先日の一件があった後、久々に顔を見せろと言ってきた彼女の姉。
現在無職の所謂ニートである彼女からしたら、特に用と言える用も無かった為、断る理由も無く、言われた言葉に従い家を出た璃子。
一人離れて独り暮らしをする姉の家までは、かなり距離がある。
よって、徒歩では行けないので、何時ものように公共交通機関の電車を使って向かうのである。
慣れた様子で改札口を通り、姉の家がある方向へと向かう電車に乗り込む。
乗り物酔い防止と電車特有の騒音対策に持ってきたウォークマンのイヤホンを耳に差し、音楽で周りの音をシャットアウトしてから、窓の外を流れる景色に目を向ける。
比較的空いていたおかげで座れた窓際の席は、向かい合わせ様式の席だが、反対側や他に座る客が居なければ、気楽な方だ。
向かう先の目的地までは、まだだいぶ時間が掛かる。
背凭れにしっかりと背中を預けると、緩く目蓋を閉じ、目を瞑った。
着くまでの間、暫し休憩としようか。
穏やかな音楽を聴きながら、少しだけ眠る璃子なのであった。
―目的地が近くなる頃、設定していたスマホのアラームのバイブが鳴って、手元で揺れた。
目を開けると、いつの間にか窓側へ身体ごと頭を傾けていたようで、視界が斜めに傾いていた。
ゆっくりと身体を起こし、スマホのアラームを切る。
そして、今の時刻を確認し、もうすぐ目的地に着く事を改めて確認すると、流していた音楽を止め、耳に嵌めていたイヤホンを外す。
もうじき、目的地へと着く。
軽い荷物を手に席を立ち、出入口のドア前へ立つ。
まもなく車内アナウンスが流れ、走行していた電車は止まり、ドアが開く。
見知った駅のホームへと降り立った璃子は、そのままの足で改札口へと向かう。
駅から出れば、少し坂を上らなくてはならない。
彼女の姉が暮らすアパートがあるのは、この坂の上の場所だ。
真夏であったなら、地獄の道であるが、そうでない今の季節なら、上ると少し汗ばむ程度である。
あまり外へ出歩かなくなって体力の無い、運動不足の璃子の身にとっては、ある種良い運動になるのであった。
坂を上り切った先に建つアパートへ辿り着くと、エレベーターの無い三階建てのこのアパートでは、部屋のある上の階へ行くには階段で上がる他無かった。
またもや、足腰を使う有酸素運動である。
オートロックのエントランスを抜け、階段へ向かえば、再び足腰を鍛える運動が待っている。
一つ溜め息を吐いて、トントンと一段一段着実に踏み上がっていく。
姉が住む部屋は、このアパートの三階…つまり、最上階に在った。
一息で階段を上り切ると、上り切った先の踊り場で、「ふぅ…っ。」と息を吐いて深く息を吸う。
此処まで、休む暇無く歩いてきたのだ。
息を整える為に、誰も居ない踊り場で、数回だけ深呼吸をする。
息が落ち着いたところで、再び足を動かし、姉が居るだろう部屋まで歩く。
一応、備え付けられたインターホンを鳴らせば、ガチャリとドアの鍵が外される音がする。
間もなくして、内側より開かれたドアの隙間から顔を覗かせたのは、彼女の姉…椎名である。
「よっ。逢うのは久し振りだね。元気にしてた?」
『別に…普通通りだよ。』
「ま、アンタが元気なのは、連絡取り合ってるから知ってるけどね。まぁ、入りなよ。少し散らかってはいるけど。」
『何時もの事でしょ…?つーか、少しどころじゃないし。結構なレベルで散らかってるんですけど…。このペットボトル何?』
「嗚呼、ソレ…この間のゴミで出し忘れたヤツ。」
『ちゃんと纏めとけよ…。』
「えへっ、ついうっかり〜。」
