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直に振るわれたい



「なぁ、アンタが俺を振るってくれよ。」


戦に行く時の彼が格好良いから。

戦場で闘い、刀本来のような鋭さを研ぎ澄まして荒々しく舞う姿が格好良いから。

ふと何でもない時に、彼の本体をじっくり眺めたくなって、彼の部屋にお邪魔したのだったか。

前々から聞いていた通り、彼の本体…つまりは、刀その物に飾りっ気は無かった。

正しく質実剛健、戦場で振るわれるが為に在るかのように、その身は質素な飾り紐が付けられたのみで、あとはその鋭く豪胆な刃を真っ黒な鞘に納めているという風貌だった。

人の身を得て顕現した彼そのもののように、幾つもの戦場を駆け抜けてきたのであろう野性味を宿した獣の如き在り様だ。

此れが、数多と創られその全てを習合体とさせた刀、同田貫正国か。

そんな思いを抱きながら、物思いに耽り、彼の本体に指をなぞらえている時であった。

不意に、彼がポツリとそう零したのだ。

大して驚きはしないものの、その目を小さく丸めて、ボソリと言葉を返す。


『無理だよ。』
「何がだ?」
『こんな非力な腕で、こんな重たい刀、振るえる訳ないって。』
「鍛えれば済む話だろ。」
『いやいや…。そもそもが、私、刀振るえる程頑丈な腕してないよ?見れば解るけど、お前と比べたらこんなにも細いし。』
「比べる対象が可笑しいだろ…。」
『というか、振るえるか振るえないかよりも以前の話、私こんな重たい物ずっと持ってらんないよ。現世に居た頃に一度手首痛めて以来、癖になったみたいですぐ痛むから。今でさえ、筆ずっと握って作業してたりするだけで痛むのに…。』
「そんなに弱ってるのか、アンタの手首。」
『んっと…別に弱ってる訳じゃあないけど、癖付いちゃったみたいなんだよね。言ってしまえば、ただ貧弱いだけというか…。腱鞘炎って、一度なると癖付く人も多いって聞くから。偶々、私もその内の人等の中に当て嵌まるだけ。身内にリウマチやってた人も居たから、その血引いてんのかも。死んだ爺ちゃんの話で、私が生まれもしてない時に生きてた人の話だけどね。母さんが言ってたんだ。私は、父さんの家の血を悪い意味で直系で引いてるから、そこんとこ色々気を付けなさい…って。女の人は、特にリウマチになりやすいから、余計に気を付けときなさいってね。』


彼の前に指し示していた片手をひらひらと振って見せる。

パッと見、何ともない、ただ細く白い非力な女の手首が見えるだけだ。

かさついた固い掌が、その手首を捕まえて、ぎゅっと確かめるように握る。


「…確かに、アンタの細腕じゃ、俺を振るうにはちと重過ぎるか…。」
『今でこそ、打刀って刀種に分類されてるけど、小さくとも、元は太刀に分類されてた刀だからねぇ。でも、だからこそ太刀にも劣らない力を誇るのだけど。』
「俺の事、ちゃんと解ってくれてんだな。」
『そりゃね。私の大事な刀の一振りだもの。幾ら、昔大量生産された刀だからって、引目に見る事無いし。其れだけ沢山の人達に必要とされ、大事にされてきたって事だと思ってるからね。』
「…見た目が美しくなくてもか。」
『他の刀と違って傷だらけだから、見目が劣るとでも…?そう考える奴等は、見る目が無いってだけさね。気にしなさんな。少なくとも…私は、お前の見目が美しくないなんて思った事ないよ。お前は、内なる美しさを持ってる…。見目が良いだけが美しいとは言えないよ。だって、見た目が良くても中身最悪だったら、幾ら見目良くたって美しく見えないもの。傷負ってるから、何…?私には、数多の戦場を駆け抜けてきた証のようで格好良いものだと思えるけど。正に男らしい、雄々しいというのが当て嵌まる強い刀だとね…?』


私が喋っている間、手空きに私の掌を弄くるから、手遊びに彼の手を握ってみたら手を繋ぐみたいに握り返してきた。

そして、もう一度確かめるように、もう一方の空いた手で差し出した腕の手首に触れてくる彼。


「…やっぱり、俺をアンタに振るってもらいたい。」
『え。いや、無理だってば。今言ったろ?そもそも、何時お前の事振るえっていうの…?私、直接戦場に出る訳でもないのに。』
「…なら、せめて、俺を側に置いてくれ…っ。ずっと、アンタの事を守れるように。」
『…き、急にどうした…?』
「別に…どうもしねぇよ。俺は、ただ、アンタの側に居たいだけだ。だから、振るうのが無理だってなら、帯刀していてくれるだけでも良い…。アンタの事、俺に守らせてくれ。」


ぎゅっと強く握られた掌の先から、彼の何か強い意思のようなものが流れ込んでくるようだった。

あまりにも、彼が真剣な目で、真っ直ぐに懇願するみたいに言うから…。

その圧力に半ば圧倒される如く、私は首を縦に振った。


『ま、まぁ…其れぐらいなら、手首にも支障来さないと思うし、良い…かな?』


ぎこちないけれども、戸惑いがちにも私が頷くと、彼は酷く安堵したような顔をして鋭き目を伏せた。


「良かった…アンタに拒絶されなくて。」
『いや、其れくらいで拒絶とかはしないけどさ…本当、どうしたのお前…?』


固い武骨な掌が、私の柔く小さな掌を握る。


「別に、どうもしないって。ただ、俺はアンタに触れてもらえるなら…其れで良いんだ。」


私の掌を握った手を、そのまま自身の頬に持っていく彼。

そうして、猫の子みたいにスリリ、と私の掌に頬擦りした。

至極気持ちが良さそうに、その金の目を細めて。

傷だらけでざらついた肌に、掌が触れる。


『………言ってくれれば、何時でもお前の事に触れてやるけど…?』


何だか普段の様子と違って幼く見える彼に、ぱちくりと瞬きをしながらキョトンと見つめる。

そう言うと、彼は、かさついた指先で私の掌に触れ、掌の内に口付けた。


「俺は、多くは望んじゃいねーよ。ただ、戦場に出してもらえれば、其れだけで構わねぇ。」
『えっと…何かよく解んないんすけど…。』
「…解らなくても良いさ。」


口付けた掌の内で、彼がニヤリと笑った。


「アンタはアンタ…。そのままで居てくれりゃ良い。」


余計によく解らなくなって、こてりと首を傾げた。

彼が、クツリ、と喉の奥で低く笑う。


「アンタは何も考えんな。アンタは、戦の事だけ考えてりゃ良いんだよ。」


掌を離した彼が、自分の掌の代わりに本体を握らせてきた。

握らせてきた時に、節くれだった指が私の肌を掠める。

唇が掌の内に触れてきた時も思ったが、やはり、随分とかさついたものだなと思った。

握らせてきた彼の手を見つめている内に、彼がその身を私の方へと近寄らせる。

そして、油断し切っている私の首筋へ唇を寄せるのであった。

一瞬だけ、背筋の辺りを慣れぬ感覚が走り抜け、無意識に鼻にかかったようなくぐもった声が小さく漏れたが、ただ其れだけ。

後に、余韻のように残った感覚は、今度彼の手肌を労れるよう何か用意しなくてはと考えさせるだけだった。


執筆日:2019.02.05