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素直になれない熱は甘い



如月の中旬、本丸の厨では甘ったるい匂いが漂っていた。


「何だ、この甘ったるい匂い…っ。」


偶然厨の前を通りかかった同田貫が、顔を顰めて呟く。

そこに、厨から顔を覗かせた乱が声をかけた。


「今日は、バレンタインデーっていう記念日なんだって!だから、その日に合わせて、燭台切さん達が腕を奮って美味しい甘味を作ってるんだよ。」
「ばれんたいんでぇー…?何だそりゃ。」
「現世でこの時期にあるイベント事らしくって、なんでも、女性が好きな人やお世話になった人にチョコレートを贈る日なんだとか。専ら、女性が好きな男性に贈る事が多いらしいんだけど…複数の男性へ贈る場合は、その中身を本命と義理ってのに分けて贈るんだって!はぁ〜っ、羨ましいなぁ〜…!そんなプレゼント貰えるなんて。ボクも、そんなロマンの詰まった、ときめきいっぱい愛情いっぱいのチョコ貰いたぁーい…っ!!」
「へぇー…そんなもんが今の世の中にゃあるんだなぁ…。よく分かんねぇけど。」


興奮したように語る乱の様子に、あまり興味が無いとでも言うように曖昧な返事を返した同田貫。

そうして、片手で頭をガシガシと掻きながら、思い出したように次の言葉を口にする。


「そういや、主が何処行ったか知らねぇか?部屋行ったんだけど、姿が見当たらなくてよ。」
「主さんなら此処には居ないよ?今、此処に居るのは、燭台切さんと小豆さんに歌仙さん、あと…貞君とボクに毛利だもん。」
「そうか。なら、他当たってみるわ。邪魔したな。」


当てが外れたと分かったのか、すぐに来た道を引き返していった同田貫。

厨の奥で様子を見守っていた燭台切と太鼓鐘が、暖簾を掻き分けて顔を出し、後ろから声をかけた。


「どう?乱君。上手くいった…?」
「うん!大丈夫、作戦は成功だよ。」
「良かった…。此れで、少しは時間稼ぎが出来そうだね。」
「おう…っ!やっぱ、相手を驚かせるなら、飛びっきり派手にやらないとな?準備は主次第、コッチの仕込みは上々だぜ…!」
「他の協力者にも事は伝えてあるし、問題は無いよ!」
「後は、向こうが早く帰ってくる事を祈るばかりだね…。」


燭台切が物憂げな顔をして空を見つめる。

大空では、小鳥達が元気に飛び回り、冬の寒さも終わりが近付いてきている事を指し示していた。

一方、その頃の同田貫は、他を当たろうと居間の方へと来ていた。

居間の障子を開け、中に居た者達に声をかける。


「なぁ、主見なかったか?」
「主さん?俺は見てないし、知らねぇけど。」
「そっか…此方の当ても外れたか。」


目的の彼女の姿が見付からず、小さく溜め息を漏らす同田貫。

はてさて、彼女は何処へ行ってしまったのやら。

行方が分からず、不安に思い始める他所で、頭の中では、次に彼女が行きそうな場所への見当を付けていた。


「主さんに何か用だったの…?」
「いや、まぁ…大した用じゃねーんだけどよ…。」
「部屋には居なかったのか?」
「部屋に行ったけど居なくて、厨に行ってみても駄目だったから此方に来た。結果、此方にも居ねぇみたいだったけどな…。」
「ふーん…主さん、何処行っちゃったんだろうね?」


偶々、居間に居た来派二人組が軽く他人事のように喋る。

その様子に、予想が外れた事も相俟って眉間の皺を寄せた同田貫。

そこへ、もう一人の第三者が言葉を発した。


「主なら、ちょっと前に出掛けてくるって言って出てったよ?清光と堀川連れて。」
「あ…?主は何処に行くって?」
「さあ…?そこまで詳しくは聞いてないけど、何か現世の方に用事があるんだって。そう遅くはならないとも言ってたから、夕方までには帰ってくるんじゃないかな?」


