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龍の加護



彼女を安全に降ろし、治療出来る場所まで来たのだろう。

暫く背で揺られていた身が停止した。

そこで、漸く伏せていた顔を上げる。


「着きましたよ。此処が、俺の知り合いが居るという、小さな診療所です。」


見遣れば、「粟田口診療所」と名の書かれた看板が掲げられた、小さな診療所の前であった。

彼は、迷いなく中へと入っていく。


「急な来訪ですまない…。連絡していた、長谷部だ。院長の一期先生は、いらっしゃるか?」
「はい。一期先生なら、奥の診察室にいらっしゃいますよ。今、確認をしてきますので、此方の待合室にて少々お待ちくださいませ。」


受付の係の者が、丁寧な口調で待っているようにとの言葉を告げて、奥の部屋へと消えていく。

その間に、待合室のソファーへと降ろされた璃子は、助けてもらった彼より自己紹介を受けていた。


「もう少ししたら、きちんと処置をしてもらえますので、ご安心を。今の足の具合はどうですか…?運んでいる最中、何も仰らなかったので、少し心配になったのですが…。」
『それは、大丈夫です…。まだ少し痛みますけど、変に力を入れたり曲げたりしなければ、あまり痛くはないみたいです。』
「そうですか…。それは、良かったです。申し遅れましたが、俺は、長谷部国重と言う者です。以後、お見知りおきを。」
『あ…っ、此方こそ、助けて頂いたのに、名乗りもせずにすみません…!初めまして、私の名は、花江璃子と言います。宜しくお願いしますね。』
「………やはり、何も憶えてはいらっしゃいませんか…。」
『え………?今、何と…?』
「嗚呼、気にしないでください。ただの一人の戯れ言ですよ。大した事ではないですので、お気になさらず。」


ふと、彼が何かを言った気がしたのだが、声が小さ過ぎて聞こえなかった。

自然な流れで誤魔化した彼は、笑顔を貼り付けたような顔で笑い、話を逸らした。

丁度、会話が途切れたタイミングで、受付嬢をしていた係の者に呼ばれ、奥の部屋へと案内される。

彼女を支えながら歩く途中、彼は隣に居る彼女の事を観察した。

彼が話しかけたり、側へ寄り添う素振りを見せても、何の反応も示さないところを見て、嘗て彼女の部下として慕い付き従っていた頃の記憶は保持していないのか、と考える。

既に、話には聞いていたが、やはり自分達の事を何も憶えていないというのは、何か辛いものが来る。

それに対し、彼は複雑な思いを抱え、彼女を見つめた。

奥の診察室という部屋に着き、一言許可を得てから中へと通される。

其処に居たのは、これまた若く柔らかな優しい雰囲気を持った男性だった。

医者にしては、似つかわしくない、淡い明るい水色という髪をしている。

しかし、そんな派手さも不思議と違和感なく受け入れられるような感じの人だ。

意外と若く、医者にしては派手めな見た目に驚いていると、椅子に座って作業をしていた彼が立ち上がった。

そして、此方を向き、目が合った途端、少し驚いたように目を見開かせて見つめてきた。

しかし、それも一瞬の事で、すぐに何時も通り、平常通りへと戻って自己紹介を始める。


「こんにちは。私は、此処で院長を勤めています、粟田口一期と申します。どうぞ、宜しく。早速ですが…貴女のお名前と、怪我の症状を教えて頂いても宜しいですか?」
『はい…。えと、私の名前は、花江璃子で、左足首を痛めてしまったみたいです。』
「花江璃子さんですね…。ありがとうございます。では、まず左足首が今、どんな状態にあるのかを知りたいので、レントゲン室へ移動してもらっても良いですか…?一度、其処で足首のレントゲンを撮って、足首の状態が今どうあるかを調べてから、詳しく診ていきましょう。そちらの部屋へどうぞ。係の者が中に居りますので、中へと入ったら、係の者の指示に従ってください。」
『はい、解りました…。』
「付き添いの長谷部さんは、このまま此方に居てください。彼女の怪我がどういった経緯でなったものなのかをお聞きしたいので。」
「解った。」


