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記憶の断片



気まずく緊張した、やけに静かな朝食を終えて、少し経った後。

ふと、昨日展示会の場で見た、或る刀の事を思い出していた璃子は、あの時伝え切れていなかった事があったのを思い出す。


『あ…そういえば…。』
「ん…?どうした…?」
『あ、えっと…昨日、刀の展示会をある程度見終わった後、隣接してた喫茶店に寄ったじゃない…?彼処で、廣光に問われた事を答えた時、一つ伝え忘れてた事があったのを思い出して…。』
「伝え忘れてた事…?何なんだ…?」


食後のティータイムに珈琲を飲んでいた彼が、マグカップを片手に此方へ向く。

璃子は、頭に思い描いていた事を、そのまま口にした。


『“大倶利伽羅”っていう、倶利伽羅龍が彫られた美しくて格好良い刀を見た時にね。“懐かしい”って思う前に、一番最初にこう思ったの。“まるで、廣光自身みたいだ”って…。』
「…!!」
『何でだろうな?って今でも思うんだけど…何故か解らないけど、そう思えたんだよなぁ…。名前がそっくり…というか、ほぼそのままだったからかな…?まぁ、もし廣光を刀で表すとするんなら、ああいう刀なんだろうなぁ、とは思うよ。廣光って、こう鋭くて、一匹狼なイメージがあるから。龍とかって一番似合うと思う。だから、廣光へ上げた御礼のネックレス、龍の絵が描かれた物を選んだんだ。何か、目に入った瞬間、コレだ…!って気がしてね?まぁ、個人の勝手なイメージだけども…。』
「…そう、か……っ。」
『あ、変なイメージ付けちゃってたら、ごめんね…!えっと、何でか知らないけど、龍と廣光を見たら、自然とくっ付け合わせてちゃったというか、そんな感じでさ…っ!インスピレーションって言うのかな…っ!?直感的にそう思っちゃったんだよね…!あはは……っ、な、何か変な事言ったよね…?ごめんっ、気悪くしたならあやま…っ、』


言葉の途中で突然腕を引かれた璃子は、気付けば、彼の腕の中に居た。

言い切る前に言葉を途切れさせた彼女は、何故急に彼に抱き締められたのかが解らず、混乱する。


『え………?あ、の…廣光…?』
「ッ………………。」


名前を呼び、声をかけてみるも、彼は無言を返した。

ただ、抱き締める腕の力を強め、彼女の事を離すまいと胸に抱く。

彼が急に抱き締めてきた意味は解らなかったが、解らないなりにも、何かを察し、そっと寄り添い、黙って彼の腕に抱かれる璃子。

その時、そっ、と触れた彼の腕は、微かに震えていた。

気付いた璃子は、一瞬何かを言いかけるが、結局何も言わずに口を閉じ、黙って彼の背に腕を回した。

故に、暫し彼が落ち着くまでの間、彼女は何も言わず、彼の手に抱かれたのである。

少しして、気が落ち着いたのか、静かに彼女の事を離した廣光。

しかし、顔は伏せたままで、彼が今どんな表情をしているかは解らなかった。


「…急に抱き締めたりなんかして、悪い…。」
『それなら、良いよ…っ。廣光の気が済んだのなら、別に…。』
「…そうか…。すまない…。」


ゆっくりと顔を上げた廣光は、視線は下を向いたまま、合わせる事はなかった。

何処か様子の可笑しい彼に、不安になった璃子は一瞬だけ戸惑いを見せたものの、すぐに柔らかく笑んでみせた彼女は、彼の頬に手を伸ばして口を開いた。


『私、どんな廣光でも好きだよ。まだ逢ってから、そんなに期間経ってないけど。感覚的には、もっとずっと一緒に居たような気がしてさ。だから、廣光の事が好き…っ。大好きだよ。』
「っ…、どうした…?急に…。」
『えっと…特に理由は無いんだけどさ。何だか、今、伝えたいなって思ったんだ…っ。だから、伝えてみました…。廣光の事が好きだって気持ち…。昨日は、ちょっと気持ちがいっぱいいっぱいになっちゃって、ちゃんと伝えれてなかった気がしたから…今、改めて言ってみたんだ。へへへ…っ、改めて言うっていうのも、何か照れくさいっつーか、恥ずかしいね…っ。』
「璃子………。」


ス…ッ、と伸ばされた彼の手が重なり、するりと彼の手の中に掠め取られると、その手は彼の口許へと寄せられた。

ちぅ…っ、と柔く手首の内側へと口付けた廣光。

吐き出された吐息は、少し熱を持っていて熱い。


「俺も…アンタの事が好きだ…っ。ずっと、アンタの事だけを想ってた…。」
『ふふふ…っ、何だか擽ったい……っ。』
「アンタの事が、もっと欲しい…。璃子…っ、もっとアンタに触れても、良いか…?」


熱っぽさを持った視線を向けてくる廣光の掌は、熱い。


『わざわざ聞かなくても……っ。初めから、良いに決まってるよ…?』


璃子の方も、少しだけ顔を赤らめながら、彼の言葉に答える。

彼女が頷いた瞬間、彼は熱を持った掌を伸ばし、彼女の頭を引き寄せる。

そして、少し気を急いた様子で、彼女の唇へ口付けた廣光。

そんな彼に応えるべく、慣れないながらも精一杯に受け止める璃子。

意地らしくも健気で愛らしい其れに、更に煽られた彼は、より深く口付けた。

ただ唇を触れ合わせるだけでも精一杯だった彼女に、突然の其れは付いていけず、堪らず彼の手に縋るように手を伸ばした。


『ん…っ、ふ……!』
「…ん…、……璃子…っ、もう少し、口開けろ…っ。」
『は…っ、んぅふ………っ!』


ぬるり、温かい舌が咥内へと侵入し、自身の舌を絡め取ってきて、息が苦しくなる。

呼吸を求めて口を開くと、僅かな隙間の内、新たな空気を吸えるものの、すぐに彼の口によって塞がれ、深く口付けられる。

息苦しさと何かに縋りたい想いでもどかしくなり、璃子の目には生理的な涙が浮かぶ。


『廣、み、つ…っ、んむ…!』
「…っは、璃子……っ。」
『んんん…っ!んふ…っ、んぅ…、っは……ま、待って…っ、ふんぅ!は…っ、廣光、待ってってば…っ!ん…っ、くる、し……っ!』


