと痛みが走った。


『イッ、痛…ッ。』


思わず、顔を顰め、声を漏らす。

手に入れた力が強くなったのと、明らかに様子の変わった彼女に気付いた彼が声をかける。


「どうかしましたか…っ!?」
『ぅ゙…っ、すみません…っ。ちょっと足を挫いてしまったみたいで…っ。』
「あ…っ、もしかして、さっきの倒れ込んだ拍子に捻ってしまいましたかね…?」
『たぶん…っ。でも、これくらい、大した事はないですから。大丈夫です。ありがとうございました。』


暗に、これ以上は関わらないでくれとの意を込めて、身を離し、落としてしまった荷物を拾おうと足を引き摺って動こうとすると。

ス…ッ、と腕を身体の前に出され、動けなくなってしまった。


『あの…っ、何か……?』


戸惑って、そのままの感情を面に出し、問い掛けると、男は徐に口を開いてこう言った。


「挫いた足をそのままにしていてはいけません。捻挫は、放置すると酷くなります。此処から、すぐ近くに知り合いの医者が居ますので、其処へご案内致しましょう。今、連絡を入れますから、暫しお待ちを。」
『え…っ?いや、何もそこまでして頂かなくても…!?』


そう声を上げ戸惑っている内に、男は自身の携帯を取り出し、何処かへと掛ける素振りを見せる。


「…もしもし、一期か?俺だ、長谷部だ。忙しいところ、急で悪いが仕事の依頼だ。至急、一人患者を診てもらえないか?怪我人だ。程度は軽傷。左足首の捻挫のようだ。診れそうか…?……嗚呼、解った。今すぐ連れていくから、準備して待っていてくれ。」


電話の相手と短く話し、用件を伝え終わるとすぐに電話を切った彼。

彼女へと向き直った彼は、携帯を元の場所へと仕舞い、言う。


「お待たせしました。では、お手を此方に。俺が背に抱えてお連れ致します。どうぞ、乗ってください。」
『いえ…っ、ですから、何もそこまでして頂く義理はありませんってば…!』
「しかし、助けた身の上、最後まで面倒を見るというのが責任というもの。遠慮はいりません。さぁ、どうぞ、お手を肩に。」
『…その前に、彼処に落ちたバッグを取りに行きたいのですが…。』


一瞬の気まずい間を挟んだ末、容易に動けない彼女の代わりに拾ってくれた彼が、彼女の元に無言で戻ってくる。

「気が利かない上に、そんな事にも気が付かず、申し訳ありません…っ。」との言葉を漏らした後に、身を屈め、彼女を背に乗せる準備を整える男性。

非常に気まずい中、厚意を無下に出来ない彼女は、申し訳なく思いながらも、「ありがとうございます…。失礼致します…っ。」と一言告げてから彼の肩に手を掛けた。

そのまま彼の背に飛び乗り、おんぶの形で抱えられる。

しっかりと抱え込んだ彼は、揺らぎない動きでゆっくりと立ち上がる。

誰かに抱えられるなんて、大人になってからは、先日の彼に運んでもらった件も含めて二回目だ。

正直、異性に抱えられるというのもやるせない気持ちだが、この歳になってまで抱えられる羽目になる事自体、恥ずかしくて堪えられない。

穴があったら入りたい気分で、なるべく周りの景色を見ないよう、彼の肩口に頭を伏せ、羞恥を凌いだ。


執筆日:2018.10.15