読んでいた本から顔を上げた大和守が、そう答える。

その返事に、彼は軽く舌打ちをした。


「…チッ、現世に用があるんだったら、前々からそう言っとけよな…っ。無駄に探し回ったりと、余計な労力使っちまったじゃねーか…。」
「まぁ、そう心配しなくても、主なら大丈夫だって。あの二人も一緒に付いてる事なんだし…。主が帰ってくるの、気長にゆったり待ってようよ。」
「な…っ、俺は、別に、心配なんか…。」
「そういうトコ、素直じゃないよね。同田貫って。」


ぐさり、蛍丸のさらりとした容赦の無い一言が、彼の心に突き刺さった。

ぐうの音も言えない。

口を真一文字に引き結んだ同田貫は、不貞腐れたような態度でドカッと空いていた席に座った。

そして、その場に居た者と同じように炬燵に入り、誰にでもなく口を開く。


「茶ァくれ。」
「そんなの自分で煎れれば?」
「寒ぃからこっから動きたくねぇ。」
「ソレ、自分だけの都合じゃん。俺も寒いし、今ゲームしてるトコだからヤダよ。」
「んだとコラ…、」
「あー、はいはい、喧嘩しないの!僕が代わりにお茶貰いに行ってきてあげるから、其れで良い?」
「…おぉ。」


喧嘩腰になりかけていた二人を制した大和守は読みかけの本を置き、代わりにお茶を貰いに席を立つ。

別にそこまで迷惑をかける気も無かった彼は、ぶっきらぼうな返事を返す。

向かった先の厨で、大和守は小さな溜め息を吐いて愚痴を漏らした。


「ねぇ…主が出掛けた理由って、黙ってなくちゃ駄目なの?」
「まだ秘密にしとかなきゃ駄目に決まってるじゃない、大和守さん…!」
「ぇえ…?まだ駄目なの?別にそんなに隠さなくても良い事だと思うけどなぁ…。」
「何言ってるんですか…!主様の一世一代の想いも込めた贈り物ですよ!?秘密にしなくてどうするんですか…っ!!」
「え、えぇ…?な、何でそんな熱くなってるの、毛利……っ。」
「みんな、あるじのこいもようをおうえんしているのだよ。」
「そうそう…っ。何たって、あの主が自ら彼だけのチョコを用意したいって言い出したんだから!」
「うんうん。あのものぐさなところのある主がね…。全くという程恋愛事には興味を示さなかったあの主が、だよ…?此れは、応援してあげなくてはいけないと思っても仕方のない事だと僕は思うよ。」
「でも、それなら尚更、市販で売ってるチョコを渡すんじゃなくて、自分で作ったのを渡すようにした方が良かったんじゃないの…?」
「まぁ、ソレは言えてる事なんだけどもね…っ。」
「今作ってるのは、皆で食べれるように、基本甘く作ってあるから。」
「あと、“自分は料理するのは苦手だから、自分が作るより買った物渡した方が早い”っていう理由が一番大きいというかなぁ〜…そう、主が言ってたんだよな。」
「…ソレ、結局は面倒くさいって事なんじゃん、主…。」


思わず呆れの表情を見せた大和守に、口は動かすが手元もずっと動かし続けている小豆が此処だけの内緒話をするように小さく声を窄めて言った。


「ああみえて、あるじもかれのことをかんがえてのことなんだよ。」
「どういう事…?」


首を傾げた大和守は問う。

過保護気味な保護者達は、悪戯を仕掛けた子供みたいな笑みを浮かべて口を開いた。


「主はアレでいて、周りをよく見ている。」
「だから、かれがこどもたちのすきなあまいおかしのあまさをじつはにがてとしていることも、しっているんだ。」
「その為に、今日、彼には特別に彼だけの物を用意するんだってね…!」


最後に、お茶目にも態とウインク付きで言った燭台切。

似合い過ぎるソレに、最早何も突っ込めないでいる大和守は、取り敢えずは納得する事にしたのか、首を縦に頷かせた。


「…あ゙ー、彼奴、何か戻ってくんの遅くねーか…?お茶貰いに行っただけなのに。」
「人に頼んでおいて文句言うとかサイテーだよ、同田貫。まぁ、たぶん、厨組の人にでも捕まったんじゃない…?今日、何だか忙しそうにしてたし。」
「そーいやぁ、さっきから何か美味そうな匂いがするよな?」


