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追憶の語り



飲み物を傍らに、彼の部屋で共に腰を落ち着かせた二人は、顔を付き合わせて話し始めた。

話し始めたと言えども、口を開いたのは、廣光の方で。

彼の目が、強い力でひたと見据える。


「まず、どうやって彼奴…璃子と出逢ったかについてだが…それは、昨日の事だ。同じゼミの奴に付き合ってたら、何時もより遅い時間になってな…夜の九時頃だったか。その時間に駅前の広場を歩いていたら、偶々彼奴を見かけたんだ。最初は、他人の空似かと思って見てただけだったんだが、突然彼奴が倒れかけて…急だったから俺も驚いて、咄嗟に駆け寄った。何とか抱き止めて確認してみるも、既に気を失った後だったからどうしようもなくて、仕方なく駅からも近い俺の家まで運んで面倒を見たという訳だ。比較的近場に住んでる一期一振に連絡したら、すぐに来てもらえたんで、診てもらったら…幸いにも、ただの貧血というだけだったらしい。」
「成程ね…。彼女が言ってた一宿っていうのは、そういう意味だったんだね?一期君が医大出で良かったよ…。」
「初めは、薬研に連絡しようかと思ったんだが…流石に、時間が時間だったから止めた。」
「嗚呼…彼、今中学生だものね?貞ちゃんと一緒。そんな夜遅い時間に呼んじゃってたら、一期君も怒りそうだしね。何より、もう寝てたかもしれない時間帯だし。彼を呼んで正解だよ。」


神妙な顔をして聞いていた光忠が、少し安心したように表情を緩めて頷く。

その目の前で、一度飲み物に口を付け喉を潤し、コップをテーブルへ置いた廣光は、再び口を開き喋り出した。


「それで、話を戻すが…。気が付いたのは今朝で、起きて早々何か変な方向に勘違いしてるみたいだったから、簡単に在るがままを説明した。奴も、直前の事まではちゃんと覚えていたみたいで、しっかりと礼を述べてきたよ…。」
「まぁ、気付いたら、男の部屋で寝てた〜なんて事になってたら、そりゃ勘違いしそうになっても可笑しくはないよね。」
「それからは、朝飯を作って食わして、家まで送ってやろうとアパートを出たところに、アンタが居たっていう流れだ。後は話さずとも、どういう流れになったか、解るよな…?」
「うん、そうだね…。思い切り勘違いしたのは僕だもん…。僕ったら、凄く恥ずかしいし、格好悪い…っ!」
「まぁ、これで、俺と彼奴がどういう関係かは解っただろう。今朝、彼奴がアンタに言った通りだ。」


自身が冒した失態を掘り返され、また頭を垂れた彼は、頭を抱えて蹲った。

その傍らで、廣光は涼しげな表情を浮かべて、土産で買ってきた蜜柑を一つ取り出し、手元へ置く。

気を取り直した彼も、おずおずと手を伸ばし、一つだけ蜜柑を受け取った。


「そういえば…彼女、何か声ガラガラだったみたいだけど、どうしてかな?」
「彼奴が自分で言っていたが、倒れる直前まで一人でカラオケに行っていたらしい。」
「え…意外。」


お互い少しの間無言になり、静かに蜜柑の皮を剥いて、中の身を食べる。

半分程食べ終わった頃に、廣光は、彼が一番気になっていただろう事を口にした。


「肝心な本題、璃子が俺達の事を憶えているか否かについての話だが…。」
「…うん。」
「結論から言うと、恐らく、彼奴は憶えていないと思う…。」
「…そっか…。」
「アンタも話して解ったと思うが、彼奴は、何も触れてくる事も無ければ、反応すらしなかっただろう…?だから、多分、彼奴は何も憶えていないんだと俺は思う。もし、何かしら憶えていたのなら、僅かぐらいでも反応するだろうからな…。」
「……そう…。何だか、悲しいな…僕達だけ憶えてるのって。」
「…………。」


