あの日と同じように、同じ一つのベッドの上、二人で横になる廣光と璃子。
ただ一つ違う点は、二人が晴れて恋人となった、という点か。
現体勢は、璃子が壁際のギリギリ端っこまで寄り、壁側を向き、彼には背を向けた状態で寝転んでいる状態であった。
そんな璃子に対し、至って何も構えていない廣光は、彼女の方へ向いて寝転んでいた。
「…何時までそうしてるつもりだ、アンタは…?」
『ひぇ…っ!あの時は意識してなかったから、というか…っ、正しく意識が無かったから、というか…!』
「良い加減、腹決めたらどうなんだ…?じゃないと、アンタは布団からはみ出たまま寝る事になるんだが…。」
『いっそ、もうそれでも良いかと…っ!』
「それで、またアンタに風邪を引かれたら、俺が困る…。だから、大人しく此方に来い。」
『に゙ゃ゙あ゙あ゙あ゙…っ!!そんな、ごむたいなぁ゙〜…っ!!』
「訳の解らない事を抜かしてないで、さっさと寄れ。」
未だ謎に恥ずかしがる彼女の首根っこを掴んで引き寄せれば、ジタバタと猫の子みたいに暴れ、壁へ爪を立てしがみ付こうとした。
しかし、本物の猫の如く爪を引っ掻ける事は出来ずに、抵抗虚しく彼の腕の中に引き摺り込まれた璃子。
引き摺り込まれても尚、彼の方をまともに直視する事は出来ずに、顔を覆い隠していた。
「さっきから散々言ってるが…何時までそうしてるつもりだ、アンタ…。」
『乙女心故の反射なんですよぅ…っ。察してくださいよぅ…っ!』
「(鳴狐のお供みたいな喋り方だな…。)アンタに、乙女云々の部分が残っていたのか…。」
『散々な言われ様…!流石にその言われ様には泣きますよ…っ!?』
「…何で、さっきからちょいちょい敬語で話すんだ…。違和感有り過ぎて否めないから、止めてくれないか…?」
『え…っ!そんなガチトーンでガチレス返してくる程…!?酷くない…っ!?』
「良い加減にその喋り止めなかったら、今すぐその口塞ぐからな…?昼間みたいに塞がれるのがお望みなら、何度でも塞ぐが…どうだ?」
『あ、ハイ、すんません…っ。ちょっとテンパり過ぎました。少し落ち着かせるんで、あの、昼間みたいなのは勘弁してください…っ。心臓に悪いんで…!』
とにかく必死に取り繕おうとする彼女に、例の言い包め方で諌める廣光。
漸く若干の落ち着きを取り戻した彼女が、ゆっくりと深呼吸をして気を落ち着ける。
少しだけ落ち着きを見せてから、ちょっとばかり拗ねたように口を尖らせた璃子は、ボソリと本音を零した。
『何で、廣光はそんなに緊張しないのかが不思議だよ…。私なんて、今でもめちゃくちゃ不慣れ過ぎて心臓バックバクで緊張しまくってんのに…っ。何で、そんな堂々としてられんだよ…。』
「まぁ…多少なりは、そりゃドキドキしてはいるだろうが、アンタ程ではないな…。アンタのは、極端過ぎるんだ。」
『いや、私の中じゃ、コレが通常運転だよ…っ!?』
「ソレが世の通常運転だったら、アンタ今頃泡吹いてるんじゃないか…?」
『あれ…っ?私、コレ、遠回しにディスられてんの…?あ゙?』
「何で、ソコでメンチ切るんだ、アンタは…。理屈が解らない…。」
未だ、言い合う二人は、まだ寝ないのか、言葉の応酬を続けていた。
「逆に、何でソコまで恥ずかしがるのかが、俺には理解出来ないんだが…?」
『だから、ソレが乙女心ってモンなんですよ、旦那ァ…っ!!』
「俺は、まだアンタの旦那になった覚えは無いが…ご希望なら、なってやっても構わないが…?」
