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黒の影は真夜中に潜む



―此処は、現世…深き宵の帳が降りた頃だった。

真夜中に動き出す者共が、姿を見せ出す時間帯である。

とある田舎の片隅に在る、古き民家の一軒家の事だ。

妖共も蠢き出す丑三つ時という刻であるのに、そんな夜も更けた真夜中に…控えめにぽつり、と一つ二つ小さな薄明かりを点けた部屋があった。

家主の住民達はとっくに寝てしまっているのか、その家も例に漏れず静まり返っていた。

だが、唯一その部屋だけ、薄明かりが点けられていたのだった。

家主の娘であろうか…どうやら、まだこの寒い冬の季節だというのに、うっかり炬燵で眠りこけてしまったようだ。

世間一般にすれど、まぁ、よくある話である。

娘は少し寒がったのか、もぞりと小柄な身体を丸めて毛布に包まろうとした。

其処に、影から現れたような手が何処からともなく伸びてきて、毛布から出ていた娘の肩を覆う。


「―…ったくよぉ、何で風邪引くの解ってて、またこんな処で寝ちまうかなぁ…?寝るなら布団に行けっての。」


黒き影が暗がりからぬらり出てきて揺らめき、呆れた口で悪態を吐く。

少し離れた箇所で、別の物影から真っ黒な姿をした影が現る。


「―口ではそう零しつつも、お前は何時もソイツの世話を焼くな…?」


娘の傍らに現れた影と同じ声をした声が、至極愉快そうに喉を鳴らして笑った。

最初に姿を現した真っ黒な影が、顔を顰めながらも素直に彼の言葉に言葉を返す。


「だってよぉ…人は脆いんだぞ?風邪なんて引いたら、あっという間に弱っちまうじゃねーか。それに…宿主を守るのも、“俺達”の仕事だろ?」


言葉はぶっきらぼうに聞こえようも、その声は娘の事を案じているという事は目に見えて明らかであったのである。

もう一人の影がまたクツリ、低く喉の奥を鳴らして笑んだ。


「嗚呼、そうだなぁ…。“俺達”は、そういう存在意味としても顕現させられたんだっけか…?」
「おいおい、しっかりしてくれよ…。お前も“俺達の一振り”なのに、ボケてもらっちゃ困るぜ?まだ戦も終えちゃいねぇってのによぉ…。」
「…くくっ、悪い悪い…。そんな戦の真っ只中である最中の合の間に、こんなにも無防備に寝こけちまうおマヌケな奴が居たからよ。つい、可笑しくて笑っちまったわ。」
「あのなぁ…何が面白くて笑ってんだか知らねぇが、気付いてんだったらさっさと布着せてやれよな…?此奴、見るからに寒そうに身縮こまらせてただろうが。お前、絶対俺より先に気付いてただろ…?ただでさえ、此奴は身体強くねぇんだ。風邪引いたらどうするつもりだ?」


娘の傍らから離れようともしない影が、もう一人の影へと不機嫌そうに牙を剥いた。

語気を強めた様子の彼に、また別の暗がりからぬらり現れた影が静かに口を開く。


「―…おい、横でソイツが寝てんだろ。あんまデカイ声出して騒ぐんじゃねー…起きちまうだろうが。少しは考えて物喋りな。」
「ぅ゙…っ、悪ィ……つい、此奴の事を想うと、考えるより先に動いちまうから…。」
「……まぁ、お前の言いてぇ事も解らん事はねーがな…。」


騒ぎ立てかけた二つの影に対して牽制の声をかけた声もまた、初めに姿を現した影と瓜二つの声をしていた。

他の影達よりも幾分静かで落ち着いた影は、暗がりからのそり出て来て薄明かりの下にその身を晒す。

影は、正しく影から現れたように全身真っ黒な衣を身に纏っていた。

金色に鋭く細められた眼のみが、暗闇の中ぽっかり浮かんだように煌めいていた。

野性味を感じさせる男の姿をしたその影は、娘の傍らに居る影に向かって再び口を開く。


「…其処で未だ眠ったままの女が、そんなに大事か…?」
「んなモン…当たり前に決まってんだろ?…わざわざ訊くまでもねぇ事じゃねーか。」
「今、こうして夜な夜な現れては言葉を声にしても“聴こえてない”“届きもしない”相手なのに…か?」
「…“俺達”が元よりそういう存在だってのは、解り切ってる事だろうが…。いちいち口にされなくたって解ってるっつーの。」