逢って早々、久々に顔を合わせたというのに愚痴である。
しかし、これが彼女等の関係であり、何時もの遣り取りなのだ。
玄関先に置かれたゴミ袋を通り過ぎ、キッチンに面した短い通路を通って部屋へと入る。
相変わらず、その部屋には物が溢れており、乱雑として散らかっていた。
『…ねぇ、何か、また散らかってない?前回来た時も散らかってたけど。』
「アンタが来るから、昨日の内に少し片付けたよ。コレでも、何時もよりかはマシなんだよー?」
『何時もよりかは、ね…。』
「まぁまぁ、アンタが座れるスペースはちゃんと有るんだから、もうその話は良しとしましょうや〜。喉渇いたっしょ、何飲む?」
『逆に、何があんの?』
「ん〜っとね、何時も私が飲む珈琲牛乳と野菜ジュース、インスタントの紅茶と…あと、ペットボトルのお茶。何れにする…?」
『じゃあ、無難にお茶にしとく。』
「死んでも野菜ジュースは選ばないのね。」
『私、野菜ジュースは嫌いだもん…。珈琲牛乳選ばなかったのは、アンタが珈琲牛乳好きだから。私が飲んじゃうと減っちゃうでしょ…?』
「え〜?別に気にしなくて良いのにぃ…。また何時でも買えるんだしさ。」
少ない軽い荷物を肩から下ろし、空いたスペースへと腰を下ろす璃子。
改めて周りを見渡せば、確かに、比較的綺麗な方である。
洗濯して放置したままの服が部屋の端っこの方に追いやられているのは、何時もの事だ。
コンビニのクジで当てたキャラ物のグラスにお茶を入れて持ってきた彼女が、それを手渡す。
一言礼を言って、それを受け取った璃子は、喉が渇いていた為か、勢い良くゴクゴクと飲み切った。
「お茶、まだ冷蔵庫にあるからね。飲みたいなら、自由にどうぞ。」
『ん…後でおかわりするわ。』
「そ…っ。んで…?この間は、珍しくも酔ってそのまま友達ん家でお泊まりしちゃった璃子ちゃんよう。チミが、お酒を酔い潰れるまで飲んじゃうなんて珍しいじゃないか…?普段は、あんまりお酒自体飲まない上に、飲んでもノンアルばっかなのに。何かあったのかね…?」
『その喋り方ウザい…。つか、何なの?いきなり…どんなテンションなの?』
「まぁ、質問に答え給えよ、璃子ちゃんや。何か理由があるんでしょう…?君にしては、らしくないような嘘を吐いてまで隠す何かが…。お母さんには黙っててあげるから、このお姉様に話してみなさいよ。…案件によるけど。」
『今黙ってるっつったじゃねーか。』
「テヘペロ☆」
『…………。』
「え、ちょっ、酷い…っ!!そんな冷めた目、向けないでよ!?お姉ちゃん悲しい…っ!」
『どうでも良いから、その変なテンション止めてよ…マジでキモいから。あと、ウゼェ。』
「はい、すみません。もうしません。なので、その塩対応は勘弁してください。マジで私のハートが壊れそうなんで。」
何の茶番だと言わんばかりの言い合いを挟んだ後、改めて向かい合う二人。
流石は、姉。
妹の事は、何でも解るものである。
まぁ、最もそうな理由を付けて嘘を吐いた建前、「たぶん此奴にはバレるだろうな…。」とは思っていた璃子。
「全てはお見通しだよん…?」という顔で、彼女の話を待つ椎名。
さて、話の真相や如何に。
「はぁ…っ。」と一つの溜め息に、覚悟を決めた彼女がいざ口を開く。
その口は重く、出来れば語りたくないと言いたげなものであった。
表情も、眉間に皺が寄り、何時にも増して仏頂面になっていた。
『前置きしておくけど…言った後で変なリアクション取ったら怒るからね。一応言っとくけど、これから話す事は、別に変な事は無いから。期待はしないでよ…?』