居間に居た者達がそんな事を呟いているとは知らない、大和守であった。


―そして、その頃、現世で買い物をしていた噂の彼女は、思い切りくしゃみをしていた。


『ぶぇっくしゅ…ッ!!』
「うわ、何、そのくしゃみ…!?全っ然可愛くない!女の子なら、もっと可愛いくしゃみしなよ…っ!」
『うるせぇ。いちいちくしゃみ一つにんな文句言うんじゃねーよ。つか、急に出たもんだし、くしゃみに可愛さなんか求めんな。』
「大丈夫ですか?主さん。風邪でも引いたんですか…?」
『いや、今のはどっちかと言うと噂されたか何かだと…いや、俺に限ってそりゃ無いか。たぶん、花粉かな?最近飛び始めたってTVの気象情報で言ってたし…。はあ、考えただけで憂鬱…!』


ムズムズとする鼻を押さえて顔を顰める璃子。

その顔が、何処となく誰かさんの顰めた顔とそっくりだという事は、敢えて言わないでおく堀川。

この件は、心の内にそっと閉まっておこう。


「其れよかさぁ〜…お目当てのチョコは見付かった?」
『ん…其れがさぁ、色んな処とコラボってて良さげなヤツはいっぱいあんだけど、肝心なコレ!ってヤツが無いんだよね〜…。色々見て回ったけど、最終的、色々見過ぎて最早何か全部同じ物みたいに見えてきた。』
「駄目じゃん、ソレ。せっかく現世にまで見繕いに来た意味無いじゃん…っ!」
『はぁ…もういっそ、“俺がプレゼントです”みたいにチョコ塗れな服とリボン巻き巻きになって行くか?』
「ちょっ、言い出した本人が投げやりになんないでよ…!」
「というか、ソレじゃバレンタインどころか、別の贈り物になっちゃいませんか!?主さん…っ!!」
「いや、そもそもが突っ込むトコ其処なの…!?主自身も、ソレだと色んな意味で逆にやばくない!?」
『……うん、無いな。自分でもキショイってなったわ。つか、まず自分がなる時点で有り得ないわ。何そのRー18禁的な物、ベターだけど無いわー。』


やる気の抜けた声を漏らしながらダレたように歩き、商品を物色していく彼女。

既に、買い物という名目で出てきて数刻は経過した。

しかし、彼女の手には一つの商品も留まる事無く、元の商品棚へと戻っていっていたのである。

相談役として付いてきていた二人も、流石に疲れが滲み出てきている。

流石に、そろそろ何かしら決めないと付き添いをお願いした手前、申し訳ない。

そう思い、視線を向けたとあるコーナーの方へと足を向ける。

そして、漸く思っている物に見合う物を見付けたのか、或る一点に目が留まり、其処を見つめたまま声を上げた。


『…あ。』
「ん…?何か良さそうなの見付けた?」


唐突にスタコラと進み始めた彼女の後を追って、置いていかれた二人も歩み寄っていく。

彼女が見ていたのは、とある会社とコラボった物のチョコレートであった。

或る一つの黄色いリボンが結ばれたチョコレートを手に取り、じぃ…っ、と見つめる璃子。

追い付いた二人が彼女の手元のチョコレートを背後から覗き込む。


「あ、良いじゃん、ソレ…っ。可愛いよ。」
「本当ですね!小さなクマのキーホルダーが飾りとして付いてるところも、可愛らしくて素敵です…!」
「ソレが良いんじゃない、主?値段も其れ程高くないみたいだし。予算内には収まるんじゃないの?」
『………うん。決めた、コレにする…っ。』