そんな事実解り切っていると言わんばかりに忌々しげに愚痴た影。

その他所で、娘に触れる手は酷く優しい。

まるで壊れ物を扱うかのようにそっと触れる彼の眼差しは、娘に恋い焦がれているように熱く熱に浮かされていた。

もぞり、娘が微かに身動ぎして、触れる彼の手に擦り寄る。

落ち着く存在なのか…娘は無意識であるが、酷く安心しきったように眠っている。

まるで猫の子のようだ。

…身の丈は成熟して、最早、子と言える歳数でもないが。

娘は深く眠り込んでいるのか、ぐっすり寝入っている。

規則正しい寝息を立てながら、静かに肩を上下させていた。

そんな娘の髪や頬を、手や指の背で撫でやりながら口許を優しげに緩ませる彼の表情は、穏やかで柔らかな表情だ。

少しの前まで殺伐とした空気を放っていた者とは思えないくらいの差である。

愛しげに娘を慈しむ彼が、少し切なげな声色を滲ませて小さく言葉を零した。


「例え、声が届きもしなくても、言葉が聴こえやしなくても…俺は此奴を大事にしてぇと思ってんだ。こんな見目の良くないボロボロで使い古された数打ち物の奴でも、刀としての価値を見出してくれたんだからな…。ったく…何で俺みたいな奴に惚れたかなぁ…?俺なんかな傷だらけの奴じゃなくても、見目が整った奴なんか周りにゃ幾らでも居んのによ。」
「…その見目整った奴等も好いてきた事を経て、“我等”含めた刀の事を好いてんだろ?」
「物好きな奴だよなァ…。本当、見てて厭きない奴だよ。ころころとすぐに表情を変えやがって、忙しねぇ奴だ…。はは…っ!」
「………声抑えろって言ったの聞いてなかったのか…?また騒ぐようなら、その口猿轡縫い付けて塞ぐぞ。」
「おっと、“我等”の大元な俺様はおっかないぜ…。変に怒りを買う前に引っ込んどくとしますかね?」


終始愉快そうに喉を鳴らしていた彼は、姿を消す前に娘の傍らに近寄り、傅き跪いて恭しく彼女の掌に口付けた。

ニヤリ、愉しげに笑んだ彼は、ポツリ零していった。


「どうせなら、口許に口付けたかったが…ソイツは此奴が許さねぇからな。…また今度の機会に取っておくぜ?主。」
「テメ…ッ、どさくさに紛れて何してやがる…!!」
「…おっと。これ以上此処に居ると、無駄に騒がしちまいそうだから、俺は戻っとくぜ。じゃあな、我が同胞共よ。」


ひらり、怒りを露にした彼の手を躱して、暗闇の中へと還っていく影の一人。

片や、油断も隙もないと肩を怒らす彼は、不機嫌さを隠しもしないで眼をギラリ光らせた。


「…相変わらず、お前をおちょくるのが好きだな…彼奴は。」
「…全くだっつの…。良い加減にしろってな…っ。」
「まぁ…彼奴も“我等”の内の中の一振りに過ぎねぇからな。その女に懸想を抱いている点に関しちゃ、お互い変わりないんじゃねーか…?」


至って冷静さを欠かない彼が、溜め息を混じらせながら言葉を零す。

娘の傍らから一向に離れる気を見せない男が、先の影が施していった痕を揉み消すように彼女の掌を拭っていた。

触れる事で気付く彼女の肌触りに、彼は僅かに眉根を寄せる。


「あーあ、こんながさがさになっちまってよ…。また手入れすんの怠ったな?せっかく綺麗な手ぇしてんのに…ちゃんと手入れしねぇと駄目じゃねーか。…ったく、世話かかる奴だぜ、本当…。」


悪態を吐きながらも、愛おしそうに娘の世話を焼く彼は酷く柔らかだ。

その様を傍らで見守り傍観するだけの影は、其れを揶揄する事も無くただ見つめていた。


「…お前も変わった奴だよな。女の世話なんかを自ら進んでやるなんてさ。」
「俺がちゃんと見ててやらねぇと、此奴すぐ色々面倒くさがってサボるからな。…故に、こんな処でガチ寝してやがるし。他の奴は放っちまうんだから、俺が世話焼いてやらねぇと…。風邪引かれて寝込まれても困るし、其れで本丸に帰ってこれなくて戦に出れなくなるのも困るしよぉ。」
「…最終的には、やっぱり戦か…。」
「そりゃ当たり前に決まってんだろ…?俺達は武器なんだからよ。戦場で戦う事こそに意味があるってモンだ。」