『え………っ、いや、今のは言葉のあやというか、キャラと言いますか…っ。』
「旦那という体には、まだ早いという事か…。」
『え、え…?何、兄さん、なる気満々なんすか…?え…っ?』
思わぬ反応に、逆に対応に困った璃子。
嫌に引いた彼女に、すぐに「冗談だ。」と返した、彼の本意や如何に。
彼の本気かそうでないのか解らないジョークにより、応酬に区切りを付けた二人。
途端に静かな空気が、二人の間へと漂った。
「…璃子、アンタは、まだ寝ないのか…?」
『ん…何か緊張してるのもあってか、目が冴えちゃってて…まだ眠くなんないんだ。廣光の方は…?』
「俺も、今日は少し疲れたから眠くなるかと思ったんだが…不思議と眠くないんだ。だから、まだ眠たくない…。まぁ、明日も休みだから、少しくらい夜更かししたとしても差し支えないがな…。」
『そっか…。なら、もうちょっと起きていられるね…っ。へへへ…っ、何かちょっぴり修学旅行みたいな感じで楽しい…っ。』
「………アンタには、もう少し貞操観念的なものの危機感を持って欲しいところだな…っ。これでも、一応一人の男なんだが…?その男と一つ屋根の下、同じベッドに寝ている訳なんだが…その点では、何も思わないのか…っ?」
『思う事有りまくったから、さっきまであんなに取り乱してたんだけど…。』
「じゃあ、何で今、煽るような事を言ったかと思ったら落としたんだ…。」
『煽るような事を言ったかどうかは、別として…。散々考えまくった結果、一周回ってふいに落ち着いたんだよね。だから、今は、たぶん一種の賢者タイムに入ってるんだと思う。』
どんな賢者タイムだよ、と突っ込みたい話である。
どうも甘い雰囲気になりきれない現段階の二人は、微妙な空気になりがちだ。
しかし、会話もそこそこに、やはり精神的には色々とあった彼女は、疲れが出てきたようで…。
段々と口数を減らし、次第には目も開かなくなってきたのか、瞬きをゆっくりとした動きで重ね、遂にはその目蓋を閉じた璃子。
目蓋の重さには抗えないといった様子で、声をかけても、「んー…っ。」といった生返事しか返ってこなくなった。
「璃子……?」
『…ん゙ー…っ。』
「眠いのか…?」
『…ん゙…っ、ん゙ぅ゙ー…っ。』
「そうか…。疲れたんだろ…ゆっくり休めば良い…。」
さわり、と彼女の柔らかな指通りの良い髪へと触れれば、すり…っ、と無意識にも擦り寄ってくる愛しさに、何とも言い難い物が胸に込み上がってきて息の詰まる廣光。
思わず、低く呻きを漏らす事で発散する。
愛しいが故に傷付けたくないという想いが、理性よりも上回って、寸でのところでセーブが掛かる。
よって、そのタガが外れた時が彼女を傷付けはしないかという恐怖が彼を苛むのである。
過去より想い募らせてきたが故の壁は、思ったよりもぶ厚く高い。
だが、今は、漸くこの想いが結ばれたという事だけでも喜びを噛み締めるのに他無いというところであった。
眠りに就いて静かになった彼女を胸に抱き、その愛しき存在を全身で感じ受け止める。
柔らかで細い、少し力を込めただけで折れてしまいそうな程脆い、その身を大切に腕の中へと抱く廣光。
そんな彼の彼女へと向けられる視線は、此れまでに見ないくらいに穏やかで優しげな眼差しであった。
愛しさを散りばめたような、そんな視線を受ける彼女は、夢の中だ。
さて、彼女は、今夜はどんな夢を見るのだろうか。
無防備にも、あどけない安らぎきった表情を見せて眠る彼女の寝顔は、初めて見たあの日と変わらない。