画して、漸く決まった彼への特別なチョコレートは、お洒落で綺麗なデザインのされた紙袋の中へと入れられ、彼女の手元に収まったのだった。


『ただいまぁ〜…っ。』
「あ、帰ってきた。」


玄関の方で彼女等が帰ってきた声が聞こえると、即反応を見せた彼が無言でスッと立ち上がる。

そして、そのままスタスタと早足で玄関の方角へと向かう。


「本当、主さんの事好きだよな〜同田貫の奴。俺も、まぁ好きな方だとは思うけどさぁ…。」
「言葉では否定しても、躰は正直ってね。」
「あはははは…っ。」


ポツリ、漏らされる二人の台詞に、大和守は苦笑を浮かべるしかないのであった。


「…帰ったか。」
『おや、たぬさん。ただいま。お出迎えしてくれたの?有難う。』
「何処行ってたんだよ…。どっか行くなら前以て教えとけよな?」
『あぁ、ごめん。ちょっと急に必要になった物が出来たから、其れ買いに行ってたんだよね。現世の方が色々と豊富に揃ってるからさ、直接見に行ってたのよ。何も伝えてなくてごめんね。何か私に用あった…?』
「別に、特にコレといった用はねーけどさ…何も言わずに出て行くなよな。」
『うん、ごめんねたぬさん。現世に行ったついでにお土産も買ってきてあげたから、夜渡すね。だから、機嫌直して?』
「…そんな、物で釣ったって、俺は騙されねーからな…っ。」
「……。(うわぁー、素直じゃない…っ!おまけに、めちゃくちゃ可愛くない事言ってる!)」
「はいはいっ、こんな処でお話するのも何ですから、お部屋に戻ってからにしましょうね…!(同田貫さんって、口は素直じゃないけど、分かりやす過ぎる態度なんだよなぁ〜。)」


放っとかれて拗ねて不貞腐れた犬のように素直になれない同田貫は、むくれた顔で彼女を出迎えた。

そんな彼に軽く謝罪しながらも内心から滲み出る嬉しそうな彼女の感情は、後ろの二人にはバレバレである。

敢えて、バレンタインのチョコレートと言わず、“お土産”と口にしたのは、やはり恥ずかしさから来る乙女心故か。

はたまた、素直に想いを口には出来ない天の邪鬼心からか。

どちらにせよ、似た者同士…素直になれない者同士なのだった。

其れ故、周りの者達は苦労する。

事実、すぐ側で二人の遣り取りを見ていた加州はやきもきしていた。

“もう面倒くさい、さっさとくっ付いてしまえ…っ!”、と…。

見ていてもどかしい、しょうのない二人なのである。


「あ…っ、主様…!おかえりなさい!!お待ちしておりましたよ…っ!!」
「主さん!おっかえりぃ〜っ!バレンタインのお菓子、出来上がってるよー!!すっごく美味しいから、早く食べて食べて…っ!!」
「おかえり、主…!皆先に食べちゃってるけど、主の分もちゃんと取ってあるからね。」
「やぁ、おかえり。ぶじにかえってこれたようでよかったよ。おめあてのものは、ちゃんとかえたのかい…?」
『おお…っ、ただいま皆。今日は何時になく賑やかしいね?何となくだけど。あ、お目当ての物はちゃんと買えたから安心して良いよ。変に気遣わせちゃって悪いね。』
「そんな事無いさ。せっかくのイベント事だ、偶には君だって乗っかっても良いんじゃないかい…?」
「まぁ、とにかくだ…!ソレはソレ、コレはコレで、話は後だ後!早く皆の処へ行こうぜ…っ!!」
「そのまえに、そとからかえってきたあとはうがいてあらい、なんだぞ…?」
『ハイハイ…ッ、分かってますよ。分かったから、そんな押さないで〜。』


早く早くと急かす短刀達に背中を押され、先を歩いていく璃子。

そんな彼女の姿を見て、少しだけ寂しそうに目を細めた彼は、ボソリ、言葉を漏らす。


「…彼奴の周りは、何時だって賑やかで明るい奴等が居るよな…皮肉れた俺なんかと違ってよ。」
「え………っ?」


偶然、彼の小さな呟きを拾った燭台切は、内心驚いたような反応を見せた。

“コレは、もしかすると…もしやなのではないか?”…と。

外野がうるさいのは、この本丸では常なのである。

すぐさま、この事は保護者勢に内密に共有された。


―燭台切達お手製のチョコレートケーキを食後のデザートに食べた晩、璃子は彼を部屋に呼んだ。

何とは知らされなかったが、外出から帰ってきた時に言われていた事を思い出していた同田貫は、たぶんその事での用事だろうと考えていた。

部屋に来てすぐの事である。

徐に、彼女から店のロゴの入った紙袋を差し出された。

差し出された紙袋の中身が何なのか分からない彼は、取り敢えずといった形でその紙袋を見つめた。


『はい、言ってたお土産。あげる。』
「おう、サンキュ…。けど、良かったのか?何か、俺だけにみたいな感じがすっけど…。」
『良いんだよ。そもそもがたぬさんの為だけに買ってきたんだし。どうぞ。』
「はぁ…まぁ、くれるってんなら貰うけどよ。…開けても良いか?」
『お好きなように…?』