呆れたかのように見えた彼だが、しかし、其れこそが己の存在意義だと理解しているのか、それ以上は何も言ってこなかった。

娘がまたもぞり、と身動ぎをする。

髪を撫でていた手を止めた影が、様子を窺った。


「…起こしちまったか?」
「いや…少し足を動かしただけだ。まだ意識は眠ってる…。けど、もしかすっと、そろそろ起きるかもしれねぇな。まぁ、こんな処で寝落ちちまってる分、どっちみち起こした方が良いんだろうがよ。」
「ん…。でも、気持ち良さげに寝てるとこ起こすのもどうかと思えて気が引けんだよなぁ…っ。どうすっかな…?」
「放っといても、直に目ェ覚ますだろ…。どうせ、見えてない、聴こえてないにせよ、“俺達”の気配が近くに在る事には気付いてるだろうからな。」
「不思議だよなぁ、そこんとこ…。偶に、此方の方見てきたり、どうかしたら目合ったりするような事もあるし。…やっぱ、審神者になれるぐらいだから、霊力とかそういう力が働きでもしてんのか…?」


もぞもぞと身動ぐ彼女の様子を見て、答えの無い問いを口にする彼。

もし、見えていなくとも、感じる事が出来ていたなら…それ以上に嬉しい事はない。

彼の口許に描かれた笑みが、そう彼の心を物語っていた。

それまで黙っていた影が徐に口を開いて言葉を漏らす。


「……あまり迂闊な真似はすんじゃねーぞ…?下手に手ェ出して“此方側”に寄ってこられても困るからな…。」
「解ってるよ…っ。んな睨み効かせてまでしつこく言わなくったっても良いって。」
「…だと良いがな。」


娘がもぞり、身動ぎをした。

意識が浮上しかけているのか、顔をムズムズとさせてもぞもぞと手足を動かしている。

まるで、眠たげにも起きようとしている猫の其れのようだ。


「…たぶん、そろそろ起きるな…ソイツ。」


短くそう告げて、彼女の足元に近寄り、彼女の腰元へそっと手を伸ばした。

柔く触れた瞬間、娘の目蓋がぱかりと開かれた。

唐突なその目の覚まし様に、二つの影は思わずピタリ驚き固まる。

娘は、片目のみぱかり開いたまま、ぱちぱちと瞬きをする。

しかし、まだ眠いのか、すぐに微睡みのかかった目をして半目に閉じ、完全に閉じる。

そして、猫のように気伸びをして身体を伸ばし、欠伸を漏らした。

彼等は互いに顔を見合わせ、目を瞬かせる。

彼女はというと、先程は閉じていた片目もそろそろと開け、瞬きを繰り返し、今度はしっかりと両目を開いて意識が覚醒した事を確認していた。

もそり、動いた娘が起き上がる。

だが、まだ寝惚けているのか、動きは緩慢で頭も何処かぼんやりとしている様子だ。

寝惚け眼を擦って、寝てしまう直前までしていた髪留めを何処にやってしまったかなと記憶を辿っている。

前髪辺りを触れ、もそもそと自身が寝ていた炬燵の付近を探し始めた。

炬燵布団の隙間からころりと落ちた髪留めを見付け、ホッと息を吐く彼女。

そんな娘の事を愛しげに見つめていた傍らの彼が、彼女のぼさついた髪に触れる。

その感覚に、ふと何かを感じたのか、娘がすぐ近くの辺りに視線を向けた。

何となしに彼と目が合う。

しかし、彼女には見えていない為か、不思議そうな顔をして首を傾げるだけだった。

だが、其れだけでも構わなかったのである。

“彼等”の存在は、確かに其処に在ると感じられたのだから。

濃い影が薄日に溶けて消える前、彼女に手を伸ばした。

さわり、触れた彼女の頬は柔くすべらかで何一つ穢れを知らぬ肌をしていた。

そんな白き柔肌が血に染まり傷付く事が無きよう、“彼等”は密かに夜闇の世界を暗躍する。

…そうして、在るべき処へ還りし者達は一つとなり、一振りの刀と戻るのである。


執筆日:2019.02.18