酸欠のあまり彼女が制止をかけて、やっと口付けを止める廣光。

漸く唇を解放された時には、息も絶え絶えで、何とか肩で荒くも呼吸をしていた璃子は、酸素が足らず、思考が霞みかけていた。

思わず盛り上がってしまった彼は、そんな璃子を見て、焦ったように詫びの言葉を口にする。


「す、すまん…っ!つい、勢いでがっつき過ぎた…っ。初めてなのに、悪い……っ。」
『は…っ、はぁ…っ、ふぅー……っ。いや、まぁ…初めてだから、ちょっと…いや、かなり吃驚したけど…廣光が求めるなら、私も応えたいし…っ。だけど、さ…っ、もうちょっと、ペース的なものを私に合わせて欲しいかな……っ。だいぶ、性急だったから…っ、息継ぎが付いていけなくて…。っていうか、途中から、どうやって呼吸したら良いんだか解んなくなっちゃって…。だから、もう一度する時は、呼吸する間を少しください…っ。じゃないと、私、酸欠になっちゃって、また気を失いそうだよ……。』
「すっ、すまない…っ。次は、ちゃんと配慮する…。だから、もう一回…良いか?」
『えっ、や…っ、ちょっと…今はまだ無理というか、呼吸が整わないというか…っ。んな訳だから、もう少し間を置いてからにして欲しいかな、って…。』


熱を持て余しているのか、もう少し口付けていたい彼は、再び口付けようと彼女へ唇を寄せるも、息が続かない為に断られ、熱のやり場を失う。

少しだけ辛そうに顔を歪めるも、堪えた廣光は、我慢する。

代わりに、一度だけ触れるだけの口付けを落として、最後とし、身を離して深く息を吐き出した。


『えっと…何か、ごめん…っ。付いていけなくて…。』
「いや…アンタは悪くない…。性急過ぎた俺が悪いんだ…。」
『んっと…深めなキスは、ちょっとまだ慣れないから、そんな出来ないかもしれないけど…。触れるだけのキス程度なら、慣れる練習でしても良いよ…?あと、ほら、触れ合うぐらいとかなら…っ!』


どう合っても彼に応えようとする璃子に、彼はある意味堪えて顔を全面に覆って伏せた。


「だから…っ、そう安易に煽るような事を言うな…っ!」
『へ………っ?』
「アンタは、無自覚か…!!」
『え…な、何か、ごめん…っ。』


必死で襲いたくなる気持ちを抑え込んだ廣光は、誉め称えるべき事である。

自覚の足りない璃子は、おろおろと戸惑い、どうすべきか迷った。

彼女の許可もあるので、セーブを掛けた範囲で彼女へと触れる廣光。

触れ合うだけの口付けを何度か交わしていたら、擽ったさに何だか可笑しくなって、互いの額を突き合わせて笑い合う。

晴れて想いを通じ合えたばかりなせいか、まだまだ初々しさの残る二人なのであった。


少し遅めのお昼はどうしようかと冷蔵庫の中身を覗くと、材料があまり無かった為、近くのスーパーまで買い出しに行く事になった璃子と廣光。

二人仲良く部屋を出て、手を繋ぎながらアパートから出てきたところ、またもや出逢う彼の旧友達。


「あ…っ、伽羅ちゃん…っ。あれ…?璃子ちゃんも………えっ?」
「ん…?どうしたんだ、光坊?…って、伽羅坊じゃないか…!おや、珍しい事もあるモンだ。君が一人じゃないとはなぁ…。もしかして、その子が噂の彼女さんかい?」
「も、もしかして…っ、また彼女倒れちゃったりか何か…っ!?」
「いや、違うだろ。突っ込みが可笑しいぞ、アンタ。そもそも、そんなしょっちゅう倒れる訳がないだろう…?逆に、そんなに倒れられたら、家に運ぶよりも、まず病院に運ぶぞ。」
「そっ、それもそうか…っ。あれ…っ?じゃあ、今、二人して出てきたって事は…つまり、そういう事……っ!?」
「………チ…ッ。(面倒な奴に見付かった…っ。)」


このようなタイミングで、何度逢えば良いのだろう。

それ程までに高確率で出逢う、光忠と廣光達。

鶴丸と彼女は、今回が初対面であろう。


「ほぉ…っ!伽羅坊も、とうとう納まる処に納まったか…!」
「いや、納まるって…っ。」
「おめでとう、伽羅ちゃん…っ!!漸く結ばれたんだね…!おめでとう!!僕も嬉しいよ…っ!それで、予定日は何時っ!?」
「予定日って何の話だっ!!というか、ただ人が付き合い始めただけで、一々騒ぐな…っ!!」
『ははははぁ〜…っ。(何時もの流れだ…っ。)』


逢った瞬間、ぎゃいのぎゃいのと言い合うのは、最早恒例と化してきている。

そんな様子を端から眺めながら、璃子は乾いた笑みを浮かべるのであった。


執筆日:2018.10.23