手元に届いた、二枚のチケット。
其れは、彼女と見に行くと約束した刀の展示会のチケットであった。
彼は、其れを神妙な顔をして見つめる。
(…もし、此れがきっかけになってくれたなら…っ。)
彼女の事を想う、彼の気持ちは募っていく。
チケットを握り締めた彼は、スマホを手に取り、何処かへと電話を掛ける。
繋がった先で、彼は口を開き、小さく息を吸った。
―某月某日、展示会当日。
思ったよりも多く集まった来場客達で、会場は朝早くから混み、列を成していた。
同じく、有名で貴重な刀を一目見ようと来場した彼等も、共に列へ並ぶ。
『凄い人だかりだねぇ…?』
「まぁ…今回の展示会では、貴重な国宝扱いの刀も集まってるっていう事だからな。それでだろう。」
『へぇ〜、国宝なんて刀も展示されるんだ…。凄いなぁ…。』
「前もって、パンフレットも買っておいたが、見るか…?」
『おっ、見る見る〜!流石、廣光さん、用意が良いですねぇ〜っ。』
列に並ぶ時間、暇を潰す為にと用意していたパンフレットを眺める二人。
見れば、それぞれの博物館や美術館、資料館などから集められた有名な刀達が、展示される各フロア別に分かれて表記されていた。
『こうして見ると、結構な数の刀が展示されるんだね…?』
「嗚呼…。解りやすく有名な物で挙げていくと、織田信長が使っていた刀だってあるぞ?」
『えっ、あの信長が使ってた刀とか、凄いじゃん…!』
「ちなみに、その中でも有名で貴重なのが、国宝として指定されている“へし切長谷部”という刀だ。他にも、有名な武将が使っていたとされ有名な刀も、今回集められているそうだ。例えで挙げれば、独眼竜の名で有名な伊達政宗公とかな…。」
『へぇ…っ、政宗公の刀まで展示されてるんだぁ…っ!あ…実はね、私が戦国武将の中で一番好きでリスペクトしてるのが、伊達政宗公なんだ。政宗公マジ大好き…!宿敵のライバルである真田幸村も好きなんだけど、やっぱり政宗公愛には負けるね!あ、別に、幸村好きの人を低く見てる訳じゃないよ…?どの武将も格好良くて好きなんだけど、その中でも群を抜いて大好きなのが政宗公なだけなんだ。』
「そうなのか…。」
楽しみで胸いっぱいな璃子は、何時もよりも饒舌に自分の事を話す。
自身にとっても大切な存在である政宗公を褒められた廣光は、嬉しいのか、誇らしげに胸を張った。
『あ…中に入れるみたいだね。いよいよだ…!』
開場した様子に、背伸びをして見ていた璃子が反応する。
それなりの早さに来て並んでいたので、程なくしたら中へと入れるだろう。
『へへへ…っ、どんな風になってるか楽しみだね…!』
「…嗚呼、そうだな…。」
心から嬉しそうに笑う彼女に、廣光も満更でなさそうに笑んで返す。
『あ、そうだ…っ。』
ふと、何かを思い出したようにポツリ、声を発した璃子は、突如として彼の手に手を伸ばした。
彼の手に触れた彼女の手は、そのまま、緩くキュ…ッ、と彼の手を握る。
『今日も、人が多いからね。迷子防止…!』
「ッ…!」
少しだけはにかんだ笑みでそう言った彼女の破壊力たるや、恐ろしや…。
思わず、顔を背けて「ん゙ん゙…ッ!」と唸った彼は悪くない。
寧ろ、正常であると言いたい。
そんなこんなありながら、入場を果たした二人は、館内へと足を踏み入れた。
其処は、不思議な空気の漂う空間となっていた。
清浄な空気というのか、清廉たる雰囲気で、不思議な程に落ち着く空間が広がっていたのだった。
『何だろう…。上手く言葉では言い表せないんだけど…凄いね。この館内の空気そのもの自体が、何だか澄み渡ってるっていうのかな…?何か、そんな感じがするよ…。』
その言葉を聞いた彼は、「成程な。」と思った。
彼女の言った言葉は、言い得て妙だ。