彼女がレントゲンを撮る為に別室へと移動した後、彼は、院長だと言う男に尋ねられた。

その口調は、どう考えても十数年来からの知り合いといった風な口調であった。


「…お久し振りですな、長谷部殿。こうして、直接顔を合わせてお逢いするのは、数ヶ月振りですか…?急に連絡をもらって吃驚しました。」
「忙しい中、特別に診てもらって悪いな…。助かる。」
「いいえ、何の。患者さんを診るのが我々医者のお仕事ですし、当然の事です。しかし、驚きました…。突然の連絡もそうですが、怪我人と仰るので、一体何があったのかと。しかも、連れて来られた方が、まさかの主とは…っ。して…単刀直入に訊きますが、彼女のアレは、どういった経緯のもので…?」


先程まで、柔らかに話していたと思っていた空気は、何処へ行ったのやら。

急に鋭い空気を纏わせたかと思うと、目を尖らせて問いかけてきた。

だが、長谷部は、それに一切触れずに質問への解答を答えていく。


「交差点を渡ろうとした瞬間、信号無視して突っ込んできた車に轢かれそうになったところを、俺がギリギリ何とか庇った際に出来たものだと思う…。幸い、轢かれずには済んだものの、あと一瞬遅れていたら危ういところだった。」
「そうですか…。それは、大層許しがたいお話ですな…?」
「まぁ、俺の機動のおかげで、何とか事故に遭うのを防げた、というところだな。」
「それは、何よりです…。ところで、長谷部殿の方は、大丈夫でしたか?」
「問題無い。もし傷があったとしても、掠り傷程度だ。」


特に異常は無いと示す為に肩をグルグルと回した長谷部。

彼の方に怪我は無いと知った一期は、ホッと安堵の息を吐く。

だが、すぐにその表情は暗くなった。


「ですが…やはり、我々が元々は刀で、共に過ごしていたという事は憶えていらっしゃりませんか…。」
「の、ようだ…。先程、俺も名を名乗ってみたが、何の反応も見せられなかった…。やはり、話に聞いていた通り、審神者であった頃の事は憶えていないらしい。」
「そうですか…。それは、残念です…。何時か、早い内に思い出してくれる事を祈るばかりですな。」


二人が居る空間に、影が差した。

だが、彼女がレントゲンを撮り終わって、再び診察室へと戻ってきた時には、部屋の空気は元に戻っていた。

ボードに貼り付けられたレントゲン写真を見て、一期は口を開く。


「見たところ、骨の方には異常は診られないようです。至って正常な健康な骨ですね。しかし、少し弱くなっているようですので、これ以上弱くならないようにしっかりとカルシウムを摂る事をお奨め致します。」
『はい…っ、出来るだけ、毎日乳製品を摂るよう心掛けるようにします…。』
「ええ、その方が良いでしょうな。カルシウムは、とても大事です。骨を強く保ち、健康である為には、毎日牛乳を飲んだりする事も大切ですよ。さて、骨の方には異常が診られなかったようなので、直接触って診てみましょうか。此方の台に、痛めている方の足を乗せて頂いても宜しいですかな?」
『あ、はい…。これで宜しいですか?』
「はい、大丈夫ですよ。では、少し触って診てみますので、痛かったらすぐに仰ってください。」


そう言って腰を屈めた一期は、彼女の痛めたという足首に触れ、直接痛みの箇所がどうあるのかを診ていく。

色々な方向へ曲げたり、伸ばしたりして、足首の動きを診た彼は、判断を付けたのか、「ありがとうございます。もう下ろして頂いても結構ですよ。」と告げ、台を近くに避けて片した。


