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子供遊び



部屋へと入っていった瞬間、目の前の彼がサッと横に避けるように捌けたかと思うと、中で待っていた者に突撃された。

突然の猛撃に受け止め切れなかった璃子は、部屋の入口半ばで盛大にぶっ倒れる。

恐らく彼女に飛び付くであろうな、といった事は、彼の予想通りであった。

慣れた光景ではあるが、「下の階の者に迷惑だ。」と一言注意するのみだ。

酷く腰を打ち付けた璃子は、痛みに悶えながらも、自身の身に抱き付いてきた少年を見下ろした。


『随分と熱烈な歓迎っぷりだねぇ…貞君?』
「当ったり前に決まってんだろ…っ!?ずぅーっと逢いたくて待ちくたびれちまったじゃねーか、璃子…っ!漸く逢えて嬉しいぜ!!」
『…君の中じゃ、私はもうそんな立ち位置な訳…?』
「呼び捨ては嫌だったかい?」
『いや、不思議と嫌じゃないから、別にそれで構わないけど。』
「流石は伽羅の認めた女だぜ…!懐が深ぇな!!」
『元気が良いなぁ…。』


やっと逢えた喜びにはしゃぐ少年を他所に、彼の元気な様子に圧倒された彼女は、何処か年の差を感じたのである。


「そら、何時までもソイツの上で寝っ転がってないで、早く起きろ。」
「何だよぉ、ちょっとくらい感動を味わってても良いだろ…?それとも、アレか…?愛しの彼女さんに抱き付いちまって、やきもちってか?伽羅ってば、小せぇなぁ〜っ。男なら、もっとおっきく構えてないと駄目だぜ!」
「くだらん事言ってないで、さっさと退いてやれ。潰れたソイツが可哀想だろう。あと、今日の飯を作ると言い出したのは、お前だぞ…?今日は、ソイツから貰った差し入れもある。ソイツの母親が作った煮物だそうだ。せっかくソイツがくれたコレを食べたくないと言うなら話は別だが、どうするんだ…?」
「えっ!差し入れ…っ!?しかも、璃子の母ちゃんのお手製の煮物…!?食う食う…っ!!食べさせてください、伽羅様大倶利伽羅様ぁ〜っ!!」
「…本当、調子の良い奴だな…。食いたいのなら、さっさと夕飯の準備に取り掛かれ。俺は、今日は手伝いをするだけだからな…?」
「まっかせろぉ〜い!飛びっきり美味い飯作って食わしてやるから、腹空かして待ってろ…っ!!」


廣光に言われ、ガバリ!!と勢い良く起き上がった貞宗は、腕を捲って夕飯作りへ意気込む。

台所へと行く前に、自身が押し倒して床に伸びさせてしまっていた璃子に手を貸し、起き上がらせる。

遣る事を遣る前に、きちんと彼女を抱き起こしておくのを忘れない彼は、紳士な伊達男である。


「押し潰して悪かったな。大丈夫かい…?」
『え…お、おぅ…っ。』
「どっか怪我したりとかはしてないよな?」
『う、うん…っ。特には、何処も怪我したりとかはしてないよ…。ちょっと強く腰打ち付けちゃったけど。』
「おっと、そいつぁいけねぇな。将来の伽羅の嫁さんになるかもしれない身体に傷付けちまったら大変だ!良かったら、痛む場所を教えてくれるかい…?擦って和らげてやるよ!」
『え…っ!?い、良いよっ、ソコまでしてもらわなくて…っ!』
「遠慮しなくて良いって!これでも、ダチに医療に詳しい奴が居て、色々話聞いてるから手当、デ…ッ!?」


目の前で、突如頭を抱えて蹲る貞宗。

その真後ろでは、彼の頭上に拳を翳したまま立つ廣光が居た。


「良い加減にしろ…。ソイツに余計なちょっかいを出すな。手当てしたいというのも、ただソイツに触りたいだけの口実だろう…このエロガキがっ。」
「…っちぇ〜、良いトコまでいってたのによ…っ。未来の嫁さんのガードは堅いねぇ〜。さしづめ、未来の嫁さんを守ろうとする騎士ってか…?良いねぇ、熱いねぇ!お二人さん…っ!!」
「その減らず口も程々にしておけよ…?でないと、もう一発構す。」
「へいへ〜い。伽羅のゲンコツは痛ぇからな…。囃し立てるのは、このへんにしておきますよぉ〜っと。」