人と在り続けてきた刀には、心が宿る。
其れは、やがて神と名の付くものとなり、付喪神となる。
彼等は、嘗てその身を刀として在った。
故に、そんな物が一ヶ所に集められれば、その場が清められたように澄んだ空気をしていても当然であると思ったのだ。
彼としては、嘗ては己と在った傍らの気配を感じ、懐かしみを感じていた。
(懐かしいな…。)
硝子のショーケースを通した先に、嘗て己と在ったであろう存在達を感じ、思う廣光。
すぐ隣で、璃子も興味深げにショーケースの中を覗き込んでいた。
『凄いね…。さっきから凄いとしか言えてないけど、あまりの凄さに語弊力を失ってるだけだからね。私の拙い表現力ですみません…。』
「まぁ、単に刀と言っても、有り様は様々だ。刃紋や刀の打ち筋何かでその形は変わってくる。また、見方によっても見え方が変わってきたりもするから、長きに渡って人の手を渡り大事にされてきた刀は、美術品や芸術品として後世に残されている。戦の道具として生み出された筈が、時代が過ぎて必要とされなくなった途端、そんな行き様になるとは、此奴等も思っちゃいなかっただろうな…。」
『廣光…?』
「…悪い、ちょっとした感傷だ…。」
急に然として語り出した彼に、少し不安になって声をかける。
つい意図せず感傷に浸ってしまった彼は、すまない、と詫びると目線を外して遠くを見つめた。
そして、すぐに下へ俯き、目を瞑る。
『いや…別に良いんだけど、まるで、自分もそうであったみたいに話すから…どうしたのかな?って…。』
「何でだろうな…。自分でも、よく解らない。可笑しな話だな…気にしないでくれ。」
彼女は、のほほんとしているようで、実のところは鋭いようだ。
流石は、元審神者であった、というところか。
彼は、彼女の知らないところで、そう頷く。
「此処は、織田家に所縁の在った刀が集められたフロアのようだな…。さっき入るまでの列で話していた、国宝の刀も展示されてるみたいだぞ。」
『“へし切長谷部”、だったよね…?早速見に行こう…っ!』
逸る璃子に手を引かれ、国宝たる彼の本体とされた刀を前にする。
『ふわぁ…っ、流石は国宝…!刀そのものの輝きが違うね…っ。』
「だな…。」
『まさに、美しいという言葉が相応しい輝きだね…。』
あまりの美しさに溜め息を零す璃子。
自分のちっぽけな悩みなど、何処か彼方へ吹っ飛んでいくレベルの美しさである。
流石は、国宝を誇るだけはある逸品だ。
『へぇ…。刀と言っても、大きな刀ばっかじゃなく、小さな刀…短刀も持ってたんだね、信長って。“薬研藤四郎”っていうんだ…。刀を作った刀派で、粟田口とされる短刀は、他にも数多く存在し、其れ等を兄弟刀と称して呼び、……。…って、あれ?粟田口って、何か最近何処かで聞いたな…。何時だっけ?』
「………。(こうして見てみると、面白いモンだな…。前は、こんな風に他の奴の刀身をゆっくり眺めて見る事なんて無かったもんな。)」
『…ふんふん。“宗三左文字”は、魔王の刻印とされる名を刻まれた刀として有名で…戦に使われる事は無く、長年大事に飾られてきた、と…。』
展示される刀を真剣に眺める彼女を横に、会場内の奥の方を眺めていた廣光は、ふいに見知った顔が居るのに気付き、視線を向けた。
彼の方も気付いたのか、柔く笑んで、軽く会釈を返してきた。
今、正に彼女が目の前にする刀の本人であった者…宗三である。
彼は、この館内の係の者なのか、ネームを首から下げ、次のスペースへと行くフロアの端の処に立っている。
彼も、主であった彼女が来たという事に気付いたのか、廣光の横に立つ彼女へと目を向けていた。
他にも数人、彼女を知るとする者が、彼女の方へと視線を向けていた。
そこで、不意に頭を上げた璃子が、周りを見渡す。