再び、二人の間に沈黙が降りる。

顔を俯かせた彼が、微かに鼻を啜る音がした。

泣いているのか、廣光は気付かないフリをして、蜜柑の身を口に放る。


「…熟してないヤツにでも当たったか。」
「…うん…っ、ちょっと酸っぱいや…。」
「そんなに酸っぱかったか…?」
「…うん…。酸っぱ過ぎて、涙出てきた…っ。」
「なら、此方のはどうだ。ソイツより、熟れてて甘いぞ。」
「うん…じゃあ、そっちの貰うね…。」


自身が食べていた蜜柑の身を光忠の方にやり、反対に彼が食べていた食べかけの蜜柑を受け取る廣光。

彼の蜜柑を食べてみたが、少しも酸っぱくなんてなかった。

寧ろ、自分が食べていた物よりもしっかりと熟していて、とても甘かった。

だが、廣光は嘘を吐いた。


「嗚呼、確かに、コイツは酸っぱいな…。」
「でしょ…?」
「これだけ酸っぱければ、涙が出ても仕方がないな。」
「………へへ…っ、やっぱり伽羅ちゃんは優しいね…っ。」


顔を上げて笑った光忠の目と鼻は、赤くなっていた。

声も、何だかぐすぐすとしていて、格好良さの欠片も無くなっている声だった。

だが、彼は、敢えて何も触れなかった。

ただ、黙ってティッシュの箱を差し出すだけである。

その優しさに、今は酷く励まされた光忠は、黙ってそれを受け取り、鼻をかむ。

互いに、嘗ての存在を忘れられてしまった者同士なのだ。

故に、彼も少なからず傷心でいるに違いない。

そう思った光忠は、「何時までもへこたれてちゃ格好悪いよね!」精神で持ち直し、改めて彼と向き直った。


「それじゃあ…彼女は、審神者であった時の事を一切憶えていないんだね…?」
「確認を取った訳ではないから、恐らく、という範囲でしか答えられないがな。」
「まぁ…憶えていなくても、無理はないよね…。彼女が死んでしまう直前、あんな事があったんだもの…。例え、魂が輪廻して、また再び人として転生したとしても、生前の記憶だし、言い換えれば、前世の記憶になってしまうんだし…忘れてしまってても、仕方ないよね。というか、前世の自分の事を憶えている方が稀なんだし…!まぁ、僕達の場合は特殊だけども。」
「単に、今は忘れていて、後々思い出すというパターンもあるから、何とも言えない状況であるがな…。万が一、ふとした瞬間に思い出してしまった場合、彼奴が取り乱してしまう事の可能性が高い。そうなれば、今の彼奴自身の心と離反して、精神が壊れかねない。今の彼奴は、多分、不安定な状態だ。下手に刺激するより、ゆっくり様子を見た方が良いだろう。」
「そういえば…彼女、フリーターだって言ってたね…。という事は、以前は何処かに就いてたのかな…?」
「朝飯を食ってた時に、彼奴から直接聞いたが…前の職場を辞めたのには、人間関係に失敗した事が理由らしい。」
「それでか…。なら、尚更、今は人との接点に敏感になってるかもしれないね。伽羅ちゃんの言う通り、様子を見た方が良いだろうね。」


食べ終わった物はそこそこに避けて、二個目を手に取る廣光。

光忠の方は、手が止まっていたからか、まだ彼がくれたままの状態で残っていた。


「…早く食わないと乾燥するぞ。」
「えっ、あぁ…っ、食べる食べる…!」


深く考え込んでいたのだろう、少しボーッとしているところに声をかけると、慌てたように蜜柑を食べ始めた。


「ところで…何で蜜柑なんかお土産に買ってきたの?」
「…彼奴を送ったついでだ、あっちの地方で何か美味い物を食ってから帰ろうと思ってな。」
「あ〜…伽羅ちゃんって、意外とグルメだもんね。それでいて、よく食べるし。」
「彼奴に訊いたら、蜜柑が名産品だと教えてもらった。だから、土産ついでに買ってきただけだ。他にも、海の幸が美味いらしくて、昼飯に海鮮丼を食ってきた…特盛の。なかなか美味かったぞ。」
「(わざわざ、彼女に訊いてまで食べたかったんだね…。)へぇ…。なら、今度僕も食べに行こうかな…?車でだけど。」


