『私の名前を知りたい…?』
「嗚呼…。俺が今知り得ている名は、アンタが“審神者として名乗っている名”だからな。アンタの本名が知りたい。」
『そんなの…知ってどうする?』
「別に、どうもしねぇよ。悪い事に利用するとか、そんな魂胆は微塵の欠片も無ぇから心配すんな。」
『いや…そうは言われてもねぇ……っ。』
或る時、時偶に空いた自由な時間を世間話なんかをして潰していた時だった。
そんな節に、彼から自身の本当の名を知りたいとの話を持ち掛けられた。
他愛もない話に聞こえるかもしれないが、彼等刀剣という付喪神達を従え敵を屠る為の策を練り、あるべき力を行使し、正しき歴史を守りながらその地を統べて行くという職に就く審神者である以上、簡単な事ではない。
個々が持つ名というものは、総じて大層大事な意味を持つものだ。
簡単に言ってしまえば、名そのものこそがその者等の体を表すものとなる。
つまり、名とは個を表すだけのものではないのである。
逆を言ってしまえば、名とは、個そのものを表すという事。
だから、名を握られてしまえばその者の権限全ては名を握った者に奪われてしまう…そういう事なのだ。
それを嘗てより既知しているからこそ、即答で答えてしまう事を憚られた。
彼が、ただ己の名を聞いて悪用しようなどと考えるような愚か者ではない事は存じている。
それなりに信用もおいているし、心強い相棒として信頼もしている。
常より思っている事もあったが、彼は時折こうして人との境界線を自ら一歩踏み越えようとして来る節がある。
別に、其れが悪い事ではないと思うし、寧ろ良い事ではないかと思っているが…如何せん、話題が話題だ。
そう易々と「うん、良いよ。」とは即答出来ないのだ。
だから、一時、間を置いたというか、何故かの理由を問うたのである。
『名というものが、どういうものであるかは…お前も知っているよな?』
「嗚呼…。」
『なら、何故私が簡単に名を教えようとしなかったのか、その理由も解っているだろう?』
「ちゃんと解ってるよ、其れも。…万が一、“神隠し”されないようにって時の為の自己防衛策だろ?」
『うん。其れ以外にも、理由は幾つか有るが…何故其れを解っていながらも、わざわざお前は私に名を訊いたんだ?』
「…それ、は……。」
同田貫が、一瞬言葉にするのを躊躇うように斜め横に顔を背け、視線を下方に下げた。
その間に空いた微妙な間へ、敢えて念を押すように確認をするように言葉を畳み掛ける。
『名とは…この世に存在する呪いの中で、最も短い呪(シュ)だ。個が体を表す上で、最も簡単で短く、そして大事なものだ。故に、“人ではない”お前達刀剣達と相対する時、自身の真名ではなく審神者としての仮の名を名乗る。…其れを理解した上で、何故にお前は私の本名を問う?』
言葉は強めに聞こえるが、語気は努めて優しく舌に乗せて口にした。
此れは、戒める為の説教などではない。
単なる気紛れが起こしただけの会話かもしれない。
だがしかし、そんな中にあった会話であったからこそ、今こうして問うているのだ。
彼の口にした言葉の真偽を、彼が心の内で抱いている感情の意味を。
真っ直ぐに彼の事を見据えていると、口にするべき言葉を決めたのか、彼が胸の内を決めたような顔をして面を上げた。
「俺は…アンタの事を、審神者として、我が本丸の主として慕ってる。人と刀との境目も十分に理解してるつもりだ。だが…アンタの臣下として、刀として戦場に出て行く度に、不安になる事もあるんだ。いつ何時、本丸や主の身に危機が及んだりしねぇか、…とな。」
『まぁ、やってる事が、事が事だからなぁ…。そればっかりは何とも言い難いが…其れを確と胸に留めたつもりで審神者やって本丸を動かしてる訳だし。今更な事かな。』
「だけどよ、色んな人を主として渡ってきた俺みたいな奴としてみたら、時折思う訳なんだよ。何時か起こるかもしれねぇって時の事の為によぉ。」
『う〜ん……そう心配する気持ちも解らなくはないんだけどさぁ?…う〜む、何て言ったらいっかなぁー………?ごめん、最近すぐには言葉出て来なくなったというか、語彙力やら何やら云々が足りなくなってきてさ。すぐに答え出て来なくてごめんね。』
「別に、んなの一々気にしたりしねぇよ。」
腕を組んで胡坐をかいて、頭を捻って考え込むように唸る。