受け取った紙袋を開け、中身を取り出した同田貫は首を傾げた。


「何だ?コレ…。」
『中身開けたら分かるよ。』
「ふぅん…?そういうもんなら、開けてみるわ。」


箱を覆っていたラッピングの包装を剥くと、中から出てきたのはシンプルなデザインだけども、何処かお洒落さを感じさせるパッケージの箱であった。

そして、その箱は、何処かで見た覚えのあるような色柄だった。

封として付いていたシールを剥がし、蓋を開ける。

すると、可愛らしい小さなクマのキーホルダーと香しい匂いを漂わせるチョコレートが内包されていた。

彼は、目を見開いて、箱の中身を凝視した。

そして、ポツリ、と言葉を漏らした。


「え………ッ?アンタ、コレ、って……………。」
『うん。バレンタインのチョコだよ。予想だにもしてなかったみたいだね。驚いた…?』
「いや、驚いたか…って、鶴丸かよ…ッ。其れよりも、コレってまさか、バレンタインのチョコか…!?」
『まさかも何も、今そう言ったけど?』
「お、俺にか…!?その、本命だとか、好きな奴に贈るヤツだとか…そういう意味合いでのヤツで、合ってる、んだよな………?」
『ありゃ。乱ちゃんかずお兄辺りが喋っちゃったかな…?まぁ、この時季、TVとか雑誌とかでも特集組んでやってるから、何処かしらで聞き齧ってても可笑しくないか。うん…今たぬさんが言った、その意味合いで合ってるよ。えっと、うん、まぁ…その意味合いだと理解した上で受け取ってもらえると嬉しいかなぁ…なんて。あ、ちなみにソレ、たぬさん用に合わせて買ったから甘さ控えめだよ。』


あからさまに不自然な様子で視線を逸らして言う彼女の顔は赤い。

ほんのり赤みが差した顔は、彼も同じだが。

もごもごと口から言葉が詰まって出てこない。

互いが互いに目を逸らして無言になり、顔を赤らめる。

そうすると、ひたすらに気まずい空気が流れ始めてしまうのは至極当然な事である。

変に黙っているのに堪え兼ねた同田貫が、手遊びに箱の中身を弄くり、クマのキーホルダーに触れる。

その際、触れた事でキーホルダーのチェーン部分がチャリ…ッ、と音を立てた。

静寂を割いたその音に、二人してビクリと不自然に肩を揺らした。

そうして、おずおずとどちらからともなく視線を合わせる。

が、受け取った側の同田貫は、どう返すのが正解なのか迷い、再び目線を逸らし、顔を俯かせる。

しかし、数分も経たずしてこの空気に堪えられなくなったのか、意味を成さない言葉を発しながら上を向いて乱暴な手付きで頭を掻きむしった。


「あ゙ー!!ったく、調子狂うぜ…んっとによぉ…!!」
『…っふはは…!何か、葛藤してる…?色々と悩んでます、って顔してるね?』
「分かってんなら、こんな返答に困るような事すんなよ…っ。」
『ふふ…っ、ごめんね、コレはただの私の自己満足。ちょっとしたケジメ付けみたいな物だよ。…不必要な物だと感じたなら、捨ててくれて構わないから。元々、敢えて“お土産”って体で渡した物なんだし。』
「あっ、いや…っ、俺は別に、そういう訳じゃ……ッ!」


言葉の選び方を間違ったと思った瞬間、一瞬だけだったが、悲しそうな表情を見せて笑った彼女の姿に、彼は焦った。

焦った故に、衝動的に彼女の事を抱き締めていた。

突然の零距離な距離感に、璃子は目を白黒させた。

口は接着剤でもくっ付いたかのように開かず、息が詰まって、心臓がバクバクとうるさい。

だが、其れ以上に、緊張と恥ずかしさで身体が火照り、熱かったのであった。

抱き締めた側の同田貫も、衝動的に動いてしまったが抱き締めるつもりは無かったらしく、固まって動けなくなっていた。

再び、無言になる二人。

先に口を割ったのは、比較的冷静であった璃子の方だった。


『ぇ………た、たぬさん…?あの、コレ、は…どういう……??』
「…あ゙ー…その…何だ、つい勢いってヤツだ……ッ。」
『へ……。あ、あー…そういう…?はぁ…、そ、っかぁ……勢い、ねぇ…、むごッ。』
「あ゙ー、クソ……ッ!少し、いや、もう一時喋んなアンタ…っ。黙ってろ。」
『(もごごごご…っ!!)』
「あ゙ー、もう!だから喋んなって…!!………今、心ん中整理してっから…っ。」


