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戦禍



賑やかを通り越して、些か騒がしいお喋りという名の言い合いを前戯にして、床へと就いた三人。

未だ興奮した様子の貞宗は、楽しげに「ふひひ…っ!」と笑みを漏らした。


『私と一緒に寝れるの、そんなに嬉しい…?』
「へへ…っ、まるで姉ちゃんみたいな人だと思ってたアンタとは、一度一緒に寝てみたかったんだ…!夢が叶って嬉しいぜ!」
『それは良かった。お姉ちゃんみたいだって思ってもらえてるのも、嬉しい…っ。私、妹だから、お姉ちゃんって呼ばれるの憧れてたんだぁ〜…!』
「…ガキじゃあるまいし…。」
「妬くなよ、伽羅〜…。伊達男が廃るぞ?」
「妬いてない。」
『ふふふ…っ、賑やかで宜しい事…っ。』


なかなか静まらない空気ながらも、璃子は布団の中で笑って言う。

最終的には、ヘソを曲げた廣光の一方的な「俺は寝る…っ!!」発言で寝る事になり、それぞれでおやすみなさいを告げて目を閉じた。

懐かしい風景だった。


貞宗の横で眠る彼女は、また不思議な夢を見た。

何時もの、誰かの視点を通したような夢である。

今日も、何時も通り、其の誰かの視点を介して見るのだろうと思っていた。

だが、其れは…璃子にとっての悪夢であった。

夢の中の視点は、焔に包まれていた。

火事だろうか、此処最近夢の中でよく見る、大きな古いお屋敷が燃えていた。

お屋敷の周囲では、戦闘が繰り広げられているのか、あちこちで金属と金属が交わる鋭い音が聞こえてきていた。

視点の彼が焦ったように、行く先を急ぐ。

視界の端に映った装束と刀から、彼は今、戦の最中なのだろう。

しかし、何故、何時もの戦場ではなく、彼等が住んでいるのであろう居住地で戦闘が起きているのだろうか。

疑問が残るまま、視点は進んでいく。

ドタバタと荒々しく床を踏み鳴らす足音が聞こえる。

彼の呼吸音は、些か乱れているように見えた。

視界を巡らせ、彼が何かを必死に探す素振りを見せた。

一体、何を探しているのだろうか。

恐らく、彼にとっては、とても大切なものなのである事は理解出来た。

焦燥に駆られる中、敵が次々と襲い掛かってくる。

その敵を、一切の乱れも無く、躊躇無く斬り伏せていく。


“彼奴は、何処だ…ッ!!”


不意に、彼の口許がそう動いたように見えた。

相変わらず、彼等が口にする言葉を音として拾う事は出来ないようである。

だが、何故か、その事に酷く安堵している気持ちがあるのに気付く。

自分は、何でそんなに怯えているのか…。

璃子は、彼の視点を通して景色を見つめながらも、そう思った。

視界が移り変わり、見ていた景色が一変する。

次の景色は、仲間達と必死に敵に抗い、交戦している場面だった。

敵が強敵なのか、迫り来る重い攻撃に、次々と仲間達は傷付いていった。

視界の端で飛び散る鮮血に、璃子は無意識にこう思っていた。

“お願いだから…っ、それ以上、私の大切な者達を傷付けないで…!”、と…。

しかし、敵の刃は止まる事は無く、休む暇無く彼等を襲い続けた。


「璃子…?」
『……ぅ゙…ん゙、…っ。』


眠っていた横で、魘される彼女の呻きを聞いて目を覚ました貞宗が、眠る彼女へ呼びかける。

だが、彼女は目を覚ます事はない。

魘されたまま、苦しそうに眉を潜めるだけである。

空気の異変に気付いた廣光も、彼と同じく目を覚まして、身を起こす。


「…どうした…?」
「伽羅…。璃子が悪い夢見ちまってるみたいで、魘されてるんだよ…っ。」
「魘されてる…?」
「うん…っ。さっきから声かけて呼びかけてみてんだけど、全然起きなくって…。どう思う?」
「…もしかしたら、過去を夢に見ているのかもしれないな…。前にも同じように魘された事があると、話に聞いた事がある。」
「それって…璃子が、審神者だった頃の記憶か?」
「たぶん…恐らくだがな。」