その間、彼は私の方を大人しくじっと見て自身の放った言葉に対する返答を待った。
束の間に思考を逡巡させる。
僅かに頭を傾けた拍子にゆらゆらと前髪が揺れた。
その一挙一動の小さな動きを彼は目で追っているようだ。
同田貫の真っ直ぐと見つめてくる視線が自ずと突き刺さっていた。
具体的に表現し得る言葉と問いが見付からず、溜め息を吐いて彼と向き直る。
『…改めて、お前からの問うてきた理由をお聞きしても?』
「構わねぇけど…大した理由じゃねぇぞ?」
『それでも構わないから。お前が何故私の真名を知りたいと思ったかの、本当の理由を教えてくれ。』
向き合って、真摯な意思を声に乗せて言の葉を発する。
言葉というものも、名と同じように力を持つ呪だ。
だから“言霊”というものは存在する。
「アンタの本当の名…真名を知ってれば、何処か遠く離れていたとしても、少なからず結びは繋がってるかな…って。…そう思っただけだ。表現するなら、点と点が線で繋がってるような感じか?」
『成程……私とたぬさんとが、主である私の霊力を通して力が繋がってるって事の話かな?要は、縁…みたいなものの力の事?』
「うーん…まぁ、簡単に言やぁそういう事だな。確実にアンタと繋がってると解る為のものが欲しい。…其れだけだ。」
また、真っ直ぐとした目を向けて私自身を見つめてきた。
握り拳は両の膝の上、正座を組んだ脚の上に置かれている。
真面目な話をする時はきっちりとする真面目な刀だ。
領分は弁える事に長けている、人と刀の境目をよく理解した実践刀である彼、同田貫。
故に、私も彼の意志には応えてやろうと居住まいを正して答えた。
『解った。お前のその言葉の意味と気持ちに応える為、我が名の真名を教えよう。…但し、此れから口にする名は決して他言せぬ事。此れだけは誓ってしてはならん。良いな?』
「応。心得てる。この身に誓って、他言はしないと宣言する。」
『…良し。では、少々此方へ。あまり大きな声では言えぬのでな、お前の耳元で小さく教えるから…ちょっとばかし近う寄ってもらっても良いかな?内緒話じゃ…!』
「其れは良いし、内容が内容だけに内緒話なのは端っから解ってっけどよぉ…ちょいちょい古めかしい言葉遣いするよな、アンタって。別に俺は構やしねぇし、アンタがどういう環境で育って何でそういう言葉遣いするようになったかとかも敢えて訊こうとも思わねぇけども…偶に気になんだよな。」
『あいや。そいつぁすまなんだや。こればっかしはしょうがないというか、変えられん事でな。あー、爺刀相手してたらいつの間にか移ってこうなってたと思ってくれや。』
ちょっとした拍子につい出た言葉とその言葉遣いに思わぬ指摘を貰い、話が脱線した。
話を戻して彼の耳元へ顔を寄せる。
『私の本当の名はね…、――――だよ。』
「――――……。」
端的に短く言葉を告げる。
彼は、其れを静かに聞き入れると口の中で小さく復唱した。
「…其れが、アンタの真名なんだな?」
『うん。そうだよ。…もしかして、意外な名前だったかい?』
「いや…アンタに似合う、アンタらしい名だと思う。音として口に乗せても、仮の名よりしっくりくる感じがするしな。」
『そういうモンなの…?』
「嗚呼。……へへっ、これで漸くアンタと確りとした繋がりを持てる…!」
ただ名を教えただけなのに、同田貫は至極嬉しそうにして笑った。
その様子が少し不思議に思えて私は首を傾げた。
『…そんなに嬉しい事?』
「そりゃ、勿論だろ。本来なら知り得る筈も無いアンタ自身の名を知れ得たんだからな。…これで、アンタが何処に居ようとも繋がっていられる。アンタの事を感じられる。アンタの事をより一層守れるようになる…っ。」
『同田貫…………?』
心から喜んでいるような様子を見せる彼の様子に、何故そこまで己の名を知る事に執着したのか理解出来なかった。
ただ不思議で、目を瞬かせるしかない。
私は知らなかっただけなのだ。
―実は、彼が密かに私の事を好いていて、その事を隠していた事を…。
今在る私と彼との間の空気と関係を壊したくなかった事を。
そして…刀と人である私とでは交わる事は叶わないから、その代わりとなる繋がりを求めた事を。
彼が語らぬ限り、其れからも、これからも、私は知る由も無かったのだ。
執筆日:2019.05.08