「診断の結果ですが、軽い捻挫ですね。暫くは、あまり走ったりなどの足に負荷を掛けるような事は控えた方が良いでしょう。程度は、軽症ですので、二、三日安静にしておけば治るでしょう。良かったですね。」
『はぁー…っ、良かった…。』
「念の為、処方として貼り薬を出しておきましょう。冷感タイプの湿布薬ですね。それを、痛いところへと貼ってみてください。それで様子を見ましょう。捻挫ですから、患部はなるべく温めるより冷やしてくださいね。」
『はい、ありがとうございました。』
「いいえ、事故寸前であったとお聞きましたが、軽傷で済んで良かったです。女性なのに、傷が残るような大怪我をしていたら大変でしたからね。貴女が、幸運で良かった。」


取り敢えず、処置として患部に湿布を貼られる璃子。

診てもらった御礼を彼女が述べると、彼は反対に素直な感想を述べた。

大した怪我無く済んで良かったと、寧ろ喜んでいるような様子であった。


「ところで、あれから、体調の方はどうですかな…?」
『え……っ?』
「実は、先日、大倶利伽羅君から連絡を頂き、容態を診たのは私なんですよ。」
『えっ、そうだったんですか…!?そ、その節は、大変お世話になりました…!体調の方も、あれからは特に何ともなく、普通に過ごせてます…っ。』
「そうでしたか。それは、何よりです…。今後も、もし何かあれば、此処、粟田口診療所へとお越しください。何時でも、お待ちしておりますよ。まぁ、出来れば、何ともないのが良いのですけどね?病院程まではいきませんが、一応、診療所といった、風邪を引いたりなどをして具合を悪くされた方が来る施設なので。」


軽い冗談を挟んでにこやかに笑う彼は、なんと、先日倒れた時に世話になった廣光の知り合いだったらしい。

これは思いもせず、吃驚である。


「何だ、廣光が家にまで連れ帰って介抱したというのは、貴女の事だったのか。」
『えっ?も、もしや…貴方も、廣光君のお知り合い、若しくは身内的関係者で…?』
「はい。彼奴は、俺の甥なんですよ。俺は、彼奴の叔父になります。」
『そ、そうだったんですか…っ!?あわわわ…っ。甥っ子さんにお世話になっただけでなく、貴方にもご迷惑をお掛けしてしまうだなんて…っ!申し訳ないです…!』
「いえ、良いんですよ。気にしないでください。それよりも、貴女が本当に無事で良かった…。」
『わぁ、なんて良い人…っ。重々、ありがとうございます…!それもこれも、きっと、このお守りのおかげですね!』
「お守り、とは…?」
『実は、数日前、私が風邪で寝込んでしまった時、彼がお見舞いに来てくれたんですけど…。その際に、このネックレスをお守りとしてくれたんです…!彼がずっと大切に持ってきた物だそうで、そんな大事な物貰っても良いのか?と聞いたら、お守り代わりに持っていて欲しいと言われて…。それ以来、出来る限り、毎日身に付けて持っているんです。』


言われて、彼女の首元へと目を向けた二人は、目を瞠った。

其処には、廣光が嘗てから身に付け持っていたネックレスが付けられていた。

璃子は、大事そうに自身の首から下げるネックレスを見つめ、口にする。

その様子を見て、一期は目を細め、温かい眼差しで微笑んだ。


「ギリギリ何とか事故に遭わずに、怪我も軽傷で済んだのは、きっと、そのお守りのおかげなんでしょうな。」
『でも、本当にこのネックレスにお守りの効果があったかどうかは、解らないんですけどね…っ。』
「いえ、きっと、そのネックレスがあったからこそ、今貴女が此処に居るんでしょう。」
「ええ、俺も、そう思います。出来る事なら、ずっと大切に持っていてやってください…。その方が、彼奴も喜びます。」
『そう、ですかね…?だったら、そう思う事にします…!』


にこりと笑んだ璃子は、立ち上がって一礼する。

診察を終えた一期も、同じく立ち上がり、彼女達が去るのをにこやかに手を振って見送るのだった。


執筆日:2018.10.16