コップに入れたお茶をゴクリ、と飲みながら、相槌を打つ。

その反対側では、二個目の蜜柑もペロリと食べあげた廣光が、何処か物足りなさそうな目で手元の食べた残骸を見つめていた。


「…まだ食べ足りないのかい?」
「いや、蜜柑ばかり食うのもなと思って…。」
「お昼しっかり食べたんだよね?」
「あれからだいぶ時間が経ってる。だから小腹が空いた。」
「はぁ……っ、君のお腹には度々驚かされるね。さっきまでの空気何処行っちゃったの…?」
「知らん。腹が減るのは仕方がないだろ。」
「あ゙ー、ハイハイ。僕が、何かお腹にたまりそうな物作ってあげるから、ちょっと待ってて。」


そう言って、呆れながらも残っていた蜜柑をパクパクと口の中に放り込み、腰を上げた光忠。

座ったまま後ろを振り返る廣光は、彼の後を目で追った。


「材料はあるのか…?」
「材料なら、今朝買ってきてたよ。合鍵もらってるから、材料だけ仕舞っておいたの。」
「何作るんだ?」
「ホットケーキ。君、好きでしょ…?トッピングは何が良い?純粋にシンプルにバターと蜂蜜?それとも、メープルシロップ…?何なら、ホイップクリームも付けれるけど?」
「…全部だな。」
「どうせ、そう言うだろうなとは思ったよ…。君の事だから、一枚だけじゃ足りないだろうしね。数枚焼いて食べ比べだろ?オーケー。飛びっきり美味しいホットケーキ作って、君を満足してみせるよ…!」


何処から出したのか、元より持ってきていたのかは解らないが、黒のシンプルな無地のエプロンを取り出した光忠は、華麗に着こなし、キッチンへと立つ。

勝手知ったるや、必要な物をちゃちゃっと冷蔵庫から取り出し、ボウルに生地の材料を投入していく。

その様子を、部屋の方から眺めながら、テーブルの上に広がった蜜柑の皮を片付け、綺麗にする廣光。

食べ盛りの食いしん坊な奴である。

まだ成長する気なのかと突っ込みたいところだが、コレが彼の普通なので、最早突っ込む気を失うレベルだ。

飲み上げて空になったコップへもう一杯お茶を注いだ廣光は、自分のやるべき事は済んだという体でのんびりとお茶を啜る。

後は、出来上がるのを待つだけの体勢である。

それを解り切っている彼も、手早く慣れた手付きでホットケーキを作っていく。


「そういや…アンタ、あれから俺が帰るまで、ずっと其処で待ち続けてたのか…?」


ふと、素朴に疑問に思った廣光は問うた。

彼は、作る片手間に返事を返す。


「いいや…?何時戻ってくるのかも解んなかったから、一度家に帰ったよ。買ってきた材料だけ君ん家に置いてからね。お昼過ぎて、もうそろそろ君が帰ってくる頃かなって思う時間になってから、また様子見に来たんだよ。まぁ、思ったより遅くて、それなりに待たされたけど…。」
「アンタが勝手に待ってただけだろう…俺は関係ない。そもそものところ、俺はアンタに“帰れ”と言ってたんだ。待たされたのどーのと文句を言われる筋合いは無い。馴れ合いは不要だ。」
「あ、言ったね…?せっかく僕が作ってあげてるのに、そんな冷たい事言うのなら、作ったの全部僕が食べちゃうよ?」
「ぅ゙………っ、それは、嫌だ…っ。」
「だったら、さっきの前言は撤回する事。」
「………スミマセンデシタ…。」
「あんまり気持ち込もってないけど、まぁ良しとしてあげるよ…。君ってば、本当にそういうところあるよね…?そんなんじゃ、何時か絶対に彼女に嫌われちゃうよ。」
「…知ったこっちゃないな。」
「ほら、またそんな事言う…っ!」
「良いから、アンタは口を閉じろ。良い加減、黙って作れ。」
「酷い…!伽羅ちゃんのいけず…!!」


ぷんすこ怒った光忠は、頬を膨らませてプイッと顔を背けた。

だが、変わらず手は作るのを止めないのを見ると、作ってくれはするのだなというのが解る。

何だかんだ言いつつ、出来上がった飛びっきり美味しいホットケーキは、あっという間に彼のお腹の中へと収まるのだった。


執筆日:2018.10.08