ベッドから腰を下ろした彼は、夢に魘され呻き声を上げる璃子の元へ近寄る。

余程悪い夢なのか、彼女の額には汗が滲み、汗ばんでいた。

廣光は、そんな彼女の額へ触れ、汗を拭ってやると共に張り付いていた前髪を払った。


「凄い汗だな…。」
「それだけ、酷く魘されているんだろう…。魘されている原因が、審神者であった頃の記憶であるのなら、俺達は何も出来ない。何れは、思い出すであろう記憶だ…。遅かれ早かれ、璃子は思い出すのかもしれない。以前、俺の家で泊まった翌朝、起き抜けに俺の刀であった頃の呼び名を呼んだ事があった…。もしかしたら、此奴は、夢の中で過去の記憶を思い出しているのかもしれないな…。」
「そうなのか…。」


二人が様子を見守る中、璃子は魘されたまま、呻き声を漏らす。


「一先ずは、無理に起こすより、此奴が自然と目を覚ますのを待った方が良いだろう…。変に起こしたりして、此奴が混乱を起こしたり、記憶を混濁させたりしないとも言い切れない。」
「…見守るしかないってか…っ。」


苦しむ彼女を目の前にし、何も出来ない事に貞宗は表情を歪める。

隣で、廣光も辛そうな面持ちで彼女の事を見つめた。

堪らず、貞宗が彼女の手を握って、必死に祈った。


「俺達が側に居るからな、璃子…っ。頑張れ…!」


どうか悪夢に打ち勝ってくれ、と願いを込める。

彼女の眦に雫が浮かび、溢れていく。

彼女が小さく口を開いて、言葉を呟いた。


『………壊さ…ない、で……っ。』


彼女の眦に、新しい涙が滲む。


夢の中で、視点の彼がバッ!!と勢い良く障子を開いた事で、見ていた場面が再びガラリと移り変わる。

辺りが燃え盛る焔に包まれいく中ながらも、彼は懸命に彼女の事を探し続けていた。

彼女とは一体誰の事なのか、解らない筈なのに、璃子は何処か遠いところで知っている気がした。

不意に、近くで焔の勢いに耐えられなくなった屋根が崩れ落ちた。

其れと一緒に、周辺の壁も脆くなっていたのか、巻き込まれるようにして崩れていく。

思わず、彼が濃い煙や熱の含んだ空気を吸わないよう、袖で口許を覆った。

燃え盛る焔の勢いが増す。

早く見付け出さねばと視界を巡らせた先に、目的の人物である彼女らしき姿を視界の先に映した。

漸く見付け出せたと思った彼女は、先程崩れ落ちた屋根の一部に敷かれる形で倒れていた。

急いで駆け付けようとした先で、まだ残っていたのであろう敵が迫り来る。

彼の身に残る力も、もう少ない。

尽きかけし力を振り絞って、彼は彼女の為に刀を振るう。

其の刀は、彼と同様、酷くボロボロで傷だらけだった。

ピシリピシリと嫌な音を立てて、刃の先が軋む。

既に限界を迎えた戦線は、崩壊していた。

ゴウゴウと耳障りな音を立てて燃える焔に、負けじと声を振り絞って、彼が咆哮する。

自身の刀を振り下ろした視界の端で、別のもう一体の敵が身動きの取れない彼女へと迫る。

彼は、凄まじい剣戟で敵を斬り付け、目の前の脅威を振り払う。

そして、彼女へと迫る敵の本体の方へと駆け付けに行く。

ビキリッ、彼の刀のヒビが大きくなる。


(もう止めて…っ、これ以上、彼を傷付けないで…っ。)


また、無意識の思考が、心の内でそう呟く。

視界に赤い鮮血が飛び散る。

更に、彼の刀がヒビを広げていく。


(嫌だ…っ、もう、これ以上は止めて…!)