あっさりと引き下がった貞宗は、璃子に寄っていた身を離し、お茶目にもウインク一つを投げて台所へと去っていく。

彼に助け起こされていた璃子は、ポカン…ッ、と呆けた顔で固まっていた。

そんな彼女の元へ、廣光が膝を付いて覗き込みに来る。


「大丈夫か…?璃子…。」
『…何か凄い子だね、貞君って…。』
「貞は、昔っからあんな奴だ。深く気にしない方が良い。此方が疲れるだけだからな…。」


溜め息混じりに呟く彼は、苦労人だ。

呆れの苦笑を漏らしつつ、彼の手を借りて立ち上がる璃子。

腰の痛みも、とうの昔に吹っ飛んでしまったようだった。


それから少し経ち、夕食の時間となった小さなアパートの一室からは、賑やかな声が聞こえてきていた。

独り暮らしの一室のテーブルでは、豪勢な食事が並ぶ。

ほとんどが貞宗の手作りであり、中学生ながらも大人顔負けな男料理がズラリ並べられていた。

その中には、廣光が手伝って作った物もあり、食欲のそそる美味しそうな匂いが部屋に充満する。

テーブルの中央に置かれた、彼女の母お手製の煮物が入ったタッパーは、申し訳程度に添えられていた。


『わぁ〜…っ!すんっごい美味しそう…っ!!何かめっちゃキラキラ光ってるよ!?ウチが持ってきた煮物が申し訳なくなってくるね…っ!』
「まぁ…っ、料理の腕には自信があるからな…!どうだい?俺の料理の腕前は、感動したかい…?」
『感動するよ、このレベルは…っ!凄いね、まだ中学生なのにココまで作れるのって。』
「貞の家は、両親共働きだからな…。上の兄弟を見ていく内に、自然と身に付いたんだろう。」
『凄いし偉いなぁ、貞君は…。まだこんなに若いのに。将来有望だね…っ!』


早速箸を取り、いただきますをして、美味しい料理に舌鼓を打つ。

豪勢な料理だったが、食べ盛りの男二人が居た為に、あっという間に食べ上げてしまった。

彼女が持ってきていた煮物も、ペロリと完食され、綺麗に無くなってしまっていた。

食事を終えて、食べ上げた食器をシンクへと下げに行った璃子は、夕食をご馳走になった御礼だと言って、そのまま食器を洗う係を受け持った。

綺麗に食べ上げられた食器を洗いながら、璃子は微笑んだ。


『何か、楽しいな…こうして皆と仲良く食事をするのって…。』
「そういえば…この間も、似たような事を言っていたな。」
『うん…。最近までは、ずっとこうやって仲の良い子と集まってお喋りしたり、仲良く一緒に御飯を食べたりするって事が無かったからさ…。何だか、嬉しくなっちゃって。つい、年甲斐もなくはしゃいじゃったかな…?』
「璃子だってまだ若いじゃねーか。それに、ちょっと前までは仕事してたって聞いてたけど、職場でも皆と一緒に集まって飯食ったりとか、あったろ…?」


彼女が食器を洗う傍ら、部屋から声をかける廣光に、貞宗。

璃子は、その言葉に一瞬手を止めながらも、手元を見つめたまま話を続けた。


『う〜ん…確かに、職場の人と一緒にお昼を食べる事はしょっちゅうあったけど…そんな空気は無かったなぁ…。』
「何で…?同じ職場の仲間だろ…?」
『何て言うのかな…。あんまり親しくなれなかったというか、私一人だけ年齢若かったから、ちょっと輪から浮いてたというか…。社会人として新人なの、私だけだったから、何か扱いづらかったんだらうね…?気の利いたお喋りも出来ずに、ただ黙って仕事してるような無愛想な新人は、冷たくされちゃったんだ…。無理して仕事続けて身体壊したりもしてたから、私が職場に居る時の空気は、基本冷めてた。最後の方なんて、居るのさえ気まず過ぎて、まるで冷戦状態だったよ。…だから、こうして明るく仲良く集まれるのって久し振りな感覚で、懐かしいんだ…。』