「ハイハイ、解ったから、ちょっくら話してみなさいな。」
『茶化すのも無しだかんね…?』
「良いから、早よ話せ。」
彼女の謎の急かしで、仕方なく事の顛末を話した璃子。
結論から言おう。
妹の春が来るかもしれないという内容に、姉である椎名が黙っている筈は無かった。
元より、彼女と似て、浮いた話一つも出ない璃子の事だ。
コレは、ひょっとしたらひょっとするかもしれないという期待を沸かせるのは、同じ女の身であるからか。
つまり、何が言いたいかというと、椎名は突っ込まずには居られなかったという事なのである。
『…一度しか言わないから、よく聞いときなよ…。あと、簡潔に大雑把にしか説明しないから。』
「おう。それでも良いから、説明オナシャス。」
『へいへい…。じゃあ、本当簡単に言うけど…私は、あの日、ひとカラ行ってガンガン歌いまくって、声が嗄れるまで叫びまくりました。で、時間が夜になったので、帰ろうと適当なところで切り上げて駅に向かってました。そしたら、突如目眩を起こして気が遠くなりました。気が付いたら、たぶん助けてくれた男の人の家で、朝になるまでその人のベッドで一緒に寝てました。起きた後は、飯食って話して、送ってくれるって言われたんで途中まで送ってもらって、またちょっと話して、礼して別れました。以上。』
「え…………っ!?ちょちょちょっ、ちょっと待って。予想以上に濃い内容過ぎて、お姉ちゃん頭パンクしそうなんだけど。めちゃくちゃ吃驚なんだけど…?っていうか、説明雑過ぎるわっ!もうちょい詳しい説明プリーズ…!!」
『え゙ぇ゙ー…っ、一回だけだって最初に言ったじゃん…。』
「今ので全部把握出来るかぁ…っ!!内容が濃過ぎるんじゃあ…!!勘違いしたままで良いなら、このままでも良いけどぉ!?」
『チ…ッ、しゃあねーなぁ…。』
「おい待て、そのヤンキー染みた態度。我が妹ながら不良過ぎやしないか?」
『黙って聞けや、ド阿呆。もう喋らんぞ、コノヤロー。』
「口の悪さァ…ッ!!以前にも増して口が悪くなってんぞ、お前ェ…!!」
あまりにも柄の悪い態度で返した妹に、思わず声を上げる姉。
だがしかし、そんな姉に対しても変わらず塩過ぎる対応な妹、璃子。
些か冷めた関係である。
つい話が逸れてしまった現状…閑話休題。
『だから…目眩起こして気失って、気が付いたら他所ん家のベッドの上で、其れが見知らぬ大学生(男の子)の家で…。何か親切にも介抱してくれたって言うんで…御礼言って、わざわざ朝御飯まで作ってくれたからご相伴に預かって、何で君のベッドで寝てたのかを聞いて、そんで近くまで送ってもらったの…!解ったか…っ!!』
「うん、取り敢えず、アンタが無事だったっていうのは解った。ふむふむ…つまりは、気を失う程の目眩で倒れかけたところを助けてもらって、その延長線で一晩男ん子の家で、しかも同じベッドの上で過ごしちゃったから言いづらかった、と。それで、思わず嘘を吐いちゃった、と…。」
『なぁ、一部誤解を招くような言い方止めてくんない…?マジでキレるよ。』
「でも、その誤解をされたくなかったから、あんな言い訳したんでしょ…?」
『そうですけど、何か…?』
「何でキレ気味…?お姉ちゃん泣いちゃうよ…?」
『泣くなら、勝手に泣け。』
「…ヤバイ、マジで泣きそう…。ウチの妹が辛辣過ぎて辛い…っ。」
しくしくと泣くフリをするも、ただ冷めた視線が突き刺さるだけだったので、すぐに止めた椎名。
普段は離れて暮らし、久し振りに逢えたと言えども、姉への妹の当たりはキツかったのであった。
執筆日:2018.10.09