「…どうした?」
『いや…何か視線のようなものを感じた気がしたのだけど、気のせいかな…。今は、感じない…。』
「視線、か…。気のせいじゃないか…?これだけ人が居るんだし、アンタと似た人を探して見ていたとしても、可笑しくはないだろう。」
『それも、そっか…。』
見ているのが、人だけではない事に、彼女は気付かない。
「此方は、伊達家に所縁の在った刀のスペースのようだな…。」
『お…っ、来ちゃいましたか?本日の大本命…!』
「陳びには、“燭台切光忠”といった長船派の刀も同じフロアに展示されているようだ。」
『へぇ〜…っ、“燭台切光忠”か…。名前だけ聞くと、何だか光忠さんと同じ名前だね…!刀派も、長船派っていう名前だし!』
無意識で呟いているのであろう其れが、実にリアルで現実な話なのだと言ったら、彼女は何て言うのだろう。
どんな反応を見せてくれるのだろうか。
下らない思考が、脳裏に過って、隅へ追いやる。
懐かしき仲間の本体を眺めていく内に、遂に、ある一振りの刀の前へと辿り着く。
その刀も、嘗ては己と共に在り、戦場を駆け巡った刀だった。
元は大太刀で、戦場から離れると共に大磨上され、銘を削られ打刀という身になりながらも、時代と共に在り続けた刀…。
其の名を、“大倶利伽羅”。
不動明王を信仰の象徴として彫られた倶利伽羅龍の姿が、一枚の硝子越しに力強く刀身で物語っている。
『“大倶利伽羅”…。綺麗な刀だね。凄く、美しい…。』
彼女の目が、己の本体であった刀へと向けられる。
彼は、黙ってその様子を見守った。
『何だろう…凄く懐かしいような気がするの…。何でか解らない…この感情は、何…?』
彼女が、ポツリ、言葉を漏らした。
『伽羅…。』
「…!」
『そう、呼んでいたような気がする…。すごく、昔に…。不思議だな…この刀とは、今日初めて逢った筈なのに…っ。あれ…?刀に“逢った”って言葉も可笑しいよな…?普通なら、“今日初めて見た”が正しいのに…。』
彼女が、目の前の刀を見つめながら、眉を潜めて、ひたすら不思議そうに首を傾げる。
不意に、視界の端に何か薄桃色の物が掠めて、目を瞬かせた。
其れは、桜の花弁のように見えた。
花弁は、ひらひらと数枚、彼女の視界の端で舞った。
ふと、隣に居る彼の方を見遣る。
すれば、花弁は、彼の方から舞っていた。
『ぇ………っ?』
その光景に、遠い記憶の情景が重なって見える。
―“花弁を舞わすのは、刀剣男士が心の喜びを表した現象なんですよ…。”
誰だったか…何時の日か、そんな事を言われたような気がするのである。
『刀剣男士……。桜の花弁…?』
こんな処に、桜の木なんて有る訳ない。
況してや、室内、それも人から花弁が降ってくるなんて、有り得る訳がない。
璃子は、刀の魅力に充てられて、変に気でも狂ったのかと思い、目を擦り、瞬きを繰り返してから、もう一度彼の方を見た。
「どうかしたのか…?」
気のせいか…。
それか、何かと見間違えたのだろうか。
『いや…何でもない…。』
まさか、彼が桜の花弁を舞わしていただなんて、そんな事有り得る訳ないのだ。
『ちょっと花弁が見えた気がしたんだけど…気のせいみたい。そりゃ、そうだよね!こんな場所で、桜の花なんて有る訳ないんだし…っ。そもそも、今、桜の咲く時季でもないもんね…!』
焦ったように言い繕った彼女に、何かに気付いた彼が彼女の方を見遣った。
(…一欠片の断片でも、思い出したか…。)
自分は何を言っているのだろうか、少し混乱した様子で戸惑う璃子を見兼ねて、もう予定していた分はほとんど回り終えたと思った廣光が、外に出よう、と小声で囁き、促す。
頷いた璃子は、其れに従い、彼の手に引かれ館内から外へと出た。
執筆日:2018.10.20