ビキリッ、新たな太い筋が彼の刀へと走っていく。

其れでも、戦い続ける彼は、既に満身創痍だ。

璃子の心が悲鳴を上げる。


(お願いだから…っ、これ以上、私の大切な場所を壊さないで…っ!)


願うものの、所詮は夢の中の出来事である。

璃子の心の叫びなど、届く筈が無かった。

敵の渾身の一撃が、彼の身へと振り下ろされる。

ついに、彼の刀が悲鳴を上げて、パキン…ッ、と折れた。


『嫌ァあああああああああああああ…ッ!!』


突然、悲痛な叫び声を上げて目を覚ました璃子は、勢い良く跳ね起きた。


『あ…ッ、あ゙あ゙……ッ、ああ゙ァ゙……ッ!』


飛び起きた彼女は、焦点も定まらぬまま、言葉にならぬ呻きを漏らして、頭を抱え込む。

呼吸は不規則で、まともな息をしないまま、荒い呼吸を肩で繰り返した。


「大丈夫か、璃子…っ!?しっかりしろ…!!」
『…や、だ……っ。折らな…で…っ、私の、大切なヒト…折らない、で…っ!』
「落ち着け、璃子…っ!ゆっくり意識を落ち着かせるんだ…!」
「璃子、深呼吸だ深呼吸…っ!ゆっくり息吸って吐いて、深呼吸しろ…っ!!」


正気を失った彼女は、過呼吸に近い呼吸でヒューッヒューッと喉を鳴らす。

まともな呼吸が出来ずに咳き込みながらも、璃子は譫言のように言葉を繰り返す。

彼女の瞳から、悲痛な涙が止まらない。


『壊さ、ないで…っ、私の…全部、壊さな、で……っ!』
「落ち着け…っ!!アンタは、今ちゃんと此処に居る…!!アンタの其れは、ただの夢だっ!!」
『…ゆ、め……っ?』
「ッ…、そうだ…っ。アンタが今見たものは、全て夢だ…っ。」
『ゆ、め……………なら…、私の世界、壊れてない……?私の刀…皆、折れてない…?』


彼の言葉に、段々と意識を落ち着かせてきた彼女は、虚ろな目をしたまま、そう問う。

そんな彼女を見ているのが辛くなった廣光は、涙を流す彼女を胸に抱き込み、強い力でキツく抱き締めた。

そして、彼は、彼女の耳元で静かに囁いた。


「全部夢だ……悪い夢だったんだ…。」
『………そっ、か…………じゃあ、伽羅は…私の伽羅は、折れてないんだね……?』
「嗚呼…俺は、ちゃんと此処に居る…っ。」
『……………良かった……っ。私の伽羅は…、ちゃんと生きてるんだね………。良か、ったぁ………。』
「嗚呼…。だから、アンタは何も心配するな…。アンタは、黙って静かに寝てろ。」


呼吸も落ち着けてきた璃子は、静かに彼の鼓動を聞きながら、彼の胸へと縋り付くようにして抱き付いた。

虚ろに開いていた目蓋を閉じ、彼の声に耳を傾ける。


『伽羅……お願いだから、私の側を離れないでね…?ずっと、私の側に居てね……。』
「…嗚呼、俺はちゃんと側に居てやるから…、アンタはもう寝ろ…。まだ朝には早い…。」
『う、ん……っ。まだ、もう少し寝とく…廣光…。まだ少し眠たいし…っ、お外真っ暗だもんね……。ぅん…だから、寝るよ……寝るから…伽羅も、一緒に………。』


漸く意識が戻った彼女は、眠りに入り、スウスウと寝息を立てる。

彼の腕の中で安心した様子を見せる璃子に、後半一言も発さず、黙って様子を見つめていた貞宗はホッと息を吐いた。

だが、彼女の目蓋や頬に残る涙の痕は、痛ましいものだった。

赤く腫らした目蓋を閉じた璃子は、彼の腕の中で安らかに眠る。


執筆日:2018.10.30