もっと言ってしまえば、嘗て、審神者であった頃から変わらない…。
「…アンタは、其れで良い…。アンタだけは、何も変わらないで居てくれ…っ。」
ぎゅ…っ、と抱く腕に力を込めた彼は、眠る彼女の額に自身の額を突き合わせた。
そして、願うように小さく言葉を呟いたのだった。
―意識の外れで、ピピチュチュン…ッ、と鳥の鳴く声が聞こえる。
爽やかと言えば爽やかな目覚ましとも言える、鳥の囀ずりに意識の浮上した璃子は、まだ朧気な意識を持ち上げた。
緩く開いた目蓋の先が捉えた物は、白きTシャツで覆われた逞しい胸板だった。
もぞり、身動きしてみると、ガッチリと回された彼の腕が自身の背中と腰へと回っていた。
(………う、動けねぇ…っ。)
起き上がり顔でも洗いに行こうかとも思ったが、思いの外に固い拘束に身動きの取れない彼女は、溜め息を吐いた。
(こりゃ、目の前で眠る此奴が起きない限り、土台無理な話だな…。全っ然動けやしねぇ…っ。)
晴れて結ばれた恋人相手を早速此奴呼ばわりするは、その彼女となった身の璃子である。
彼女をしっかりと腕に抱いたまま眠る彼は、まだ熟睡中だ。
特に遣る事も無い璃子は、取り敢えずは、目の前で爆睡する恋人の事でも観察する事にしたようだ。
大人しく横になったまま、彼の腕に抱かれるまま、身動き取れぬままの状態で出来る事と言ったら、コレしかないだろうといった風情で彼の事を見つめる璃子。
まず向けたは、目の前に映る、薄いようでしっかりと厚みのある胸板である。
彼が呼吸すると共に上下する様は、何だか無性に安心するような気がする。
次に、少し視界を上向きにずらした先に映るは、彼の無防備に晒された寝顔。
前回は、彼の寝顔を見る余裕なんて無かったというのと、恐らく、彼の方が先に目を覚ましていたという事で見れなかったので、今回が見るのは初めてである。
眠っていると、案外彼も幼げな顔立ちをしているのか、と思った璃子。
開いている時は、不思議な程に力強く真っ直ぐな金色の睛を向けられるものだが、眠っている今は、その睛は目蓋の向こうに閉ざされている。
何故だろう、彼の力強くも真っ直ぐに優しい目は、嫌いではないのだ。
寧ろ、好きと言っても過言ではないだろう。
普通、世間一般の人の場合は、彼のような真っ直ぐと見てくる目を嫌ったりするのかもしれないが、彼女は自然な感じで好いていた。
逆に言えば、そんな睛をしているからこそ、彼に惹かれたというところか。
面と向かって伝えるのは、まだ恥じらいが勝って口に出来ないが…何時かは伝えられたら良いな、と思う璃子は、柔らかに微笑んだ。
少しだけ腕を伸ばして、彼の顔に掛かる前髪に触れ、そっ、と避けてあげる。
その時、触れた髪質が思いの外柔らかかったのに好奇心が疼いて、もっと触れようと身を捩って上の方へと伸びる。
すると、背中へと回っていた腕が抱いていた感覚が変わった為か、ピクリ、反応した指先。
彼の髪質も、思ったよりも猫毛な質だったのか、ふわふわとした感触が猫の毛並みを撫でるような感触に似ていて、つい彼女の猫好き好奇心が煽られたのだ。
彼が反応した事には気付かずに、ふわり、撫でようと前頭部へと触れた瞬間、ゆっくりと目蓋を開いた廣光。
開いた先で、至近距離な近さでバッチリと合わさった彼女との視線。
まさかの出来事に、伸ばした手を引っ込めるタイミングを逃した璃子。
両者、数秒間、硬直状態に陥いるのであった。
執筆日:2018.10.20