手を動かし続けながら、彼女は続ける。

その横姿を部屋の方から見つめていた貞宗は、視線を落とした。


「………すまねぇ、嫌な事思い出させるような事言っちまって…。」
『…もう良いんだよ…っ!済んだ事だし。もう辞めたから、精々してるし…っ!!』
「璃子…。」
『何時までも、くよくよなんてしてたらキリがない…。済んだ事終わった事をずるずるずるずる引き摺って悔やんでたって、何も変わらない。解ってるよ…。其れが、どんなに辛い過去になったとしても…。』


蛇口を捻って洗剤の泡を流していく璃子は、仄暗い声を出して呟いた。

その言葉に含まれた多重の意味が何であるのか。

黙って聞いていた廣光は、眉を潜めて考える。

一度、口を閉ざせば、その場には沈黙が降りた。

その沈黙は、彼女が部屋へと戻ってくるまで続いた。


全ての食器を洗い終えた璃子は、蛇口を閉め、水を止める。

手拭きのタオルで手を拭うと、漸く部屋へと顔を見せた。


『お待たせ〜…っ。思ったよりも食器の数が多かったから、時間かかっちゃった。ごめんねぇ〜?さっき、あんな暗い話しちゃったから、微妙な空気なったっしょ…?遊び盛りの貞君には退屈させちゃったかな…?』
「璃子〜っ!!戻ってくんのおっせぇよ…!華が無くて寂しかっただろ〜っ!?」
『ははは…っ、男ばっかにしてすんませんねぇ…っ!』


部屋へと戻ってきたと思った瞬間、思い切り抱き付き、頬をグリグリと寄せる貞宗。

予想していたよりも、温かく迎えられた事に、璃子は心の内でホッと安堵する。

それを側で見守っていた廣光も、安心したように胸を撫で下ろしたのだった。


その後、順番に風呂を済ませて、狭い一部屋に二人分の布団を敷いた璃子達。

一人、ベッドで眠るこの家の家主は、不機嫌な顔を晒していた。


「何で、璃子までソイツと同じようにして寝るんだ…。」
『凄い不服そうな顔だね……っ。めっちゃ眉間の皺寄ってる…。』
「良いじゃんかよ、たまにはさぁ…っ!!何時も、お前が独り占めしてんだろ…?だったら、今夜くらいは俺に譲ってくれよ。本当は、三人仲良く川の字にして寝てぇところだったけど、お前ベッドだしな。仕方ねぇから、二人だけだけど、我慢して揃って一緒に寝てやるぜ…っ!」
「お前は一人で寝てろ…!誰かと一緒じゃなきゃ眠れない程、小さいガキじゃないだろ…っ!!」
「本当の本音を言ったら、布団一人一組じゃなく、俺と一緒の布団で良かったんだぜ…?」
「絶対にさせるか…っ!!お前の布団に一緒にさせるくらいなら、俺のベッドで寝させるっ!!」
「お…っ?ついに本性見せやがったな、健全たる男子学生…!そのまま、無防備に眠る璃子に手を出そうってか!?」
「お前も男子学生なのは一緒だろう…っ!!そもそも、お前が同じ空間に居る限り手を出すか!もし出すなら、誰も居ない二人きりの時だ。」
「はいっ!言質取りましたぁ〜…っ。後で、鶴さん達にラインしとこ。」
「貴っ様…!!」
『はいはい、どうどうどうどう…っ。今日はソコまでにしときな?あんまやり過ぎるのは大人げ無いよ、廣光。』


身を乗り出して拳を構えた廣光に、待ったを掛けて宥める璃子。

フーッフーッ!と、まるで毛を逆立てた猫みたいに肩を怒らす廣光は、不服ながらも怒りを抑えた。

それを眺める貞宗は、ニタニタとお調子者顔だった。


執筆日:2018.10.28