恥ずかしそうに視線を逸らしつつ口を塞がれた彼女は、そう言われて大人しくする。

そうなると、変わらず璃子は彼の腕の中のままだ。

一旦は落ち着きを取り戻していた心に、また羞恥が甦ってくる。

このままじゃ色々と爆発してしまいそうだと思ったのと同時に、息をも塞がれた彼女は段々と息苦しさを感じ始め、腕の中で暴れ始めた。

必死で心の内の感情と戦っていた彼は、急に暴れ出した彼女に驚き、慌てふためき出す。

慌てた拍子に、彼女の口を塞いでいた手も離してしまう。


「な…っ!?テメッ、急に暴れるんじゃねぇ…!!」
『(むぐぐぅーッ!!)っ、ぷは……ッ!…ちょ、たぬさん…っ、息止まっちゃうって…!!うぇっほ…っ、えほっ、…はぁー…ッ、死ぬかと思った。』
「わ、悪ィ…ッ、そんな強く塞ぐつもりは無かった………っ。」
『あー、うん…まぁ、別にそこまで気にしてないから良いよ。ついでに、さっき言った事も忘れてくr、』
「いや…!ソレは、絶対ェ忘れねーし、撤回もさせねーから。」


意思を固めた彼の視線が、彼女の目を射抜く。

一瞬チラついた、ギラリとした鋭い力強い光が、彼女の胸を突いて離さない。

どうにかすれば、自分の意思で身体を動かせるのに、まるで術にでも掛かったように躰が固まって動けない。

真っ直ぐと向けられる彼の視線から、目が離せなかった。

彼から何と言われるのか、不安を綯い交ぜにしたまま、彼の言葉を待つ。

彼が、意を決して口を開く。

璃子は、ごくりと唾を飲み込んだ。


「…全くさぁ、アンタもそんな素振り、今の今まで一度も見せなかった癖に…本当、調子狂わされっ放しだぜ……っとによぉ。」
『えぇ……、っと…?』
「良いから聞け。………コイツをくれるって意味が、好いてる奴に贈るって意味なら…そういう意味で俺は受け取るからな。」
『…お、おぅ…ッ。』
「ついでに、アンタが俺に懸想を抱いてて、俺もそうなんだっつー事で、此れからアンタに口付けたり何なりしても構わねぇ、遠慮しなくても良いって事で良いんだな…?」
『う、うん………っ。ゔん…?ちょ…え、ごめんっ、最後の方何て、』


彼女の言葉は、最後まで告げられる事はなかった。

何故ならば、彼に口を封じられたからである。

彼の口に言葉を飲まれ、さっきとは別の意味で言葉を失い、息を詰まらせる璃子。

唇に触れる彼の温度は、熱過ぎる程に熱を持っていた。

彼は彼の方で、予想以上の彼女の唇の柔らかさに驚いていた。

だが、其れ以上に、漸く通い合わせた想いと愛しさに気持ちが逸って、触れた唇を離す事が出来なかった。

少しだけ、角度を変えて、触れ合わせるだけの口付けを交わす同田貫。

最早翻弄されるだけの彼女は、されるがままだ。

しかし、息の止まったままの彼女にとっては、長い口付けだった。

次第に、ジタバタと藻掻きバシバシと彼の胸を叩いた璃子。

口を離した時の彼女は、すっかり涙目になっていた。

ソレに不覚にもグラついた彼は、もう気持ちを隠す事はしなかった。


『ちょっと…!俺の事殺す気!?初めてなのにいきなり長くしないでよ!!』
「あ?んなの知るかよ。どうでも良いから、もっと口付けさせろ…っ。」
『チョコは…ッ!?』
「後で食うから…今はアンタを味わわせろ。」


二人の様子を箱の隅からこっそり見ていた灰色の小さなクマは、真っ黒な襟巻きを揺らしてニコリと笑った。


執筆日:2019.02.13
加筆修正日:2020.04.09